転生したら呪霊だった件について   作:砂漠谷

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お待たせしましたァ!17000文字ボンバァ!


画像生成AIに水銀妖精・銀蠅の外見イメージを入力して描いてもらいました。これもあくまで似ているというだけで微妙な差異はあります。(銀蠅は凹凸だけであるが表情を表すことはでき、のっぺらぼうではない等)
AIの規約的に直接二次創作の挿絵として貼るのはグレーだと思ったので、pixivへのリンクだけ貼っておきます。


https://www.pixiv.net/artworks/100204581


メルクリウス・タイム・ラバー

【殺猿】襲撃術師禪院扇の処置と処遇について【事件】

 

202:カタツムリ観光客

という訳で、禪院扇を人質とした返却交渉は、禪院家とではなく、禪院直毘人”個人”と秘密裏に行うということでよろしいですね。

こちらの交渉材料は

「禪院扇および禪院希依子(けいこ)の身柄」

「未来知識(原作知識以外の前世知識は検閲されない模様、原作知識の検閲も伝え方次第でなんとかできる可能性アリ)」

「転生者呪霊の戦力的支援」

が主になります。

そして要求は

「我々転生者呪霊の秘匿、可能であれば保護(主に生存派の要求)」

「何らかの呪物や呪具、可能であれば宿儺の指(主に原作派の要求)」

「双佐紀智礼の保護(子供部屋あくまさんの要求)」

「オーダーメイドの義体(水銀妖精さんの要求)」

となります。優先順位は上から順です。

 

203:名無し級呪霊

禪院家が呪霊と交渉とかよく考えたら出来る訳ないしな

あのプライドと凝り固まった価値観で

 

204:名無し級呪霊

その点直毘人なら原作で呪詛師(伏黒甚爾)とも交渉出来てるし、安心だな!

次期当主と交渉すれば実質的に禪院家と交渉してるようなもんやし!

 

205:名無し級呪霊

>>204

つっても年齢的に考えて最盛期の禪院直毘人特別一級術師殿だぞ……?交渉する前に祓われないか?

いくら転生者呪霊目下最強の水銀妖精とは言え、ギリギリ特級に届くかどうかなんやろ?すくにゃんの言う虫と同じじゃん。

 

206:水銀妖精

そこは交渉場所をこっちが指定できるし、どうにでもなるでしょ。事前にハリボテの領域に誘い込んで人数集めていざとなったらタコ殴りよ。

まあ原作派に協力してくれる転生者は少ないみたいだけどね?雑魚はこっちからお断りだけど。

 

207:名無し級呪霊

弱者生存、それがあるべき掲示板住民の姿ですよ

 

208:ごっくんフェチ

>>207

その生き方だとメンタルぶっ壊れるって原作が証明してる定期

弱者は強者のお情けで生き残るくらいが丁度いいと思うよ 妖精ちゃんみたいに雑魚は死ねとまでは言わないけど

 

209:名無し級呪霊

それにしても原作知識の検閲が、非転生者から情報を入手することで該当部分は解除されるとは……流石に原作知識伝達全縛りはキツいと思ったらこういう仕組みだったのか

 

210:名無し級呪霊

妖精「アレ!あの指のヤバい奴あるでしょ?あれなんて言うんだったっけ」

扇「……宿儺の指のことか?なぜ呪霊如きが知っている?」

はい検閲解除

流石にガバガバ過ぎない?

 

211:水銀妖精

>>210

「すごいスマホ」セオリーだね。検閲は迂回することで回避できる。ただ検閲にはセキュリティレベルの違いがあるようで、「四人の義妹がいるアルバイト」は伝えられても、「額に縫い目のある経産婦」は検閲された。どっちも呪術用語を使わずに呪術廻戦キャラを表現しているのにね。

すごいスマホと言えば、検閲回避のやりすぎでペナルティーとかありそうで怖いけど、転生担当神からは特に言われてないし。

 

212:名無し級呪霊

今のところ、扇と真希真依ママから一般的呪術知識は引き出せたっぽいな。個人の術式内容や御三家秘伝の技術は口をつぐんだけど。

 

213:名無し級呪霊

しっかしロリ婚とは、扇の株が原作以上に下がったな

確かに原作の真希真依ママと扇、けっこう年の差があるように見えたけど。

 

214:名無し級呪霊

>>213

16歳は2018年でも合法ですヨ!!!

 

215:名無し級呪霊

>>214

それよりも「学費肩代わりするから儂と結婚しろ」とかいう最悪の求婚文句がだな……

 

216:名無し級呪霊

禪院扇の一人称がいつの間にか儂になってしまう不具合、やはり半天狗の影響が強い

 

217:子供部屋あくま

やっぱり扇殺しません?後継者争いの敵ですし、始末すればこっちはむしろ感謝されますって。

ロリ婚のカスとか死んで当然でしょ

 

218:名無し級呪霊

>>217

ブーメランを全力で投げていくスタイル お前も幼女と一緒に風呂に入るタイプのロリコンだろ

むしろお前の方がアウト

 

219:名無し級呪霊

>>217

原作ファンブックから考えても、次期当主候補なんて名ばかりで、直毘人で最初からほぼ確定してたようなもんだし、実の弟を殺した恨みの方が怖いわ。

禪院家的にも、家の人間を殺して舐められたままとも思えない。確実に禪院家VS転生者呪霊の全面戦争に突入する。

 

220:名無し級呪霊

そもそも術師と呪霊は年がら年中絶滅戦争をしているようなものでは?というツッコミは置いておいて、扇殺すのはありえん。まああの怪我で放っておいたら死ぬ可能性もあるが。

 

221:水銀妖精

>>219

術師がやっているのは戦争じゃなくて害虫駆除です。呪霊に正義なんて一片たりともありません。ペラッペラですらありません。

 

222:名無し級呪霊

アッハイ

 

223:名無し級呪霊

呪霊差別をやめよう

 

224:名無し級呪霊

相変わらず水銀妖精は呪霊に厳しいなぁ

俺らが呪霊なんだから呪霊なりの正義を求めていくべきでは

真人の正義は本能に寄りすぎだし漏瑚の正義は妥協を知らなさすぎだが

 

225:カタツムリ観光客

扇殺害については却下します。

我々転生者呪霊の生存こそが我々にとっての正義です……と言っても水掛け論にしかならないでしょう。

 

では最後に交渉にあたり直毘人氏と直接接触する方を選出しましょう

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

「クックック、あの負けず嫌いの扇が、まさか助けを求めてくるとはな。人質に取られた、ねぇ。禪院家の人間なら潔く自害すれば良いものを」

(ま、面白そうだから助けに行ってやるがな。他の術師、特に禪院家の人間にはこのことを伝えずに一人で来いということだが、禪院家の呪具を持ってくるな、とは言われていない。出来る限りの想定と対策はしておくか。何しろ()()()()()を助けるためだし、な!ククッ!)

 

 適当に口実を作って禪院家の忌庫から幾つか嵩張らない一級呪具を持ち出し、そのついでと言わんばかりに特殊な術式効果を持つ特級呪具も黙って持ち出した直毘人は、非術師の専属運転手を使って自家用車で京都から東京に移動する。適当なところで自身を降ろさせ、呪具を入れたキャリーバッグを転がしながら目的地に向かう。

 

「……ここか」

 

 夕暮れ時。何の変哲もない、古ぼけたアパート。その扉の前で禪院直毘人は立ち止まり、感覚を研ぎ澄ませる。

(内部の呪力が感知できない。指定された場所は無人無霊か……もしくは領域が内部で既に展開されているか。窓とカーテンが閉め切られている、おそらく後者だな。ならば……)

 

「ダイナミックエントリーと行くかぁ!」

 

 キャリーバッグから取り出したのは、人間のものと思われる足首から、螺旋の溝が彫られている金属の円柱が生えている、奇妙なドリル。足首部分には西洋宗教的な意匠が入れ墨されており、ドリルの付け根には狂気に満ちた表情の人面瘡が大口を開けている。

 特級呪具、日本での銘は『心螺(しんら)』。海外産の呪具であり、とある特級呪霊の死体を特殊な方法で消滅させずに加工したもの。その術式効果は―――

 

(”領域”を含む、ありとあらゆる結界の穿孔!)

「ブチ抜く!」

 

 人面瘡の目を押してドリルを延長させて呪具の全長を人間の片腕ほどの大きさにし、アパートの玄関ドアに『心螺』を押し当て人面瘡の舌を引っ張って回転させ始める。すぐにドアの鋼板は貫通されるが、その板越しに、ザリザリと呪具の術式効果と領域が衝突する音がした。しかし、直毘人はその手応えに違和感を覚える。

(……?妙だな。結界に孔を空けるときの岩盤を掘削するような感覚ではない、砂や泥をかき混ぜているかのような手応え。術式効果が空転している訳ではなさそうだが)

 実際に、この領域は呪力による結界内ではなく、既存の建造物の屋内に展開されることで成立している。孔を空けるまでもなく、外部からの侵入はそこまで難しくない。

 

「まあいい、覗き穴が空いたのは事実だ、これで領域に入らずに内部の様子を……お?」

 

 ドリルの回転を止めてドアから引き抜き、覗き穴を通して直毘人が見たのは、濃青色やオレンジ色、赤褐色などで濁った、いかにも化学物質で汚染されていそうな複数の人工河川と、その川の排水溝から垂れ流されている銀色の液体。まるでぱっとしない芸術家が絵画で工場公害による水質汚濁を問題提起しようと試みたような風景だ。

 その領域の内部、河川間のコンクリート地面からこちらに視線を向けている何体かの呪霊、そしてその地面から生えた見覚えのある人間の()()が男女一組分目に入った。それを見た直毘人の判断は早かった。

 

「……フン、人質返還など嘘八百という訳か、呪霊共ォ!」

 

 額に青筋を立てつつ、しかし表情からは感情が抜け落ちた彼は、孔の空いたドアを蹴飛ばして破壊。視界を確保して瞬時に自身の術式、投射呪法を発動し、但し書きが未だ付いていない”最速の術師”としてのスペックを最大限発揮して、『心螺』を片手に領域に跳び込み駆け抜ける。

 

 領域の入り口の扉から生えてきた呪具を警戒していた転生者呪霊たちは三体。一体は当然水銀妖精、一体はごっくんフェチ、そして最後の一体は子供部屋あくまだった。カタツムリ観光客は鼠に眼球を植え付けて、あくまの肩からその視界情報をリアルタイムで取得している。結界術を用いていないため、呪術的通信も可能という訳だ。

 

 三体は扉を蹴飛されたと知覚し、事前に準備しリハーサルすら行った手順を反射的にこなす。水銀妖精の指示が耳に入る前に子供部屋あくまは術式を発動した。

 

「プランC!あくまァ!」

「『失楽園(ファラウトブペリダイ)』!」

 

 子供部屋あくまの術式、『失楽園(ファラウトブペリダイ)』。領域入口を中心にあくま自身の血でコンクリ上に塗られた、長半径十数メートルの楕円状の魔法陣が刹那の間に呪力で満たされた。その部分がそっくりそのまま、底に光が届かないほどの深い落とし穴に置換される。踏みしめるべき大地が消失し、術式を発動中の直毘人の脚は宙を掻く。

 そう、術式を発動中なのである。投射呪法は単なる加速術ではない。視界を画角として一秒を24分割し、その中で物理法則にぱっと見で従っているかのような動きを事前に確定させ、それをなぞるように身体を動かす術式である。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。失楽園の発動が終了した時、既に直毘人は楕円の縁に右の爪先を触れさせていたが、しかし重心の置かれていない爪先では重力に逆らう術を持たず、落とし穴の縁、断崖に手を伸ばすことも出来なかった。物理法則に従い、自由落下が開始する。

 

 だがその自由落下はすぐに終了した。直毘人は疾走する前傾姿勢のまま、股間の会陰部、つまりヨーガの世界では第一チャクラとも呼ばれる部位から呪力を噴射した。それにより一瞬の浮力・推進力を得る。投射呪法により確定させた『動き』とは、肉体の運動のみを指し、呪力による外力の生成は制限されない。そのまま左足を落とし穴の縁に掛け、事前に確定させた足の動きを利用して体を持ち上げ、右足で落とし穴の外、コンクリの地面に触れた。

 そうして地面をしっかり踏み込んだ作用の反作用でうんたらかんたら、という過程を省略して、地面を軽くでも踏んだという事実のみによって運動量を()()()()()()()直毘人は加速する。

 物理法則からの僅かな逸脱、言い換えれば、ベクトルを含む物理量のちょろまかし、エネルギー保存則の粉飾決算。これが投射呪法による加速の正体だ。物理法則を厳守するよりも、24分割したコマ打ちを厳守することを肉体が優先する、それが投射呪法の世界である。

 

 直毘人が速度を一歩毎に――物理法則から見れば不正に――加算し続けて五歩、ごっくんフェチと子供部屋あくまを左の手のひらで叩く。ごっくんフェチはそれに反応すら出来ず、子供部屋あくまは僅かに体を逸らしたが回避には不十分だった。投射呪法の強制によって秒間24のコマ打ちに二体は挑戦させられ――当然そんな慣れていない作業は不可能である。二体は一秒間、身動きが出来ない二次元空間に閉じ込められる。あくまの肩に乗っていた鼠は、戦闘の気配に怯えて逃げていった。

 加算した勢いでホバリングしている水銀妖精にも触れようとするが、妖精は空気の流れをその翅で鋭敏に察知して、直毘人の手のひらで叩かれる直前に来る風圧から逃れるように回避して距離を取った。

 

 直毘人が投射呪法を発動して最初の一秒が経過した。

 彼は背後の呪霊らを振り返って視界に入れ、再度のコマ打ちを行いながら、水銀妖精をこの場で自分にとって最も厄介な敵だと判断しながら、『心螺』のドリルを再度回転させながら、呪霊共の殲滅手順を練りながら、一言毒づく。

 

「銀蠅は叩き潰すのが面倒だなァ!」

 

 意外なことに、呪霊はそれに反応した。それも凹凸だけの銀一色の顔に喜色満面の笑みを浮かべて。

 

「銀蠅!()()()()()し、結構良い名前!あなたが私の名付け親ね!」

 

「……は?」

 よくある呪霊の戯言と切り捨てるにはあまりにも知性的で、文脈に沿っていて、しかも害意ではなく歓喜に満ちていた。その言葉に直毘人は一瞬思考が止まり、気が抜ける。その間隙を縫って、地面の生首が声を発した。

 

「ま、待ってくれ、兄上!私の命より呪霊の祓除を取るのか!」

 

「ん?んん?」

 

 想定外の方向からの想定外の言葉、戦場で致命的だと知りつつも、直毘人の思考はいよいよ本格的に一時停止した。呪霊二体の投射呪法によるフリーズはこの時解ける。

 子供部屋あくまは二次元空間に閉じ込められている一秒の間に思考を整理し、直毘人の誤解とそれを生んだ原因について思い当たった。原作の東堂葵を基準にすれば単純計算でIQ530に換算できる思考速度だ。

 その推測に基づいて、あくまは口を挟む。

 

「あ~、誤解させたようですまないが、禪院扇も、禪院希依子も生きてるよ。どっちも重傷で扇の方は死にかけって感じだが、昨日の夜よりは状態が安定しているから今すぐどうなるって問題はない筈だ」

 

 直毘人はまず、そう言ったあくまの方に視線を移し、次に生首がある、と自分が思い込んだ場所に目を向けた。

 

 そこには、地面にあんぐりと開いた二つの真っ赤な唇の大口と、その口にそれぞれ首から下を咥えられている自分の弟と義理の妹がいた。首には口相応の大きさの前歯が掛けられ、下手に暴れれば首の骨をその大口で嚙み砕かれるという状況が一目で分かる。

 

「……先ほどの、落とし穴の術式か?」

 

 思考がようやく回り始めた直毘人。咄嗟に出た疑問はそれであった。地面に穴を空ける、という点では同じだが、そもそも呪力の質の違いをよく見ればすぐに分かる問題である。まだ脳が本調子ではないようだ。

 その質問に答えたのはごっくんフェチである。

 

「違うんだよね~、地面にお絵描きして穴を開けるって点でだいぶカブってるんだけど、僕のは、この『唇紅深淵(ディープルージュ)』。この口紅で地面に唇を描いてお口を具現化させる術式」

 

 と言ってごっくんフェチは右手の甲に開いた口腔に左手を突っ込み、口紅……というより深紅色をした人参のような形状の物体を引きずり出す。おそらく術式の触媒であろう物体を見せびらかしつつさらに続けた。

 

「僕の術式、いろいろ応用が効くらしくて。胃酸の攻撃性ばかりに目が行って気付かなかったんだけど、唾液には生命保全能力があるっぽいんだよ。怪我ややけどを和らげることが出来るみたい。反転術式みたいに部位や内臓欠損の再生や急速な治癒は出来なくて、あくまで『保全』の範疇だけどね。呪霊には効果ないからわかんなかった」

 

 自身の術式を自慢げに語るごっくんフェチ。それを聞いている内に直毘人は徐々に冷静になっていき、術式の開示を記憶の片隅に置きつつ、現状の理解と自分がどういう態度を取るべきかの思索をしていく。

 

「扇が死にかけ、とはどういうことだ?そこの、山羊頭の呪霊よ」

 

 今までの反応から、比較的話が通じそうな子供部屋あくまに尋ねる。

 

「ああ、今のところは下腹部に大きな穴が開いててその中身が結構酷いことになってるな。穴の中は火傷も酷いらしい。希依子の方は脇腹が抉られてるが臓器に別状はなし、だよな?水銀妖精」

 

「うん、下腹部貫通創による前立腺、直腸、および膀胱深部複雑性……というのすらおこがましいレベルの損傷、恥骨および尾骨文字通り粉砕骨折、ついでに下腹部内部に深達性Ⅱ度熱傷ってとこかな、確認した昨日の時点でだけど。あの熱量でⅢ度行かないの、ヤバいね~。流石は特別一級術師?」

 

(医者?)(医者?)(医者?)

 

 水銀妖精以外の全員が疑問に思うが、口には出さない。視線の質が一瞬変わったことを気にせず、妖精は続ける。

 

「そんな感じの容態なんだけど。流石に野生の呪霊の身じゃあ医療器具や施設は手に入らないしね。輸血すらできない。だからまあ扇の身柄を渡すことに()()は無いわけだけど……ただ渡すだけだと私たちにとっての()()も無いわけ」

 

「ふむ、続けろ」

 

「それで、二人の身柄と引き換えに欲しいものがあるんだけど」

 

「それで?」

 

 直毘人は呪霊とそもそも交渉に応じてくれるのか。他の術師よりは話が通じると思われるが、そうであっても呪術師の一人だ。呪詛師とはともかく呪霊と交渉するのは言語道断、という価値観の持ち主の可能性もある。

 そういった考慮に考慮を掲示板上で重ね、しかし転生者呪霊らは直毘人と交渉することを選んだのだ。その意思に今回ばかりは水銀妖精も従った。不適格であると言われながらも、"強さ"の一点だけを理由に交渉者代表に選ばれた彼女は慎重に言葉を選ぶ。琴線に触れないように、相手の僅かな挙動を見逃すまいと相手の顔を見つめつつ。『原作派』と言っても、原作の人間になら殺されてもいいと思っている訳ではないのだ。

 

(最初はなるべく情報を渡さない、そしてある程度強気で行く)

「宿儺の指……を二本。現物で」

 

「フン、渡すと思うか?取り込ませただけでそこらの呪霊が特級呪霊と化す特級呪物だぞ?……口を割ったな、扇」

 

 実際に『心螺』の先端を向けたわけではないが、矛先が扇に向く。扇は冷や汗を流しながら言い訳をした。

 

「ち、違う!こいつら、元から概念は知っていたみたいで。『例の指』の正式名称をしつこく聞いてきただけなんだ!信じてくれ!」

 

 口を挟む扇に反応し、ごっくんフェチは地面の大口の歯を扇の首に食い込ませ脅す。

 

「いつお前も話に加わって良い、と言った?」

 

「ヒッ……」

 

 直毘人は扇の怯え具合を、そしてその顔をよく観察して気付いたことがあったようだ。

 

「俺から話を振ったんだ、許せ。――そして扇よ。その怯え様、その、白黒反転した眼。何をされた?」

 

 三十路の禪院扇、その瞳は以前まではただの三白眼であった。だが今は、原作でのキャラデザと同じように白目が黒目、瞳孔と虹彩が白色という特殊な眼をしている。

 

「両目を、潰された。殻の渦の中心に付いた巨眼でこちらを睨む、人間大の蝸牛の呪霊、その触角に抉り取られた。そして盲目になった私に対してこの呪霊共は尋問をしたのだ」

 

「なら、なぜ今眼がある?もしや――」

「ああ、そうだ。俺達の内の一人が新しく眼球を植え付けた。人質にむやみに後遺症を与えるようなことはしない。一時盲目にさせたのは尋問に必要だったからだ」

 

 直毘人が想定を口にするのに先んじて、子供部屋あくまが説明をする。望ましくはないが気付かれること自体は想定内だ、しかしそれが直毘人の交渉拒否に繋がるリスクを避けなければならない。

 

(十中八九ここにいない呪霊の術式によるものだろう。正のエネルギーのアウトプットなどという高度な技術を使える可能性も低い、それに理論上呪霊が反転術式を扱うことには多大なリスクが伴うはずだ。眼に寄生系の術式効果がある可能性もあるか?)

 

「一つ聞くが、領域や特定の地域の外に出た途端に扇の眼が腐り落ちる、なんてことは無いだろうな」

 

「ああ、東京都内から外に出ても問題ない。動物実験で検証済みだ、安心してくれ」

 

(ふむ、眼は人間以外の動物にも植え付けられる、そして東京都内が区切りの一つ、という訳か。恐らく術式効果は――訊くのが早いか)

 

「領域の外に持ってきた一級呪具が幾つかある。俺の立場なら失くしても誤魔化せる程度の物だ。それらの内一つを対価として、俺と”縛り”を結べ。他者間との縛りは分かるな?内容は、」

 

「ちょ、ちょっと待って。えっと……まず”縛り”を結ぶ方法が分からない。それと、対価は扇の解放じゃなくても良いの?」

 

 水銀妖精はいきなり進んだ話に反応して疑問をぶつけつつ、現在の交渉状況をあくまに目配せして掲示板に書き込ませる。質問には掲示板の反応を待つ時間稼ぎという意味合いもあった。

 

「まず話を聞け、呪霊よ。”縛り”は俺が主導して行い、お前たちは受け入れるだけで良い。そして内容についてだが。一つは『交渉に際して嘘を言わない』ということ。二つ目は『交渉中、人質も含めて関係者に回復不可能な負傷を負わせない』ということ。最後に最も重要なのが『最終的に決まった約束を反故にしない』ということだ。これらの条件は互いに守らなければならず、この”縛り”が人質返還交渉の前提となり、交渉内容によっては最終的約束を”縛り”として再度形にする。”縛り”に必要なのは自分自身の名前、つまり真名だ。お前らの名前を教えろ」

 

「う、うん。とりあえず、一級呪具?にどんな種類のものがあるか教えてもらっていい?」

 

「ああ、まずはだな……」

 

 かくかくしかじか、まるまるうまうま。直毘人が持ってきた一級呪具の形状や特徴についての説明を耳に入れつつ、水銀妖精は戦略を練る。

 

(相手は冷静で誠実な印象、だけど、何か引っかかる……そう、そうだ。二つ目、『交渉中、負傷を負わせない』ということは、交渉後には私たちを殺せる、ということだ。それに注意して、私たちを傷つけない、傷つけさせないことを最終的約束の内容に、絶対に入れなきゃならない)

 

「……これらが、俺が持ってきた呪具だ。さて、俺の名前は禪院直毘人。お前の名前は?」

 

「水ぎ――じゃなくて、銀蠅。あなたが決めてくれた名前。それで良い?」

 

「気色悪いが、まあ構わん。山羊頭と首無し、お前らもだ。名前が無いなら今決めろ」

 

「僕はね、路啼!道路のロに、啼くな小鳩よ、のナくでロナク!イゴローナクのロナク!」

 

 ごっくんフェチは即答した。あくまは、しばらく沈黙し、悩んだ末に答えた。

 

(あくま、悪魔、大アルカナの15番目、バフォメット……魔女の守護者、サバトの主催者。智礼の敵を、裁いて屠る。俺の名前は――)

 

「裁屠。裁いて屠る、裁屠だ」

 

「良し。銀蠅、路啼、そして裁屠よ。俺と先ほど言った内容の”縛り”を結ぶか?」

 

「ええ」

「うん」

「ああ」

 

 呪霊たちが頷いた瞬間、細く微かな、呪力覚を凝らさないと感知できない呪力の糸が直毘人から延び、三体と接続する。糸を通して三体から直毘人に、直毘人から三体に、交流電流の如く呪力が行き来する。

 数秒してその波は収まり、呪力の糸は役目を果たして掻き消えた。

 

「……これで縛りは結んだ。さあ、交渉(ネゴシエーション)の時間だ。まず、扇に眼を植え付けた呪霊と、お前たち三体の術式の詳細を教えろ」

 

 直毘人は不敵な、それでいてどこか勝ち誇るかのような笑みを浮かべ要求をする。水銀妖精改め銀蠅は、その笑みと要求に自分が何か見逃したのだと悟るが、具体的に何を見逃したのかはまだ理解できなかった。

 

「対価は?一級呪具をもう二つ、というのはどう?」

 

「自分たちの術式の情報にそれほどの価値があると踏むか、傲慢だな」

(ゴネられても困る。少し()()()()()おくか)

 

「何をッ――!」

 

 銀蠅が反応するよりも早く、直毘人は加速度を優先するために『心螺』を手放し、それと同時に術式を発動して高速移動。ごっくんフェチ改め路啼と子供部屋あくま改め裁屠の懐に入り、その体に両手で触れる。

 コマ打ちチャレンジ――二度目の失敗。二人は当然の帰結として二次元空間に閉じ込められた。裁屠は蹴りやすい位置に平行移動させられ、二次元空間を砕いて銀蠅の方向に蹴飛ばされる。

 ひらりと飛ばされた裁屠を躱す銀蠅ではあるが、それはあくまで牽制に過ぎない。躱した隙を狙い、蚊を叩き潰す時のように直毘人は両手で銀蠅を捕えようとする。

 銀蠅は翅を羽ばたかせて後方に避け、直毘人の速度で踏み込まれてもギリギリ反応出来る程度に距離を取る。同時に大量の呪力を消費して水銀を即時に具現化し、数十もの細長く先端がやや膨らんだ触手、否、鞭を形成した。

 

「『懲装・点多繰(ちょうそう・てんたくる)』!触れられてッ、たまるかァ!」

 

 数十本の水銀の鞭を叩き込まれる直毘人、しかしその鞭たちは、直毘人が纏う呪力に触れた瞬間に弾かれるためダメージは無かった。

(『落花の情』は、何も斬撃だけが能ではない。応用すれば打撃に打撃をぶつけて跳ね返すことも出来る)

 

 弾かれながらもなお水銀の鞭の数を増やして振るい続けながら、銀蠅は直毘人に攻撃の意図を問いかける。

 

「”縛り”はどうしたッ、交渉中は停戦するんじゃなかったのか!」

 

 焦った口調の銀蠅に対し、直毘人は攻撃を防ぎながら余裕をもって答えた。この間に裁屠は立ち上がり、路啼の硬直は解けたが、二体は状況判断が追い付かず、まだ動けていない。

 

「不戦とは一切言っていない。『関係者に回復不可能な負傷を負わせない』だ。お前ら呪霊は『治る』だろう?引っ掛からなくてもやりようはあったが」

(術式を使えば『落花の情』の精度が著しく鈍る。なら、この攻撃が途切れるまでしばらく様子見だな。先ほどの水銀(?)具現化で随分と呪力を消耗したようだし、このまま防ぎ続けてもこちらに分がある)

 

「ッーー!そういうことか!」

(こっちは相手に深い怪我を負わせることが出来ず、相手は殺さなければ何をしてもいい、ということだ、あの”縛り”の本当の意味は!しくじった!もっと内容を精査すべきだった!)

 

「呪霊にも痛覚はある。このまま無様に負けて四肢を引きちぎられたくなければ扇と希依子を解放しろ」

 

 その言葉に、銀蠅は顔に青筋ならぬ銀筋を立てて怒りをあらわにする。

 

「私がッ、負けることを、前提にするなァ!名付け親でも許さんッ」

 

 銀蠅は鞭に割り当てる水銀の量を半分以上減らし、減らした分の水銀を一つにまとめ、球体に形成する。回転を掛け、さらに余剰の呪力を込め強化する。

 半径5cm程の砲弾。だが水銀の密度故に、重さは男子砲丸投に使われる砲丸以上にある。

 

(まあそう来るだろうなぁ、呪霊なら!)

「名付け親ではないと、言っている!」

 

 直毘人は鞭を適当にあしらいつつ、両手の手のひらを前に出して構え、水銀の球体に備える。

 射出。水銀の砲弾は、時速約150kmで直毘人に向け発射された。

 

 約半秒後、着弾。十数メートルの距離は僅かな時間で埋まり、胸部を狙って放たれた砲弾は直毘人の手のひらに衝突した。だがそれは投射呪法によってその動きを止め、二次元空間に閉じ込められる。

 そう、投射呪法の他への強制、それは相手に自我が無くても、たとえ液体であっても可能なのだ。そして自我が無い相手は当然、コマ打ちに失敗し、確実にその動きを一秒間止める。

(チィ、空間に固定したのは良いものの、両腕の骨に軽く罅が入ったか。『落花の情』と術式に呪力出力を割き過ぎて肉体強化が疎かだったか?だがもう――終わりだ)

「安心しろ、殺しはしない」

 

 半分以上に減った水銀の鞭による衝撃に顔をしかめながら『落花の情』を中断し、呪力を全て投射呪法による加速に費やす。十数メートルを瞬時に踏破する直毘人、呪力残量からして銀蠅はこれ以上水銀を具現化することは出来ないだろうという想定の元に決断し、その想定は当たっていた。

 銀蠅の顔前に表れた直毘人は、呪力により強化され斬撃と化した手刀によって銀細工の人形のような身体を切り裂き、右肩から袈裟斬りにした。

 

「ああッ……ぐっふ、がぁ」

(痛い痛い痛い痛い!誰か、助けて……!)

 

「妖精ちゃんから、離れろぉ!」

 

 首の無い肥満体の女がどすどすと走ってくる。どうやら体当たりを試みているようだ。だが、あまりにも……”最速の術師”と比べれば、悲しいほどに鈍重だ。

 

「鈍いな、不快な程に」

 

 背後に表れた直毘人に気付かないまま、路啼はその巨体を蹴り飛ばされ、領域内にある汚染河川にドボン。脂肪によって沈むことはないが、それでも岸に上がって復帰するのにはしばらく掛かるだろう。

 蹴飛ばした直後に、裁屠の鰐か蛇のような尻尾による刺突が直毘人を襲うが、その尾を握られて止められる。そのまま振り回して同じく汚染河川に投擲する。翼があるため、上に投げるのではなく振り回した勢いで直下に投げ捨てた。

 

 改めて直毘人は銀蠅の方を振り返った。銀蠅の胴体は完全に切断されていた。胸から腹に掛けて紫色の血が流れ、苦痛によって羽ばたくこともままならず地面に這いつくばっている。

 

「これ以上傷つけられたくないなら、扇と希依子を解放しろ」

 人間に対する視線とは思えない――事実人間ではないのだが――眼で銀蠅を見下す直毘人。

 

(冷静になれ、私。交渉中、相手を怪我させることは出来ない、けど交渉終了条件は設定されていない。なら、両者のどちらかが拒否すれば交渉というのは中止するのが一般的な筈だ。でも、今中止したところで勝ち目があるとは思えない?いや、違う。勝ち目は()()()()()ものじゃない、()()ものだ。視点は近く、視野は広く。脳は冷やして、腹の底を熱く。呪霊は成長しない、なんてことはない。そう、真人のように)

 

「交渉は中止だ――今ここで、限界を超える」

 

 風景が銀蠅に吸い込まれ、呑み干される。僅か数秒の間、呪霊と術師のみがそこにおいてきぼりとなり、重ねられた疑似空間が引きずり戻され、代わりに現実空間の、アパートの屋内の空気が満ちていく。

 同時に、袈裟斬りに切断された胴体と下半身を、残りの呪力の殆どを用いて再生させる。彼女の呪力は最初と比べればもう残り僅かであった。

 

(呪力はもう底を突いたようだな)

「ならば殺す」

 

 その数秒を見逃す直毘人ではない。瞬く間に距離を詰め、瞬速の張手で銀蠅にコマ打ちを強制させながら背後を取り、固定した相手の後頭部に貫手を放とうとして、相手が()()()()()()()ことに気付く。だが彼の動きはコンマ数秒前に既に確定させた動きであり、変更は利かない。銀蠅は、後頭部にかすり傷を負いつつも、頭を傾けて貫手を躱し、その腕を呪力で強化した自身の翅で斬り付けた。腕の筋を深く切り付けられた直毘人は、術式の一秒が終了し、再度のコマ打ちを行って銀蠅から距離を取る。

 

(術式の強制が効かない!?)

「何をした!」

 

「『領域展延』、領域を水の如く纏う技術。領域同士の必中効果の打ち消し合いに着目して、領域を”中和する性質”に特化させたもの」

 

 手を大きく広げ、演劇のように語る銀蠅。展延を成した自らに酔っているのか。それとも時間を稼いでいるのか。

 直毘人は術式の他への強制が効かないことを意識し、銀蠅が隙を晒すのを待つ。

 

術式の開示(タネ明かし)ご苦労。『領域展延』、か。聞いたことも無い。その知能、その技量、どこぞの呪詛師に教えを乞うたか?誰と繋がっている?」

 

「ああ、実際にやって見せても検閲は解除されるの。それでそう、呪詛師と繋がっているかどうかなら、否。私たち、色々知ってるから。”生まれる前から”ね」

 

「術師が呪霊に転じた類か?ならばなぜそこまで自我が残る?」

 

「チッチッチ、今流行りの逆行転生って奴だよ……ああ、今は流行ってないんだっけ。EU、2000年問題、9.11、ISIL、って聞こえる?謎の異言語に変換されてない?」

 

「英字略語に数字、意味ありげだが知らん言葉だな。逆行?未来から来た、と、そう主張するのか?」

 

 話題の核心に直毘人が踏み込む。それを聞いた銀蠅は喜色満面の笑みで首を縦に振り、答えようとする。

 

「そう!そうなんだよ――ッたァ!話してる途中に何すんの!」

 

 だが首を振って相手の視線がブレたと考え、瞬間直毘人は三角跳びで死角と思われる斜め後ろから銀蠅に蹴りを入れた。当然術式による加速を用いてだ。だが、まるで見えているかのように銀蠅は回避し、すぐさま回復するかすり傷に終わる。

 

「交渉中止だと言ったのは――お前だろう!」

 

 直毘人は構えて銀蠅と対峙し、拳の乱打を繰り出す。否、拳だけではない。手刀、掌底、貫手や掴みを組み合わせ、論理ではなく経験によってそれらのフェイント交じりの最適解を見つけ出し、叩き込もうと腕を振るい続けた。

 だが不思議なことに、銀蠅は全ての攻撃に反応することが出来た。ホバリング状態から、蠅がハエ叩きを躱すように、蝶が虫取り網からひらりひらりと逃れるように。フェイントにも無駄に反応しているものの、それに釣られた上で本命の攻撃も回避する。無論完全に回避しているわけではないが、それでもかすり傷程度に抑えることが出来ている。

 銀蠅の体表にかすり傷が増え続けるが、致命傷は決して負うことなく高速で翅を振動させ、ハチドリの倍以上の速度で空を舞い避け続ける。

 

(加速が"重ね"られていないとはいえ、秒間24回の攻撃を躱すとは。フェイントにも反応していることを見るに、読心や未来予知の能力は持っていないようだな。だがこれだけの立体高速機動、呪霊の体力でもある呪力が持たないだろう?傷の再生に呪力が回っていないぞ?)

(私には眼球が無いのに、人間と同じような視界を持っていた。だが、眼が無いのに見えるのならば、なぜ人間と同じだけの視野しかないと言い切れる?本当は、360度視界に収められる方が”自然”じゃないか?それに、私の翅は空気の流れを読む感覚器官としての機能も持っている。いままで術式によって水銀から伝わる感覚を重視していたが、この翅も十分に私の能力だ)

 

「我がスタンド、マンハッタン・トランスファーに、弱点は、無ぁい!」

「フッ、それでその、マンなんとやら、あと、何秒、持つ?」

(8秒です直毘人さん!)「乙女の秘密ゥ!」

 

 直毘人は他の要素を捨象し、連打の組み立てに、そのためのコマ打ちに深く深く集中し、その精度と密度が上がっていく。それに伴い、銀蠅の傷はかすり傷とは言えない程に深く、多くなってゆく。

 

 そして、6秒が経過した時、直毘人は右脚に鋭利なものが深く刺さる痛みを感じた。想定外の方向からのダメージに一瞬動きが止まり、それに伴い投射呪法による加速が中断される。その隙を縫って銀蠅は相手との距離を取り、窓をぶち破ってアパートの外に逃れた。

 直毘人の脚には、すぐに回収するつもりで領域内で手放した『心螺』が刺さっており――それを持っていたのは、地面を這いずる水銀から生える触手であった。

 直毘人は未だ知らぬことだが、領域展延と生得術式は同時には使えない。直毘人が術式対象を自分に絞ってコマ打ち強制を諦めたタイミングで、銀蠅はこっそりと領域展延を解除し、感知されないように僅かずつ術式を行使したのだ。

 

()()()()の再利用か!)

「フン、手癖が悪いなぁ、はぐれメタルが!」

 

 1987年発売のドラクエ2に出てくるモンスター、はぐれメタルに水銀を例え、脚から『心螺』を引き抜いたのちその特級呪具を水銀製の触手から奪い取る。

 『心螺』は特級呪具である故に、特別一級術師による無意識の呪力防御程度ならまるでちり紙を破くように貫ける。だが特級呪具にしての性能を術式効果に割り振ってしまったのか、対人武器としての格そのものは大して高くない。水銀触手の膂力が使い手になれば、右足の骨には到達するものの脛骨に小さい穴が出来る程度で貫通することもなかったのだ。のろのろと近づいてくるこの液体に物理攻撃は恐らく効かないだろうと、直毘人は足の穴から血を僅かに垂れつつ水銀から距離を置いた。

 しかし彼が呪具を抜いているタイミングで、外に飛び出た銀蠅が叫ぶ。掲示板経由の指示に従い、領域解除後にこっそりとアパートの外に逃げ出した裁屠が準備していた()()を発動させるために。

 

「堕とせ、あくまァ!」

「『失楽園(ファラウトペリダイ)』!」

 

 声の直後、ぐらりと床が傾き、その傾きはすぐに壁が地面に、床が壁になる90度回転へと化した。そして同時に無重力現象も起こる。

 

(回転、無重力!?これは!)

「落下か!建物ごとの!」

 

 このままでは建物に圧し潰される、と判断して、直毘人は『心螺』を持ってから術式を発動させ、天井になった扉に向けて跳躍し、壁を蹴って駆け、開いた扉から外に出た。

 外に出てもなお、彼は落下していた。彼は直径30mほどの大穴の中で落ち続けていたのだ。既に穴の出口との距離は垂直で30、いや40mか。

 そもそもこの穴に底などあるのか、という考えが頭を過りつつも、墜落死を避けるために穴の側面――見た目は密度の高い土の壁――に向けて跳び込む。

 土の壁に指をめり込ませ、自身の落下を止めようと考えて手を伸ばした直毘人。しかし土に触る数mm手前で、大理石かガラスにでも触れたようにつるりと滑ったため、落下は止まらない。

 

(穴の側面が結界で覆われている!おそらく生得術式によるものだろう、呪霊がゼロから結界を構築できるとは思えん)

 

 投射呪法を用いていたため、事前に作った動きを修正できず、直毘人は壁に跳び込んで1秒間は次の手を打つことが出来ない。

 ようやく次の行動が可能になるころには地下60mにまで落ちていた。

 

「結界ならば。『心螺』!」

 

 穴の側面の結界向けて、直毘人は斜め下に特級呪具『心螺』を突き出す。先ほどの指とは違ってきちんと突き刺さり、『心螺』を壁に突き刺さった棒のように見立てて自らを支え、ぶら下がる。

 ようやく落下が止まった。直毘人は一呼吸置いて、自身の現状を客観的に捉える……が、この現状が指し示すのは敗北の二文字であった。

(落下は止まったが、俺はあの蠅のように空を飛ぶことも、60mも跳躍することも出来ない。壁は尋常の方法では掴めず滑るし、二本の『心螺』の内一本しか持ってきていないから交互に突き刺して上るようなことも不可能。そもそもこの穴がいつ閉じるかわからない。この穴の術式を解除したらどうなる?地下60mの土の中に埋まるのか。別の場所に飛ばされるのか。跡形もなく消滅するのか。そしてこの状態だと、銀蠅と戦いにすらならない。手数が多い飛行可能な呪霊と、速さが取り柄だった棒にぶら下がって動けない術師だ。火を見るより明らかだろう……これは、負けたな)

 

「あとは、どう()()()()()()()か」

 

「おーい、直毘人さぁん!聞こえるぅ?こっちの要求を聞いて欲しいんだけどぉ!おぉい!パパァ!」

 

 銀蠅の猫撫で声が穴の外から響き渡り、直毘人は負けを認めたとは言え機嫌は悪くなる。

 

「誰がパパだ気色悪い!渾名を付けただけだろう!」

 

「もう本当の名前になっちゃったもーん!”縛り”もそれで結んじゃったし!」

 

 名付け親は血縁ほどではないが、呪術的にもそれなりの意味を持つ……ということを思い出し、自分の言動に後悔をするが遅い。直毘人は諦めて最も重要な疑問を投げかけた。

 

「扇と希依子はどうした!無事か?」

 

「あくま――裁屠と路啼に指示を出して、路啼の口から繋がってる”一つの胃の中”を通して魔法陣の外にある口に移したから問題無し!ついでにアパートの住人は何人かいたけど、直毘人さんを呼ぶ前に追い出しておいたよ!」

 

「なら良い!『俺の負けだ』!俺個人は、今後一切お前ら三体を傷つけない!縛りを結んでも構わん!」

 

「うーん、私たち三人から殺されそうになっても抵抗しない?それに他人に私たちを害する指示を出すこともしない?不利益になることもしない?」

 

 直毘人は過大な、しかし敗者に対しては当然の要求に、一つ一つ嘘偽りなく答える。自分が最初に”縛り”にトラップを仕掛けたのであり、疑念を持たせた原因であるからだ。

 

「抵抗はしない!だが非当事者を巻き込む”縛り”を俺は使えん!不利益になるというのは曖昧で範囲が広過ぎてこれも”縛り”に組み込めん!”縛り”の内容は『俺個人はお前ら三体を傷つけず、殺されそうになっても暴力を用いた抵抗はしない。他の奴が俺を護ったりお前らを害する分には知らん』だ!そして対価は『禪院扇を生かせ』、この一つだけだ!」

 

「人間を永遠に生かすことは出来ない、けど、希依子さんも含めて12年間は生かすつもりだよ!それで良いよね!?あくま、いやもう裁屠だっけ。異論は認めないから」

「……ああ、分かった」

 

「ではそれで”縛り”を結ぶぞ!三体とも姿を見せろ!扇の姿もだ!」

 

 穴の縁に立つ銀蠅、裁屠、路啼、そして路啼の術式の口から引きずり出され顔を穴の縁に晒される扇と希依子。それらを視認し、二人と三体に呪いの糸/意図を繋いで縛りを結ぶ。ただでさえ高等な技術である”複数人・他者間の縛り”を60mもの距離で行うのは困難だったが、最期の一仕事のつもりでプライドを持って直毘人は成し遂げた。

 

 その後、空を飛ぶ裁屠によって運ばれ、現実の地面に直毘人は足を付け、そのままどさり、と地面に倒れ込んだ。

 

「兄上!?大丈夫か!?」

 直毘人が犠牲になって命を救われた扇は、今までの負の情念を横に置き(捨てるまでには至っていない)、純粋に兄を心配する気持ちだった。

 

「銀蠅、お前前世職業医療関係だろ?」

「あ、バレた?彼は寝てるだけだよ。死が隣にある戦闘の緊張から解放され、弟を救えた安堵ってとこか。実質死刑宣告の”縛り”を結んでるのに安心して眠りこけるなんて器がデカ過ぎなんだよねぇ」

 

 直毘人は浅く背中を上下させており、よく見たら呼吸していることが分かる。銀蠅が言ったことに加え、負傷によって身体が休息を欲していたことも挙げられる。

 

 彼、禪院直毘人に敗因を求めれば、それは五条悟爆誕以前の、言ってしまえば生ぬるい呪霊を、”最速”としての圧倒的な実力で迅速・大量に処分し続けた結果、”格下狩り”に慣れきってしまったことと言えるだろう。事実、知能の高い術式持ちの呪霊を複数体相手取るという経験はこの時代のどんな呪術師も持っていない。そんな相手に対し、そうせざるを得なかったとはいえ一人で来たという油断。本来ならば禪院扇を見捨ててでも一級術師を複数人招集し事に当たるべき事態だった。

 慢心もあった、油断もあった。だが彼は、禪院直毘人は彼なりの最善を尽くした。どちらが勝ってもおかしくない戦いだった――原作知識という情報戦における絶対的なアドバンテージが転生者呪霊側になければ。

 転生者呪霊側に勝因を求めると、原作知識と、読者としての客観視がそれにあたる。特に銀蠅は転生者呪霊の中でもその傾向が強く、舐め回すように一語一句読み、トンチキ仮説を含めてあらゆる視点で解釈・推測を行う全国レベルの呪術廻戦読者であった。それが領域展延のぶっつけ本番発動や、直毘人の投射呪法への理解に繋がっている。

 戦闘巧者であり対呪霊の玄人である禪院直毘人に、呪霊としての”人間を害する”本能を多少持つとはいえ戦闘初心者である転生者呪霊側が勝利したのは、これらの二つが原因である。

 

 そんな事後諸葛亮を綴る地の文を放置して、銀蠅たち三体は掲示板に接続し、勝利の報告と今後の相談をするのであった。

 

 




登場したオリジナル特級呪具『心螺』の見た目は漫画版化物語に出てくる呪具「ハート・アン・ドリル」がモチーフです。
あくまでモチーフなんだからねっ!

前回の話、低評価多くてけっこう気にしてたんですが、読み返してみるとマジでつまらなかったですね……

次話、地盤固め回。やや時間が加速するカモ?

11/23追記 今更気づいたんですが、一度術式を解除して展延すれば具現化した水銀は消失しますね (()()()()の再利用か!)は直毘人の誤解、無い呪力を振り絞って造ったということにしておいてください。

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