気づいたら今日(投稿日)でこの小説を投稿して一周年ということになります。
まだプロローグの回収まで、というかGIを走っていないんですけれども、ひいきにしてくださる読者の皆様には感謝の念が絶えません。
(……何が何やら)
まだ整理がつかない、という面持ちで数時間前の記憶を遡るシダー。
焦点はもちろん、先ほどの若葉ステークスだ。忘れもしない最後の直線でのスパートのシーンからゴールするまでの間、一切の記憶が抜け落ちたまま戻らないのだ。
あのとき、2番手だったウマ娘とはかなり距離が開いていたはずだが、どうやって追い抜いたのだろうか。出走直前に起こった居眠り(?)未遂の延長かとも考えたが、それなら自分は無事であるはずがないし、2着に上がっている説明にならない。だが後から教えられた客観的な事実を考えれば、『寝ながら走っていた』という極めて間抜けな結論に落ち着いてしまう。
そしてそのスパートは、ライブ後に合流した南坂やメンバーらにとっても異常な光景に映ったらしく、「いつものあなたでないように感じた」と大いに心配されてしまった。
観念して身に起きた異変を伝えたところ、すぐさま病院に連れていかれたシダーは、今しがた撮ったレントゲン写真と資料を睨む医師を前にしながら椅子に座していた。
「おそらく、領域と呼ばれる現象かもしれません」
重々しく開かれた口から飛び出したのは、とても医師から発されたとは思えぬファンタジックな言葉だった。
漫画かよ、と一蹴しそうになったが、隣の南坂が至極真面目な顔でこれを受け止めているのを見て口をつぐむ。
「……レースの最中、極限状態に到達したウマ娘がごく稀に肉体の限界を踏み越える例があります」
そう言葉を選ぶように語る医師の表情からは、確かな迷いが見える。職務上不確かな発言は許されない、だが確かな発言をする術がない、そんなところだろう。
あくまで参考程度に、と前置いて口にされたのは、その領域とやらがもたらす効果の例たちだった。聞けば、加速するだの活力が漲るだの周りにプレッシャーを放てるだの、いかにも創作染みたものばかりだ。それも特定状況下において一回しか発揮されないという、まさしくアニメの次元の話をされたシダーは呆気にとられるほかなかった。
──いや。こういった大技めいたもののお決まりに思い至った彼女ははっとしたように口を開く。
「し、しかし、体の限界を超えるというのであれば、それ相応の反動を受けることになるのでは……?」
「いや、その領域による消耗が直接故障に繋がったという事例は今のところありません」
ようやく捻り出した懸念はすぐさま否定された。
それが何故であるかは、その後「諸説ある」と様々な推測とともにぼかされてしまったことには、ひとつ言ってやりたかったがしぶしぶ納得し、今回のような暴発が相次いでキャリアをすぐ終えてしまうようなことはなさそうか、と安堵したシダー。
ならばどのように磨いて武器とすべきか、今度イクノらとの併走で慣らす必要がありそうか、などと考えていたところに、医師の言葉は続いた。
「ただし、この現象は実戦の場以外では再現性が著しく落ちるとも言います。そのため、感覚を掴もうとハードワークを試みて空振りどころか怪我、というパターンはあります」
続けられたのは、領域が本番きりの発動であることを示唆する発言だった。それなら、普段のトレーニングで領域を使いこなすための手を打つことはできない。実戦に匹敵する緊張状態を再現できればその限りではないでしょうが、と続けて小さく洩らしていたのをシダーは聞き逃さなかったが、声色からして至難であることを悟り深掘りはしなかった。
「とにかく、次のレースからはこの現象について意識しておいたほうがよいかと」
そんな、割と漠然としているアドバイスとともに検診は終了となった。
「……少なくとも、今の医学でどうこう口出しできるものではないですからね」
「え?」
締め際に聞き捨てならないことを言われた気がしたが、無理に引き出そうと暴走しなければ大丈夫だ、と遅れて南坂に総括されたことで矛を収めたシダーは、そのまま病院を後にした。
そしてその帰り道、未だ領域の価値を測りかねていたシダーは、南坂にひとつ漠然とした質問をぶつけることにした。
「領域……正直まだ実感が湧かないんですけど、そんなにすごいものなんですかね?」
「ええ。著名なウマ娘たちにはたいてい視えているものと聞きます。例えば……そう、オグリキャップさんとか」
それは、と予想外のビッグネームの登場に、言葉を詰まらせてしまうシダー。
その名が表すのは、20世紀競馬史を象徴するといっても過言ではない名馬だ。そんな彼──この世界では彼女といえるが──と同じものが視え、使えているという事実は、十分驚愕に足り得るものだった。意味もなく手のひらを開閉してみるも、やはり実感が湧かない。
持ち腐れ──。偉大すぎる比較対象にその言葉が頭によぎるが、シダーは頭を振って誤魔化す。そのおかげで優先出走権を手にできたというのに、この言い草はあまりに不遜が過ぎる。
「あの末脚をまた見せられれば、皐月賞でテイオーさんを超えることも不可能ではありません。これからも頑張りましょう!」
珍しく高揚しながら言葉を紡ぐ南坂に、おずおずと頷くシダー。こりゃしばらく休めんな、と苦笑混じりのため息を吐き出すのだった。
のちにネイチャらチームメイトに合流し、詳細を話したところ、驚きとともに受け止められた。はしゃぎ倒すターボ、計算に耽るイクノ、飄々と祝うネイチャと、三者三様のリアクションをとっていたものの、シダーはネイチャが一瞬見せた物憂げな顔を忘れることはできなかった。
「シダーさん、例のものですよ」
若葉ステークスからいくらか経ったある日、シダーらの待つ部室に遅れて到着した南坂が、段ボールを抱えて入ってきた。
おお、とどよめく一同をよそにテーブルに置かれたそれは、何を隠そうシダーの勝負服である。
優先出走権を懸けたトライアル競走にて条件内の成績を収めたために、GIへの出走が確定したということで支給されてきたのだ。
見たい、と飛び跳ねるターボのガヤを背に、ガムテープを剥がすと早速中身を拝むシダー。
「お、これは」
まず真っ先に手に取ったのはシルクハットだ。
シービーが着けていたところを見て、ならば、とオーダーしたのである。
シダーに支給されたものは赤一色で装飾なしと、シービーのものと比べると質素ではあったが、そんなことはどうでもよかった。
続いて紅白のソックスを取り出し、黄色と赤で彩られたブーツに固まったシダーだが、最後に残った本体に手が伸びた。
そして、ドレスの如く飾られた服を見て彼女の表情が歪む。
「……黄色か」
よりによって、という声色で発すると同時に、思わず親指で額を押すシダー。
自らデザインした勝負服だろうに、なぜ驚いているのかといえば、それは彼女のあるオーダーに起因している。
もともと、紅白の二色をベースに草案を描いていたシダーだったが、かつてゲームでジョッキー用に作成していた勝負服のイメージが抜けていなかったシダーは、Tシャツに模様を描いただけの質素なデザインを完成させてしまった。
チームメイトや、同室のナタールにすらダメ出しを受けてドレス風な形へ路線変更を行ったのち、紅白の他に使う三色目を決めることになったのだが、これが決まらなかった。青を入れてトリコロールにするか? それとも渋い色を入れてしまおうか? と悩んだ挙げ句、おまかせにしてしまおう、という無茶振りをするに至った。
その結果デザイナーが選択したのがこの色だった、ということだ。
(絶対シービーの名前書いてたせいだ、あの人の勝負服確か黄色使ってたし)
書類に書いたシルクハットの注釈に「シービーみたく何か被りたい」と蛇足をつけたせいでシービーファンととられたのだろう──実際そうだが──。
彼女の勝負服から色を抜き出したと仮定するならば、白はもう使っているし、緑にすればチームメイトであるイクノのものと丸被りになる。ならば消去法で黄色が選ばれるのは想像しやすい。
だが、シダーにとってその配色は何よりも避けたいものだった。
赤、黄、白の配色は、シダーが前世で入れ込んでいた競走馬の勝負服と被るからだ。妥協してはいけないところを見誤った、と己の失態を呪う彼女だったが、今更代えを頼むこともできない。
「どしたの? シダー」
苦い顔を気に掛けたネイチャの声で、すぐさま表情を誤魔化したシダーは、言い訳をどうにか捻り出そうと頭を絞る。
「え、えー……その、自分が憧れた人と同じ色使いになっちゃったなー、恐れ多いなー、なんて……」
「ほう」
ハハハ、と笑ってはぐらかすシダーに、なにやら喰いついたイクノが声を発する。
「シダーさんが憧れるというその方には、少し興味がありますね。……ああ、もしや葉牡丹賞に思い入れがある、というのはそこに起因しているのでしょうか?」
その突然の質問と心当たりのない発言の掘り返しに、固まってしまうシダー。葉牡丹賞というワードから察するに、恐らく去年同レースを走ったあとに自分が言ったでまかせだ。
よく覚えていたな、と感心するよりも早く、シダーは軽微なピンチを察する。自分へ集まったメンバー、南坂の視線は、イクノの訊いた対象への興味を雄弁に表していた。
GIという一大イベントの前というこのタイミングは、ちょっとした告白が起きるにはベターなタイミングだ。うやむやにするには遅いが、安易にシービーのことだと言い逃れるのは前提からして無理だ。過去の軽率な発言の連続が、シダーの首を今まさに絞めていく。
「……その通りです。ですが最後に見たのは大昔です、名前は言えませんが──」
予防線を張りながらようやく口にしたのは、嘘偽りは決してない事実だ。
「長い間勝利に恵まれないながらも、常に表舞台に躍り出て、ただひた走った、そんな名バです」
そう短く言い切ると、少しして苦笑気味な南坂の声が発される。
「小さい頃にしては……なかなか渋い方を推されていたのですね」
思った通りの
「……シダーさんなら、その方と肩を並べられるまで上がっていけると思いますよ」
「おー、うまいじゃんトレーナー、方と肩でかけたってコト〜?」
「え、いや、その」
南坂の無難な激励文句を突っつくネイチャ。ボケのつもりで言ったわけでは、と間もなく否定に入った彼の慌てように、思わずメンバーともども失笑してしまう。
「と、とにかく! これからはこの勝負服を着ながらの走りというのも磨いていかなければなりません。シダーさん、心構えもそうですが、勝負服の手入れの用意も──」
「よーし、じゃあシダーの言うそいつに宣戦布告だ〜っ! 行くぞシダ──ーっ!!」
南坂の発言をよそに、シダーの口にした誰かをライバルと勘違いしたのか、いつぞやの弓矢を取り出し部室の外に飛び出していったターボ。
「え、ちょ、勝手に……! 待ってくださいって! ちょっとー!!」
勝手に巻き込まれては堪らないシダーも慌てて後を追い、部室には三人が残された。
「そ、それよりもトレーニングを……」
力なく呟く南坂を横目に、ため息をついたイクノとネイチャ。カノープスのドタバタ劇は、今日も続く。
「──疲れた」
寮に戻るや、制服のまま椅子に座しくるくると回りながら呟くシダー。
あれからなんとか矢をくすねて帰ってきた彼女は、ひと悶着ののち勝負服を着ながらのトレーニングに励んだのだが、どうにも服に着られているというのか、感覚が妙に走りにフィットしてくれず、やきもきする状態が長く続き疲弊していた。
ドレスを着ながら走れば不便であろう、というツッコミは、勝負服が『物理法則の一切を無視し、着るウマ娘に不思議な力を与える』性質を持つ以上適切ではない。むしろ、増幅する力をコントロールできず苦しんでいるのだ。
イクノの経験則を聞く限り、この不協和音は単純に経験が少ないから、という理由に帰結するそうだが、シダーのそれにはもうひとつ明らかな理由があった。
「やっぱ君と被るのがなぁ……」
あの色彩を纏って走るたび、愛する名馬への憧憬が平静を奪うのだ。
走る間どうしても意識してしまうそれは、自分の走りを精神安定に全霊を注いでようやく形にできているような有様に落としめていた。
「どこ探したって居ないし、自分に代わりはできないんだぞ……」
あの配色の本来の持ち主を、未だ足取りすら掴めずにいる彼女にはプレッシャーとして強くのしかかる。
史実における血縁関係が友好関係に繋がることをルドルフ、テイオーの例から察していたシダーは一度、シービーに古い友人の名だと偽って訊いてみたことがあった。首を傾げるだけで済まされて不発に終わったのだが。
そんなこともあってか、目に見えない運命のような何かが自分を彼に仕立て上げようとしているのではないか? という考えが脳裏に浮かびつつあった。
動機は二転三転しながらも、自分で決断して進んできたと思っていた道筋は、彼のキャリアをなぞっているだけに過ぎないのではないか。
以前なら馬鹿げていると自嘲するそれは、一蹴することもできないほど膨張しシダーの思考を支配する。
しかしその大部分はすぐさま外的要因によって削り取られることになる。
「ふぅ……シダーさん、シャワー空きましたよ」
部屋のシャワールームから出てきたリオナタールの声だ。軽く伸びをしながら返事をすると、すぐさまベッドに放っていた寝間着を手にシャワーへ向かう。
「……ナタール」
その途中、タオルを掻き回すように髪を拭うルームメイトとすれ違う間際に、思わず呼び止めた。
「もし……身に起こる出来事を全部知ってる歴史上の人物に成り代わってしまった、みたいなことになったらどうする?」
「ほう……? 難しい質問ですね」
えらく突拍子もない問いだ、とナタールは驚いた様子で考え込む。
「好きにすればいい、とは思いますけどね。首を突っ込んでどう転ぼうと、責任をとる方法なんてないでしょうし」
考えた末に出た結論なのか、放棄した末に出た暴論かは判断がつかなかったが、ナタールは最初にそう口を開いた。
「なすがままに流される選択肢だってあると思いますし、むしろそれで見えるものもあるかもしれません。結局のところ、どれくらい事なかれ主義か、によるでしょうが……」
選択は当人の自由だとし、そこで言葉を止めた、いや溜めた彼女は、挑戦的な声色で回答を口にした。
「──自分なら、もっといい未来にしよう、と動くでしょうね」
「……そう」
流されはしない、そんな力強さを感じさせる答えを聞き届けたシダーは、その後短く礼を言うとシャワールームへ向かっていった。
次回、やーっと皐月賞。今のところオチだけ書いて中身がすっからかんなので見通しは何もかもが不透明です。
亀更新が続く近頃ですが、これから先もご愛顧くださればより幸いでございます。