神の一手   作:風梨

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約4000字



第2話

 

 

「──けど、阿古田さんには笑ったなー。昨日と違って、そういう系統でくるとは思わなかったもん」

 

『もう。それで囲碁教室から追い出されちゃったんですから、反省してくださいね、ヒカル』

 

 爺ちゃんに勝って碁盤を買ってもらう約束をしたは良いものの、すぐに届くものでもない。それにあんまり爺ちゃんとやりすぎるとバレて面倒になるかもしれない。

 そう思って爺ちゃん家には行かずに、佐為とマグネット盤で何回か打ってみたが、本当に強かった。

 けど、ヒカルが碁を始めたのはお小遣いのためだ。

 ずーっと佐為とだけ打つ気にもなれなかった。

 何せ手加減ってものを知らないし、佐為に手加減されるのはそれはそれでムカついた。

 

 だから、適当な囲碁教室に行ったのだが、初日は弱い者イジメの阿古田さんのカツラを見抜いて笑いを掻っ攫ってしまい。

 二度としないという約束で許されたが、二日目は囲碁教室が始まる前に、阿古田さんにジュースを吹いてしまってカツラをまたも暴いてしまうというアクシデントに見舞われて、二度目は許さないと先生に怒られて追い出されてしまっていた。

 

 その時に一緒にいたおばちゃんから教えてもらったのだ。

 教室には入れなさそうだから、それなら代わりにここならどうかしら、と。

 

 

「駅前の碁会所って、ここか」

 

 目の前に聳えるビル。

 そのビルの中程に『囲碁サロン』と書かれた看板を見つけて、さっそく中に入ってみる。

 

『わくわくしますね、ヒカル!』

 

「あーそう、よかったよかった。まぁ適度に遊んで帰ろーぜ」

 

『はい♡』

 

 

 

 

 

「──あら、こんにちは。……どうぞ?」

 

 扉を開いて中に入ってみた光景。

 

(ジジイばっか!!)

 

 そう思って『ギョッ』としたが思えば当然だ。

 囲碁といえば、お爺ちゃんが好きなもの。

 そういう一般的なイメージに沿うくらい、一室にはジジイが詰め寄せていた。

 

「名前書いて下さいね。ここは初めて?」

 

「あ〜〜〜ウン。ここもなにもウチの爺ちゃんとばっか打ってたから、碁会所がまるっきり初めて……、ここなら誰でも碁が打てるの?」

 

「打てるわよ。棋力はどれくらい? あ、ここね」

 

「ありがと。棋力? よくわかんねーや。あ、でも、色々賞取ってる爺ちゃんには勝ったぜ」

 

「あらそう。じゃあ、君って結構強いの?」

 

 そう言われてふとヒカルの脳裏に思いついたのは、昨日言われた佐為の言葉だった。

『本因坊秀策』という名で棋譜が残っているはずだ、と。

 ヒカルもその名前は聞いたことがある、それくらいの有名人だった。

 だから、聞かれたのでつい答えてしまった。

 

「──『本因坊秀策』くらいかな」

 

「ふふ、それは相当強いわね」

 

(まァ、そういう反応になるよなー。俺だって信じらんねーもん。幽霊だぜ、幽霊)

 

 微笑ましげに笑っている受付のお姉さんを尻目に碁会所を見渡せば、一人だけ少年がいた。

 しかも、自分と同じくらいの年齢だ。

 それで思わずヒカルは声を上げた。

 

「あ! なんだ。子供いるじゃん!」

 

「え……ボク?」

 

 育ちの良さそうな綺麗な顔立ちの子供だった。

 活発なヒカルとは正反対の落ち着いた雰囲気を持っていた。

 

「あいつと打てる?」

 

「あ、うーん。あの子は……」

 

「対局相手さがしてるの? いいよ、ボク打つよ」

 

「あらそう? じゃあ、アキラくん。この子『本因坊秀策』先生みたいに強いっていうから、頑張ってね?」

 

「……秀策? ふふっそうなんだ」

 

「でもラッキーだな子供がいて! やっぱ年寄り相手じゃ、盛り上がんねーもんな!」

 

 元気よくヒカルがそう言ったが、少年はふと周りを見渡して優しげに笑みを浮かべた。

 年寄りと言われて、碁会所の雰囲気が多少気が立った。

 大人が少年相手に怒るほど浅慮ではないとは思っているが、少年がその雰囲気を感じてしまって萎縮してしまうかもしれない。

 だから、ここだとあまり良くなさそうだ、と少年──塔矢アキラは思った。

 

「そうだね。──奥へ行こうか。ボクは塔矢アキラ」

 

「オレは進藤ヒカル。6年生だ」

 

「あっボクも6年だよ」

 

 奥に続こうとするヒカルの背中に、『ハッ』と気がついた受付のお姉さんが慌てて声をかけた。

 

「君ちょっと待った! お金がまだよ」

 

「ええ!? お金いるの?」

 

「もちろん! 子供は五百円!」

 

 ビシッと手のひらを向けて五百円! と示す受付のお姉さんに、アキラが仕方なさそうに笑った。

 

「ここ初めてなんでしょ。市河さん今日はサービスしてあげてよ」

 

「ヤ〜〜〜ン♡アキラくんがそう言うなら……」

 

「ど、どーも」

 

「ありがとう」

 

 にこやかに笑みを浮かべるアキラの姿に、ヒカルは若干気後れした。

 助かった、とは思いつつも別の感想もあったから。

 

(真面目な顔して、意外と軟派なやつ?)

 

『対局♡対局♡』

 

 ヒカルのちょっとした感想なんて耳にも入っていない様子で佐為は小躍りしていた。

 

 

 

「──さっき言ってた『本因坊秀策』って、どれくらい本気なの?」

 

 お互いが席についた後。

 少しだけ冗談めかして、楽しげにアキラがそう言った。

 碁会所は静かであることもあるし、少年が声量を全く落としていなかったから、たぶん碁会所中に聞こえていただろう。

 だから、受付から少し離れたところに座りながらも、アキラにも声だけは届いていたから聞こえてしまったのだ。

 

「ん? ああ、本気っていうか、まぁオレは『本因坊秀策』の生まれ変わりみたいなもんだから。さ、打とうぜ!」

 

 思っていた返事とは違って、少し困惑しながらも打つことに否はない。

 アキラも笑って頷いた。

 

「いいよ。じゃあ、置き石はなしでいいよね?」

 

「当たり前だろ? いらねえよハンデなんか。おまえとオレ同い年じゃん」

 

「え? うん……、まァそうだね」

 

 同い年。改めて言われるとそうなんだけど。

 そう思いながら少し照れるアキラに周囲の大人たちが囃し立てた。

 

「『塔矢アキラ』に置き石なし? とんでもないボウズだな……。おっと『本因坊秀策』先生だったか」

 

 そんな声も、ヒカルには聞こえていた。

『ムッ』としながらも何も言わない。

 

 お小遣いのためとはいえヒカルはもう1年以上も碁を打ち続けている。

 継続は力であり、そして活発なヒカルがそれだけ長く続けられていたという事は少なからずその魅力に気がついていたからだ。

 だから、ヒカルも少し楽しみだった。

 自分と同い年のアキラが『佐為』相手にどの程度打つのか。

 そっちが気になって、外野の声なんてもうヒカルには気にならなかった。

 

(佐為。なんか、塔矢って結構強いのかも。それでも指導碁行けるか?)

 

『どうでしょうか、打ってみねばわかりませんが、出来る限りやってみましょう。……さあヒカル! 早く対局対局!!』

 

(あーはいはい、わかったよ)

 

「じゃあ、塔矢。最初だし、先手の黒番貰うな」

 

「いいよ」

 

「よし。じゃあ」

 

『お願いします』

 

 二人は揃ってそう言い、頭を下げた。

 

 

『パチパチ』と石が並べられてゆく。

 気負いもなく、打つのにも慣れている。

 

 そんな二人の序盤はあっという間に駆け抜けていった。

 

 中盤に入って塔矢は少しだけ思考が増えた。

 チラリと対面に座る同い年の少年を見る。

 

(古い定石だ。最初は『本因坊秀策』の真似をしているだけかと思ったけど、意外と石の筋はしっかりしている。相当深く勉強してないとここまで打てない。……伊達で言った訳じゃなかったのか)

 

 少しだけヒカルの事を見直しながら、アキラは盤面を進めていく。

 

(……言うだけのことはある。この子、相当に強い。ボクの打ち込みにも動じないし……、いや。動じないどころか、軽やかに躱していく? 局面を、ずっと彼がリードしている!?)

 

 そして、ヒカルからの一手。

 置かれた黒石の位置を見て、アキラの総身に痺れるような驚きが走った。

 

(これは。これは最善の一手ではない。最強の一手でもない……。 ボクがどう対処するのか、どう打ってくるのか試している一手だ! ボクの力量を測っている!! 遥かな高みから……)

 

 思わず視線を盤面からヒカルに向けた。

 そこには不敵に笑みを浮かべて、アキラを見ている活発な少年の姿があった。

 

「……塔矢の手番だぜ?」

 

 ヒカルにもわかっていた。

 佐為がどれほどの打ち方をしているのか理解していた。

 初めから佐為の実力を知っていたヒカルは観察に専念していたから、尚更だった。

 

 だからこそ、ヒカルは笑っていた。

 ここから塔矢がどうするのか。

 自分ならこうする、と思いながらも、塔矢ならどうするんだろうと『ワクワク』している自分を無意識に楽しみながら。

 

 

 

 

 

「……ボクの、負けだ」

 

 アキラの、苦渋とも呼べる一声。

 その瞬間に一室の空気が騒めいた。

 

「ま、負けたのかいアキラくん!?」

 

「7目半差で?」

 

「そんなバカな!!」

 

 ざわめく周囲とは裏腹に、当人たちは静かだった。

 塔矢はショックを隠しきれない様子で口元を手で覆って、盤面をただ見つめている。

 

 ヒカルもヒカルで、まさか同い年の少年が自分よりも遥かに強かった事を知ってショックを受けていた。

 

(オレも、そこそこ強いと思ってたんだけどな……。ま、お小遣いのために始めた囲碁だし、しょーがないか)

 

 塔矢に比べれば、今までのヒカルの努力など微々たるものだろう。

 懸けた時間と覚悟を考えれば歴然とした差が生まれるのは仕方のない事だ。

 だが、ヒカルはそんな慰めが受け入れられるほど大人ではなかった。

 

 そして。

 上手に言い訳できるほど成熟していなかった。

 時に子供は大人よりも潔い。

 周りから見れば、あまりにも勿体無い決断を容易く下してしまう事もある。

 

 故に。

 

 自分には、塔矢ほど囲碁の才能がない。

 事実としてヒカルはそれを受け入れた。

 

 そして自分を超える才能を持ったアキラをも容易く下した佐為の事を、今まで以上にすごいと思った。

 しかし、そんな佐為は自分の後ろで歓喜乱舞していたので尊敬もへったくれもなかったが。

 

『ヒカルぅ! どうでしたか、私の碁は! この子『も』非常に良い碁を打ちますね。未熟ながらも輝くような一手を放ってくるのです! 彼の一手に私自身が覚醒していくのを感じるほどでした! この子供。成長したら獅子に化けるか、龍に化けるか──非常に楽しみな逸材ですね!』

 

(ふーん、そりゃよかったなっと)

 

「わりー塔矢。今日はここまででいいか?」

 

「……え? ああ、うん。もちろん」

 

「じゃーな」

 

「ま、待ってくれ! ……君は、君は何者なんだ?」

 

「──『本因坊秀策』そう言ったろ?」

 

 ヒカルは進めていた足を止めて、振り返りながら笑ってそう答えた。

 

 

 

 

 

『──ヒカルぅ! ヒカルぅ! 急にどうしたんです? もう一局くらい打っても良かったのでは……』

 

「いーの。ちょっと疲れたんだよ、慣れないところ行ったし」

 

『そ、そうでしたね。ついヒカルのことを考慮せず……、すみません、ヒカル』

 

 嘘だった。

 慣れない環境とはいえ、一局くらいで疲れるほどじゃない。

 理由は何となくわかっていた。

 

「なァ佐為。アイツ、めちゃくちゃ強かったな」

 

『そうですね、今までに凄まじいほどの鍛錬を積んだはずです。そして彼自身にも鍛錬に応えるだけの才能があった。並みの打ち手ではありませんでした』

 

「……そーだな。あーあ、世の中すげー奴ばっか」

 

『ヒカルも凄いですよ』

 

「へいへい」

 

 何気ない風を装いながら、佐為にそう言って欲しかった自分を少し自覚して、ヒカルは『ガシガシ』と頭を掻いた。

 こんなの自分らしくないと思いながら。

 

「あー! 佐為! これからもいっぱい打たせてやる! ……だから、社会のテストな!」

 

『ズルはいけませんよ! ヒカル!』

 

「いーんだよ!」

 

 ワイワイと佐為と話しながら、ヒカルは帰路に着いた。

 本来のライバルである塔矢アキラとの邂逅。

 佐為と塔矢アキラの実力を見抜けるほど、囲碁を理解しているヒカル。

 その変化はより大きな変化を産み、物語は形を変えてゆく。

 

 小さな変化。

 しかし、それは確かな変化だった。

 

 川の小石が、大きな流れを変えてしまうように。

 それもまた運命だったのかもしれない。

 

 


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