神の一手   作:風梨

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3700字
少し短いですが、満足です。


第16話

 

 

 

 

「──塔矢の碁会所で勉強会かぁ。参加もそりゃあさ、考えたよ。オレだって参加してみたいっちゃみたいけど……」

 

「けど?」

 

「ただでさえオレの所属してる森下先生の研究会は塔矢一門を目の敵にしてるんだ。倒しにいくんならまだしも、勉強しにいくって知られたらどうなることか……。オレの研究会よりそっちの方がいいってのか!? って言いながらシゴキ回されるって」

 

「ははは、それはそれでいいんじゃないか?」

 

「冗談よしてよ伊角さん。いくらなんでも進んで先生を怒らせるのはゴメンだよ。普段もおっかないけど、怒るともっとオッカナイんだぜ」

 

 冗談めかして、指を鬼のツノに見立ててそう言う和谷に伊角が声を上げて笑った。

 

 場所は日本棋院囲碁研修センター。

 普段院生たちが打っている棋院ではない場所だ。

 

 ここでプロ試験が執り行われる。

 参加人数は28名。

 総当たりで火曜日と土曜日に対局が行われる。

 つまり、1ヶ月以上時間を掛けてプロとなる者を決める試験である。

 

 

 ある者は不安と、ある者は期待と、ある者は平常心を抱きながら最難関の試験に挑戦する。

 合格者は3名。

 泣いても笑っても、28名中3名だけがプロ棋士となれる。

 

 藤崎あかりはウズウズと。

 奈瀬明日美は落ち着きを持って。

 伊角慎一郎は深呼吸をする。

 和谷義高はやる気を漲らせている。

 越智康介は普段通りに。

 本田敏則は手を擦り合わせて息を吐いた。

 飯島良は緊張して顔色が悪い。

 福井雄太はのほほんと。

 門脇龍彦は扇子を握る。

 椿俊郎は真剣な様子で指を組んでいる。

 

 進藤ヒカルは正座して、目を閉じて座っていた。

 

(……ヒカル、時間のようです)

 

(ああ、わかった)

 

 

 プロ試験初戦。

 

 進藤ヒカルvs門脇。

 初戦の幕が上がろうとしていた。

 

 門脇は目の前に座る、少し前から知っている少年に少し興奮しながら話しかけた。

 パチリと開いていた扇子を閉じる。

 

「──キミ、若獅子戦で大暴れしたんだって? 調べてビックリしたよ、院生がプロを差し置いて優勝するなんてさ、大金星だろ?」

 

「大したことじゃないよ。塔矢以外は正直、敵じゃなかったし」

 

 なんの気負いもなく平然と言ってのける進藤ヒカルの様子に、少し怯みながら答えた。

 

「……へぇ。そりゃスゴい」

 

「いいの? そんなに気を抜いてて。オレ、プロ試験でも手加減しないぜ。それが礼儀ってもんだろ?」

 

 澄んだ瞳で射抜かれて、門脇は生唾を飲んだ。

 やはり、何かが違う。

 そう思わせる瞳と風格があった。

 

 院生で化け物がいる。

 そう聞いてから気になって調べれば、若獅子戦で優勝した院生が出てきた。

 コイツのことだと目星は付けていたが、どうやら冗談ではなく本気で『化け物』なのかもしれない。

 冷や汗がタラリと垂れる。

 

 試験開始の合図を告げるブザーがなった。

 当初以上の緊張感を扇子と共に握って、門脇が目前の少年を見ながら頭を下げた。

 

「……お願いします」

 

「お願いします」

 

 黒を握ったのは門脇だった。

 挑むような気持ちで、盤面を見据えて第一手目を放つ。

 

(若獅子戦優勝の棋譜は見た。……あの塔矢アキラ相手に中押しで圧倒。トンデモない強さだったが、打ってみなくちゃわからんだろう?)

 

 敵う訳がないなどと思えば、呑まれる。

 門脇は意図的に強気な言葉を想いながら、真剣な表情で盤面に向き合う。

 

(実際のところを見せてもらおーじゃないの。天才少年棋士の実力って奴をさ)

 

 強気な言葉とは裏腹に、表情は険しく真剣。

 緊張感から一筋の汗すらタラしながら、門脇は全力で仕掛けた。

 

 

 

 門脇は碁から長く離れていた。

 約3年間ほどの期間ではあるが、多少のブランクは彼自身認めるところだった。

 自覚している彼は当然、そのブランクを埋めるべく行動に移す。

 

 通い慣れた碁会所に顔を出す事や、ネット碁にも多少の時間を割いた。

 仕事はプロ試験のために既に辞めていたため、囲碁に費やす時間は十分に取る事ができた。

 

 彼はその中で十分すぎるほどの錆を落とした。

 囲碁は時間を空けても力量が落ちにくいと言われていることもあって、学生本因坊を取った頃と変わらないほどの棋力に戻すことは容易かった。

 

 これなら問題なくプロになれるだろう。

 そんな見積もりがあった。

 

 そして、彼は客観視したとしても、十分にプロ試験に合格できるだけの力量を備えていた。

 

 加えて、事前の情報収集で若獅子戦を制した院生の存在も知っていた。

 彼の存在は門脇にとってのモチベーションとなって、より効果的な学びの時間を門脇に提供した。

 

 つまり、多少の驕りはあったが、決して油断していなかった。

 過去の実績に胡座をかいたのではなく。

 純然に必要なだけの準備を整えた。

 

 その結果、プロ試験の予選は3勝をストレートで決めて本戦に進み。

 そして今日、本戦の初日。

  

 彼は、自分よりも途方もないほど遥か先を歩く存在に。

 

 

 ──もてあそばれた。

 

 

 冷や汗が止まらない。

 なんだこれは、と。

 全神経と細胞が震えるが、今、出来ることは、言える言葉はただ一つしかない。

 

「……負けました」

 

 頭を俯かせ、喘ぐような声を漏らせば、対面から涼しげな声が返ってくる。

 

「ありがとうございました」

 

 見上げれば、自分よりも遥かに年下の少年が白石を片付けている。

 

 遥かな先を歩いている、眩しいほどの輝きを放つ憧れが。

 

『天才』

 いや、そんな言葉すら生温い。

『尊敬』と不自然な形容で呼ぶのが相応しいほどの、圧倒的な実力差が隔たっている。

 

 ブルリと思わず震えた。

 

(なんだよ、おい。こんな怪物が、待ってるのかよ、プロには)

 

 学生本因坊を取って、社会人を経験して。

 プロになってやるのもいいか、などと軽く考えていた少し前の自分が脳裏に過ぎる。

 

(とんだ勘違いやろーだな、オレは。甘ちゃんすぎだろ)

 

 そう思うと笑えてくる。

 手を握れば、反発するように返ってくる扇子の感触。

 

 それを見れば、購入するときに売店で夢想した『プロになって圧勝する自分の姿』という、今思えば苦笑いせざるを得ない記憶が蘇ってくる。

 眺めていた少年が立ちあがろうと畳に手を着いたのを見て、つい声をかけた。

 無意識のうちだった。

 あまり意味はなく、咄嗟に。

 

「──お、おい。お前、本当に院生なのか……?」

 

「え? うん、院生だよ。外来じゃねーって」

 

 違う、実はプロが何かの間違いで紛れ込んだんじゃねーかって事だ、と言いたかったが、苦笑いで誤魔化した。

 言おうとしたが、あり得ないと自分でも思ったから。

 

 もう少し会話を続けたかったが、思い当たる事がない。

 それでふと手元にある、今の自分には荷が重すぎる扇子が目に入った。

 

 ──何故か脳裏に、扇子を持っている『誰か』の姿が浮かんで。

 

「──コレ、やるよ、お前に」

 

「……え? ……扇子ぅ?」

 

 怪訝そうな顔を見せる進藤ヒカルに、無理やり押し付けた。

 

「オレに勝ったご褒美だよ、ほれ、受け取れって」

 

「い、いらねーって! これおじさんのだろ」

 

「お、おじさ……。いいから受け取れよ」

 

 おじさん呼びにショックを受けたが、逆に火がついてそのまま押し付けた。

 戸惑ってこちらを見てくる少年の手には扇子がある。

 妙にシックリくるその姿に微笑みながら続けた。

 

「お前が持ってる方がさ。オレが持ってるより似合うんだよ。受け取れ」

 

「は、はぁ。まぁ、そこまで言うんなら、貰ってもいいけどさ……」

 

 そう言いながらも、少し満更でもなさそうに扇子を触って、左右の羽を両手で摘んでバサッと広げ始める、結構ダサい進藤ヒカルに思わず笑った。

 

「ちげーよ。貸してみろ」

 

 扇子を奪って、勢いを付けて片手でバサッと広げてやれば、『おおー』と少年らしい驚きの声が返ってきて気を良くした。

 すぐに扇子を返した。

 

「やってみろよ」

 

「こ、こうかな?」

 

 思い切りが良い性格なのか、一発でバサリと成功させた進藤ヒカルに、笑って頷いてやる。

 

「いいねぇ、似合うじゃねーの」

 

「へ、へへ。そうかな?」

 

 はにかんで、嬉しそうに笑う姿は年相応に見えた。

 碁から感じた、悠久の年月を感じさせる様ではない。

 

 だから、つい。

 変なことを聞いてしまった。

 

「──お前、碁を始めてどのくらいになる?」

 

 答えは端的だった。

 それが自然で、当たり前であるかのように、門脇には聞こえた。

 

 

 

「──千年」

 

 バサリ、と再び扇子を仰いで。

 透明な微笑みを浮かべた進藤ヒカルが堂々と言う。

 

 その瞬間。

 時が止まったようにすら感じた。

 

 時代の風を感じるような、この瞬間だけタイムスリップしたような、そんな不思議な無重力感が身体を覆った。

 

「──気に入ったぜ、これ。おじさんありがとな!」

 

 進藤ヒカルはそう言って、嬉しげに笑って去っていった。

 座ったまま、しばらく呆然と後ろ姿が消えていった廊下を眺めた。

 

「千年って。お前、何歳だよ」

 

 そう思わず呟きながら、けれど、何故か嘘だとは思えなかった。

 

 素晴らしい碁だった。

 本当だと、信じてしまいそうになるくらいに。

 

「……ふっ、なんだよ。世の中すげー奴がいるもんだな」

 

 ボヤキながら、門脇は盤面に残ったままだった黒石を片づけ始めた。

 

「ああ、くそ。あと一年早く鍛えてりゃーな」

 

 ジャラジャラと碁石を片付けながらまたボヤいて、カコンと碁笥の蓋を閉める。

 その胸に生まれた想いを、逃さないように。

 

「本気で、本気でプロ目指して。オレもプロになってアイツとまた打ちてぇ……」

 

 悔しげに苦笑いを浮かべて。

 けれど、どこか晴れ晴れと門脇は笑った。

 






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