神の一手   作:風梨

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約5000字

題名変えてしまいました><
すみません。


第3話

 

 

 

 

『──ええ〜!? もう囲碁教室に行かないんですか!? バカ! ヒカルのばかー!!』

 

「うっさいなー! オレにだって予定があんの! それに阿古田さんに会うと気まずいだろ」

 

『それは……そうですけど……』

 

 と言いつつ、予定なんて本当はない。

 ただ佐為に打たせてやる、と豪語したはいいものの、打つ相手なんてヒカルくらいしか居ない。

 だから、しょうがなく届いた足付きの碁盤で佐為と打っていたのだが、やっぱりムカつくのだ。

 強いのはわかる。

 それは認めるし、佐為の打つ碁を見たいとも思う。

 けど、それとボコボコにされても許せるか、というと話は別なのだ。

 気分転換も兼ねて『ブラブラ』と歩いて、ふと思いついたようにヒカルは今まで来た道を戻るために足を動かした。

 

『ヒカル?』

 

「いい事思いついた」

 

『ニヤリ』と笑って、ヒカルは佐為に振り返った。

『初心者相手でも打てるならいいだろ?』と言いながら。

 

 

 

 

「──囲碁?? なにそれ?」

 

「こないだ爺ちゃん家の蔵で見たろ? 足付きの盤。あれ使ってやるゲームだよ」

 

「あっ! ヒカルが倒れちゃった時の?」

 

「ウン、まぁそう、それだよ」

 

「……それはわかったけど、でも、どうして急に誘ってくれたの?」

 

 心底不思議そうにヒカルを見るのは、あかりだった。

 いい事思いついた、とヒカルが言っていたのはあかりの事だった。

 佐為が相手の力量に問わず、打てれば楽しい奴であるのはこの数日間で十分に理解できた。

 ならば、ヒカル以外に気軽に打てる相手を育てれば良い。

 

 名案だと思ったヒカルはさっそくあかりの自宅に訪問して、あれよあれよとそのまま自分の家にまで引っ張ってきて、自宅に招き入れて爺ちゃんに買ってもらった足付きの碁盤を広げていた。

 

「別になんだっていいだろ、やらねーの?」

 

「やるやる! でも少し意外だなーって。ヒカルが誘ってくれるとは思わなかったから」

 

 反故にされては堪らないと焦りながら『やる』と言った後で、やっぱり不思議そうにあかりはそう言った。

 

 あかりが碁盤を触る仕草は少し小動物染みていた。

 いかにも高級です、と主張する木製の碁盤は新品であるため樹木の断面から香る良い匂いがする。

 囲碁の事は知らないながらも、何だか凄そう、というのはあかりにもわかった。

 だから、手つきにもその感じたままの仕草が反映されていて、恐る恐る触るようなあかりの姿がヒカルから見れば小動物っぽく見えた。

 佐為が延々と誘ってくる、無限囲碁の環境から解放されて、気が緩んでもいたために無意識に言葉が出た。

 

「ん〜、なんて言うか癒されに……?」

 

 佐為から解放される、という意味が8割方を占めていたが、そんなことはあかりにはわからない。

 そして何故か佐為にも伝わらなかった。

 

『お〜〜、ヒカルってば大胆〜』

 

『ボッ』とあかりは赤面する。

 佐為に大胆と言われて、あかりの様子を見て、慌てたようにヒカルが付け加えた。

 

「いや!! 別にそう言う意味じゃねーよ!? ただ、最近すげー奴みてさ。ちょっと自信なくなったかなーなんて」

 

 珍しく弱気な発言だった。

 目をまん丸にさせて自分を見るあかりの様子に気がついて、冗談にするためにヒカルはいつものように快活に笑った。

 

「ウソウソ! お前と最近遊んでなかったからだよ! ほら、ルール教えてやる」

 

 そう言われてあかりは慌てて集中した。

 買ったばかりの欠けなど一切ない、綺麗な碁石を並べていくヒカルを見ながら、次々に説明される難しい内容に必死に聞き入って、あかりはいつの間にかそんなヒカルの様子のことなど忘れてしまった。

 

 

 

「──だから、囲まれたら石が取られるんだ。ここまではいいな? じゃあ、この時はどうする」

 

 

「こーやって逃げる!」

 

 ヒカルが置いたのは4つの石。

 黒石を3つ、白石を1つ。

 三方向を白石が黒石に囲まれていて、四方に黒石が置かれれば後一手で白石が取られてしまうという場面。

 

 そう聞かされて、じゃあ逃げるためにはどうすればいいのか、という問題に対して、あかりの出した答えは囲まれた白石をツツツーと動かして逃す、という可愛らしいものだった。

 ただヒカルに女の子に対する甲斐性を期待するのは少し難しい。

 頭を抱えて大声で叫んだ。

 

「だぁあああ! お前才能ねーよ!!」

 

「だってー!!」

 

『やーん、楽しそうー!!』

 

 ワイワイと話し合う二人の姿を、佐為は自らも立ち上がって踊るように忙しなく動きながら一緒になって楽しんでいた。

 ちなみに正解はもう一つ新しい白石を四方を囲まれないように置く、というものだ。

 

 

 

 

「──あかり、こっちこっち」

 

「ちょっとヒカル、早いってばー!」

 

「しょーがないだろ、だいぶ遅れちゃったんだからさ」

 

 囲碁を教え始めて、二人が話し合った後で。

 やっぱり実際に打っているところを見てみたい、とあかりが言うものだから、佐為との対局を見せる訳にも行かないヒカルは以前碁会所で受け取っていたチラシを思い出して、あかりと一緒に全国子供囲碁大会に足を運んでいた。

 何たって一人で二役を熟しながら囲碁を打ってるように見えるからだ。

 それは少し、いや、かなりの変人だからそう思われるのはさすがに躊躇した。

 

 

「──すっごい。これみんな囲碁打ってるの? 私たちと年齢もそんなに変わらないのに……」

 

「そーだよ。……アイツいねーかな」

 

「アイツ?」

 

 塔矢アキラのことだった。

 しかし、それを説明するためには佐為とヒカルという関係も説明する必要がありそうで。

 

「……誰だっていいだろ。ほら、いくぞ」

 

「もう! 勝手なんだから」

 

 ヒカルは説明を避けた。

 面倒臭い気持ちもあったが、理解されないだろうとも思っていたし、何よりちょっとズルいよなと自分でも思っていたからだった。

 何たってヒカルに取り憑いているのは140年前の公式戦不敗の棋士。

『本因坊秀策』なのだから。

 

『そこの盤面。右上スミの戦い。黒が打ち損じると死にますね』

 

 佐為に声を掛けられて、ヒカルは足を止めた。

 佐為の言う盤面を見つけて眺めてみるが、確かに死にそうだが、何とかなりそうな気はした。

 

(あ……コレか)

 

 ヒカルのニュアンスで、急所がどこかわかっていないと察した佐為は言葉を続けた。

 

『1の二が急所です』

 

(……わかってるよ)

 

 ヒカルは仏頂面でそう言った。

 そんな短いやり取りの間に、盤面が動いた。

 黒を持った少年が話題の局面に打ち込んだ。

 しかし、その場所は急所から僅か一目分ズレている。

 ついヒカルは口を滑らせた。

 

「おしい! そこじゃダメだ。その上なんだよ」

 

「え? あ」

 

「……あ」

 

 ヒカルに言われて、対局していた2人も気がついたようだった。

 気まずげな沈黙が訪れて。

 ヒカルはゾッと顔色を悪くした。

 対局中の助言はマナー違反どころではない。

 明確なルール違反で、悪質な場合では大会出禁になるくらい重い失態なのだから。

 何より少し考えればわかるはずだ。

 真剣に打ち合っている少年たちに割って入って助言するなんて、あまりにも無遠慮だった。

 

「あ……」

 

「きみっ!!」

 

 係員の男性がヒカルの肩を掴んで、焦ったように言葉を続けた。

 

「何考えてるんだ!! 対局中にクチ挟むなんて! 遊びじゃないんだぞ!」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 そう言われてヒカルも慌てて敬語で謝る。

 そこにもう一人の男性が割って入った。

 

「森さん騒がないで」

 

『森』と呼ばれた男性に話しかけたのは白いスーツを着て、胸元にプロ棋士の証である花の飾りを着けた男だった。

 白いスーツの男性──緒方は盤面をチラリとみて、その後、『森』に奥へと連れていかれるヒカルとあかりを見て、しょうがなさげに鼻息を一つ吐いた。

 

「……困ったな。君たち、状況を教えてくれる?」

 

「ボクがここに打ったらあの子が『おしいその上だ』って言ったんです」

 

「……これか」

 

(ナルホド、プロの私でもちょっと手が止まるな、ムズカシイ形だ)

 

 そう思いつつ緒方は言葉を続けた。

 

「で、キミは言われて気づいてしまった?」

 

 緒方がまず声を掛けたのは黒番の少年に対してだった。

 少年はプロに話しかけられている状況に少し興奮しながらも正確に説明した。

 

「……はい『あ、そうか』……って」

 

「キミは? ここが急所だってわかってた?」

 

 次に緒方が声を掛けたのは白番の少年に対してだ。

 ヒカルが示した一手に気がつかなかった、という色を強く表情に出していた。

 

「……いいえ。なにか手がありそうなカンジはしてたけど……」

 

「でも、キミも言われて気づいてしまった、と……」

 

「……ハイ」

 

 素直にそう言った少年たち。

 その結果を鑑みて出した結論は一つだ。

 

 ──無勝負にして再戦させるしかない。

 

「あの子は参加者だったのかな?」

 

「ちがいますよ!」

 

 緒方の少年たちに向けての言葉に答えたのは保護者の女性だった。

 そのまま女性は緒方に捲し立てる。

 

「全然カンケーない子ですよ! 名札をつけてなかったもの! 私、見てたんです。ついさっき会場に入ってきて。それで女の子を連れながらウロウロこっちに近づいてきて、うちの子のところで足を止めたと思ったら! チラッと見て『おしい。その上』とか言ってうちの子の対局をムチャクチャにしたんですっ」

 

 女性が言いたかったのはヒカルの無責任さに関しての苦言であったが、緒方が着目したのは囲碁のプロらしく囲碁に関することだった。

 

「今、なんとおっしゃいました? チラッと見て?」

 

 緒方は再度盤面を見る。

 もう一度見ても、プロである緒方でも手の止まる難しい形だ。

 コレを即答したとなれば相当な棋力がなければ到底不可能。

 偶然にしては考えづらい形だ。

 

(……あの子、まだ子供だったな。ちょうどアキラくんくらい、か? なら小学6年生。……まったく、近頃はとんでもない小学生ばかりだな)

 

 薄く笑った緒方は保護者の女性に向き合って今後の予定を話し合った。

 一刻も早く奥へと連れていかれた少年と再び話すために。

 

 

 

「──すみません、ゴメンなさい!」

 

「まったく! ついクチを挟んだじゃ済まないんだよ? これは大会なんだからね、それも全国大会だ。この日のためにみんな頑張ってきたんだから、当然みんなこの大会に真剣に臨んでいる。それをキミの『つい』で台無しにされてしまったんだ。この意味がわかるね?」

 

「……ハイ」

 

「あの! ゴメンなさい、ヒカルも悪気があったわけじゃないと思うんです。もう二度とこんな事させないので許してあげてください」

 

 ヒカルを庇うように、頭を下げてそう言ったあかりの姿を見て、黒い服の壮年の男性──柿本は仕方がなさげに息を吐いた。

 

「……キミの彼女さんかな? 彼女にいいところを見せたい気持ちはわかるが、だからって人の対局にクチを出しちゃいけないよ。今回は彼女に免じて許してあげるから、もうこんなことしちゃいけないよ」

 

 彼女じゃないです。

 そう言っていい雰囲気じゃないのはヒカルもわかるのであえてクチを噤んで、あかりごめん、と思いながらもう一度謝った。

 彼女と言われて、赤面してまんざらでもなさそうなあかりの事に、ヒカルは気がつかなかった。

 

「あ──、ハイ。すみません……」

 

 そこにヒカルとあかりをここまで連れてきた、『森』という係員の男性がクチを挟んだ。

 

「もういいから。こっちの裏から帰りなさい。柿本先生、よろしいですね」

 

「はい、しょうがありませんね」

 

「おさわがせしましたーっ、さよならーっ」

 

「お騒がせしました! 失礼します。……ヒカル、ちゃんと挨拶しなきゃダメだよ」

 

「あーっと、失礼しますー」

 

 少年少女が去った室内で、柿本が肩を竦めながらタバコを取り出した。

 

「ヤレヤレ、それで……、その局面というのは……?」

 

 もし先に局面の検討をしていれば。

 ヒカルはあの一室に残ったままだっただろう。

 そして少しだけ早く対局の機会を得るはずだった。

 生きている者の中で『神の一手』に最も近い男との対局の機会を。

 

 少し時間が経過する。

 ヒカルが道の途中で人にぶつかって。

 それから少し後の大会運営委員の者達が集う一室での出来事だった。

 緒方も合流しており、先ほどの盤面を囲っていた。

 そこに一人の男性が入室してくる。

 着物を着こなした壮年の男性だった。

 鋭い眼差しは見つめられれば背筋が伸びるほどに凛としている。

 

「……トラブルがあったそうだな」

 

「あ、塔矢名人……」

 

「とにかくコレを見てください」

 

 柿本が初めにそう言い、緒方が言葉を引き継いだ。

 

「我々プロでもちょっと考えるこの局面を助言したそうです。それもチラッと見て即答です」

 

 塔矢行洋が、緒方が言う局面を見る。

 そして一瞬で佐為と同じ結論に達した。

 

(1の二が急所……か。なるほど、コレを即答できる子供は尋常ではない。彼らが動揺しているのはコレが理由か……)

 

「なるほど……。この黒の生き死にの急所をひと目でな。そんなことができる子供が息子のアキラ以外にもいたか……」

 

 誰もが認める名人。

 その塔矢行洋も同じ意見。

 それは非常に重い意味を持つ。

 

「それを名前も聞かずに帰すとはね……」

 

「す……すみません……」

 

 緒方は『ネチネチ』と性格の悪さを示すように係員にそう言っていた。

 それを聞きながらも塔矢行洋の思考に乱れはない。

 ただ一点。

 彼の思考は囲碁にのみ注がれていた。

 

 碁笥(ごけ)に手を差し入れた行洋の指先には黒の碁石が挟まれている。

 

「まあいい……。彼がそれほどの打ち手なら」

 

 言葉を区切り、そして力強く碁盤の『1の二』へとその黒石を鋭く置いた。

『ビシッ』と厳しい音が室内に響き、行洋は平然と言葉を続けた。

 

「遅かれ早かれ、いずれは我々棋士の前に現れることになる」

 

 見据えるは新たな芽との出会いか。

 はたまた、まだ見ぬ好敵手への渇望か。

 

 それは行洋自身にもわからない事だった。

 

 

 

 


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