幼女に厳しい世界で幼女になった 作:室戸菫はかわいい
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このSSを書きやすくしてくれてありがとう!
これは夢だ。
千寿夏世は確信をもって自覚した。
死の間際の走馬灯なのか、そうではないのかわからない。
何にせよ、夢だというなら見るほかないだろう。
――これは……懐かしい夢ですね。
夢はかつて
IISOは呪われた子供たちにとって、大人で言う就労支援施設に近い。しかしその実態は存在する国から給付金を受けて運営される営利団体。国によってその性格や方針は微妙に違い、善意で成り立っているわけではなかった。
最高齢10歳を働かせる時点でいろいろおかしい故、そのあたりは今更か。
IISOに預けられた子供たちはイニシエーターとして働くまでにいくつかの段階を踏むことになる。
まずは知能テストと実技テスト。年齢によって内容は変わるものの、その結果によってランク付けされる。なお、このランクはイニシエーターとしてのIP序列に影響するし、酷い結果だと突然消えたりする。
次は因子ごとの適性検査。半分ほどの子供たちは自分の因子すら理解していないことが多い。ゆえにここで適正にあった戦い方を学ぶことになる。
そして日々の訓練と学習。
もっぱら1日のほとんどはこの訓練と学習であり、自由時間はほとんどない。正確な時刻に起床し、午前は座学を受け、午後は実技に取り組む。日が暮れる頃には就寝だ。
特に精神面は重点的に矯正される。ガストレアを前に怯えては意味がないので復讐心や恐怖心を駆り立てるのは常套句。そんな無茶をするので限界を迎えて機械のようになる子供も珍しくない。
そうして鍛え上げた呪われた子供たちをイニシエーターとしてプロモーターと引き合わせる。その後はIISOも関与しない。相棒が死んで帰ってくればまた同じ訓練が待っているだけだ。
そんな様子からこの
それでも商品価値があるうちは抑制薬を貰えるだけストリートよりはマシなのだろう。
IISOに来る子供たちは後を絶たない。
そもそもIISOに来る時点で生活能力がないか、生活環境に不安があるわけだ。基本的に社会の底辺を味わって来た者たちであり、そんな子供たちが明るく元気というのは珍しい。
――そう、彼女は……アルは、そんな珍しい人でした。
「皆こんにちは☆ 私はアル。仲良くしようね!」
ある日、夏世が暮らしていた相部屋にアルはやってきた。
相部屋といっても10人近くがひとつの部屋で暮らす雑魚寝のような有様。
純粋に子供たちの数が多いのである。大体中絶禁止法が悪い。
――けれど、後から来た人は簡単に受け入れられません。
人格形成期に過酷な現実を味わった幼児にとって特にアルはうるさすぎる。
まるで、自分は悲劇と無縁だとでも言うような。
その僅かな違和感に子供たちは敏感だった。
――私も彼女が
加えて相部屋のメンツは多少
いつの世も新参に優しい世界などない。
だが、アルは諦めの悪い女だった。
ピリピリしている子供を「大丈夫? おっぱい揉む?」と誑かし。
「わぁ! これ美味しいね☆ 食べる?」稀に出るデザートで餌付けを試み。
「絵本読むよ~☆」滅多に使わない娯楽室から持ってきた本を朗読したり。
「もっとみんなのことが知りたい☆」などとほざいて隣のシャワールームに突撃し。
かと思えば何も言わずただ不安定な子供の隣に座る。
いい加減うんざりした子供に「触らないで!」と張り手を受けても気にしない。
そんな抵抗らしい抵抗をしなかったからだろう。
彼女の噂は別のグループにも伝わり、やがてそれは集団での
社会に排斥されてきた自分たちが排斥する側に回る。フラストレーションが溜まっていた彼女たちにとって、それはなんと心地よい体験だったことだろう。
娯楽の少ない施設だ。
そんな歪んだ悦楽に子供たちがハマるのも仕方なかった。
――皮肉にもこの
ひとりの損失で数十人の利益が上がるなら喜ぶのが資本主義的損得勘定だ。
夏世自身は参加しなかったものの、止めようとも思わなかった。
所詮は対岸の火事。なによりアルを学習能力のない馬鹿だと見ていたのもある。
肉体能力が低い代わりに知能が発達した彼女もまた、集団とのズレがあった。しかしなればこそ、余計なことをするより適度な距離を取って不干渉を貫けばいい。それが賢いやり方なのではないかと。
ただ。
「これも愛だね☆」
――それでも彼女は笑顔を貼り続けました。もはや呪いの人形と言われた方が納得できます。
アルが他の子供に絡んですげなく断られたり嫌がらせや実力行使を受けるという、そんな歪な光景が半年ほど続いたころ。
積極派が民警のペアとしてIISOを出て行ったのが理由のひとつだろう。
代わり映えのない
自分がされて嫌なことをなぜ他人にしてしまったのか。
自己嫌悪で不安定になる子供に、アルは容赦なく
「みんな辛いんだよね。苦しいんだよね。でも、そういうときはアタシが受け止めてあげる☆ 痛いことも悲しいことも恨めしいことも全部、アタシにぶつけて! そうしたら優しく抱き締めて甘やかしてあげるから☆ みんなの笑顔がアタシは見たいの!」
「ラブ&ピース! やっぱり愛だよね☆」
そうして子供たちは反動からか、アルに依存の矛先を向ける。
「お姉さま……私は……」「いいんだよ詩乃ちゃん。沢山愛してあげる」
彼女のすべてを許容する姿勢は、親からの愛情を受けずに育った子供たちにとって劇薬だったのだ。
「アルちゃん……今日は一緒に寝てくれる?」「勿論だよ心音ちゃん」
姉や妹替わりは定番。重症な子は母とまで呼ぶ始末。
「ママ……?」「うん、ママだよ☆」「ママぁ……!」「よしよし、可愛いなぁ」
アルはそれらすべてを笑顔で受け止める。
「このっ……クズ!」「いいんだよ、八つ当たりでも。愛は平等だから」「ううっ……!」
良い話にも見えるが、要するに歪さは変わらぬまま感情の方向が変わっただけ。
「痛いのやぁ……!」「大丈夫、痛いのがなくなるほど気持ちよくなろうね☆」「うん……」
一部は崇拝まではじめ、もはや小さな新興宗教が生まれつつあった。
誰かの代わりなどできるはずもないのに、それを笑顔でやろうとする狂人に夏世は。
――薄っぺらな笑顔が気持ち悪かった。だから、私は話しかけてしまったんです。
――「あなたはどうして生きているんですか?」と。
――その時見えた彼女の表情は、胡散臭い笑みすら浮かべぬ無でした。
――けれど次に映ったのは、背筋が凍るほどの笑み。まるで、待ち望んでいた言葉を貰った乙女のような。
――そこから彼女との奇妙な交流が始まりました。
「あ、夏世ちゃん今日のノルマお疲れ様☆」アルは他の子供と戯れている時でも夏世を見つければ笑顔で手を振り、「夏世ちゃんも一緒に人生ゲームしなぁい?」使用率の増えた娯楽室の遊びに巻き込み、「ここ、失礼するね☆」寝る時もできるだけ隣に居座るようになった。
夏世も夏世で、はじめは拒絶していたが次第に
――どうやら、私にも罪悪感はあったらしいのです。
そのようなことが重なり、夏世はひとつ気が付いた。
アルは訓練を受けていたが、その量は他の子たちよりも圧倒的に少なかった。その代わりなのか、研究員にどこかへ連れていかれていたのを頻繁に夏世は目撃した。
おそらく先の排斥もこれが一因だったのだろう。自分たちが辛いときにどこで楽をしていたというのか。そんな風に。
その実態すら知ることなく。
――ある時聞いてみたことがあります。何をしてるのですか、と。
――そうしたら彼女は。
「アタシの体って不思議だから、いろいろ調べたいんだって☆」
その時はそれ以上踏み込まなかった。
夏世はこの支部にネストと呼ばれる研究施設があると耳にしたことがあった。これまで不自然な出所をした子供たちはそこに送られたのだと想像するのは容易い。なぜならIISOが呪われた子供たちを受け入れるのは
――結局、怖かったんです。暗部というべきものに触れる勇気がありませんでした。
それが変わったのは夏世が訓練を、アルも検査を終えて部屋に帰って来た時。
夏世はアルの笑顔に違和感を覚えたが、すぐ子供たちに引っ付かれていつもの顔に戻ってしまった。
しかし、その日の夜にアルは夏世の布団に潜り込んできたことでその違和感は正しいものだったと確信する。
「アタシは、アタシはまだここにいるよね……?」
伏し目で告げられた言葉に、夏世はアル本人かを疑った。
笑顔で塗り固めた顔は恐怖と不安に歪んでいる。
「気持ち悪い手がアタシの体を触るんだ……外も中も全部全部……」
「アタシの体、急に溶けてなくなったりしないよね?」
「痛いってなんだろう、苦しいってなんだろう……アタシの心って」
まるでPTSDに苦しむ患者だ。
精神が不安定になる子供はむしろここでは多い。
だが無縁に見えたアルがそうなったのは驚きが勝る。
「ごめんねぇ、こんな話をしても困らせるだけなのに……」
結局、夏世はうまい返しを見つけられなかった。
下手に引き金を引くことが怖かった。
「お願い、今日はこのままで……」
アルは夏世の矮躯にしがみついたまま眠った。
――そう。私が知る中で、彼女が弱音を吐いたのはその一度きりでしたね。
――思えば、彼女だって私と同い年なのです。そして外で幸せを得ていたならここには来ていないだろうということも。
――周囲に受け入れられんと元気を演じてみれば子供からは拒絶され、大人たちには体を弄り回される毎日。今はともかく、そんなものを私は耐えられません。しかし、アルは……
――正義感、とでもいうべきでしょうか。私は愚かにも、そのような感情を抱いてしまったのです。
――私は彼女にできることを考えました。ここにいる限り彼女の境遇は変わりません。
IISOは基本逃げるものを追わない。無論、費やした負債を回収しようとはするが、それだけだ。しかし、アルは他とは違う扱いからそうはいかないと夏世は感じた。故に手段は脱走か、民警のペアになるか、密告か。民警のペアになるのも同じ理由で難しい。となれば脱走か密告だが、夏世に伝手はない。つまり実質脱走しかないのだ。
夏世は逃げよう、と言った。他の子供たちにも協力してもらえれば不可能ではないと。
アルはそれを断った。
「皆に迷惑は掛けられないよ」
――仮に脱走できたとして、
――職員たちがあの宗教じみた行動に何も言わなかったのは、こうして彼女に鎖をつけるつもりだったのかもしれません。飴と鞭とはよく言ったものです。
――本人の意思を捻じ曲げて行動を強要することは果たしてイイコトなのか。私は、わかりませんでした。
結局現状維持だった。訓練の厳しさは変わらず、子供たちの依存先は変わらず、検査もかわらず。
そのまま、安定した子供たちがどんどんペアと引き合わされていく中。
夏世は肉体能力の低さと友人を残していくわけにもいかない不安でIISOに留まっていた。
そうして座学のほぼすべてを暗記し、訓練ラインの見極めがついたころ。夏世は単独でも動くことにした。
つまり、今まで噂だった研究施設とやらがあるのか。である。
夏世は職員や警備員、監視カメラの隙をついて様々な部屋に潜り込み、ついに施設の設計図を見つけた。
それには空調用の配管が不自然な地下に伸びていることが示されている。
つまり、アルが連れていかれる扉の先には地図にすらない地下施設があるということ。
――設計図を見て、私は揺れました。このいかにもな場所に行くかどうか。
――しかし結局、私は見に行くことを選びました。私は好意を伝えてくる人間を疎ましく思い続けられるほど壊れていなかったのです。
第3支部は
――私の記憶力は非凡なものでしたから、ダクトがどこに続いているかを知るのは簡単でした。
――ダクトに潜んで、彼女が何をしているか、あるいは何をされているか覗き見ようとしたのです。
「行ってくるね☆」と手を振ったアルを見送った後、夏世は行動を起こした。
訓練ノルマを手早く終わらせ、トイレからダクトに侵入。
本来ダクトは人が通れるほど大きくはないし、仮には入れてもダンパという装置が邪魔で通ることはできない。
しかしこの施設のダクトにダンパや送風機はなく、つまり手抜きだった。
――そうして音を出さないように這って移動した先で、いよいよ彼女が連れていかれた部屋にたどり着いた私ですが……。
――思い出すだけで吐き気がします。あんなのは。
夏世はダクトの隙間から部屋を覗くと、そこはやはり研究室だった。
寝台のアルは手足を拘束されており、その左右に白衣姿の男が2人。周囲は心電図をはじめ複数のディスプレイと機械に配線が絡まらんほどに配置されていた。
男たちの会話を盗み聞く。
「今日はなんだ、電気か?」
「そうらしいな。前回は耐水検査だったか? もう何回もやってるだろ、あれ」
「まぁ、ネタ切れなんじゃないか? 上の方もさ」
「そうでも別にいいけどな。こうして楽しめるわけだし」
「ハハッ、違ない。さっさと始めようぜ」
「うい」
男が鉄の棒を2本取り出す。機械から電力が供給されているのだろう、打ち合わすとバチバチと音が鳴った。
男はそれを躊躇なくアルに押し付ける。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ゛」
感電した矮躯が魚のように跳ね回る。拘束具はガチガチと音を奏でた。
肉体が制御を離れて失禁。皮膚はプスプスと煙を上げる。
涙と涎が顔を濡らし、瞳は白目を剥いた。
「やっぱり50
「じゃあ100いくぞー」
「おう」
「ん゛ん゛ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛い゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ゛」
夏世の眼前で容赦なく電流がアルに浴びせられていく。
――彼女が受けていたのは検査などではなかったのです。もはや……拷問と言えるものでしょう。私は、こんなことなら彼女を連れ出すべきだった……ッ。
不幸なことに、夏世は混乱と焦りで音を立ててしまった。
誰だって目の前で拷問が始まれば驚く。
しかしこの研究員たちは仮にも優秀で、その音を聞き逃さなかった。
「ん、なんだ今の音」
「ダクト……か?」
動かなければ見つかる。しかし動いても見つかる。八方ふさがりに夏世は悩んだ。
飛び出したとして、力加減を誤れば研究員を殺してしまう。殺さずにアルを連れ出してもなんらかの追っ手がかかるのは想像に難くない。
そうこうしているうちに研究員がダクトをのぞき込もうとした。
夏世が身を強張らせるも、そのタイミングを見計らったか。
「あは……おじさんたち、これで終わり? ざぁこ♡ 前髪スカスカ♡ 非モテ童貞♡ この程度、ヨユー過ぎて眠くなってきちゃった♡」
白目を剥いていたはずのアルが研究員を煽った。
「なんだァ……こいつ……」
「このガキ!」
「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛!゛!゛」
イラついた研究員は
この生意気な
――私は命拾いしたのでしょう。彼女と目が合いましたが、それは助けを求める目ではなく、私を気遣う瞳でした。
「私は大丈夫」アルの視線の意味を夏世は正確に理解した。同時に、助けることで生まれる不利益を望んでいないことも。
結局、アルが泣き叫ぶ4時間、夏世は耳を塞いで耐えるしかなかった。
「あは☆ 酷い顔だよ、夏世ちゃん」
――何もできずに部屋へ戻った私を、彼女は抱き締めて言いました。
「私は大丈夫。夏世ちゃんがいればどんなことだって耐えられるから」
――ええ。いつの間にか、私も彼女の鎖になってしまっていたんです。何かしようと考えた時にはすべて手遅れで、私は、彼女と関わるべきではなかった。話しかけるべきではなかったんです。
夏世は聞いた。私たちが憎くないかと。
「そんなことないよ! アタシは皆が大好きだもん。夏世ちゃんは特にね☆」
嘘は言っていない。しかし、その言葉を真に受けられるほど夏世は無知でいられなかった。
「信じてない顔だね~? ふふ、それじゃあ行動で示してあげる」
アルは夏世の手と指を絡め、首、額、頬と次々口づけを落とした。
「みんなこれが好きみたいなんだぁ。夏世ちゃんはどう?」
――……あのような行為を不特定多数にしていたのは如何かと今でも私は思いますが。
「んふふ。これでも信じられないなら今日は一緒に寝よっか☆」
布団の中でアルと抱き合いながら夏世は決意した。
明日、皆に話して脱走しようと。
――しかし、そうはならなかったんです。
アルは出荷された。
朝、部屋にいないアルを気にかけた子供が職員に聞いたら帰って来た言葉である。
――それが方便だとすぐ気が付きました。大人たちの瞳が嘘を語っていたからです。
――それでも、彼女は私の手の届かないところに行ってしまいました。
――私たちの関係は、唐突に終わりを告げたのです。
――この後悔は、私が背負っていくべき罪なのだと、そう思っていました。
その後、間もなく将監と引き合わされたところで夢は終わった。
――そういえば、私はもう死んだのでしょうか。蛭子影胤はどうなったのでしょう。里見さんは勝てたのでしょうか。将監さんは……。
「おい、何時まで寝ぼけてんだ。さっさと起きろ」
――あっ……。
聞きなれた男の声がして、夏世の意識は水底から浮上した。
◆
薬品の匂い。柔らかいものに包まれている感触。青白い天井。
どうやら病院にいる、と夏世は理解した。
瞬きを繰り返しながら周りを見渡す。
網膜を通じて脳内に映った人物は、夏世のよく知る友人だった。
黒のジャケットを覆う桜色の髪が朝日に照らされて艶を帯びている。
身じろぎで気が付いたのだろう、目を細めてアルは夏世を見下ろしていた。
「アルちゃん……ですよね」
ぼんやりと現実感があやふやなまま、夏世は切り出す。
アルは夏世の左手を両手で包み込みながら答えた。
「うん。2年ぶり、夏世ちゃん」
「……私、生きてるんですね」
「当然。アタシも夏世ちゃんも生きてる。夢じゃないよ?」
「夢だったらどうします?」
「首切って死んじゃうかも☆」
「それなら……夢じゃダメですね」
夏世は上体を起こし、アルと向き合った。
「あれから、どうなりましたか」
アルはいつもの笑顔で答える。
「蓮太郎くんが全部やってくれたよ。蛭子影胤もゾディアックもやっつけて、東京エリアを救っちゃった。いまじゃ救世主だなんて言われてるよ、彼」
夏世は息をのんだ。
「ゾディアックガストレアが……それは、すごいですね……」
都市や国を亡ぼすガストレアを倒したとなれば救世主も誇張ではない。
同時に、夏世は彼が救世主と呼ばれていることが嬉しかった。
ああいう、優しい瞳の人こそ報われてしかるべきなんです。私たちとは違って――
「すごいのは夏世ちゃんもだよ?」
「え?」見計らったかのようなタイミングに思考が途切れる。
「夏世ちゃんがあの場でガストレアを引き付けたから、蓮太郎くんたちは背後を気にせず戦えたの。むしろMVPは夏世ちゃんまであるよ? 蓮太郎くんは集団戦が苦手だからね~」
そういうものだろうか。
確かに集団戦の想定をして殿を務めたものの、夏世はそこまで言いきれなかった。
「…………」
「あんな場所でひとり、よく頑張ったね。怖かったよね、辛かったよね。アタシはちゃんとわかってるから。だから夏世ちゃんをすごいって言うし、きちんと褒めるよ」
「…………っ」
夏世の背に手を回し、彼女の頭を胸に抱え込む。
花のような香りが脳を惑わし、緩んだ涙腺から溢れた涙はアルのブラウスに吸い込まれた。
「生きていてくれてありがとう。また会えてうれしいよぉ」
夢に見たからか。かつての記憶が夏世の脳を巡っていく。
けれど、その喜びを純粋に喜べない心がいた。より世間に汚れてしまった今の自分は。
「でも、私は……人を……っ」
人を守るはずの民警が人を殺めたという矛盾に、正常性が反抗する。
そんな夏世をアルはより強く抱擁し、狂気で答える。
「悪いのは
「分け合う、ですか?」
アルは見上げてきた夏世に頷く。
「アタシも人殺しなんだ」
「え?」
「殺し過ぎて何人殺したか覚えてないんだぁ。
そのセリフに夏世は絶句した。
わかってしまった。昔を知っているが故に、考え至ってしまう。
壊れてる。
彼女は壊れてしまったのだ。治らないほどに。
かつてはまだ至ってなかったのだ。そんな昏い瞳には。
――私が……連れ出さなかったから……?
今回会えたことで、どこかで生きていたと楽観的な考えを浮かべていた。
しかし現実は違った。生きていたが、それだけなのだ。場所が変わっても同じような拷問を受け続けていたのだろう。
そもそも、彼女が生きている理由すら。
「アルちゃんは……アルちゃんですよね……?」
不安に駆られて問いかければ。
「うん☆ 夏世ちゃんのことが大好きなアルだよぉ~」
笑顔だった。
見慣れた笑顔だった。
「あ……あぁ……っ!」
自分を抱き留める腕が、深い淵の底から這い出した魔手に思える。
――それでも……それでも、ここで逃げては……っ。
今の生活は悪いものではないのだろう。しかし、つなぎ留めておくには足りない。
もはや狂気を常世とするこの女は、このままだと
片手ほどの数しか残っていない友人を失いたくない。夏世はそう思った。
そして、そのためにはこの恐怖を抑えて
今度こそ、千寿夏世は躊躇しなかった。
「アルちゃんこそ……頑張りましたね」
「え?」
アルの手が緩んだ隙に、夏世はアルの頭に手を置く。
そのまま、髪を梳くように撫でた。
「あなたこそ、生きていてくれてありがとうございます」
「え? え?」
アルは笑顔のまま戸惑っていた。
「お礼を言っていませんでしたよね? 助けてくれてありがとうございます。アルちゃん、あなたが居なければ今頃私はガストレアの仲間でしたから」
「うん、え?」
「昔からそうでした。あなたは優しい。あなたはそれを上辺だけだと思っているのでしょうが、何もされない寂しさを知る私たちからすれば、それでも優しさなんですよ」
「ど、どうしちゃったのぉ? 夏世ちゃん、変だよ」
混乱したアルは精一杯の言い訳を述べる。
「失礼ですね、普段通りです。以前から言いたいと思っていたお礼を告げているだけです」
「え、えぇ……?」
怯えて後退ろうとする体を夏世は捕まえた。
「話をしたり、遊んだり、一緒に寝たり。私は嬉しかったんです。些細な日常がなによりも。それと私は回りの子供たちと話が微妙にかみ合いませんでしたからね。その仲介をしてくれたのも実は、感謝してます。ありがとうございます」
「な、なになに。どういう……コト?」
――つまりですよ。
夏世はアルの瞳を正面から見つめて言った。
「私こそ、あなたを受け止めてあげられます」
「え…………?」
言葉は聞こえた。しかし、アルはそれを理解できなかった。
受け止める? ナニヲ?
「私は、あなたを、受け止めてあげられます」
なので夏世は肩を掴んで、はっきり聞こえるように、ゆっくりと繰り返した。
「あ…………」
さすがに理解した。
数秒して。
ぽろぽろと。
獣の瞳から涙がこぼれだした。
「私は、大丈夫です。あなたを昔から知っています。あれから変わったとしても、あなたを嫌いになったりしません」
「……ほんと?」
泣き笑いで問いかけるその顔は、親とはぐれた子供そのものだった。
同じ子供だが、
夏世は瞬きをひとつ。断言した。
「本当です」
「……アタシのこと、好き?」
「大好きですよ」
「……いなくなったりしない?」
「しません」
「……死んじゃったりしない?」
「しません」
「……変なことしたら叱ってくれる?」
「ええ、飛びきりキツイのを」
「……アタシ、酷いことする。それでも、付いてきてくれる?」
「――――もちろんです」
「……あは☆」
やはり彼女で間違いなかった。
アルの全身を甘い痺れが伝い、歓喜に震える。勢いあまって口づけまでしてしまった。
夏世は驚きこそ浮かべたが、拒絶するわけでもなく小さな子供を抱擁する。
すすり泣きの声を、背中を叩きながら聞き続けた。
体感時間で数時間抱き合っていた2人。
ぐぅぅ、と夏世のかわいらしい腹の音が鳴ったのを合図に抱擁を解いた。
涙をぬぐう。
「……お腹、すきましたね」
「3日も寝てたからねぇ~。精神的なものだって医者は言ってたよ」
「そんなに……」
イニシエーターは基本1日で退院できることを考えれば長い方だろう。
ふと、夏世はそこで病室の壁に寄りかかる長身の女性が気になった。
圧倒的な胸囲がタンクトップの上からでもよくわかる。驚くほど艶やかな黒髪に、口元はドクロパターンのフェイススカーフで覆っている。どこか既視感のある彼女は夏世を睨め付けるように三白眼を向けた。
「アルちゃん……あの方は?」
「ああ、聞いて驚かないでね? 将監君改め――ショーコちゃんだよ☆」
「えっ」
「重症でねぇ……試験薬を使ったら、なぜか性別が変わっちゃった☆」
夏世の脳がフル回転した。
己がプロモーターを軽視していたわけではないが、目下の問題に気を取られていたせいで思案が遅れていたのだ。
ガストレアというフィクションの怪物がいる現代だが、性転換の薬など流布していないのは明白だ。つまり、これは十中八九厄介ごとなのだということ。
またひとつ、知らないことをアルは抱えているらしい。
「あ、はい……そうですか……」
夏世はそういうものだと受け入れることにした。
「そうですかじゃねぇよ、クソが」
「声は高くなっていますが、その悪態。やはり将監さんなのですね……」
「あァ? どういう判断基準してやがる」
「いえ……生きててよかったです。お互いに」
「ふん……テメェが死んだら商売できねぇだろうが」
「それもそうですね、将監さんだけだと暴力しかありませんし」
「あァ!?」
「
将監は頭をかいた。別に喧嘩しに来たわけではないのだ。
「初めからだよ、テメェらがわんわん泣きじゃくってんのは面白かったぜ?」
「驚きました。気を遣うということが出来たんですね、将監さん」
「……テメェ、今日は一丁前に吹くじゃねぇか。大層に自我なんか持ちやがって」
「へぇ~、ショーコちゃんは
「誰がンな話したァ!」
言って、将監は気づいた。女の体になった以上、風俗店には行けない……? いや、行くこと自体は可能だ。しかしその後は……。
そこまで考えたところで、思考を断ち切る。
「……将監さんは、私が自我を持つと嫌ですか」
ふざけた雰囲気を夏世の問いが吹き飛ばした。ずいぶん真面目な問いだ。
将監の脳裏に三ケ島社長の言葉が蘇る。
『ちょうどいい転機だから、前から思っていたことを言うがな。お前はわが社の民警として貴重な存在なのは確かだ。1000番台は伊達じゃない。しかし、だからこそ周りを見ろ。今までのように暴れるだけでは時代に取り残されるぞ。民警としての行いを改めてみろ』
良くも悪くも、将監は影胤との戦闘で自分の強さが絶対でないことを知った。
これで自信を喪失するほど弱い男ではないが、彼は今回の件で基本を思い出した。
戦いとは、自分の得意の押し付け合いだ。将監の得意が今回のような相手に通じなかったとき、相棒の得意がなければ競り負ける。
そしてその時、将監自身が命令を飛ばせるほど近接戦は甘くない。ならば自立ユニットとして勝手に動いてくれたほうが楽をできる。
そういった建前もあるが、結局のところは。
「テメェは、
「……はい」
見つめ合う両者。
白旗を上げたのは、将監だった。
「はン。なら勝手にしろや。仕事が出来りゃそれでいい」
「……はい!」
将監はそっぽを向いた。
一方、アルは笑った夏世を抱き締める。
「ん~! 可愛い! ちなみに教えると、序列は12000番から再スタートだよ」
「なるほど……」
つまり夏世の純粋な能力が1万台ということ。消して低いランクではなかった。
「ちゃんと頑張りは認められてたってことだねぇ~」
「……はい」
「あと、アタシたちだけならいいけど、将監君は死んだことになってるから、人前ではショーコちゃんって呼んであげてね」
「あ、はい」
夏世はこの女体化現象について深く考えないことにした。
ひと通り話すことは話した。なら、あとは自由時間だろう。病院側からも起きたら退院してよしと聞いている。
丁度いいし三大欲求を満たそうとアルは考えた。
「よし、それじゃあ焼肉行こうよ! ショーコちゃんの驕りね☆」
「はァ? ざけんなや! なんでテメェが仕切ってんだ」
「別にいいじゃんそんなことぉ。イニシエーターの衣食住はプロモーターの責務だよ~?」
「知ってんだよ。だがなんで他所のガキの面倒まで見なきゃなんねぇ」
「そりゃ大人だからでしょ~」
「ほんとムカつくなァ……力関係をわからせてやろうか」
「へぇ? やるんだ、アタシと?」
将監は右手を回してアルに近づくが、赤い瞳に見られたところで動けなくなる。
「クソ……なんつーズルだよ」
「誉め言葉として受け取っておくね☆」
その光景に夏世は驚きを覚えた。あの暴走特急が止まるのかと。
「アルちゃんは不思議なことが出来るんですね」
「うん。本当は夏世ちゃんにも教えてあげたいんだけど、まだ企業秘密☆」
そうですか。と夏世は食い下がらなかった。
話題は戻る。
「しかし焼肉ですか……病み上がりの体に焼肉は重い気もしますけど」
「でも嫌いじゃないんでしょ?」
「それは、はい」
「じゃ、決まり!」
「それはいいんですが……まずは将監さんの服装を整えてからですね」
「だね☆」
アルはベッドの下に隠していたバッグを取り出す。そこにはゴスロリからスーツまで、さまざまな衣装が入っていた。
「あァ!? ま、まさか」
アルと夏世はお互いを見て頷いた。考えていることは同じ。
2対の
危機を察知して逃げようとするも、また体が制御を離れた。
「おい、ふざけんなよそれ! やめやめろ!」
「ふっふっふ。よいではないか、よいではないか~」
「私、将監さんの体……気になります」
両手を開閉しながら近づく悪魔たちに、子羊は最後の言葉を振り絞った。
「俺は女物なんか着ねぇぞ、絶対着ねぇからな!」
「ミ゜」
・アル(10)
4歳児。3話時点だと0歳
・千寿夏世(10)
頼れるお姉さん
・先生ぇ(不詳)
頼れないかわいいお姉さん
・浸食率
延珠 41.6%
夏世 32.8%
アル 10.2%