幼女に厳しい世界で幼女になった 作:室戸菫はかわいい
東京エリア第1区に聖居はある。
ネオ・ゴシック建築とでもいう、骨に似た石柱の隙間から歪曲した窓ガラスや波打つように傾斜した門前などを持つ、生物的な曲線を多用した建造物でひときわ高い塔が目につくものだ。
その門をくぐれるのは、取材陣を除けば特異な功績を残した偉人やエリート官僚、聖天子の世話役などに限られる。
蓮太郎も先月、ステージⅤガストレアの撃滅を称えられ、叙勲式に招かれていた。
もっとも、記念すべき祝いの日を散々なものにしてしまったのだが。
しかし今回、蓮太郎はただの民警にすぎない。
聖天子から直々に護衛依頼をされたと聞き、依頼の説明を求めてやってきたのだ。
守衛に話を通せば、蓮太郎は彼らに前後を挟まれたまま、記者会見室に案内された。
そこにはパイプ椅子にまばらに座る職員と、ひな壇の上で演説の練習をしている純白のドレスを身にまとった東京エリア3代目元首――聖天子がいた。
「本日はお日柄もよく、お集りの皆様におかれましてもご清栄のこととお喜び申し上げます。さて、本日これからわたくしがお話しすることは3つだけです。たった3つ――」
彼女の演説は視線や呼吸の置き方、喋り方の緩急がほぼ完璧で、かつて天童の家にいたころ似たような練習をしていた蓮太郎は思わず聞き入ってしまうほどだった。
やがて一連の演説が終わり、聖天子がひと息つくと、彼女は蓮太郎の存在に気が付いた。
「ようこそいらっしゃいました、里見さん。時間通りですね」
聖天子が居住まいを正してドレスの前で優雅に手を組んで微笑むさまに、蓮太郎は思わずドキリとした。
「あ、ああ……そうだな……」
この微笑みとお優しい性格だ。人気があるのも頷ける。
聖天子は目配せして人払いをすると、壇上から蓮太郎の傍まで下りてくる。
隣に秘書と思しき眼鏡をつけた女性を伴っていた。
「清美さん、こちら里見蓮太郎さんです」
「里見蓮太郎……
「……ネットミームが何と言おうが俺は里見蓮太郎だよ」
ぎょっとした秘書をよそに、蓮太郎は近くで聖天子を見た。
笑顔は素晴らしいが、覇気がないようにも見える。疲れがたまっているのだろうか。
政務も楽じゃないのだろう。そう1度結論する。
蓮太郎はさっそく本題に入った。
「護衛って話だが、どういうわけなんだ?」
それに対して聖天子は表情を引き締め、ゆっくり、静かに口を開いた。
「里見さん。明後日、大阪エリアの斉武大統領が非公式に東京エリアを訪れます」
「斉武宗玄が?」
知っている名前に蓮太郎は目を見開く。
独裁で有名な髭男はこれまで東京エリアに見向きもしなかった。
なぜ今更根城を離れ東京エリアへ来るのだろうか?
聖天子は答える。
「わたくしがお呼びしたのです。里見さんは現在の日本が5つのエリアと5人の国家元首に統治されていることはご存じと思います。そして先日、急遽5エリアの元首全員と会談を設ける必要が出てきました。本日までに斉武大統領以外の方とは個別に電話会談を済ませております。しかし――」
聖天子の歯切れが悪くなる。
その理由を蓮太郎は凡そ想像できた。
「いちゃもんをつけてきたのか。あのジジイらしい」
聖天子は首肯する。
「はい。菊之丞さんがいる限り会談には応じない、と」
天童菊之丞と斉武宗玄は大戦以前から因縁ある政敵同士だ。お互い出し抜きたいと思っているので正面から会いたくないのだろう。
「でも、よく
「はい、わたくしが説得いたしました。日本のみならず同盟国と連携を密にしなければならないのも事実ですから、菊之丞さんには諸外国との会談をお願いしたのです。お恥ずかしながら、わたくしはまだ国外の政治家の名前を覚えきれておりませんので」
「へぇ…………」
蓮太郎は内心で聖天子の評価を上げた。
あの菊之丞を説得だと? 一体どんな手品を使えばそんなことができるのか。
同時に、顔色の悪さの原因も分かった。
大戦末期を生き抜き、国家元首にまで登り詰めた者たちはどいつもこいつもぶっ飛んだ危険人物だ。そういった人間たちと話をしたならば疲労もたまるというものだろう。
「で、護衛っつっても俺に何をやらせるつもりなんだ?」
「里見さんにはリムジンの中ではわたくしの隣に、会談中はわたくしの後ろに控えて警護してほしいのです」
蓮太郎は一瞬、言葉を失った。
「おいおい……そいつはつまり、ジジイの代わりを務めろってことか?」
「ええ、その通りです」
「それ、わかって言ってるんだよな?」
「…………なにを、ですか?」
蓮太郎は痛む頭を押さえ、聖天子に説明した。
天童木更と菊之丞は実質敵対しており、自分は木更についたのでこの護衛依頼を知れば菊之丞が激怒するだろうと。
聖天子はそれでも依頼を取り下げる気はないようだった。
「わたくしは天童のお家騒動まで関知して予定を組みません」
「
「…………」
「とにかく、アンタには元から護衛がいるだろ。なんだって俺に頼む?」
「それは、わたくしが…………」
視線を落とし、口調も弱々しくなる聖天子。
「アンタ、また肝心な情報を隠してるだろ。蛭子影胤事件の時、そのせいで俺らは酷い目にあった。依頼を持ってきてくれたことは嬉しいが、それでも姫様のワガママで割りを食うのはいつだって俺たちなんだよ。悪いが、他を当たってくれ」
「あ…………」
聖天子が伸ばした手は届かず。
秘書の「無礼ですよ!」という叱咤を背に、蓮太郎は部屋を後にした。
それから3分ほど歩いて、蓮太郎はやっちまったと後悔した。
言わなければいいのに、つい口から出て来てしまう。
木更さんになんて言おうか。やっぱり受けると部屋に戻るか?
とはいえ今から戻っても部屋にいないだろう。秘書の動きから仕事の合間に取った時間であったことは想像に難くない。国家元首の仕事は暇ではないのだ。
であればなおさらどうするべきか。
「いや……何考えてるんだよ。俺には関係ないことだろ…………」
だいたい、警視庁の警護ユニットに話を通せば済むはずなのだ。それをなぜ民警に持ってきたのか。コストをケチったわけでもないだろうに。
煮え切らない頭で蓮太郎が通路を歩いていると、正面から数人の男たちが近づいてくる。
「ふん……こんな
「あぁ? 誰だ、アンタ」
「僕か? 僕は
「アンタが……?」
保脇と名乗った神経質そうな男は30代だろうか。隊長としてあまりに若い人選だ。
言われてみれば確かにテレビ中継の端に居た。それ以上の活躍を聞いたこともないが。
そう、無駄に派手な服装は軍人のコスプレと言った方が正しいような連中だ。
これが聖天子付護衛官だと?
まだ黒スーツのグラサン大男の方が護衛として役立ちそうに思える。
そんな蓮太郎の内心を知らずか、保脇は言葉を続けた。
「くく、聖天子様の後ろに立つのは僕が相応しい。貴様はよく依頼を断ってくれたよ。わざわざ依頼を放棄しろと言わずに済んだからな」
「……見てたのか」
「ああ、聖天子様が隣の部屋で待機せよとおっしゃられたからな。腰抜けのドブネズミはさっさと巣に帰れよ」
ドブネズミは腰抜けじゃなくて気性が荒いんだぞ。
つい訂正しそうになるも、護衛官たちの失笑が神経を苛立たせる。
「そういうアンタらに護衛が務まるのか? とてもそうは見えないな」
「フン、僕の護衛計画に穴などあるものか。所詮貴様は落伍者、天童閣下直々に聖天子様の警護を任された僕の能力を理解できるはずもない」
「へぇ……アンタこそ俺たちが警備会社だってことを忘れてるんじゃないのか?」
「減らず口を。民警など、所詮は数合わせにすぎん。貴様こそ赤目に媚びを売られて生活するのはさぞ愉快だろうな?」
にらみ合う両者。
「…………おい、言っていい事と悪い事の区別もつかねぇのかよ、オマエ」
「貴様も悪魔に与する薄汚い人間に過ぎないと言ったのだ。真の人間はあのような半端者を許すはずがない」
蓮太郎は残った冷静な思考で思い出す。
そうだ。聖天子付護衛官などというのは天童菊之丞に最も近い役職。つまりその思想は菊之丞と同じく呪われた子供たちに差別的意識をもっているということ。
「僕が聖天子様を妃としてお迎えした暁には、奴らの真実を伝えるつもりだ。そうすれば聖天子様も目を覚ますことだろう」
「アンタ、何が護衛だ、結局そういうことかよ」
蓮太郎は舌なめずりをした保脇に生理的な嫌悪感を覚える。
「そうとも。そもそも、呪われた赤鬼共など、外周区で野垂れ死ぬのがお似合いなんだよ。まして人前に出るなど……汚らわしい」
その言葉が最後の後押しとなった。
蓮太郎はカッとなって保脇の胸倉をつかんで壁に叩きつけた。
うぐっ、といううめき声と共に、保脇の眼鏡がずれる。
「おい……もう一度同じことを言ってみろ、今度はその鼻っ面をへし折ってやる」
「た、隊長!」「貴様、何をするか!」「無礼だぞ!」
「うろたえるな馬鹿どもが!」
おろおろし始めた護衛官たちを保脇は一喝した。
緩んだ蓮太郎の腕を乱暴に払い、襟を整える。
そして、ずれた眼鏡の位置を整えると憎悪に燃えた瞳を細めた。
「殺してやる……殺してやるぞ、貴様。貴様だけが特別だと思ったら大間違いだ」
そんな捨て台詞を吐いて足早に逃げ去った保脇たちと入れ替わりで職員たちが駆けつけてきた。
緋色の空の下。
噴水広場のベンチに座り、蓮太郎は考え込んでいた。
事情聴取を受けているとき、職員がふと漏らした言葉が妙に気になる。
『恐れ多いことですが……最近、聖天子様の暗殺計画などというものがあると噂されているんです。それで聖居全体もどこかピリピリしていて……』
暗殺。
先の蛭子影胤事件――否、天童菊之丞が仕組んだテロ事件は実行犯の影胤が東京エリアを滅ぼそうとしたからわかりにくいが、菊之丞本人に聖天子を害する意思はなかった。実際話をしてわかったが、菊之丞の当代聖天子に対する敬愛は本物だ。
だからこそ、暗殺という直接的な手段に出るとは思えない。
ならば一体だれが計画するのか。また影胤が――いや、そうじゃない。
問題は暗殺計画があった場合、あの護衛官たちで防げるのか?
無理だろう。
思考に1秒もいらない結論だ。
これまでそういった事件を防いだという話を聞かない上、今日のうろたえようを見たらとても信用できない。
警護ユニットを雇えばそうでもないが、と考えたところで聖天子付護衛官はそこそこ広い決定権を持っているらしいことを思い出す。
つまり他の要人警護ユニットが付くのを。
「邪魔してるってわけか……」
実際に声をかけてきたのだから間違いないだろう。あの執着は並ではない。
つまり、現状暗殺計画があったとして、それが成功する可能性は極めて高い。
そして暗殺が成功してしまえば、世論はひっくり返る。
呪われた子供たちに友好的な政治家が一体何人いるというのか。聖天子が表立って行わなければゼロといってもいいだろう。
そうなれば延珠が再び学校に通うのも難しい――いや、ほぼ不可能になってしまうかもしれない。
それは、それは避けなければならない。
それ以上に。
このまま
依頼を受けよう。
そう結論をつけたところで。
「どこ見てんだゴルァ!」
「免許持ってんのかよおい!」
「っべーわー。足まじっべーわー。折れちゃったよォ、慰謝料払うよなァ!?」
噴水の前で少女ひとりにヤンキー染みた少年3人が詰め寄っている。
自転車から投げ出された少女は何が起きたか分からないといった様子だが、そこに容赦ない前蹴りが叩き込まれた。
「げほっ……」
少女は噴水のヘリに背中から激突し、肺から漏れ出た空気が苦痛を奏でる。
思わず目を瞑ってしまうが、ここで英雄的に助けを差し伸べるほど善人ではないと蓮太郎は自己評価していた。
当然、この場も見て見ぬふりをしようとして――隣に延珠を幻視した瞬間、体が強張った。
「…………くそっ」
延珠がいたら己はどうするか。決まっている。
蓮太郎はリーダー格の男に後ろから手をかけた。
・保脇 卓人
一部ではカルト的人気があるらしい。
プライドの高い事務であれば有能な男