神の一手   作:風梨

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約6300字



第3話

 

 

 

 アメリカ某所。

 そこでは二人の男がパソコンの画面に向き合って、興奮した様子で口々に感想を言い合っていた。

 そんな彼らの手にはワイングラスが用意されている。

 観戦を楽しむ気満々といった風情で、肴にはPCの有機ディスプレイに映る、囲碁の対局画面が用意されていた。

『sai』と記された名前とその記譜がリアルタイムで対局模様を伝えていた。

 

『アメージング! 素晴らしい。インターネットの世界にこれほどの棋士がいるなんて、驚愕だよ。彼はプロなのか?』

『いや、プロがこれほどの頻度で素人(アマ)と打つなんて考えられない。……本当に意味不明だよ、彼は。その強さも含めてね』

『ハハハ、確かに、理解し難いほどに彼は強いね。今ではインターネット碁を開くたびに彼の名前がないか確認している自分がいるよ』

『それは僕もさ。彼の素晴らしい一戦を見逃すかと思うと、仕事にも身が入らないくらいだ』

『ハハハ、それは私も同感さ』

 

 一息を吐いて、ワイングラスを傾けた男は続けた。

 

『いったい、彼は何者なのだろうか』

『それを確かめに、日本に行くのだろう?』

『ああ。……もちろん、アメリカに優勝杯も持ち帰るつもりだけれどね』

『期待しているよ』

 

 男たちは向き合って笑っている。

 グラスを打ち合わせて響く音色が涼やかに室内に広がった。

 

 

 

 

「──こんなに頻繁にシロウトと対局するなんて、やっぱりプロじゃないんだ。……プロじゃなければなんだ? それこそプロ並みの実力を持ったアマチュアか……?」

 

『zelda』こと和谷は自宅のパソコンの前に座って、口元を片手で覆って考え込んでいた。

 対局画面を再び見れば、そこには対局中である『sai』の名前。

 和谷は『sai』に敗北してから可能な限り『sai』の対局を追いかけてきた。再戦は叶わなかったが棋譜は何十と目にしている。

 そして『sai』の桁外れの強さを思い知った。

 

「……にしても、コイツ。マジで強えぞ……。もしかしたら師匠(せんせい)より強くねーか?」

 

 和谷が初めて『sai』を目にしたのは7月末。

 それから時間がある限り追いかけているが、昼間っから居る事が多い。

 つまり、()しくも現在夏休み中である和谷の行動時間と被ることが多い。

 それは日中に仕事をしているなら有り得ない時間帯。

 

 だからだろう。

 二人の人物が和谷の脳裏で繋がった。

 

「……7月末から? 今は8月だろ……。夏休み? まさか!」

 

 ──『sai』の正体は『子供』

 

 あまりの強さに今まで考えすらしなかったが、出現した時期だったり、昼間にいることを考えれば和谷と同じく夏休み中の子供と考えられなくもない。

 一度思いついてしまえば強い説得力を持っているように思えた。

 

 そして桁外れに強い子供に、和谷はたった一人だけ心当たりがあった。

 

「『進藤ヒカル』……。まさか、オマエなのか?」

 

 和谷はパソコン上に『sai』とデジタル表記された名前を、食い入るように凝視していた。

 

 

 

 

 

 

 都内某所。

 国際アマチュアカップというイベントが執り行われていた。

 面倒だと思いながらも、和谷も師匠(せんせい)に言われてしょうがなく参加しており、各国のアマチュア代表がこぞって参加するイベントの最中にセミプロとして、対局の終わった外国人選手を相手に、指導碁を打つという仕事を任されていた。

 

 そんな対局をしている真っ只中。

 ──和谷の耳に『sai』の名前が届いた。

 

 

 勝者がいれば敗者が存在する。

 また一つの勝者と敗者が生まれた盤面を片づけている最中、JPNを背負った青年に対して海外の男性が『インターネット碁』に関して質問をした。それに対する返答にその『sai』の名前は含まれた。

 

 日本のアマチュア代表である島野は察したように微笑みながら静かに告げた。

 

「……『sai』ですか?」

「まさか……あなたが『sai』!?」

「いえいえ。今朝、他の選手の方に私が『sai』かと聞かれたんです。私ではありませんよ。ただ、私もそこまで話題になる存在なら知っておきたい。『sai』って、なんですか?」

 

 その一言が会場内に波紋を広げた。

 

 国際アマチュアカップは4日間に渡って行われ、1日2局で計8局の対局がある。

 まだ対局途中の者もいるが、前半である1局目が終了した者が大半となっており、後半が開始されるまでの空き時間があった。そのせいもあって、たまたま耳にしたホットな話題に参加する者は多かった。

 

 口々に話題に上るのはその『強さ』である。

 この場にいる様々な立場の者が『sai』と対局をしていると口にするが、しかし勝者は誰一人として存在しない。

 圧倒的な強さを誇るインターネットに実在する無敗の棋士。

 

 一度流れが出来てしまえば、囲碁好きが集まるこの場において主題となるのも当然だった。

 それだけの存在感を放っている名前が『sai』だった。

 

 インターネットに、非常に強い人がいる。

 

 それだけの話題から始まった流れは容易には留まらず中国、韓国はもちろん、その他の国々の代表がどんどんと会話に参加した。

 それに困ったのは大会運営委員会の者だ。

 1局目の大半が終わったとはいえ、まだ対局途中の者もいる。

 加えて2局目が控えている現状で騒が大きくなるのは本意ではなかった。大会運営委員会の者達もなんとか事態を収拾させようとするが、いわゆる一芸に特化した者たちがその程度のことで止まる訳がない。話題はどんどん膨らむ一方だった。

 

 そこに白いスーツを着た男性がやってきた。

 胸元に棋士であることを示す造花は着けられていないから、大会運営に携わっている人物ではない。

 しかしその男性の名前は日本の碁打ちなら誰もが知っているほどの人物。

 

 怜悧な表情と整った顔立ちにメガネ掛けている、冷静沈着を思わせる男。そしていまタイトルに最も近いとも評価される男。

 緒方九段だった。

 

 緒方の目的としては、以前塔矢名人の勉強会にも参加したことがある『島野』という日本のアマチュア代表の応援のために駆けつけるためだった。

 しかしそんな目的も、騒然とする会場に到着してしまえば薄れてしまった。そのくらい会場は一つの話題で熱狂している。島野に対する簡単な応援や挨拶をした後に、つい疑問が緒方の口をついた。

 

「……何かあったんですか?」

「いえ、それがインターネットに非常に強い人物がいる、という話題で持ち切りになってしまって……」

 

 困ったように笑う島野の背後から新たな人物が顔を見せて緒方に話しかける。

 中国のアマチュア代表の、冷たい雰囲気を覗かせる男性だった。

 

「『sai』という者をご存知でしょうか? ……私は中国の()臨新(リンシン)です。彼と打って中押しで負けました」

 

 そこに便乗して韓国の代表であるおかっぱメガネの男性も緒方の周囲に集まる人々に話しかけた。

 

「韓国の(キム)です。私は『sai』を知りませんが、日本に来る前日、友人から電話を受けました。韓国のプロ棋士()七段です。彼は『sai』と対局したそうですが、私が頼まれたのは日本で『sai』が誰なのか聞いてきてほしいということです。『sai』は絶対に日本のトップ棋士だから、と彼は強く断言していました。──しかし、今までの話を聞けば、彼がプロではないと理解出来ます。しかし、それでは理解が及びません。彼は、韓国のプロ棋士は、いったい誰に負けたというんです?」

 

 韓国の囲碁のレベルが非常に高いことは国際的にも有名である。

 国別対抗戦の結果から見ても明らかである。この場の者がそれを知らない訳がない。

 その韓国のプロすら敗北を喫している事実はより一層の興奮を場に齎したが、そんな事実は『sai』という存在を返って混沌の中に埋もれされてしまった。

 これまでの話を総括するに、プロではない筈だ。

 しかしその実力は日本のトップ棋士どころか、韓国のトップ棋士にも打ち勝つほどの桁外れの強さ。

 一体誰なのか。

 

 大きな衝撃を持って、韓国プロの敗北は周囲に受け止められた。

 

 そんな会話の切り口だった。

 そこにようやく指導碁を切り上げた『和谷』が参戦した。

 鼻息荒くこんなビッグイベントは逃せないとばかりに会話に入った和谷は『緒方九段』に対して順序立てて説明しようとする。

 日本人の中で『sai』に注目しているのは自分だけ、ということが会話の中でよく理解できたからこそ、その語り口にも熱が入っていた。

 森下九段、つまりは和谷の師匠から紹介されて前面に出された和谷は少し緊張しながら、自分が知っている限りの話を始めた。

 

「打ったのは1ヶ月前なんスけど、打ってみて、手筋とかなんとか、フッと秀策みたいなヤツとか思ったんス。オレ、秀策の棋譜よく並べるからかもしれないですけど」

「本因坊秀策?」

 

 緒方の疑問符に頷きで答える。

 

「っていうか、それくらい強いってカンジもあって。その後もずっと対局を追いかけたんです。いやホントに何局も、時間が許す限り全部っス」

「……院生であるキミがそこまで夢中になる程の強さ、ということか。──で?」

「強くなってるんスよ。オレと打った時より、遥かに。打ち方も変わって、秀策が現代の定石を学んだみたいに」

 

 そこで和谷の師匠でもある森下九段が大袈裟に笑った。

 それくらい荒唐無稽な話だったからだ。

 

「ははは、秀策が現代の定石を? そりゃ最強だ」

「もしそうなら、同感ですが。──しかし、キミが確信しているのはそれだけじゃないんだろう?」

 

 まだ何か言いたげな様子の和谷に、緒方は再度問いかける。

 言いたいことがあるなら言っておきたまえ、と言わんばかりの視線。

 その視線に背中を押されて、和谷は言うか言うまいか悩んでいた『名前』を出した。

 

「……心当たりが、あります。『sai』って夏休みに入ってから出てきてるんですよ。手合いの日もいるし。だから、物凄い強さを持った子供。オレの中でそのイメージがしっくりきてて。んで、そんな子供にたった一人だけ心当たりがあります」

「……まさか」

 

 緒方は息を呑む。

 その脳裏ではたった一人の存在がくっきりと浮かび上がっていた。

 

「そうっス。緒方九段もご存知みたいですが、『塔矢アキラ』と『塔矢名人』を負かした当時小学生の怪物。──『進藤ヒカル』です」

 

 少しの汗すら浮かべながらの和谷の発言。

 それを受けて緒方は全身に痺れが走ったような心地だった。

 

 プロではない。

 古い定石を使っていた者。

 しかも子供という立場。

 そして圧倒的な強さを持った棋士。

 

 全てが当てはまる。

 

「ソイツが言ってたらしいんス。『オレは本因坊秀策の生まれ変わりだ』って」

 

 和谷はそこまで言い切って、自らの発言が水面に石を落としたが如く騒然を産んだ事を理解しながらも、その身に熱く煮えるような興奮を抱いていることを自覚していた。

 もし自分の予想が正解だったなら。

 

 改めて思うが途方もない事だ。

 それこそ囲碁界が揺れるほどの事実。

 

 それを囲碁界の最前線を張る人物に伝えたと言うことが、その興奮をより深いモノに変えていた。

 場はさらに変異する。

 

『Shindo Hikaru?』

『Shindo? 誰だそれは。プロ棋士にそんな者が居たか?』

『覚えている限り、そんな者は居ないはずだ。……いや、日本の棋士全員の名前は覚えていないが、彼はトップ棋士並みの実力なのだろう? なら聞いたことはない』

『HOINBO? それはEdoの時代のHOINBOか?』

『そんな昔の人間が生まれ変わり? いつから日本はファンタジーの国になったんだ?』

『ははは、Disneyなら日本にもあるようですがね。彼は日本人から見てもそれくらい強いのでしょう』

 

 広がる、広がる、広がる。

 騒めきは固有名詞が出たことでさらに大きく火種が点いた。

 もはや収拾など不可能な状態。

 

 

 

 そして、ここに来て新たな人物の来訪が騒めきをさらに大きくする。

 さながら火の中に注ぎ込まれたガソリンの如く。

 

「──どうかしたんですか?」

「おや、真打の登場、といったところかな」

 

 緒方はそう軽口を叩きながらも、熱気に中てられて興奮していた。

 視線の先には『塔矢アキラ』が歩いてきている。

 場の異様な雰囲気にどこか戸惑った様子ではあるが、彼の名前を出せば豹変するだろうことは想像に難しくない。

 その光景を想像して緒方は微笑んだ。少し、意地の悪い笑みだった。

 

「あの、緒方さん?」

「ああ、いや。すまない、ちょうど『彼』の話題で盛り上がっていたものだからね」

「彼、ですか?」

「そう、『彼』だよ」

 

 名前は言わない。

 確かなことではないからだが、もし違っていても『彼』だと勘違いさせた方が面白そうだと思ったからの判断だった。

 こんな時でも、いや。

 こんな時だからこそ揶揄わねば面白くないと微笑みながら思案していた。

 

 そんな緒方が話している相手が、塔矢アキラだと知って、和谷は表情を歪めた。

 

「ケッ、おめーは呼んでねーっての。帰れ帰れ」

「キミは……、そうだ。予選の時の。この騒ぎはいったい?」

「だーもう! 関係ない……こともないけどこっちくんな!」

「えーっと……?」

 

 騒ぎ立てる和谷に、混乱しきりのアキラは頭上にたくさんの疑問符を浮かべる。

 しかし、そんな戸惑いも一瞬で消え失せた。

『名前』が聞こえたから。

 

 

Shindoの名前はやはり誰も知りませんね』

『子供なのだろう? ならば我々が知らないのも無理はないと思うが』

『だが、本当に子供なのか? そのShindoという人物は』

『そう言っていただろう? だがまぁ『sai』が子供というのは俄には信じ難いね、彼は強すぎるよ』

 

 もの凄い速さで振り向くと、その会話を丹念に耳で拾っていく。

 中学一年生ではあるが簡単な英語くらいなら理解できる。

 

 アキラは耳ざとく名前を拾った。

『進藤』そして『sai』。

 

 記憶の中から思い出す。

『sai』は目の前の少年、和谷に勝利した際に一言を告げた事を。『強いだろオレ』という発言。

 それはアキラが海王戦でヒカルに言われた言葉と一致する。

 根拠としては薄い、だが。

 

 再び緒方に対して振り返ったアキラの表情は対局時のように真剣な雰囲気を滲ませていた。

 

「緒方さん。彼とは、進藤のことですか?! そうなんですね!?」

「おいおい、落ち着けよ。そうと決まった訳じゃない、まだ可能性というだけの話さ」

 

 薄らと余裕を持たせて微笑みながら緒方がそう言っているが、アキラの中でその考えは確信に近いところにまで推移していた。

 アキラは興奮に身を熱くする。

 

 彼だ。

 彼がインターネットの中にいる。

 周囲の話題を掻っ攫っている事も、強いと言われていることも、アキラの興奮とは関係がない。

 

 ──打ちたい。

 拳を握りしめるアキラの心中にあるのはただその一念のみ。

 そこに『パタパタ』と係員の男性が駆け寄って来る。

 

「──お待たせしました! インターネットのできるノートパソコンがあります」

 

 パソコンを受け取った緒方は早速起動させて席をアキラに譲った。

 揶揄う気持ちもあったが、何より彼をライバル視するアキラなら限りなく低い可能性を引き当てるかもしれないと期待したからだった。あまりにもオカルトで口には出せない理由だが、そういう物に頼ってみたくなる、そんな空気がこの場にはあった。

 もし『sai』が『進藤ヒカル』ならば現在の実力を確かめたい。それは3度も対局しているアキラが最適だ。

 その思いが席を譲るという行動に移させていた。

 

「ほら、アキラくん。開いてみるといい」

「はい! ありがとうございます!」

「ふふっ、構わないさ。『sai』がいるかもしれない。……キミと彼は運命的な存在かもしれないからね」

 

 後半部分に関してはささやくように言った。

 運命などとそんな可愛らしいことを真面目に言うつもりはない。

 だがそうとしか思えない事が起きるのもまた事実。

 願掛けにも似た思いがそう発言させた。

 

 そして。

 

 

「──いた」

 

 

 アキラ自身、驚きに目を見張りながらその名前を見た。

 そこには『sai』という、話題のインターネット上の棋士の名前が記されていた。

 

 

 

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