神の一手   作:風梨

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約5000字



第12話

 

 

 

 若獅子戦。

 若手にとっての登竜門である。しかしタイトル戦などと比較すれば、その意味合いは真剣勝負というよりもお祭りやイベントに近い気質となる。

 だが今期の現場に漂う空気はとてもではないがそのような軽いモノではなかった。

 

 ヒリつくような、対局者同志の気迫がぶつかり合うような空気感。

 一言すら交わす事なく対面に座り合う両者を、誰が子供と侮れるだろうか。

 

 片や逆コミとはいえ、王座を打ち破った期待の新星である塔矢アキラ。

 片や院生にして、決勝戦にまで駒を進めるという、未だ誰も成し遂げた事のない偉業を達成したダークホースである進藤ヒカル。

 

 両者が旧知の仲であることは、この対局の可能性が生まれた準決勝の時点で話題が広まっていた。

 当然のように決勝戦ともなれば誰もが知る事実となっていた。

 

 塔矢アキラのライバル。

 未だ全てに勝利する天才少年。

 タイトル戦を控える緒方九段までもが、この対局に注目し興味深げに観戦している事すらも、この場においては熱狂を盛り上げる材料にしかならない。

 

 これから一体どんな対局が繰り広げられるのか。

 この場にいる者たちは一様に興奮しながら、開始の刻を今か今かと待っていた。

 

 

「若獅子戦、決勝を始めます。両者、始めてください」

 

 プロ対院生の対局である。

 互先ではあるが、黒番は院生である進藤ヒカルが握る。

 

 アキラの脳裏にはつい先日に観た、緒方九段との対局が過ぎった。

 ──あの、息を呑むような空気感は今でも思い出すだけで興奮に震えが走る。

 

 それは喜びだった。

 これほどの相手がライバルとして対面に座っている。

 何よりも得難いものを自分は目前にしている。

 

 ともすれば、萎縮しかねない強烈な対局を予感しながらも、しかしアキラは強靭な意志で跳ね除ける。

 アキラは頭をゆっくりと下げた。

 その動作の一つ一つにすら並々ならぬ気迫が篭っていた。

 

「「お願いします」」

 

 アキラの闘志にヒカルも応える。

 頭を下げる動作に気負いはない。

 しかしその身から発する気配は深い集中力を持って対局に臨んでいる事が窺えた。

 

 ヒカルが、尋常ではない覇気すら漲らせながら碁笥に手を差し込んだ。

 

 

 

 

 ──そんな若獅子戦から2ヶ月後。

 某所ホテルでの一室。

 対局用に整えられたその場では、一つのタイトルを懸けた激突が繰り広げられていた。

 その対局を記録する立場の真柴は今日までのことを思い出す。

 

(それにしても、この7番勝負の本因坊戦。あのトンデモない若獅子戦の後に、緒方先生が本因坊戦第一局目から三局続けて連勝した時は凄かった。そのまま勢いに乗ってタイトルを奪うかと思ったのに、桑原先生が意地で三連勝をもぎ取って、とうとう今日の第七局にまで(もつ)れ込んだ……。本当にこの爺さん何者だよ。元気過ぎるって……)

 

 そのボヤキは、以前真柴が新初段シリーズで桑原にボコボコにされた事も影響しているだろうが、この場の全ての者が思うことでもあった。

 

(けど、あと2分で1日目が終わる。桑原先生の封じ手になりそうだな)

 

 真柴は軽くそう考えた。

 そして時間が迫る。

 横に座る時刻を告げる男、柿本が口を開いた。

 

「じか──」

 

 その一声を待っていたとばかりに、桑原が次手を盤面に放った。ルール違反ではない。一応は、マナー違反でもない。ただ暗黙の了解として、誰もやりたがらない選択ではあった。

 

 なにせ二日制のタイトル戦では、1日目の最後に封じ手を行って、二日目の朝に開封する。これは公平を期すために設けられた規定だ。

 桑原が行ったのは封じ手を緒方に投げ渡すことでしかない。桑原がこれで有利になることはほぼない。だから単に嫌がらせに過ぎないのだ。誰が好き好んで相手に嫌われる行為を進んで行うと言うのか。

 

 事実、封じ手を時間ギリギリで放られた緒方は軽く眉を顰めた。

 とはいえルール違反ではない以上、緒方が言えることは何もない。黙って応手を考える。こうなってしまえば、緒方が封じ手をせねばならないからだ。

 だがすぐに応手を決めるはずもなく、30分以上の時間が経過する。

 

 無言のままに過ぎる時間の中で、ようやく、と言っては語弊があるかもしれないが、緒方が棋譜に封じ手を行った。

 真柴がほっと一息を吐いた。やっと帰れる、という思いがこもっていた。

 

「さぁハラが減った。明日に備えて腹ごしらえせねばのう。この近くに美味い鰻屋があってな、緒方くんもどうかね?」

「……いえ、私は遠慮しますよ」

「そうか。なら、記録係の小僧、お前も来い」

「あっハイ! ありがとうございます!」

 

 大御所に誘われれば、末端の初段は断れない。いや、断れるのだろうが、周囲の目が痛すぎる。少なくとも真柴には無理だった。

 

(い、行きたくね〜〜〜!! やっと終わったってのに、まだ付き合わされるのかよ……!)

 

 例え内心でそう思っていてもだ。

 悶々としたものを抱えながら愛想笑いをするしかない。とはいえ一対一ではないのだけが救いだった。

 当然ながら、対局室には真柴以外にも記者や見届け人なども控えている。夕食にはみんな誘われたので、この偏屈ジジイと一対一という地獄は避けられそうだった。そんな安堵を表には出さないように微妙な笑顔を浮かべながら真柴は対局室から出る。一区切りのついた、少し弛緩した空気感の中で桑原が続けた。

 

「──それじゃあ、ワシは着替えてくる。みなでロビーで待っといてくれ。柿本さんもくるんだろ?」

「ええ、この封じ手をホテルの金庫に預けたらすぐに行きます」

「うむ。じゃ行ってくるよ」

 

 そう言って桑原は背を向けて去っていく。飄々とした背中はまだまだ元気が有り余っているように、真柴には見えた。

 まだまだ続きそうな受難の予感に、そっとため息を漏らす真柴だった。

 

 

 

 

 一息を吐いたのは真柴だけではなかった。盤面を挟んで長時間桑原と対面していた緒方こそ、ようやく離れられた張本人でもあった。

 部屋に帰って、軽く夕食を摂った後に『あの日』の棋譜でも並べるか。

 そう思い自室に向けて足を向けた緒方に、桑原から声が掛かった。

 

「──緒方くん、どうかねこの本因坊戦は。中々慣れないことも多いだろう?」

「はは、そうですね」

「ふむ、気持ちはもう本因坊、と言ったところかな。──だが、緒方くん。キミは封じ手をするのは今回が始めてだろう? そう気楽に構えていていいのかね?」

 

 平然と、ごく自然に桑原はそう切り出した。

 

「……は?」

「なにしろ本因坊戦は二日制の対局。確かキミは初めてだったろう。1日間フルに頭を回転させて疲労は溜まっている。封手をするときに、キミの脳裏には幾つもの手が浮かんでいただろう。こっちにするか、いや、それともこっちか。──キミが封じた手は、はたして今キミが思う一手だろうか。迷った果てにもう一方を書いていないかね?」

 

 動揺させるための策。

 あっち、だったか。こっち、だったか。

 悩ませてやろう、という意地の悪い質問。あわよくば明日の集中力を削げる。そんな老練な盤外戦術を仕掛ける老兵を。

 

 ──緒方は鼻で笑った。

 

「……何を言うかと思えば、そんなことですか。『本因坊』」

 

 考え込むように伏せていた顔を、緒方は緩やかに上げる。

 その眼差しは鋭く冷たい。

 怜悧に整った顔立ちも相俟って貫禄すら感じさせる。

 

「私が覚えている一手をお知りになりたいようですが、あいにくと私の口はそう軽くはありませんが」

「いやいやいや、それには及ばんよ。キミがしっかりと記憶しているのか、と老婆心を出したまで」

 

 少し慌てたようにそう告げる桑原に、薄らと緒方が微笑みを返す。

 

「そうでしたか。であればご安心ください。私には終局まで見えていますから」

 

 悠然。

 そう表現するに相応しい緒方の立ち振る舞いと発言に、桑原が意図的に破顔した。

 

「──かっかっか! 終局! そうきたか! ……明日の対局が楽しみでならんわ。のう、緒方くん」

「そっくりそのままお返ししますよ。『本因坊』」

 

 身長差の関係で、緒方は桑原を見下ろす形での対話となる。

 しかし、今日までこの二人の関係性は桑原の一言に翻弄される緒方が押される形と言って過言ではなかった。

 だが今はどうだ。

 この老骨の言葉に何ら心を動かさず、冷静に来るべき時に備えている力強さを感じる。

 

(いかんな、貫禄が出てきおったわ)

 

 明日の戦いは全力を尽くさねばならない。

 久しぶりに、力碁で捻じ伏せる必要すらあるかもしれない。

 そんな先のことを想像して、桑原は再び『カッカ』と楽しそうに笑った。

 

「キミは以前、囲碁界に新しい波が来る──。そんな予感がすると言ったな。オモシロそうじゃの、まだまだ去るには惜しいわい」

「ご安心を。私が代わりを務めますから」

「かっか!! ほんに、変わったのう、緒方くん。じゃが、キミがそうであるように、ワシもその波を待ちたいもんでな。この『本因坊』の椅子に座ってな」

「……明日が楽しみですよ」

「奇遇じゃな、ワシもじゃよ」

 

 両者の視線は交わらない。

 桑原は既に、緒方に対して背を向けている。

 

「──おやすみ、緒方くん」

「おやすみなさい。『本因坊』」

 

 まるで、あなたをそう呼ぶのは今日が最後だ、とでも言いたげな物言い。

 桑原は張本人に対して背を向けながら、その裏で獰猛な笑みを抑えられなかった。

 

(はてさて、この老骨の『本気』を見せる時が来たやもしれんのう)

 

 重ね上げた年月は決して裏切らない。

 これまでの6戦全てが力半分であった、とでも言いたげに桑原は内心でそう漏らした。

 

 それは気持ちの問題である。

 実力を出し渋って第七局にまで持ち込めるほど、緒方は安い相手ではない。

 だが得てして真剣勝負とは気持ちが大きく左右するのは間違いない。

 

『本因坊』の座を争う両雄が、1日を挟んで再び激突した。

 

 

 

 

 

「──オレ、今来てるぜ。なつかしい所だよ。団体戦、お前のせいでコケたよな、はは」

 

 ラフな格好の男だった。

 3枚目とも2枚目とも呼べそうな、ある程度の顔立ちの整った花柄のTシャツを着た男だった。

 その手には一つの茶封筒。

 もう片方の手にはガラケーを握って電話をしていた。

 

「だから言ったろ。プロ試験受けるってさ。ホントホント、必要な書類もちゃんと揃ってる。今から出しに行くよ」

 

 男は話しながらも足は止めずに歩き続けた。

 

「おお、来年はプロ棋士になってるからよ、今のうちならサインしてやってもいいぜ。……バーカ、何言ってんだ。特別扱いしてやろうってんだから、大人しく受け取っとけよ。──じゃーな」

 

 

 電話を切った門脇の向かいから、院生であろう少年たちが歩いてきていた。

 会話をしながらだった。

 真向かいですれ違う形になった男には、その会話がよく聞こえてきた。

 

「──手強そうだな、門脇」

「でも、ホントにプロ試験受けんの?」

「『受けるかも』ってネットにあったんだよ」

「そーかぁ。オレたち院生ガンバんないとな、去年、院生の合格者真柴だけだぜ。塔矢はまだしも、外来も強いのが来るからさァ」

「まー、今年は院生にもバケモンみてーなのが居るけどな」

「おい、和谷。また進藤の話か? 確かに若獅子戦は凄まじかったけど、あの後の院生手合いはいつも通りだっただろ」

「伊角さんだって、あの後すぐはアイツにビビってたじゃん」

「うっ! いや、まぁそうなんだけどさ……」

「しっかりしてよ、伊角さん」

「いやいや、この流れ始めたのは和谷だろう? ──あ、そうだ。実は進藤から、夏休み誘われてるんだ、和谷もくるか?」

「夏休みぃ? まー、オレは予選があるから、その後ならいいケド」

「拗ねるなよ、9位だって立派なもんじゃないか」

「オレは去年も9位で予選免除を逃したんだよー! しかも、奈瀬のやつはきっちり5位にまで上がってやがるし、くっそー」

「奈瀬は最近調子いいよな、若獅子戦でもプロ相手に勝ってるし、オレも最近は油断できない相手になってるよ」

 

 そんな会話が後ろに流れてゆくのを聞きながら、門脇はエレベーターを待った。

 

(院生にバケモンみたいなのが居る、か。──ちょっと興味あるが、まぁ今は申し込み優先だな)

 

 そう、思考したからか。

 エレベーターから降りてきた、金髪に黒髪が混じった、特徴的な髪の子供に声を掛ける事はなかった。

 門脇はそのままエレベーターに乗り込む。

 

 運命のイタズラとしか言いようのない出来事だった。

 エレベーターはそのまま昇ってゆく。

 

 本来なら交錯した二人が、別れてゆく。

 

 さらなる波乱が巻き起こる要素を取り込みながら、今期プロ試験が始まろうとしていた。

 たったの三枠という少ない椅子に座るため、星を奪い合う熾烈な戦いの幕が開ける。

 

 様々な変化を内包しながら物語は進んでゆく。

 果たして誰がプロ棋士としてスタートラインに立つことが出来るのか。

 

 それはまだ、誰にも分からない事だった。

 

 

 

 

 






修正後に若獅子戦の決勝戦を書こうと頑張ってみたのですが、五日かけてもまとまらなかったため断念します。
仮想対局も2、3局ほど作ったりしたんですけど、力及ばずでした。時間だけいただく形になってしまい申し訳ありません。。

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