神の一手   作:風梨

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約7000字
第一部・最終話


第11話

 

 

 

「──やっと、やっとキミと対局できる」

 

 アキラは真っ直ぐにヒカルの目を見つめながらそう告げた。

 待ち望んでいた。

 全てはこの日のために。

 

 アキラは碁笥(ごけ)を開き。

 ──そして、碁笥(ごけ)の蓋を床に落とした。

 

 アキラはゆっくりとした動作で屈み込んで蓋を拾い上げる。

 机の上に蓋を置くアキラの手は震えていた。

 

 緊張。

 そして『恐れ』による震えだった。

 武者震いなどではない。アキラ自身がそれを一番良く分かっていた。

 ヒカルを前にして、あまりにも巨大なカベを感じた相手を前にして、アキラの身体は震えという形でその内面を表していた。

 

 深呼吸を一つ。

 アキラは普段と変わりない真剣な眼差しで挑む。

 震える身体は想定通りだった。

 だから、恐るるに足りない。今までの全てをぶつけるつもりでアキラは口を開いた。

 

「お願いします」

 

 ヒカルも、佐為の代わりにしっかりとした口調で応える。

 

「お願いします」

 

 三度の邂逅。

 そして対局。

 

 佐為の黒番。塔矢アキラの白番。

 コミは5目半。

 運命の一戦が始まろうとしていた。

 

『いきますよ、ヒカル』

 

 佐為は指し示す。

 若き才能を受け止めるために、何より自分のワガママを聞いてくれるヒカルに勝利を捧げるために。

 全身全霊を以って勝利すべく気迫を漲らせた。

 

『右上スミ 小目』

 

 ヒカルが鋭く打ち据えた。

 パチリと鳴る碁盤。

 その音を合図に三度目の戦いの火蓋が切られた。

 

 

 ヒカルが打った直後だった。

 アキラは碁笥(ごけ)に手を差し入れて素早く自らの一手を盤面に放った。

 あまりにも早い応手だった。

 二度目の対局では一手目に3分を掛けた事を思えば早すぎるほどだ。

 

 恐らく、この半年の間に佐為との対局を何度も反芻し続けていたのだろう。

 身が引き締まる思いでヒカルが次の一手を打ち込んだ。

 

 一手の応酬が行われる。

 真剣な対局は時が過ぎるのも早かった。

 ヒカルは佐為から生まれる一手の意味を理解しながら、そしてアキラの一手の意味を考えながら、冷静に俯瞰して見ていた。

 

 打っている者にしか一番深い所は見えない。

 

 本来なら二人しか存在できない場所に、ヒカルは唯一第三の人物と成れる。打ちながら最もニュートラル、中立的な位置に立つことが出来ていた。

 現在のヒカルはまだまだ力不足ではある、しかし。

 別の未来では『とある真剣勝負』において佐為すら、塔矢行洋すら気がつかなかった一手を見極める才能の原石を持っている。

 

 淀みなかった佐為の手が止まった。

 ──長考に入る。

 佐為が長考するのは珍しい事だ。

 

 ヒカルは自分なりに考えてみる。

 左上隅の戦いは盤面の中で最も多くの手を使っていた。

 三線(盤面の端から数えて3本目の線のこと)に置かれた佐為の黒石を覆うようにアキラの白石が伸びている。

 絶妙なバランスで分断されており、佐為の三線に置かれた黒石は中央との合流を果たせない。

 

 だが、かといって佐為の黒石が死ぬこともないだろう。

 三線に伸びる佐為の布石を崩すのは非常に困難を極める。三線のメリットの一つに地が安定していることが挙げられるからだ。

 

 ましてや番手は佐為である。

 アキラが無理に地を荒らそうと仕掛ければ忽ちに返り討ちに遭う。

 

 故にこの局面は硬直している。

 しかし、碁の面白いところは全ての盤面がつながっているところだ。

 中央で戦っていたはずが、気が付けば右辺、左辺に重大な影響を及ぼす事などままある。他の局面への影響を考慮しながら戦うからこそ奥深いのだ。

 つまり硬直した局面というのは、あくまで現時点で重要な一手が別の局面にあるというだけである。

 

 次に舞台となったのは右上隅だった。

 先番の有利を用いて中央付近に構える佐為の黒石を、右上隅からアキラがどう崩していくか、という戦い。

 

 佐為の長考はどのように中央の地を作るのか。あるいは右上隅に作られた塔矢の地を荒らしに打って出るのか。

 恐らくはその検討だとヒカルは考える。

 

 ここまでの戦況は、ヒカルの見立てでは佐為の分が悪い。

 押されている印象すら受ける。

 半年前は成す術なく敗れたアキラが、佐為と互角以上に渡り合っているという事実。

 そんな事実に鳥肌が立った。

 あまりの成長速度に対する驚愕だった。

 

 そんなヒカルに、アキラが話しかけた。

 

「……少しは成長しただろうか、ボクは」

「ああ。お前、強くなったな」

「あ、え。う、うん」

 

 聞かれたので思った事を答えたら、急にアキラが赤面し始めた。

 そんな反応されるとこっちまで恥ずかしい。思わずヒカルが叫んだ。

 

「なんだよ、もう!」

「いや、ごめん。素直にそう言ってもらえるとは思わなくって……」

「そこ! 私語は慎みなさい」

「「す、すみません」」

 

 ヒカルもアキラもそれぞれ違った恥ずかしさで赤面しながら盤面に向き直った。

 

『ヒカル、塔矢と仲良くするのも良いですが、これは真剣勝負ですよ? まったくもうっ』

(わ、わりー佐為。いや、そんなつもりはなかったんだけどさ……、うん)

『集中してください。厳しい戦いが始まる予感がします。──いきますよ、ヒカル』

(ああ、頼んだ)

『13の四 ツケ』

 

 意識を新たにヒカルは一手を放った。

『本来』の流れなら、ヒカルはここで佐為の指示を振り切って自分の一手を生み出した。

 けれど、ヒカルはそうしなかった。

 同じ手を思いついていたがヒカルは打たなかった。

 

 それはヒカルの碁に対する意欲が薄れた、という意味ではない。

 むしろ逆だ。

 碁に対する興味、意欲は佐為に出会った頃と比べて格段に増している。

 

 だからその理由を一言で言うならば『信頼』だった。

 

 佐為の強さを知って、ヒカルは時間をかけてそれを理解した。

 佐為は次にどんな手を打つのだろう。

 塔矢は、どういった手を返してくるのだろう。

 誰よりも間近で対局を感じることが出来る、誰よりも近い距離で観戦できる特等席。

 肌で感じる生の真剣勝負の気配。

 自分に向けられる、塔矢の闘志。

 佐為から放たれる、論理の究極とでも表現すべき美しい一手。

 

 そしてその一手を積み重ねて生み出される美しい棋譜。

 

 己を介して生まれる数多の積み重ねに、ヒカルは脈打つ心臓のような鼓動を感じていた。

 棋譜に通っている血を、息遣いを感じるような心地だった。

 

 ヒカルは思った。

 ああ、虎次郎も、こんな気持ちだったんだろうな、と。

 好きな碁を、誰よりも素晴らしい棋士の碁を最前線で感じることができる。

 

 虎次郎は優しい人だったのかもしれない。

 けれどそれ以上に、誰よりも佐為の碁が大好きだったんだろうとヒカルは思った。

 

 

 

 盤面は進む。

 終局に向けて美しい一手が応酬され続けていた。

 しかし美しい石の流れとは裏腹に盤面では凄まじい攻防が繰り広げられていた。

 

 そして。

 ──アキラは渾身の出来栄えに拳を握る。

 

 佐為は、額に汗を垂らした。

 

 

 

 佐為が古い定石を使い、アキラが最新の定石を使っている状況。

 それは果たし合いに例えるなら、刃渡りの見えない刃をアキラだけが使っている状況に近い。

 佐為がその刃渡りを見極めるにはその身を引き裂かせて確かめる他なく、それはつまり序盤での優位を塔矢アキラに引き渡すことに他ならない。

 

 そしてこれまでの2度の対局で、アキラは佐為の定石をしっかりと確かめた上で対策すら練っている。

 

 それらの相乗効果は、例えるならば安土桃山時代の若き将(塔矢アキラ)が火縄銃で武装して堅固な陣を敷いて籠る本陣に、平安時代の源義経(佐為)が馬と弓と歩兵のみで攻め掛るが如くである。時代を隔てた、非常に大きなハンデだ。

 

 経験と知恵では攻め手である佐為が勝る。

 それをアキラは最新の技術で補っており、なおかつ佐為を研究し尽くして、応じる対処法を用意している戦況。

 

 戦略で完敗しているにも関わらず、卓越した戦術を以って挑み掛かる挑戦者と言わざるを得ない立場。

 それが佐為だ。

 かといって挑む事を止めて守りに入ることは出来ない。

 

 定石で負けているということは最適化がなされていないということである。

 つまり、ここから先、佐為が守りの一手を打てば打つほどアキラが有利になる。

 無為な時間は佐為の敵でもあった。

 

 巧みな用兵と戦術を以って延命を続けて隙を探す佐為。

 そうはさせじと、有利を保っているうちに決定的な敗北を刻むため采配を振るうアキラ。

 

 佐為の状況をさらに例えるなら、雷の如き音を発する未知の筒(鉄砲)に兵を失って対処が必要と判断して一度下がり、対策の竹盾を用意して再度挑むような分の悪い勝負。

 それが成り立っているのは佐為の類稀な読みと打ち回しによるものだ。以前の対局ではそんな状況ですらアキラを一刀両断した佐為の技量は確かに凄まじい。

 

 しかしアキラは成長した。

 此度の対局ではジリジリと不利になっているのは佐為である。

 リスクを負って攻めねば勝てぬ、そう判断しながらも今はギリギリのところで機を窺って耐えるしかない。

 

 ──我々の現代。

 2022年。

 AIが台頭を果たした時代では、2017年よりも以前と比べると、なんと定石は一変している。

 たったの5年で定石が覆ったのだ。

 AIによる判断や研究によって、今までの悪手が好手とされるほど、変遷の激しい混沌とした時代だった。

 2017年に人類が『DeepLearning』によるブレイクスルーを果たしたAIに完全なる敗北を喫して5年が経った2022年では、この5年間で培った定石があれば、人類が5年前に完全敗北を喫した当時のAIにも人類は勝てるだろう、と言われるほどに定石の持つ価値は飛躍的に進化している。

 

 それが140年。

 佐為とアキラの間に隔たる時間の壁は厚い。

 この140年間にAIは存在していないが、数多の天才棋士が作り上げた時間の蓄積を鑑みれば、あまりにもその時間の隔たりは大きい。

 学べば一瞬で我が物とする『最強の棋士』も知らなければ手の施しようがない。

 この半年をヒカルとあかりの指導に充てたのが強烈な打撃として戦況に響いていた。

 

 プロとアマでは基準が格段に異なる。

 指導することで得た佐為の経験値はアキラとの対局では誤差にしかならない。

 プロとの練磨を経ているアキラの一手は限りなく鋭かった。

 

 佐為は、序盤から中盤初期にかけて厳しい状況に追い詰められようとしていた。

 

 

 その流れの中でも、ヒカルは佐為を信じて一手を積み重ねる。

 厳しい状況はヒカルも理解していた。

 そこら中に分断されかけの、死にそうな黒石の塊が点在する中で、何とか流血を最小限に止める佐為の打ち回しに、手に汗を握りながら何も口は挟まずに一手を重ね続けた。

 佐為なら何とかする。そう信じていた。

 

 けれど。

 ふと気がついてヒカルは手を止めた。

 佐為の指示する一手。

 

 それよりも面白い一手を、ヒカルは見つけてしまった。

 最善ではない。

 それは佐為の指示する一手だろう。

 実利(地を作る事を優先する考え方)は定石で劣る現況で求めれば致命的な崩壊を招く。

 後手に回っては実利は得られないからだ。

 故に厚み(将来の利得を重視する考え方)を増すことに専念すべきという佐為の判断は正しい。

 

 今は苦しくともオオヨセにまで持ち込めば読みの差で挽回する芽が生まれるからだ。

 劣勢ながらもアキラより実力が上手である佐為の挽回の芽は逆に言えばそこしかない。

 ヒカルは正しくその形勢を理解していた。

 

 だが、どうしても好奇心に抗えずにヒカルは佐為に伝えた。いや、伝えたとは言えないかもしれない。

 それは言葉ではなかったから。

 

 これが運命の契機になった。

 

 ヒカルは『自分で』打たなかった。

 アイデアは思いついたが佐為に任せた。

 その心境の変化はヒカル自身でもわからない。

 打ちたいという気持ちは胸の中に秘めている。

 だというのに、見つけた輝くような面白い一手を自分で打たなかった。

 

 様々な変化と積み重ねが齎した偶然でありながら、そうなるべく積み重ねられた必然だった。

 

 ヒカルの思う一手を佐為が熟考する。

 非常に面白い一手だった。

 それこそ囲碁が大好きな自分が、この一手を使ってどのように展開させていくのか、強い興味を惹かれる程に。

 

 二人の案を束ねて打つ。

 卑怯であるという思いが脳裏に過らなかった訳ではない。

 だが何故か一瞬にして消え失せた。思考する間もなく、佐為の興味はヒカルの示した魅力的な一手に集中する。

 

 ヒカルの一手が魅力的だったのは、勝てる可能性が高まるからではない。佐為にはない発想だったからである。

 むしろ、その手を打てば勝てる可能性はより低くなるだろう。

 ハイリスクハイリターンの一手だった。

 

 面白い一手ではある。 

 だが大きな危険を孕んでいる。

 たった一つでも読み誤れば、アキラを誘導し損ねて真意に気付かれてしまえば、数十手後には佐為の敗北が決定付けられてしまうほどに危うい手。

 

 勝敗は重要だ。

 勝つべくして打つべき、という考えは佐為の中にもある。

 ましてや今回は黒を握っている。

 佐為は今まで黒を持って負けたことがない。

 しかも今は形勢不利。

 とてもではないが面白い一手を模索できる状況ではない。

 

 強烈な不敗という自負と、面白い碁を打ちたいという欲求。

 それを自身の中に感じて佐為は微笑んだ。

 

 比べるまでもない、と。

 

『ヒカル、あなたの示した一手。私が使っても良いでしょうか?』

 

 佐為の選択は面白い碁を打ちたいという欲求に従うことだった。

 今までにないヒカルの視点すら自身の中に昇華して、佐為は新たな一手を打ち出した。

 

 それは初めて打つ碁。

 佐為とヒカルが本当の意味で力を合わせて打った、最初の一手だった。

 云うならば、これは『ヒカルの碁』。

 

 悪手を好手に変貌させる一手。

 

『2の十三』

 

 思慮の外にある一手。

 一見は悪手に見える一手だった。

 思わずハッとしてアキラは手を止めた。

 長考すべきか。

 そう思うが読みきれない。持ち時間はジリジリと減っていく。重要な決定機と考えるオオヨセまでに時間を浪費したくないアキラは、定石が古い故の悪手と判断して流れのままに次の一手を返した。

 

 そして、その一手から十数手目。

 無意味と思えたその思慮の外にある一手が、強烈な存在感を放った。

 コウを狙った一手であると、ようやくその時に気がついた。

 実利を狙えず、厚く厚く打っていた各所にある佐為の布石がここに来て活きる。コウ当てを作れる布石は十二分に用意されていた。

 

(こ、これは……!)

 

 ハメに近いが、それだけではない。

 ヒカルの発想を実現可能なまでに落とし込んだ佐為のウデがあってこそではあるが、その一手は今まで不利であった一局面を覆しかねない程の一手に変貌した。

 アキラの陣地内に飛び込んだ活路がないように思われた石たちが息を吹き返す。

 

(くっ! このコウ争いは負ける……! 先ほどの悪手と思わされた一手で8目ほどボクが損をした……! 序盤に作った差が、これでもう。いや、それでもまだボクが有利! だが、オオヨセ(終盤戦の初期で十目以上の大きいヨセ)のことを考えれば戦況は五分になった……!)

 

 細かすぎる読みを求められる未知の領域へと突入する。接戦と呼べる様相を呈し始めていた。

 ヒカルの『悪手を好手に変える』一手でリズムを崩されてしまい、これまでに生み出してきた有利が徐々に捲られていく。

 

 アキラは未だ成熟していない。

 故に失着なく完璧に盤面を進めることは難しい。

 だが、それでも序盤と中盤に掛けて作った優位は大きい。

 少しずつ優位を削り取られながらも必死で応戦する。

 

 より真剣に、より集中して両者譲らない一手を打ち続ける。

 

 そして盤面は半目を争うコヨセに入る。

 整地を終えて両者の地の数を比較する。

 

 

 コミを入れて。

 

 

 ──『黒』の半目差での勝利。

 

 つまり、進藤ヒカルの、佐為の勝ちである。

 

 持ち時間を、両者共にほぼ全て消費した上での大接戦。

 周りには対局を既に終えた者達や大会の係員で溢れ返っていた。

 口々に賞賛や驚きの声が溢れる中で、塔矢は大粒の涙を流した。

 

 ただ無言で俯いたまま。

 こぼれ落ちる涙が止まらない。

 

 激昂する訳でもなく。

 悔しさに震えるでもなく。

 声を上げることもなく、静かに涙だけを流し続けた。

 

 確かに届いたと、超えられると思った瞬間があった。

 超えられないカベに手をかけた瞬間があった。

 途中まで、塔矢が勝っていた局面すらあった。

 だが、結果は敗北だ。

 

 誰も声をかけられない。

 そんな状況の中で、唯一ヒカルだけが動いた。

 かつて言えなかった言葉を伝えるために。

 

「塔矢。──強いだろ、オレ」

 

 勝ち気に、ともすれば空気が読めないとも言えるタイミングでヒカルはそう言った。

 アキラは顔を上げた。

 そこにはまるで太陽のような笑顔で笑っているヒカルが居た。

 涙に濡れた顔を袖で拭って、悔しそうに、けれど憑き物が落ちたような顔で苦笑いした。

 

「ああ、君は強い。でも、まだ『たったの』三回負けただけだ」

「そーだな」

 

 この負けず嫌いめ、と今度はヒカルが苦笑いした。

 

「ズルい、ズルいよ。ボクはこんなにキミと打ちたいのに、もう打つことが許されないなんて」

 

 強引に袖で顔を拭って、鼻をズズズと鳴らして目を真っ赤に腫らしながらも、塔矢はいつもの澄んだ瞳でヒカルを見つめていた。

 

「……ボクはもう、この大会に出る事は出来ない。今回限りという約束で、先生に三将にしてもらったから。……だから、進藤。ボクは先に行くよ。これ以上厳しい環境なんて、それこそもうプロしかない。キミならいずれこっちの世界に来るだろう? ボクよりもずっと強い人たちがいっぱい居るんだ。お父さんや、緒方さん、桑原さんや倉田さん。キミの知らない強い人たちが大勢いる。……ボクは、一足先にその世界に行く。キミを追いかける事は止める。でも、いつまでも待ってる。キミがプロ棋士になって再び対局出来るその日まで、ずっと」

 

 熱い気持ちの籠った言葉にヒカルは微笑んだ。

 

「どうかな、オレはプロにならないかもしれないぜ?」

「なるさ。キミなら絶対に。──だって、このボクのライバルだから」

 

 相変わらず囲碁の事になると自分のことしか考えていない。

 身勝手だけど、どこか憎めない物言いにヒカルはまた苦笑いした。

 

 2人の少年が作り上げた棋譜は長く残るだろう。

 全身全霊をぶつけ合って作られた美しい棋譜。

 きっと、アキラも、ヒカルも、佐為も。

 

 そして二人の対局をまるで宝石箱を見つめるように眺めている藤崎あかりも。

 

 この四人は事あるたびに思い起こして、この対局に思いを馳せるだろう。

 140年も前の棋譜が残っているように、もしかしたら、2人の若き天才が作り上げた記録として、この棋譜も後世に渡って残り続けるかもしれない。色々な人の目に触れるかもしれない。

 

 だが、そんなことは今の彼らには関係のない話だ。

 より神の一手に近づくために。

 少しでも前に進むために、ただひたすらに目の前だけを彼らは見つめているから。

 

 

 ヒカルは決めた。

 佐為とアキラの対局を通して感じた煌めくような感覚を信じることにした。

 今のヒカルでは発想があっても佐為のように打つことは出来ない。

 そして佐為は物凄く強いがヒカルのような柔軟な発想は持っていない。

 

 この対局を経てヒカルは自分の役割を理解した。

 

 本因坊秀策のように。

 佐為に打たせながらも、けれど、秀策の焼き直しではつまらない。

 だからヒカルも一緒に打ち続ける。

 

 

 そして、いつか『二人で』神の一手に近づくのだとヒカルは決めた。

 

 ヒカルは振り返る。

 そこには変わらずに佐為がいる。

 不思議そうに、どうしました? とでも言いたげに首を(かし)げている。

 

 きっと、佐為は消えないだろう。

 二人で、神の一手を目指すのだから。

 

 

 ──『神の一手』

 

 ──『第一部・完』

 

 

 

 

 To Be Continued.

 

 

 

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