神の一手   作:風梨

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約4900字



第14話

 

 

 碁会所の隅で、複数の男女が碁盤を挟んで向かい合っていた。

 パチリパチリと碁石が立てる音が静けさの中に響いており、みなが真剣な表情で打っている。

 その席の一つで、青年と少年が向かい合って対局を行なっていた。

『伊角』と『塔矢アキラ』だった。

 

 しばらくの対局を経た後、青年の方。

 伊角が頭を下げた。

 

 

「──ありません」

 

「ありがとうございました。──確か、院生の方でしたよね?」

 

「ああ。進藤から誘われたんだが、まさか塔矢アキラがいるとは……」

 

「えっと、すみません」

 

「いや!! 責めてる訳じゃないんだ、むしろオレからしたらありがたいくらいで。──まぁ、和谷はキミの事を見た瞬間に捨て台詞吐いて帰っちゃったんだけどね」

 

「そんなこともありましたね」

 

 少し困ったような表情を塔矢が見せたので、伊角は慌てて話題を変えた。

 

「そ、そうだ。検討してもいいかな?」

 

「もちろんです。──であれば、まずこの一手ですね。厳しい良い手でした。ここに打たれるとボクとしても中央を守らざるを得ませんから、少し差をつけられてしまいましたね」

 

「ああ、そこは我ながらよく打てたと思う」

 

「はい。あのまま進めばボクも苦しかったと思います。──しかし、この後に続く手が甘かったです。ボクは中央を守るために厳しい戦いを考えていましたが、ここで乱戦を避けたのは何故ですか? あなたの実力なら良い勝負ができたと思いますが」

 

 囲碁に関する事となると、この塔矢アキラは目力が違う。

 普段の穏やかな雰囲気は鳴りを潜めて、苛烈な真剣さが顔を見せる。

 そんな塔矢に押されたからか、伊角は素直に内心を吐露した。

 

「……いや、評価してもらって嬉しいんだが、オレにそこまでの力量はないよ。塔矢アキラ相手にそこまで踏み込む自信はない」

 

「……そう、ですか。──いえ、失礼しました。ボクとしてはこう来られた方が厳しい手と感じた点はお伝えしておきますね」

 

「だが、そこから展開すると逆に左辺が薄くならないか?」

 

「もちろん、ボクが挽回を狙うとしたら左辺です。その辺りのバランス感覚は重要になってきますね。それでもボクは厳しく来られた方が嫌でした」

 

「……考えてみるよ」

 

 そこからいくつかの検討を経て、塔矢アキラは席を立った。

 さすがは塔矢アキラだ、と思わせる検討内容に思わず唸る。

 

 ここは良い環境だ。

 進藤から伊角さんなら大丈夫、と言われた時は少し覚悟をしていたが、まさかプロになった塔矢アキラと打てるとは思わなかった。

 内心では『ひぃひぃ』言いながら打っているが、やはり上手と打つのは勉強になる。

 そう思い見上げれば。

 

 しかし、塔矢の瞳は真っ直ぐに次に向けられている。

 いや、次というのは正しくない。

 その瞳は、進藤ヒカルにばかり向けられていた。

 

「──進藤、次はボクと打とう」

 

「えぇ……? 今、奈瀬とあかりとも打ってんだけど」

 

「キミなら3面程度どうってことないだろう? それとも、ボクに負けるのが怖いのか?」

 

「……後悔すんなよ、またけちょんけちょんにしてやる!」

 

「いつまでも以前のボクだと思わないことだな、進藤!!」

 

「毎回そう言ってお前が勝ったことねーだろが!」

 

「くっ! それは、そうだが! ……だが、負けるつもりはない! つい先日、父から定先(石は置かないが常に黒を持って打つこと)で良いと言われた。ボクは確実に強くなっている! だからこそ、今日ここでキミに勝ってみせる!」

 

 やいのやいのと騒いだ二人が新しい盤面を用意して握って打ち始める。

 進藤も強気の発言をするが、打つ碁は丁寧で決して疎かにならない。

 毎回勝ちすぎず、けれど決して負けない。

 ということは、進藤ヒカルは塔矢アキラよりもまだ数段上に居る事を意味している。

 前回の若獅子戦では、それが顕著に出ていた。

 

「──塔矢くんってば、ヒカル相手によくそこまで踏み込めるなぁ」

 

「うんうん。でもあかりちゃん、そういう私たちだって負けてないわ。──せめて進藤を楽に打たせないわよ!」

 

 藤崎と奈瀬がそう言い合っているのを聞きながら、伊角は拳を握った。

 この環境は正直ありがたい。

 自分よりも強い者が二人もいて、さらに他の二人も自分と同等の実力に加えて、強いモチベーションとビジョンを持って打っている。

 この環境に参加できたことは朗報以外の何物でもない。

 

 だが、強気で誤魔化しても。

 溢れ落ちる内心では『どうして』という思いが捨てきれない。

 

 人一倍努力してきた。

 真剣に碁に向き合ってきた。

 そんな自分を軽々と超えていく二人の天才を前にして、伊角は恵まれた環境に自分が今居ることを理解しながらも、素直にそれを喜べずにいた。

 落ち着くように深呼吸をするが、けれど、漠然とした不安が首を擡げてくる。

 

 伊角は少し真面目すぎるきらいがあった。

 良い面も十分すぎる程あるが、勝負事の際にはそれが良くない方向で表に出てしまう。

 

 自分の気持ちを誤魔化せないのだ。

 天才二人に恐怖している自分。

 

 その事実と向き合う事を恐れてしまうのは人として当然であるが、かといって、オレはオレ、他人は他人。と開き直る事は真面目すぎて出来ない。

 真面目すぎるが故に、真正面から向き合うことしかできない。

 だが向き合っても、怯むな、挑めと自分を鼓舞するだけで、恐怖を認めることができない。

 

 自分が悪いと思い込んでしまう伊角に『恐怖を認める』という思考は過ぎらない。

 そんな不器用さが、伊角の魅力でもあったが、同時に障害にもなっていた。

 知らず知らずのうちに、伊角は自分を追い込んでいた。

 

 中途半端な気持ちのままで、伊角はそんな思考に蓋をした。

 

 怯んでもいられない。

 多少の無理をしてでも、この場に食らい付かなければ。

 だから今は、二人の天才の対局を観戦することに専念すべく足を向けた。

 

 決意を秘めながら、けれど。

 壊れてしまいそうな危うさを抱えたまま。

 

 

 

「──え? 碁会所で団体戦?」

 

 伊角のそんな問いかけに、奈瀬は冷たい汗をかいた缶ジュースに口をつけながら、瑞々しく滴る唇でそんな疑問符に答えた。

 

「あはは、急でごめんね。でも、進藤と塔矢くんと打つのはさ、そりゃー勉強になるけど。──ちょっとだけ気が滅入るじゃない?」

 

 冗談めかして奈瀬が言ったが、真面目な伊角は渋い顔のままだった。

 そのまま固い返事を返した。

 

「……いや、だからこそ挑む価値があると思うんだ。ここで壁を乗り越えれば、きっとプロになる道が拓けてる」

 

「え!? 団体戦!? うわぁ面白そう!」

 

 掌を握りながら思い詰めたようにそう呟いた伊角の言葉を、瞳を輝かせたあかりがぶった斬った。

 内心で奈瀬が『グッジョブ!あかりちゃん!』と親指を立てる。

 

「でしょ?」

 

「久しぶりだよ、団体戦なんて! 早く行こ! 明日美ちゃん、伊角くん!」

 

「え? お、おい」

 

「ほら、伊角くん! 女の子を先に行かせて良いの? ちゃんとリードしてよねっ」

 

「え? お、おい!? ──押すな!? そんなに背中を押すなって!」

 

「なにー? 伊角くん、照れてるのー?」

 

「コケそうになってるだけだよ!!」

 

 慌てふためいて、その結果。

 今までの険しさが薄れて、普段の伊角らしさが顔を見せているのを察して、奈瀬はそのまま笑顔で背中を押し続けた。

 

 

 落ち着きを得た奈瀬は今まで以上に周りがよく見えるようになった。

 だから、伊角の少し思い詰めた様子に碁会所の中でたった一人だけ気がついていた。

 

 伊角は長らく院生の中で1位だったライバルだ。

 手助けなんて必要ないかもしれない。

 だけど、奈瀬にはどうしても我慢できなかった。

 

 伊角はその真面目さ故に、周囲から好かれる。

 奈瀬が我慢出来なかったのも、偏に伊角のこれまでの人徳故だった。

 

 真面目さは時に自分を追い詰める事がある。

 しかし、その真面目さ故に味方も多いのだ。

 

 物事には良い面と悪い面がある。

 ただ、それだけのこと。

 

 久方ぶりに、伊角の表情には普段通りの笑顔が戻っていた。

 

 

 

 幾つもの碁会所を経由して、三人は団体戦をこなしていく。

 初日は快勝で終わった。

 

 その後にさらに翌日も、という話も出たが予定が合わず。

 翌週に予定を合わせてまた団体戦のために集まった。

 

 

 待ち合わせの駅構内で、奈瀬がジーンズ生地のハーフパンツに薄手の白いオフショルダーを着ながら、駅の壁に向かって斜めに背中を預けて、水滴の滴るペットボトルを片手で傾けながら水分を摂る。

 ゴクゴクと嚥下する喉が軽快に規則正しく動いていた。

 

「ぷはぁ〜、蘇る〜。──で、あかりちゃんってば、あの碁会所に先週からずっと通ってたの?」

 

 淡いピンク色のロゴの入ったTシャツに黒いウエストマークスカートを組み合わせて着こなしているあかりが満面の笑みで頷いた。

 

「うん! あ、でも。ヒカルが一人だと危ないだろって付いてきたけど」

 

「あー、そう。大事にされてんじゃ〜ん。この〜。うりうり〜」

 

「あっ、もぉやめてよ明日美ちゃ、んん! くすぐったいよぉ!」

 

「お、おほん」

 

 目を背けて、少し顔を赤くしながら気まずげに咳払いした伊角に、奈瀬がヒラヒラ手を振りながら笑った。

 

「あはは、伊角くんごめんってば」

 

「もう、明日美ちゃんってば!」

 

「ま、その辺の話は後でくわ〜しく聞かせてもらうとして、ね。──伊角くん、今日は任せて良いんだよね。やっぱり前と同じところ行く?」

 

「いや、場所は変えるつもりだよ。前のところでもいいんだけど、出来れば色んな人たちと打ちたいからね。ダメか?」

 

「ぜーんぜん! 私もその方がいいと思うよ。あっそうだ、ただ団体戦やるだけじゃつまんないし、何か賭けない? そーだ、お昼ご飯とか!」

 

「おいおい」

 

 苦笑いして続けた伊角に構わず、あかりがテンションが上がった様子で追従した。

 

「いいかも! その方が緊張感でるもんね! さすが明日美ちゃん、わかってる!」

 

「でっしょ〜!」

 

「……オレ、年食ったのかなぁ」

 

 若々しい女の子の『キャッキャ』した雰囲気についていけず、思わずそう溢した伊角に目敏く気がついた奈瀬は『ニンマリ』と笑みを浮かべながらさっそく賭けの条件を決めてしまった。

 

「ほら、伊角くん黄昏てないで。碁会所行くんでしょ? 負けた人がみんなに奢るって条件で、ね」

 

「いつの間にそんなこと決めたんだ!? いや、待て。それだと大将のオレが一番不利だろう!?」

 

「へえ伊角くんってば、女の子に大将任せちゃうんだ? ──私は自信あるから、不安なら私が大将代わってあげるけど?」

 

「ああもう! オレが大将でいいよ!」

 

「うんうん! じゃあ、私は三将だね!」

 

 明るく元気に飛び跳ねたあかりが先導して目的地の碁会所に入る。

 そして、そのまま三人が鮮やかに3勝を決めた。

 

「「いえーい! 3-0で勝利!」」

 

 そう高らかに宣言した女の子二人は本当に楽しそうにハイタッチしていて、伊角は思わず苦笑いして、けれど眩しそうに眺めた。

 

「席料浮いたし、二人にはオレが奢るよ」

 

「マジ!? さっすが伊角くん! わかってる〜! よっ、お大尽! 両手に花だもんね!」

 

「いいの、伊角さん?! ありがとうございます!」

 

 少しワザとらしく喜んでいる奈瀬は置いておくにしても、輝くような笑顔で天真爛漫に喜んでいる藤崎あかりの姿を見れたので、まぁ奢ってやるのも悪くないかな、と思えた。

 

「奈瀬。揶揄うならお前だけ奢らないぞ?」

 

「あはは、ゴメンなさい。冗談です、奢ってください、お願いしますっ!」

 

「寿司でいいか?」

 

「もちろん!!」「はい!!」

 

 回るお寿司屋さんに入って、三人は仲良く談笑しながら舌鼓を打った。

 競い合う男の子二人なら熾烈なお寿司争いが起きたであろうが、女子二人では起きるはずもない。

 のんびりと穏やかに昼食を終えて、小さなお腹をいっぱいにした二人が手を合わせてお礼を言った。

 

「「伊角さん、ご馳走様でした!!」」

 

「うん、お粗末さまでした。けど、もっと食べても良かったんだぞ?」

 

「あはは、まぁ伊角くんのお財布の心配も少しはしたけどね。……女の子って色々大変なの」

 

 お腹を押さえながら少し重めのため息を溢した奈瀬に、目を輝かせたあかりが詰め寄った。

 

「大丈夫! 囲碁で頭を使えば、カロリーゼロだよ、明日美ちゃん!」

 

「ん。そーね! さっそく打ちに行きますか! ……伊角くんはどーするの? 最後まで付き合ってくれる?」

 

「はいはい、最後まで付き合うよ」

 

「えへへ、じゃあ、またみんなで団体戦やろーよ!」

 

 その日は疲れ果てるまで囲碁を打って解散した。

 伊角も、奈瀬も、あかりも、みんなが一様に笑顔を浮かべて、束の間の休息を楽しんだのだった。

 

 

 







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