理想とは斜め上に行くものである   作:J・イトー

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明けましておめでとうございます。今年もご愛顧よろしく願います。

ラスト、深刻な史実改変が示唆されるので注意。


変遷と尋問のバタバタ見舞い劇

「──は」

 

 シダーの目覚めは、意外にも穏やかだった。

 辺りを見回せば、最後に見たはずのターフはなく、どうやらベッドに寝かされていたようだった。バスケット一杯の駄菓子の詰め合わせを傍に認めながら、彼女は記憶を辿り始める。

 

「ん、自分は確かレースをしてて……あ、体はもう自由なのか……?」

 

 纏っていた勝負服は簡素な患者衣に変わっていたし、体を奪い合った相手の声はもう聞こえてこない。まさかあの一連の出来事はすべて夢だったのだろうか。

 

「いや待て、じゃあなんで自分はここに」

 

 夢であってくれないかと願ったが、それならば病院らしきこの場所にいる経緯の説明がつかない。何よりレース場へ持ち出した手荷物がそばにあったことが、その見当を後押しした。だとすれば自分はウイニングライブをすっぽ抜かしたことになり冷や汗をかいたが、もう後の祭りだ。

 何はともあれ、アスリートとして長い居付きは御免こうむりたい場所にいることを悟った彼女は、気怠げに上体を起こした。

 

「……なんだこれ」

 

 間もなく、何やら違和感を覚える右腕を目の前に持ってくると、なにやらテープ等で固定された針が刺さっていた。繋がっていたチューブの先を追うと、どうやらこれは点滴の類であると思えた。

 

「え、はっ、そんな寝てたのか? 自分……い、痛てててっ!?」

 

 どう考えても健常者に打たれるべきではないそれに、体の異常を疑い始めたシダー。すると待っていたかのように、四肢へ激痛が走る。

 引きちぎれるような痛みにしばらく悶えていると、シダーの声を聞きつけたらしい看護師が部屋へ押し入ってきた。

 

「どうしまし……お、起きてる!? あーあー、落ち着いてください!」

 

 シダーのもとへ駆け寄った彼女は、こちらをなだめながらもナースコールを掛けて関係者の招集に動く。

 

 ──やがて痛みが治まり、主治医らしい人間も駆けつけてくると、シダーはいよいよ事の顛末を聞くことになった。

 

「ひとまず、意識が戻って何よりです。それに随分落ち着きになられたようで」

 

 呼ばれたのは、以前若葉ステークス後の診察のときにも対応してくれた医師だった。

 

「あーはい、どうも……はは」

 

 まだ何がどうだかはよくわからないが、当たり障りなく接しておく。いい加減、自分の容態を知りたかった。

 

「結論から言いましょう。あなたは、筋肉に重度の炎症を起こしながらここに運ばれ……三日間意識不明の状態でした」

 

 数日単位で意識を失っていたことをあっさりと聞かされ、シダーの体が硬直する。

 

「本当……ですか?」

 

 ええ、と医師は返した。動揺の中、日めくり式のカレンダーを見つけ凝視すると、確かに日付は皐月賞の三日後を示していた。

 タチの悪いドッキリとも思えず、目を泳がせ呆然とする彼女だったが、もうひとつの問題へ触れていないと気づき口を開いた。

 

「で、では……筋肉の炎症というのは……?」

 

 恐る恐る訊いたその質問に対し、医師は少し唸りながら返答した。

 

「簡単に言えば筋肉痛です。筋肉痛なのですが」

 

 文に起こせば、肩透かしを喰らうような回答。しかし困惑しているような医師の表情からは事態の難解さは見て取れた。

 

「状況を考えれば、このダメージ具合は奇妙なのです」

 

 言葉を選ぶような語り口からは、人物が同じだけに若葉ステークス後の診察のような既視感を覚える。

 そして彼はあることを口にした。普段の自分の走りを鑑みれば──どうやら南坂に聞いていたらしい──、当時のシダーのスパートの速度はとても重度の反動なしで出せるものではなかったこと。つまりものすごい筋肉痛で()()()()()ことが奇跡だということを。

 

 そこまで聞いて、この流れに則るならばまともなことは言われないだろう、とシダーが身構えたところで、まさにそのまともではないことが突きつけられた。

 

「以前、ウマ娘が肉体の限界を踏み越える例がある、とお話ししたことがありましたね?」

 

「ええ、確か領域……と言いましたか」

 

 ファンタジックなことがあるものだ、と聞いていたあの頃の記憶を辿りながら相槌を打つと、医師は会話を一歩進める。

 

「あのような出鱈目な末脚は、領域と見なければ説明がつきません。そしてそれは著しい消耗を代償としながらも、反対に言えばそれ以上の反動を要求しない現象……のはずでした」

 

 彼はわずかに視線を逸らしながら口にした。

 復習のように言及したその話題から、言わんとすることを察したシダーへ焦りが滲む。あの日もうひとりの自分に突き動かされて捻り出したデタラメな力は、外から見ればそう映るはずだ。

 

 もしそれを理由にドクターストップを言い渡されれば、あの場で彼を止めた意味がなくなってしまう。

 

「あれを領域の一種と定義するならば……そして、それがあなたにあの走りを否応なく強いるならば、キャリア続行は多大なリスクを孕むことになります」

 

 あのスパートの原理を領域と定義するなら、そしてそれが肉体への重度なダメージと引き換えに発動されるタイプの代物であるならば。同じことが起これば次はない、と言外に主張する医師。

 確かに、あのときもうひとりの自分にブレーキをかけずにいたらどうなっていただろう。限界を超え、さらにもう一段階ほど不当に超えていった自覚が残っていたシダーには、そこへ肉体が明らかに追いついていないこともはっきりと覚えていた。

 著しい消耗()()の代償で常識を踏み越えられる、乱暴なローリスクハイリターンとも言える領域というフィルターがあったからこそ、自分はギリギリこの程度の損傷で済んでいたのではないか。

 そこへ考えが至った彼女は、縋るように懇願した。

 

「そんな……何とかならないんですか?」

 

「落ち着いてください。こちらとしてはこのようなあやふやな理由でどうこうと強制はできませんから」

 

 しかし、懇願は取り越し苦労に終わった。考えてみれば理系の信奉者といっても過言でない職の彼らが、出走停止の口実にそれを扱えるはずもなかった。

 

「まあ、そのあたりの話は、一度間を置いてから考えても遅くないかと」

 

「ううむ……まあ、そうですね……」

 

 起きたばかりなのだから頭を冷やしてくれ、と遠回しに伝えられ、一度矛を収めるシダー。

 現状を認識したところで、そういえば、と自分が気を失っていた間の時間に意識が向いた彼女は、ある質問をしようと決めた。

 

「……誰か見舞いには来てましたか?」

 

「ご家族……両親のお二人が。それと学園の同じチームである方々も来ておりました」

 

 む、とシダーが洩らす。三日もあればそのくらいは来るか、と当然の結論に至ったところで、傍の駄菓子類の意味をようやく理解した。

 話すことはもう出し尽くしたのか、医師はひとまず安静に、と念押すと退室していった。

 

「……あ、母さんやネイチャたちに何て言おうかな」

 

 次の見舞いでの言い訳をどうしようか、という壁にぶつかることになったが、こればかりはどうしようもなかった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「じゃ、とっとと治して頑張んなさいね」

 

 その言葉とともに、踵を返して病室を去る母を見送る。

 意識を取り戻して一夜明けた今日この頃。娘の見舞いにやって来た彼女は、意識のない中での一度を経たからなのか、思いの外平静な面持ちだった。

 

 心配をかけすぎた、と詫びれば「ぶっ倒れるくらいのめり込めて一人前」と豪快にいなされた出迎えのシーンを回想しながら安堵の息を吐いたシダーだったが、それから間もなく発されたある言葉が頭から離れずにいた。

 

 ──あなたがターフの上でどうあろうと、私の可愛い娘であることは変わらないから。

 

 後腐れだけはないように、とも言い添えたそのメッセージに、後から考えれば「死なない程度に好きにしろ」という激励の表れだったのだとその会話を振り返った彼女は、一つ決意を新たにすると次の訪問者を待った。

 

「シダアアアああぁぁっっ!」

 

「わわっ」

 

 母の退室から数分後。入れ替わるように飛び込んできたターボの声に、驚きながら出迎える。やがてシーツを握り込んで泣きつくようにした彼女をなだめんとしていると、遅れて他のメンバーが入室してくるのが目に入った。

 

「騒がしくて申し訳ありません」

 

「ホントホント。ま、ターボが黙ってられるワケないとも思うけど」

 

 頭を掻きながらターボの非礼を詫びる南坂に、皮肉げに突っ込んでいくネイチャといういつも通りな調子の二人に頬を緩ませていると、傍の棚に新たな土産が置かれた。

 

「意識が戻ってよかったです。無事で安心しましたよ」

 

 見れば追加の駄菓子や、なんらかの書籍も含まれていたそのバスケットの持ち手は、イクノの掌に握られていた。

 後頭部を掻き苦笑しながら応えたところで、シダーは一同に見舞いの礼をしようと口を開いた。

 

「心配かけてすみません、土産まで貰ってしまって」

 

 いいってことよ、とネイチャの返事が真っ先に飛んでからしばらくして、ターボのぐずりが止んだところでシダーはある話題を切り出す。

 

「その……どうなりましたか、皐月賞?」

 

 それはあの日、結局確認していなかった勝敗についてだった。知らないのですか、と南坂含む一同に驚かれたが、実は必死で覚えていなかったのだ、と言うとすんなりと教えてくれた。

 

「……ハナ差での、テイオーさんの勝利でした」

 

 やはり、とその言葉を受けたシダーが俯く。

 

「覚えてないの? 2着のアンタがいないせいで、4着の娘がライブに行くことになってたんだからね」

 

 他にもいろいろ大変だったんだから、と皮肉げに口にするネイチャに、思わず頭を掻く。

 

「その……すみません。まさかこんなに大事になるなんて」

 

「あーいや、アタシらに謝られてもっていうか……いや心配させた分、悔い改めてほしいっちゃほしいんだけど」

 

 詫びを入れてみれば、いまいちぱっとしない反応のネイチャ。バツが悪そうに視線を彷徨わせた彼女は、間もなくこう続ける。

 

「……ねえシダー、こないだアタシとした約束、覚えてる?」

 

「約束……ですか?」

 

 身に覚えのない言葉に、おうむ返しをしてしまうシダー。するとネイチャは、なにやら大げさな反応を見せた。

 

「やや、覚えてないですと? いやー困っちゃったなー、もっかい言うってのも恥ずいなぁー……」

 

 どこかクサいその言い草に違和感を覚えていると、ネイチャはメンバーらの方へ振り向き、こう言い放った。

 

「悪いんだけど、ちょっと二人きりにしてくれない?」

 

 え、と突然の申し出に洩らす南坂に構う様子もなく、彼女は続けて言い募る。

 

「ごめんごめん! うら若き乙女の秘密ってことで! ああほら、悪いけどイクノとターボも!」

 

「わわっ、待ってください、ネイチャさ──」

 

 出口へ押し出す形で、一行を部屋から追いやっていったネイチャにきょとんとしていると、やがて戻ってきた彼女はなぜか神妙な面持ちに変わっていた。

 未だ約束の心当たりがないシダーは、当然の問いをぶつける。

 

「あの、約束って──」

 

「ない、ただの嘘」

 

 しかし、質問は即座に切り捨てられた。まさか人払いの方便に使ったのかと勘繰ったシダーだが、その頃にはすぐ目の前までネイチャの顔が近づいていた。

 

「……今のアンタは、アタシが知ってるシダーってことでいいの?」

 

 そう瞳を覗き込みながら訊くネイチャの言葉に、遅れて意味を噛み砕いたシダーの心臓が跳ねる。

 

「な、なんのことで──いっ」

 

 シラを切ろうとすると、押し込むように顔をもう一つ近づけるネイチャ。

 

「……今は知ってる方ね」

 

 納得したのかそうでないのか、体勢を戻した彼女は、ひと呼吸置くとまた口を開く。

 

「……あのとき、脚にとんでもない負荷をかけて走ってたって聞いた」

 

 少し前に別の人間からも聞いた総括を、微動だにせず聞き入る。

 

「負けたとき、アンタがらしくなく叫び散らしてたのも、ずっと見てた」

 

 しかし続けられたその言葉に、シダーの耳が揺れた。

 

「今の今まで、それなりにアンタのことは見てきたつもり。これでもキャプテンだし。まぁケガってのもあったんだけど……その上で訊いてみたくて」

 

 そうネイチャは頬を掻きながら、なにやら着地点を探すように口にしていたが、やがてそれを見つけたのか再び神妙な面持ちに戻るとこう訊いてきた。

 

「あのときのアンタは、本当にアンタだったの?」

 

 先ほどよりも明快に尋ねられたその質問に、またも心臓の跳ね上がる中シダーは言葉を探す。

 

「な、なにを言っているのか──」

 

「じゃあ質問を変える」

 

 とぼけてみれば、その勢いのまま方向を変えてみせるネイチャ。どうやら有耶無耶のまま逃す気はないようだ。

 

「アンタは最初から脚を壊す気で走ってたの? これは絶対に聞かせて」

 

「……それは」

 

 違う、と即答できる質問だったが、シダーはためらった。

 そう口にすれば「では何故あの走りを繰り出したのか」と問われることは明白であり、それに対する回答を彼女は持ち合わせていないからだ。

 

「……なんでよ。違うって言ってよ……!」

 

 その躊躇のツケは、すぐさま望まぬ形で支払われる。ただし、答えるも難し、答えぬも難しというこの状況ではどうしようもない失点だった。

 

「あんなに……ぶっ倒れるまで、なにかを憎んでるように走って、叫んで、それがアンタの本性だっていうの!?」

 

 結局なされたその質問に、選択を間違えたことを悟ったシダーは歯噛みするも、構わずネイチャは続けてきた。

 

「アタシは認めない……そんな理由で走って、いや、走らされてるっていうなら──」

 

「──黙ッテ聞イテイレバ……!」

 

 しかし、そこへ割り込む存在があった。外に追いやったターボらのものではないその言葉に、ネイチャが詰まっていると、その襟元を掴んだ()()()()()シダーは目を血走らせながら言い募る。

 

「オマエニハ分カルマイ……! コノ偽リノ世界ニヒトリ迷イコンデシマッタ者ノ思イナド……!」

 

「アンタ、何を言って……いや──」

 

 豹変し、額へ青筋を浮かばせながら言い募ったチームメイトに困惑するネイチャだが、それこそが自らが口にした()()()()()()シダーであることを悟った彼女は、すぐさまマインドを切り替えていた。

 

「アンタの勝手で、シダーの体を壊そうなんて──」

 

「勝手トナ……?」

 

 なじれば不思議そうに首を傾げる何者かに、苛立ちを募らせるネイチャだったが、次ごうとした言葉はもう一つの言葉でせき止められる。

 

「ワタシニ勝ッテ欲シイ──此奴ハソウ望ンデイタハズナノダガナ……アァ」

 

 メタ的な視点からの発言に、ネイチャは解らない様子だったが、あることに気付いたらしい何者かは、この発言の補足を切り捨てるとこう言った。

 

「ソウイエバコノ体……イヤ種族ハ別世界ノ名ト魂ヲ継グモノ、トサレテイルノダッタカ」

 

「それがどうだと──いや」

 

 唐突にウマ娘という種が宿すとされる神秘を持ち出したシダーの言を、一蹴しようとして気付くネイチャ。

 ずいっ、と顔を近づけられた彼女へ向け、気付いたその通りの事実を突きつける。

 

「──最初ニ言ッテオク。ワタシガコノウマ娘ノ、()()ダ」

 

 そんな、とネイチャは詰まった。

 もし真実であるならば、この魂は別世界の自分を使い潰すに等しい所業を行っていることになる。

 そこまでする理由はなんだ、と努めて冷静に問いかけようとする前に、相手は語り始める。

 

「尤モ奴ノ……テイオー二敗レタママ取リ残サレタ、哀レナ亡霊ニ過ギヌガナ」

 

 自嘲するように口にされたのは、シダーが敗北の運命を背負っていたことを示唆する言葉。

 その前の言葉を鵜呑みにするなら、という但し書きはつくものの、未来を語るに等しい行動に唖然としたネイチャだが、構わずに相手は続ける。

 

「ココニハ()()()()()モイナイヨウダガ、テイオーサエ居ルナラバヨイ、ヤツサエ倒セレバドウナロウト構ワヌ、ソノハズダッタ」

 

 先に挙げた二人は、ネイチャの知らない名前だったが、この魂にとって気の置けない仲だったのだろうか。

 そんな考察をする間に、シダーに浮かぶ青筋が明度を増していることにネイチャは気づく。

 

「ダガ、コノザマヨ。コヤツガワタシヲ止メナケレバ、アルイハトイウトコロヲ……」

 

 腹立たしげに口にしたのは、ネイチャが知る方のシダーへの恨み節だった。

 

「……ココヲ逃セバ、モウチャンスハ無イ。ヤツト競ルコトモモウ無イ、終ワリヨ」

 

 一瞬間を置くと、諦めたように呟く──正確にはダービーもあったが、それは彼にとって回数に含まれていなかった──。

 

 言いたいことは言い切ったのだろうか、眠るように目を閉じようとするシダーの肉体。するとその胸ぐらをネイチャは掴んだ。

 

「そんだけ? 言いたいことは」

 

 静かな怒気を滲ませる彼女から、まだ逃がさないという意志を感じ取ったシダーは苛立たしげに額を歪ませる。

 

「アンタが何を見てきたのかは知らない。何を思って生きてきたのかも、分からない」

 

 けど、と息をついてから放ったのは、彼女にとってとびきりの啖呵だった。

 

「──死んでも倒すって相手がテイオーしかいないってのは、思い上がりすぎなんじゃない?」

 

 強敵なら、今目の前にだっている──それを遠回しに宣言する言葉へ、シダーは面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 

「本気ノヤツニ……一度モ勝テナカッタ貴様ガ、ソレヲ言ウノカ」

 

 もうひとりの自分の記憶を読み取って知ったその結果を告げるシダーに対し、ネイチャは意外にも鼻で笑ってみせる。

 

「アンタの知ってるアタシは、そうだったのね」

 

 むしろ好都合といった様子のネイチャは、もうひとつと言わんばかりに宣言を行う。

 

「ねぇ、秋までは逃げないでいて。アンタが言う運命っての、覆してやるから」

 

 遠回しに菊花賞でのテイオー打倒を口にしたネイチャ。ぴく、と額を歪ませたシダーだったが、それが否応なく不履行に終わることを知っている彼は、ある捨て台詞を吐いた。

 

「ヤツガ……ソコマデ保テバヨイガナ」

 

 な、と洩らしたネイチャが襟元を掴む力を若干緩めたと同時に、シダーは気を失った。

 

「ねぇ、どういうこと!? 起きてって!!」

 

 発言の意図を問い詰めようと体を揺らしてみるも手応えがなく、首を虚ろに振り回すだけだったシダーだったが、少しして彼女は息を吹き返した。

 

「──ぷはぁっ! はぁ、はぁ……」

 

 思いきり息を乱した彼女の様子から、時間切れを悟ったネイチャは歯噛みしたが、敵意のない視線を受けて我に返るとシダーを解放した。

 

「シダー……アンタ一体なんなの……?」

 

 並の二重人格では済まされないこの出来事に、そう呟くネイチャ。しかしシダーは、よほど体力を使っていたのか息絶え絶えに黙秘を貫いた。

 

「すみません……ひとりにしてください……」

 

 ようやく口を開けば退出を懇願してきた彼女に、頭が冷えきったネイチャは押し黙ると背を向ける。

 

「……メチャクチャしてごめん。どうしてもアンタの気持ち、知りたくて」

 

 暴挙を詫びると時計を見やったネイチャは、面会の時間制限が迫っていることを知って少し俯くと部屋を後にしようとした。

 

「……私は、投げ出したつもりはありませんから」

 

 扉へ手を掛ける間際に聞こえたその言葉に、わずかに頷いたネイチャはすぐさま退室する。

 患者への接し方として非常識極まりない一連の行動を、チームメイトらにどう言い訳すべきか考える間もなく、弁明の時は訪れた。

 

「ゲェ?! 帰ってきた!?」

 

 開いた扉前に、聞き耳を立てていた様子のターボがいたのだ。

 まさか追い出されたまま大人しくしているとは夢にも思っていなかったが、あまりにもわかりやすい振る舞いに思わず苦笑してしまう。

 

「ごめんね、時間ギリギリまで引っ張っちゃって。ちょっと溜まってた」

 

 ターボの慌てぶりには構わず、南坂、ひいてはメンバー全員に向けて謝罪を行う。本分である見舞いについては中途半端に終わっていたからだ。

 

「……それにしても、結構なお怒り様でしたが」

 

 頭を掻きながら南坂が口を開く。お咎めの言葉と裏腹に冷静な様子だったのは、一部始終を見ていたのもあるだろうが、彼もネイチャと同じく皐月賞でのシダーの走りに懸念を抱いたうちのひとりだったからだろう。

 

「まー、ちょっとおかしな背後霊といいますか……憑かれてるカンジだったんで、腹立っちゃって」

 

「……それは」

 

 覗かれていたなら包み隠すこともあるまい、と見たままを告げたネイチャに対し、主に動揺を見せたのはイクノだ。

 管理主義の理論派を自認する彼女には、議論の必要があるものと映ったのだろうが、まだその件について自分でも整理しきれていないネイチャはスルーを選択するほかなかった。

 

「なにそれなにそれっ! シダーが悪いやつに乗っ取られてたってこと!?」

 

「あー……それはね」

 

 シダーの豹変を悪霊の仕業と捉えたターボに詰まるネイチャだが、一概にそうと括りきれない背景を見ていた彼女はこう伝える。

 

「ま、あの娘はアタシみたいなすこーし拗らせちゃったコに付き合ってたってとこでしょうよ」

 

 今の自分と同じく、思う様に勝っていけず苦しんでいた存在だったのだろうとアタリをつけていたネイチャはそうフォローすると、ターボにまつわるあることを思い出し、ひとつ頼み事をしようと決めた。

 

「ねぇ、ターボの次走、再来週くらいだったよね」

 

「う、うん」

 

 直近にダービートライアル・青葉賞への出走を控えていたターボにそう訊くと、よく解っていない顔で頷いた彼女に対し、ネイチャはある要請を行う。

 

「──そこで勝って、ダービーに出て。そんでテイオーをぶっ倒してやって」

 

 それは、ターボが終生のライバルを自認する対象の打倒だった。身内から最大のライバルが倒されるところを目の当たりにすれば、もうひとりのシダーも黙っていられないだろうと思ったからだった。

 尤も、怪我の程度からみてシダーがダービーを回避する可能性は低いとは考えていたネイチャだったが、今の精神状態の彼女が打倒するには、テイオーは難しい相手であることも悟っていた故の頼みだ。

 

「そうしたら、シダーも、もうかたっぽのシダーも元気になる……?」

 

 珍しく弱腰なその言葉に対し、はっきりと頷いたネイチャ。

 それを受けたターボは頭をガンガンと叩くようにして自らを奮い立たせると、こう応えた。

 

「じゃあターボ、テイオーにぜったい勝つ! 全開で頑張ればやれるってとこ見せてやる!」

 

 力強く宣言した彼女に対し、その意気だ、とガッツポーズで応えたネイチャは、苦笑する南坂に目配せするとひとつ大きな息を吐いた。

 

「そんでシダーの病気もぜったい治るって信じさせてやるから!」

 

「……いえ、シダーさんならすぐ退院して帰ってきますよ?」

 

「えええええ!? マジで!?」

 

 意気込んだはよいものの、シダーの容態を勘違いしていたらしいターボが南坂の指摘を受けて驚愕の声を上げたところで、一行の笑い声が響く。

 

 院内ゆえにボリュームは控えめだったが、ようやく調子の出てきたチームに、ネイチャは決意を新たにするのだった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「お世話になりました」

 

 見舞いから間もなくして、シダーは退院が決まった。

 まだ炎症は治まっていないので松葉杖を使うことになったが、病室で寝たきりよりはいくらかマシだった。

 

 受付の人物に礼を述べながら出口の扉をくぐった彼女が、まだ慣れない杖の感覚を掴もうとしていると、眼前の道路を救急車が通過した。

 

「なんだなんだ……?」

 

 野次馬ばりに呟くと、間もなく停止したその車両を目で追った彼女。何の覚悟も打算もない行動であったが、そこに叩きつけられたのはあまりにも衝撃的な事実だった。

 

「は──?」

 

 短く洩らしたシダーの視線の先には、まだここに現れてはいけない人物が存在していた。

 

「な、なんで──ぐっ」

 

 まさか。いや、だとすればあまりにも早すぎる。

 我も忘れて杖を片方取り落としたシダーの足に痛みが走るが、目の前の出来事を前にしては霞み去るのみだった。

 

「……何してるんだよ」

 

 そう洩らし立ち尽くす彼女の眼には、苦悶に満ちた表情のまま運ばれてゆく知人の姿があった。

 

 あり得ない、そうシダーは状況の不可解さに慄く。仮にこの光景を目の当たりにすることがあるならば、せめて()()()()()()()()()()と思っていたからだ。

 

「まだだろ! なァ!?」

 

 自分の知る道筋との決定的な相違に、叫ぶ。

 

 

 

 

 

「──テイオーッッ!!」




絶対帝王、崩壊。
経緯は次回にて。
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