どうぞご照覧あれ。
「……では、またターフの上で」
荷物を片手に、共に寮を出たナタールはそう告げると去っていった。
右腕を上げて回答としたシダーに構わず、確かな足取りで歩んでいくこのルームメイトは、今この時より初めて敵同士となる。
「……ま、行くか」
突っ立ってばかりもいられず、南坂らと取り決めていた場所へ向かったシダー。
互いに背を向けて歩む彼女たちの姿には、まさに対照になったかのような心情が滲んでいた。
メインレース・日本ダービーの発走が迫る東京レース場。本バ場入場のタイミングを迎えた選ばれし18人が、ターフへ足を踏み入れんとしていた。
『二番人気・リオナタール、ターフにやってきました』
ルームメイトをひとつ後ろから眺める格好で地下バ道を抜けたシダーは、アナウンスが響くスタンド前へ歩みを進めた。客席に知り合いでもいたのだろうか、サムズアップを挟むと右へはけて行った彼女を見送ると、自らも芝とダートの境界を跨ぐ。
『そして三冠ウマ娘のミスターシービーが期待を寄せる、一番人気・シダーブレードが入場です』
『皐月賞ウマ娘・トウカイテイオーの2着につけた末脚は見事でした。このまま繰り上がれるでしょうか』
アナウンスと共に湧き上がる歓声に対し、平静を装い歩むシダー。間もなく客席最前列にてこちらへ指を立てるシービーを認めると、首肯を以て反応とし、そそくさと同室の後を追った。
「……一番人気、か」
アナウンサーが発していたその評価を、自嘲するように呟く。
本来ならば、目の前の同室にすら後塵を拝していたはずの人気順位。そのはずが、間接的にでも蹴落としてしまった者の座につくこととなってしまったのは、皮肉というべきなのだろうか。
『続いては大逃げを宣言する個性派・ツインターボ!』
ランニングに移った刹那、聞こえたチームメイトのコール。
威勢のよい声も聞こえてくる中、思い起こされるのは控え室でのやり取りだった。
『みんなも、シダーも、みーんなターボがぶっちぎる! ヒミツの作戦だって用意してるんだから!』
あのとき南坂にたしなめられながら口にしていたのは、そんな言葉だった。
チームメイトとはいえターフに立てば敵同士である以上、作戦を詳細に共有することはご法度。
それ故に仄めかすような言い方になったのだろうが、ターボが作戦など打てるタマだろうか、とシダーは訝しんでいた。
「……とにかく、前提は何から何まで変わってるんだ。どうなるやら、だな」
人数、顔ぶれ、そして種族──。
自分の知るダービーとは何もかもが変化したこの状況。精神的な不調は否めないが、彼女にもう退路は残されていなかった。
『──枠入りが始まっております、各ウマ娘、順調にゲートに入っていきます』
荘厳なるファンファーレを背景に、運命の扉へ足を踏み入れる18人の戦士たち。
シダーにとっては記憶よりもふたつ少ないそのゲートでは、親密な面々でいえば9番にターボ、11番にはナタールといった並び方をしていた。
『1番人気のシダーブレードも入りました』
『……少々覇気が無いように見えますね。やはりライバルを失ったことが堪えているのでしょうか』
意を決してゲートインすれば好き勝手にのたまうアナウンスに苦笑しながらも、図星だと内心自嘲していた。
『テイオーのみならず、ブレスオウンダンスも回避した本レースは、出走者にGIウマ娘なしという状況ですからね』
『はい。その分全員にチャンスがある訳ですから、ハングリー精神あふれるレースを期待したいところです』
そこまで言ったところで、大外枠までゲートインを終えた出走者たちはスタートの体勢に移ろうとしていた。
『さあ、最後のナントウミストもゲートに入りました。皐月賞を戴いた絶対帝王の去ったこのダービー、制するのはどのウマ娘か!?』
大きな歓声、大きな期待に包まれた大一番が、いま始まる。
『東京優駿日本ダービー、いまスタートしました!』
『各ウマ娘が、すーっと内に切れ込んで第1コーナーに向かいます!』
横一列で飛び出した18人のウマ娘。その先頭争いは、あっさりと一人の脚に制された。
「ターボ……全っ、かあああぁぁいっっ!!」
やはり信奉する大逃げを選んだらしいターボの遥か後ろから、苦笑をこぼすシダー。
『さあダービーでも大逃げか、9番ツインターボ! 初のGIでも気合十分です!』
そのアナウンスを皮切りに、歓声の色も一味変わる。
いるいないでレースが大きく変わる脚質だ、無理からぬ反応であった。
「……こうなっちゃ、いなくなった2人も気にしてられないか」
誰が欠けたか知る由もないシダーは、抜けたメンツ次第でペースが変わり得る、と懸念していた。しかしターボが行ったことで心配はなくなった──もとい、心配するだけ無駄になったと言えるだろう。
『さあ続くのは逃げ宣言の5番ネクストゥミー、そして18番ナントウミスト、5番のネオホーリースカイも行きました!』
皐月賞では先頭を取った5番もターボは抜けず、その他も普段の調子でのレースを試みていた。
「テイオーっ、見ててよおおっっ!!」
第1コーナーの中ほどまで来た刹那。その先頭の叫びが、やけに鼓膜を揺らしていた。
「ナタールちゃん、今日は先行なのかしら」
客席からレースを見守るチーム・リギルの重鎮、マルゼンスキーはそう溢していた。
呼んだ名は、今は前からおよそ8番手あたりを走るウマ娘のものであり、マルゼンにとってはよき後輩という間柄だった。
「おそらく前走で、末脚の切り方を掴んだのだろうね」
隣からそう応えたのは、同じくリギル所属のシンボリルドルフ。
そう、とどこか残念そうに洩らしたマルゼンには、複雑な感情が見え隠れしていた。
「誰しも君のように強く逃げられる訳ではないんだ。我流の確立もまた、先達として喜ぶべきだろう」
「うーん、そうなんだけどね」
諭すルドルフに、理解しながらも納得はできないという様子のマルゼン。なまじ逃げで2勝を挙げていただけに、自分の面影を重ねたところもあったのだろう。
それよりも、と目の前を駆ける先頭の姿を目に映したルドルフは、悪戯な笑みを浮かべるとこう投げかけた。
「見るべきな存在は、他にもいるんじゃないかな?」
そんな言葉に、マルゼンは勿論と言いたげに先頭を目に映す。
「ええ、ちゃんと見てるわよ。見てない訳ないったら」
後続に5、6バ身差をつけるその逃げっぷりは、痛快さすら感じさせる走りだ。とはいえ、去年に続き逃げウマ娘がダービーを制すか、と考える者は少数だったろうが。
「やはり、ああいった個性派がいるいないでは見方が大きく変わる。彼女は貴重な存在だな」
そう先頭のツインターボを評したルドルフだったが、なにやらマルゼンはどこか腑に落ちていないような表情を作っていた。
「ええ。あたしもそう思うわ。でも、あの娘──」
そこまで口にした彼女は、なにやら首を振ると言葉を打ち切ってしまった。
どうしたのか、とこちらを見つめるルドルフを尻目に、マルゼンは知覚してしまった違和感を消化せんと頭を回していた。
(──本当に、好きで逃げてるだけなのかしら?)
ただの個性派で終わらせるには、あまりにもギラついた眼差しを脳裏に浮かべながら。
皆様よいお年を。