かつ、と9階層に足を踏み入れた瞬間、リリはいつもとダンジョンの空気が違うと感じた。
「……」
とある冒険者が力が全く釣り合わない『中層』に籠っているという話を冒険者がしているのを聞いた。リリが気を利かせて気付かないふりをしていたアイズとの秘密の鍛錬で、
そして今。9階層の
ここでリリの中の疑念は確信となった。間違いなくあの女神がベルに『試練』を与えようとしている。その内容はベルのトラウマになっているあのモンスターと――。
「リリ……なんだかダンジョンの様子が……」
「ベル」
恐らく異変を察したベルが漠然とした不安を伝えようとしてくるがそれを遮り、背後から自分だけにぶつけられる途方もない威圧感を感じながら口を開く。
「私の予想が正しければ、もうすぐここに貴方より強いモンスターが現れる」
「……もしかして、何か知ってるの?」
「申し訳ありませんが答えられません。ただ一つ、言えるとすれば……」
顔を上に向ける。怪訝そうな表情をする少年の
「ベル――私は貴方を信じています」
それだけを言い残して地面を蹴る。シルバーバックの時と異なり、自分の意思で少年を置き去りにした。
勝って、と言わなかった。戦え、とは言えなかった。逃げろ、は絶対に口にできなかった。
「そんなことを貴方に言うなら……私は、その言葉を口にするだけの資格を示さなければならない」
辿り着くのは長大な空間。ベルを置いてきたルームに繋がる唯一の空間には、以前一方的に喧嘩をふっかけてぶちのめして侮辱してきた男――オッタルが立っていた。
前の邂逅の時、路傍の石でも見るような目をしていた男は何故か今は訝し気な眼差しをしていた。まるで大人しくここに赴かれたことが予想外だったような顔だ。そこはかとなくイラっとした。
この脳筋の考えていることなんてお見通しの少女は先んじて答える。
「ベルをミノタウロスと戦わせるつもりでしょう。お前が中層でミノタウロスの相手をしていたという情報くらい掴んでいます」
「ならば、どうしてここに来た?」
「決まっています――ベルを信じているからです。勝つか逃げ切るかの明言は避けますが」
「……」
「そして、彼への信頼が嘘ではないと証明するために……私はここにいる」
リリは兜を外した。『凶猛の魔眼』を封じる拘束具を。少年の美しい瞳から穢れた瞳を遮るものを。
そのまま持つ手に力を入れていき――バキッ、と兜を砕いた。もう役割を果たせなくなった装備の残骸が地面に落ちていく。これより始まる戦いに勝とうが負けようが、もう『凶猛の魔眼』を隠す術はない。服を裂いて布切れでも用意すれば別だが、そんなつもりは毛頭なかった。
オッタルは少女から迷いが消えたことを見抜いた。戦意を漲らせる少女にこれ以上の口上は必要ないと判断し、無数の武器を収めた背嚢を引き裂く。音を立てて地面に突き立つ得物の群れから大剣を掴んで引き抜き、両手で構える。
更にオッタルは『切り札』を切った。
錆色の髪がざわざわと揺らめき、ただでさえ巨大だった体躯が一回り大きくなる。四肢の筋肉が目に見えて膨れ上がり、大剣の柄が尋常ではない力で握られギシギシと悲鳴を上げる。巌のような鉄面皮が崩れ、煮えたぎる戦闘意欲を剥き出しにする戦士の面構えに変化する。
オッタルの切り札【
武人として出し惜しみを嫌った訳ではない。本領を発揮した【
「【魔槍よ、血と戦を求めし
瞑目する少女の唇が奏でる超短文詠唱。それは『凶猛の魔眼』を全解放するための呪文であり、最強の狂戦士を召喚する『魔法』である。
「【ヘル・フィネガス】」
リリの目が開かれる。瞳の色がより鮮やかな真紅となった少女は次の瞬間、
「――アアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
ダンジョンを震えさせるほどの雄叫びを上げた。
両者は次の瞬間、張りつめた空気を引き裂き、緊迫感で満たされる間合いを同時に食い潰す。互いに引き絞るのは殺意と必殺の意志を纏わせる武器だ。
槍と大剣を構える紛れもない都市最強の二人による殺し合いが今、始まる。
♦♦♦
甚だしい衝撃がダンジョンを震撼させた。途轍もない轟音がその上にある都市にまで轟いた。これがたった二人の人間が武器を交わしているだけだと誰が想像できるだろう。
「うぉおおおっっ!!」
咆哮とともに大気を焦がす大剣が振るわれる。それを迎撃するのは小さな身体を全て使って放たれる槍の一撃。逸らしても肌を裂いて出血を強いる剛剣に怯むことなく突き出された穂先を、男は肉を少し抉らせる程度に留めて回避した。
大男と少女の身体能力は前者の方が高い。獰猛と知られる種族の
「アアアアアッ!!」
また、小さく軽い者の方が素早いのも道理だ。力で叩き潰そうとしてくるオッタルを速度で引き裂こうとするリリ。死角に回り込んで
だがしかし、オッタルも
この死闘に卑怯はない。勝利を掴むために持てる全てを利用することは正道である。ハッタリやフェイントを幾度も仕掛け、
半身たる武器を捨てて相手の動揺を誘った少女が懐に飛び込み、鳩尾に肘打ちを捻じ込んだ。槍撃を避けずに受け止めて筋肉で固定した男が、骨にまで
女神への忠誠と少年の守護を誓う二人は殺し合う。まるで七日七晩戦い続けたような疲労がある。常に全力だ。死力は尽くした。限界なんかとっくに超えた。
長期戦はオッタルに味方する。彼には【
短期決着。少女にある道はそれしかなかった。そして少女が覚悟した時、男の勝利はその勝負に乗らなければ掴めぬものに成り果てた。
この戦いの行く末を決めるものは意志だ。相手を倒すという思いが強い者が、大切にする者への感情が大きい方が、より勝利に飢える者が勝つ。
振り上げられた大剣を受け止めたリリの足は地面を離れ、後方に弾かれる。空中で体勢を整えて着地したリリは大量の武器の残骸が散乱する広間の先に佇む敵を見据え、闘争の幕を引く勝負に出る。
「【世界が望むというのなら、それは私の
少女が吼える。全てを突破し、全てを蹴散らす詠唱を。彼女の至上の一走にして一槍を。
「【銀月の慈悲、黄金の原野。この身は戦の猛者を拝命せし】!」
男が唱える。その身に許されしたった一つの『魔法』を。彼が繰り出せる最強の一撃を。
「【貫け、愚かなる一槍、誓いの聖槍】――【マクル・ア・ボヴァル】!!」
「【駆け抜けよ、女神の神意を乗せて】――【ヒルディス・ヴィーニ】!!」
【
全身に熱が駆け巡る。戦意が臨界を迎える。心と意志が一つの願いを叫ぶ。
紅の瞳と錆色の双眼がぶつかり合う。
そして、
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!」
互いに地面を粉砕し、災害のような烈風を巻き起こしながら、間合いを刹那の内に零に変える。
極光の槍と黄金の絶撃が衝突した。
凄まじい力と力の衝突によって足元に巨大な
全身を殴りつける衝撃波に耐え忍ぶ両者の目には、極僅かに、けれど確かに押し負け始める――槍が映った。
勝利の予感も慢心も燃やして力にするオッタルが身体を前に傾けて大剣を押し込んでくる。重みを増していく剣に歯を嚙み締めるリリの膝が折れ曲がりそうになる。
ここまでしても世界には抗えないのか――目を眇める少女が屈しそうになった、直前。
「――」
オッタルの背後――8階層に続く正規ルート――から何者か達がやって来るのが見えた。『凶猛の魔眼』を解放したリリの視界は全てが紅く見える。剣を持つ少女の美しい金髪も紅い。双子のアマゾネスの艶やかな黒髪も、銀靴を履く
そのはずなのに……
そしてその碧眼は、救うべき弱者に向ける感情を滲ませていた。
「ッッッ!!」
怒りが突き抜ける。憤怒によって増幅した『凶猛の魔眼』の力が【猛者】を上回り、槍が大剣を打ち砕く。最強の一撃を破られたオッタルは肉と骨を木っ端微塵にする衝撃を受け、苦悶の声すら上げられぬまま壁に激突して意識を失った。
ダンジョンを揺らす衝撃にかつてない
故に、全身の至る所から血を吐き出しながら都市最強の息の根を止めようとする少女を止められる者はいなかった――ただ一人を除いて。
「そこまでにしよう」
彼等が気付いた時、瀕死の
団長の危機に臨戦態勢に入ろうとする若き第一級冒険者達を手で制し、フィンは紅い瞳を真っ直ぐ見据える。
「こんなことを君に言う資格はないけど、それでも言うよ。君にそんな真似はさせられない」
少女からどす黒い殺意が溢れ出す。遂にティオネ達が武器を抜くが、今度はリヴェリアが制した。フィンの表情は変わらない。ずっと申し訳なさそうな顔をしたまま話しかけている。
「七年前、君は僕達に報復をしなかった。勝てなかった訳じゃない。復讐を恐れたからじゃない。批判を懸念したからでもない。君は、自分以外の誰かに被害が及ぶことを考えていた」
「……」
「今の君は神フレイヤの報復を考えていないように見える。無関係の人々を巻き込んで恨まれることも厭わないと思っている。嫌われる『勇気』を手に入れようとしている。断言しよう。そんなのは綺麗事に飾り立てているだけで捨て鉢になっているのと同じだ」
「……ッ」
「そうなれば君の『勇気』が失われてしまう……君には誰かのためを想う『
今のやり取りを側で見ていた者達の中で理解できたのはハイエルフだけだろう。あれだけ漲らせていた殺意を霧散させた少女はアイズに目をやり、とある少年がミノタウロスに襲われていることを教える。
聞くや否や駆け出した少女を追って、彼女の仲間達も姿を消していく。ダンジョンの修復が遅々として始まる広間には応急処置を施された物言わぬ
「……君を子供として見るのは無礼だと思って、冒険者として接していた。君の優しさに付け込んで何度も利用した。君自身を見ようとしなかった。……あの時言うべきだったのは、『皆のために戦ってくれてありがとう』という感謝なのに」
「……もう、遅すぎますよ」
「……すまない」
リリはこの男が嫌いだ。憎んでいるのに、恨んでいるのに、殺すことはできないと思わせるフィンが大嫌いだ。
ベルと同じ綺麗な瞳を持っているなんて絶対に認めたくない――そう思いながら気を失った少女を抱え、フィンは仲間の後を追った。
・補足説明コーナー
オッタルは全力全開のリリに勝てばレベル8になれるかもと思って本気で戦ったよ。というか本気で戦わないとすぐ負けてたよ。
リリは何故かベル以外ではフィンの瞳だけは正しい色で見えるよ。何故か『凶猛の魔眼』を使って殺そうとしても手が止まることも相まって滅茶苦茶嫌っている。前世的な関係があるのかもしれない。
フィンは「助けてあげなきゃ!」と思ってリリを見たよ! 彼女からすれば今更ふざけんなよって感じだ!
兜を壊したのは絶対に勝つ、ベルを信じるという意志表明だよ。
リリの『魔法』は発動したら避けられない。対処法は発動前に潰すか、迎撃するかのみである。
実はリリの咆哮にミノタウロスとベルは怯え、前者は動きが鈍り、後者はトラウマで硬直していた身体を動かせるようになって死ななかったという事情がある。
ミノタウロスを排除しようとしなかったのは、より面倒なモンスター(例えばワイバーンとか)の相手をさせられるよりここで試練を終わらせた方が被害が少ないと判断したから。
本当に悩んだ。ベルに誇れる自分であるために自発的に殺さないでおくパターンとか、ベルに嫌われても構わない嫌われる勇気でオッタル殺害ルートとか、殺される寸前でフィンに助けられるとかあったんだよ。で、これが一番有り得そうだと思った。
フィンについてはまだ書くことがあるぜい。お楽しみに。
……やっべーな。ベル君に言わせようと思ってたセリフを全部フィンが使っちった。どうしよ。