神の一手   作:風梨

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約6000字



第6話

 

 某所会議室。

 二人の男性が向かい合い、その周囲でも複数名が発する意見が『ガヤガヤ』と交わされていた。

 それは今期院生試験に合格した、一人の少年に対する議題だった。

 

「──では、本当に?」

 

「はい。これが、その棋譜です」

 

「……信じられん。これが今年中学生になったばかりの子供の棋譜だと? ……タイトルホルダーだと言われても、頷いてしまいそうな……」

 

「私も同じ気持ちでしたが、これは紛れもない事実です」

 

「キミのことは信頼している。こんな嘘をつくとも思えないから、その点は安心したまえ。だが、いくら何でも強すぎる……」

 

「そうですね。私もその点が気がかりで」

 

 そう頷いたのは進藤ヒカルと藤崎あかりの試験を監督した、院生たちから『先生』と呼ばれる立場の男だった。

 メガネを掛けた優しそうな風貌を、今は深刻そうな色で染めている。

 

「今年のプロ試験合格を決めた『塔矢アキラ』は若い芽を摘まぬように遠慮していた。なにを言いたいか、わかるかね?」

 

「……辞退させよ、ということでしょうか?」

 

 深刻そうな色が、怒りに変わる兆候があった。

『院生』とは、実力があって年齢制限に引っかからないのならば、誰でも成ることができる。

 塔矢アキラのように望んでいないのならまだしも、望んでいる子供を拒絶するなど信じられない選択だ。

 

 そんな気持ちで対面に座る役員を見つめれば、仕方なさげに首を振った。

 

「ふぅ、今年のプロ試験はもう終わっている。今からもう一人、という訳にはいかん。彼がどれほど強かろうとね。しかし、若い芽を摘ませる訳にもいかん。彼はあまりにも強すぎる」

 

「ですから、私にどうせよと?」

 

「この子に思慮ある行動を願いたいが、キミから見てどう思う?」

 

「……辞退は恐らくしません。それに、そんな理由で辞退させてしまえば棋院の信頼がどうなるか!」

 

「わかっている。だから、そのような指示は出していない。それほどの人物に悪感情を抱かれたくはないから、そのつもりもない。落ち着きたまえよ。これほどの実力があるのなら、という提案がある」

 

 喧騒に近いほど喧々轟々と交わされる議論の中で、一枚の書類がテーブルからこぼれ落ちた。

 そこには『進藤ヒカル』という名前が記載されていた。

 

 

 

「──はぁ? 試験受けに来たやつが、先生より強いって? しかも塔矢アキラのライバルぅ? ……ソイツなんで院生になるんだ?」

 

「いや、オレもそう思うけど、本当なんだって。受付の人が言ってたもん」

 

「ねえねえ、それって今日から来る新しい子のことでしょ? 何でも二人いて、二人一緒に試験受けて合格したらしいよ」

 

「聞いたことねえよ、同時受験なんてさ」

 

「だろ。けどさ、一人がそれだけ強いなら、もう一人も相当強いんじゃないか?」

 

「うっわ、ここに来てまたライバル増えるのか……」

 

「しかも、二人ね。私たちもウカウカしてられないわ」

 

「でさ。これ噂なんだけど。あんまりに強すぎるからって院生にするかどうかで揉めたって……」

 

「なにそれ? 嘘でしょ?」

 

「でも火のないところにって言うし、本当だったら凄いよね」

 

「じゃあ、院生にはせずにプロにするって話?」

 

「ううん、プロ試験以外に特例は設けられないから、制限を設けるとか何とか……」

 

「……制限?」

 

「うん。何でも本気出しちゃダメって──あ」

 

 話し合う院生たちの視線が一点に集中した。

 エレベーターから降りてきた、二人の男女。あかりとヒカルだった。

 まさに自分達の話題が噂になっている、と察してしまって二人とも顔を少し赤らめながら靴を脱いでそそくさと対局場に移動した。

 あかりが『ひーん』と言いたげな表情で弱音を吐いた。

 

「ひ、ヒカル。なんか凄い噂になってるよぉ!! 私そんなに強くないのに!」

 

「お、落ち着けって。打つだけだろ? いつもと変わんねーよ」

 

『そういうヒカルも緊張してません? 声が少し上擦ってますよ』

 

「ぐっ!!」

 

 佐為の言う通り、ヒカルは少し緊張していた。

 何せ棋院からの依頼を断ってまで、きちんと打つことに拘ったからだ。

 

『けど、意外でしたね。ヒカルってば、てっきり依頼を受けてオレが打つ! とか言うと思ったのですが』

 

(やんねーよ、そんなこと。打つのは楽しいけどさ、佐為の見てる方がもっと楽しいもんな)

 

『……ひ、ヒカル……!! そんなに私の碁を買ってくれて──』

 

(それに負けまくったら恥ずいだろ。あかりになんて言われるかわかんねーもん)

 

『……ええ、そうでしたね。ヒカルはまだまだ子供……。私、失念してました』

 

(なんだよ)

 

『いーえ、何でも。私は未来ある若人と好きなだけ打てる訳ですから、文句など出ようはずもありません。……はぁ早く打ちたいものですね』

 

(もうすぐ打てるって)

 

 深呼吸を繰り返して少し落ち着きを取り戻したあかりが、ヒカルに背を向けながら言った。

 

「じゃ、じゃあ。ヒカル、また後でね」

 

「おう、トイレの場所は確認しとけよ」

 

「も、もぉ!! ヒカルのばか!!」

 

 あかりは顔を真っ赤にして恥ずかしそうに言った後で『プリプリ』と怒りながら、けれど廊下に出てちょっとだけ確認していた。

 素直である。

 

『ヒカル。女性に対してあの物言いは如何なものでしょう。緊張を解す目的とは言え、少し言い過ぎでは?』

 

(いーんだよ、実力出せない方がカワイソウだろ)

 

『それは……そうですが。可哀想なあかり』

 

 しんみりとした瞳で廊下の先を見据える佐為が、ふと振り返ってヒカルに鋭い視線を向けた。

 続々と入室してくる院生の姿に感化されて、その身に研ぎ澄まされた気配を纏いつつあった。

 

『──ヒカル、本当に私が打っていいんですか?』

 

(いいって言ってんじゃん)

 

『……院生のレベルに棋力を合わせて、その上で勝率を8割以下で抑えるように。それだけの指示ですが、本当に守らなくていいんですね?』

 

(いいよ。だって、負けるのは好きじゃない)

 

『……ですね。私も好きではありません。──ですが! もちろん、若人の芽を摘むのは本意ではありません。そこは『私たち』が全力を尽くして、皆を引き上げるとしましょう!! ね、ヒカル!』

 

(ほどほどにしてやろーぜ……)

 

 毎日毎日、嫌と言うほど佐為と打っているヒカルは普段の数倍気合いの入っている佐為の姿を見て苦笑いした。

 こりゃあ、えらいことになりそうだ、と。

 

 

 

 

「──あ、ありがとうございました」

 

 院生2組で5位。

 院生の中ではそこそこと呼べるウデを持った少女である内田はまるでプロとの指導碁を終えた後のように深々と頭を下げた。

 

 自分の実力をまるっきり全部引き出せたとき特有の、胸の芯に残る、熱いけれど爽快感のある疲労が心地良かった。

 

 その心地良さとは別に、気持ちが高揚して頬は僅かに赤らんでいる。

 打ち初めて定石の段階でもう理解できた。

 あ、この人は格が違う、と。

 

 定石なんて知っていれば誰でも打てるもの。

 だから、内田が感じたそれは錯覚に過ぎないが、その後の戦いと死活、オオヨセから終局までを迎えて、その直感は間違っていないと確信出来た。

 

 だから理解できる。

 あえて力量を内田のレベルの少し上まで落として、導くように一手一手の反応を引き出してくれているのが。

 内田の数段上の実力がなければ不可能な芸当。

 アマチュアがプロに指導碁を打って貰い喜ぶのと同じように、あまりにも隔たった実力差は悔しさよりも感嘆を生んだ。

 同年代で、ここまでの碁を打てる人がいるんだ、と純粋な驚きと尊敬があった。 

 

 だから『負けました』ではなく『ありがとうございました』という言葉が口を突いた。

 それを眺めていた周りの女子たちが『キャイキャイ』と口々に話題にした。

 終局までを丁寧に打ったために、その間に終局していた大勢が集まって来ていた。

 

「す、すごいね。進藤くんって」

 

「うん。内田さんがあんなに気持ちよく打ってるの久しぶりに見たかも……」

 

「いーなー。私も打ってもらいたいー」

 

「……顔も、悪くないよね」

 

「あ、コラ。そーゆーのなしでしょ。ここは囲碁するための場所なんだから」

 

「あはは、ごめんごめん」

 

 囲碁に集中しているときは、外野の声は聞こえない。

 けれど、終局してしまえば聞こえる。

 

 そのため顔を赤らめたヒカルがそそくさと盤面を片付けて立ち上がった。

 

「お、オレ次行くから」

 

「う、うん。また打ってね」

 

「──ああ、いい碁だった。また打とうぜ」

 

『ニカリ』と笑ってそう言ったヒカルに、内田は『コクコク』と何度も頷いた。

 そんなヒカルの姿を遠巻きに見ていたあかりが、頬をぷっくら膨らませていた。

 

 第二局。

 

「……。ありません……」

 

 ヒカルと同年代の少年が、顔を伏せながら投了を告げた。

 盤面はまだオオヨセが残っている。

 形勢はまだ五分五分であるので投了の判断はあまりにも早計。

 しかし、相手が投了するなら勝者は受け入れるのがルールだ。

 少し動揺しながらもヒカルは頭を下げた。

 

「えっ、あ、うん。ありがとうございました」

 

「……ありがとうございました」

 

 少年はそう言い残してお昼のために席を立った。

 盤面には石がそのまま残っている。

 少し釈然としない気持ちでヒカルが片付けていると、別の少年から声がかかった。

 

「──アイツ、負けそうになると不貞腐れるんだよな。もうちょっと粘れば上にいけるってのに、勿体無い奴。さ、メシだメシ。片付けちまおう」

 

「ああ、そりゃ勿体無いよ。打てるだけで十分だろーにさ」

 

「あはは、なんだオマエ。爺さんみてーなこと言うじゃん。──オレ、和谷って言うんだ。進藤って呼んでいいか?」

 

「いいよ。って、和谷は、1組だろ? 2組のオレのとこ来てていいのか?」

 

「お、きちんとライバルのチェックはしてるってわけか。そういう奴は嫌いじゃないぜ。けど、別に1組と2組で分ける必要もないだろ? それに、オマエならすぐ上がってきそうだし。メシは決まってんのか?」

 

「あー、どーしよっかな」

 

 あかりが一緒に行くだろ、とそう思って視線を巡らせれば、茶髪の女の子と楽しそうに会話しながら玄関口に消えていくところだった。

『ピクピク』と眉間を動かしながら端的に答えた。

 

「……行く」

 

「そうこなくっちゃな。──おーい、伊角さーん。メシいこーよ」

 

「おお? 一緒行くか。けど、奢らないぞ?」

 

「そんなの期待してないって!」

 

「ははは、ならいいぞ」

 

「ったく。進藤、オマエなに食う? 弁当でいいか?」

 

「あ、うん。コンビニで買うつもりだけど」

 

「じゃ、決まりだ。──色々話聞かせろよ」

 

 大魚が釣れたとばかりに、和谷が自信満々に『ニヤリ』と笑みを浮かべた。

 

 

 

「──はぁ!? 囲碁歴二年ってマジなのか!!?」

 

「ウン。じーちゃんにお小遣い貰うために覚えてさ。そっから一年くらい後かな? そん時に塔矢と打って。いやー、びっくりしたぜ。同年代ってこんなつえーんだって思ったもん」

 

「そこまでオマエを育てたって、おまえのじーちゃん何者だよ……。てゆーか、同年代の基準をそこに持っていくなぁああ……!! ──塔矢は、アイツは例外!!」

 

『ビシッ』とヒカルを指差す和谷に笑って答えた。

 

「あはは、わかってるよ。アイツがすげー奴ってことくらいさ。──あと、別にじーちゃんは強くないぜ。オレの師匠は秀策だから」

 

『生まれ変わり』って奴か。

 そう聞こうとも思ったが、まだ出会って1日目だ。ブッ込むのも違う。

 一息入れて和谷は好奇心を押し殺した。

 

「……秀策ねぇ。棋譜でも並べたのか?」

 

「まー、そんな感じかな」

 

「ふーん。……ま、オマエの強さは1組に上がってくれば嫌でも分かるか。その時を楽しみにしてるぜ」

 

「おいおい、和谷。そろそろオレも会話に入れてくれよ」

 

「あ。ごめん、伊角さん。オレばっか盛り上がっちゃって」

 

「いいよ、気持ちはわかる。──なあ進藤。オレも聞きたかったんだけど、まぁ塔矢とのことなんだけどさ。どこで会ったんだ? そう簡単に会える奴じゃないだろ?」

 

「ええっと、そう。うちの近所に囲碁教室があって──」

 

『ワイワイ』と興味津々な二人に質問攻めにされながらも、囲碁が好きな同年代との会話を思う存分に楽しむヒカルと一緒になって、佐為は楽しげに笑っていた。

 そんなこともありましたねぇ、とヒカルと一緒に思い出しながら、自分も会話に混ざっているような心地で楽しんだ。

 囲碁で繋がっていれば、ヒカルと共に過ごした日々は他の者とも共有できる。

 そんな温かい日常の風景がそこにはあった。

 

 

 

 それから数週間が経った。

 院生が集まるのは毎週日曜日と第二土曜日。

 ヒカルの対戦記録には白星が12個並んでいた。

 

「──うっひゃあ、マッシロだな。こりゃ本当に1組にもすぐ上がって来れそうじゃん」

 

「へへっ、1組が長い和谷先輩に胸を借りる日も近いかもね」

 

「こんのヤロー。来たら叩きのめしてやるよ。──って言いてぇけど、返り討ちに遭いそうなんだよなー。ねぇ伊角さん」

 

「おいおい、そこでオレに振るなよ。まぁ、和谷と同意見なんだけどさ……」

 

「負けるな1組! 新参者の進藤に目に物見せてやる! ……くらいの意気込みでさー、ひとつ頼むよ伊角さん」

 

「それなら、オレよりも最適な奴がいるだろ? ──ほら、越智とかさ」

 

「院生順位1位がなに気弱なこと言ってんのさー」

 

 そんな会話をしていると、一人の神経質そうなメガネを掛けた少年がやってきた。

 

「ボクのこと呼んだ? ──ねぇハンコ押すから、そこ退いてくれるかな」

 

「あ、ごめん」

 

 素直に退いたヒカルに、ハンコを用意しながら越智が話しかけた。

 

「キミ、塔矢のライバルなんだってね」

 

「ウン。なんか、そういうことみたい」

 

「そういうことみたい? ふーん、なんだ。塔矢も嫌味な奴だったけど、キミも相当嫌なヤツだね。無自覚って一番タチが悪いらしいよ」

 

 それだけ言い放って、自分の名前の下に白のハンコを押して越智が去っていった。

 少し不機嫌そうにヒカルが聞いた。

 

「アイツ、誰?」

 

「越智。お前の3ヶ月前に入って来て、1組3位。ま! いっつもあんな調子なんだ、気にすんなよ。……まぁ塔矢が嫌味な奴ってのには同意するけどな!」

 

「アハハ。塔矢ってここだとそんな感じだったんだ?」

 

「ここっていうか、プロ試験で、だよ。全勝であっという間にプロになりやがったんだ。今までプロになる素振りも見せなかったくせにさ。──塔矢のライバルだったオマエなら、知ってるだろ?」

 

 軽い話題。

 そんな調子でヒカルに問いかけた和谷だったが、興味津々だった。

 

「あぁ。どうだったかな? そういや聞いたことないや。アイツと会うと打ってばっかだもんな、オレ。……こないだもオレん家で打ったんだけど、時間忘れるくらい打ってさ。気付いたら夜で慌てて塔矢に電話させて、迎えの車来るまで早碁打って。打ってばっかだよ、ほんと」

 

「そ、そうか」

 

 今まで名前しか知らなかった『進藤ヒカル』。

 塔矢とライバルというのも本当。

 囲碁歴二年も、塔矢名人に勝ったのも本当。

 なら。

 進藤ヒカルが『sai』だという予想も当たりだろうか。

 

「なぁ進藤。お前──」

 

「席についてください。対局を始めますよ」

 

「あ、やべ! 和谷、オレ行くからな」

 

「お、おう」

 

『sai』って知ってるか。

 そう聞こうとした言葉は形になる前に溶けて消えた。

 進藤ヒカルの背中を名残惜しげに見つめた後、和谷はかぶりを振って自分の席に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 





三谷に関しては本編からズレてしまうため省きますが、囲碁部に入っています。
その経緯は二部完結したらいずれ間話で出すかも・・・?

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