何も考えないようにベッドに潜って目を閉じる。
でも瞼の裏に刻み込まれているみたいに、頭から壊くんのことが離れない。
ボスのくせに独断行動の権化なヤツは、側近にも居場所を伝えないで消える事が多い。ボクもその間に彼が何をやっているか知らないが、大方研究しているか、魔法使いを殺しているか、何か食っているのだろう。
本気で戦ったところを見たことはないけど、毒蛾くんたち以上の強さなら、掃除屋ペアに負けることはないだろうか。
でも魔法使いはケムリが使えるから、この時点で遠距離に秀でているし、さらに心と能井は接近戦のプロ。ボクでさえ二人を相手取って戦うのは危険だ。能井ちゃんの攻撃は破壊力がカンストしているから当たったら即死するし、心くんのハンマーや魔法に当たっても戦闘不能に陥る。
つまり、掃除屋二人組(遠距離も可)VS壊くん。
ここに煙も来たら絶望的じゃん。
「………死ななきゃ、死ななきゃいいんだ」
バカだな。関わったら、必然的に十字目サイドになって、今度こそ煙に殺される。
仮にハルちゃんが助けてくれても、またアホみたいに迷惑を、心配をかける。
けれどそれ以上に、また壊が、アイ=コールマンが死体になることが、何より許せない。
魔法使いなんて殺さなくていい。ただ生きていてくれればそれでいい。
ろくに準備もできていない。魔力を高める
後先のことなんて何も考えちゃいないさ。そんな余裕すらないんだよ、察しろ。だってボクは愚かな魔法使いで、愛に狂っている。
近場の街。
何をするのかと言えば、用があるのは悪魔だ。最近また発明家リンリンが不調なので、家で姿を見かける機会が少ない。そもそも居たとしても、個人的に頼むと怖いので、しっかりと“正式な”手順を踏んでお願いさせてもらう。
悪魔を呼び出せる場所に行って、目当ての悪魔に会わせてもらうように頼む。その金額はバカ高いけどね。基本的に魔法使い側が悪魔様にお願いがある場合は、貢ぎ物や金が必要になる。
「悪魔を呼びたいんだけど」
そうしてボクが呼んだのは、悪魔ハルだった。
『………何だ、小夏』
いやぁ、さっき振りだ。屋敷を出るときに彼女を見かけたからね。
これから壊くんの元に向かうなら、ここで彼女と話をつけておく必要がある。この、薄暗い湿気とうじ虫のオンパレードな、身の毛もよだつ部屋で。
「────っちゅーわけで、ボクは暴走列車と化して、十字目のボスのところに行く」
『なるほど。悪魔の私に頼むのは十字目のボスの居場所と、そこに向かう扉を作ってくれ、というわけか』
「あれ、意外に取り乱さないんだね、ハルちゃん?」
『バカめ。お前があの男と関わっている時点で、遅かれ早かれこうなるだろうとは思っていたさ』
「さすが悪魔。じゃあさっそく居場所を教えてよ」
『断る』
ハルちゃんはボクに体を背けた。
まぁ、当然だよな。戦いに巻き込まれただけで死ぬかもしれない場所に、ボクを送り出すなんて。彼女の愛情の深さは、ボクが一番知っている。
それでもボクも、譲れないものがある。一度狂ったほどの、彼へのビッグラブがさ。
『……と、言っても、お前が意見を曲げることはないのだろうな。一度決めたら譲らない。本当に…誰かに似て』
「ふーん、ハルちゃんの知り合いで、ボクと似ている人がいるんだ」
『あぁ、容姿は私にそっくりなのに』
ガッツリ、お前は私の母親だ、と言っているような言葉を聞かなかったフリをして、居場所を尋ねた。
現在の十字目のボス、壊の居場所は「マステマ」の街。そこにいたボスを煙ファミリーの一人が見つけて、掃除屋が向かい交戦中らしい。また、ことの事態を重く見た煙も動いている、とのこと。
今向かえば確実に掃除屋と鉢合わせして、煙とも鉢合わせする。そんなサプライズごめん被りたいが、仕方あるまい。
『いいのか、そうすればお前は煙ファミリーに狙われる立場になる。十字目がもし倒されれば、以前と同じく煙ファミリーの天下だ。安息の地がなくなるぞ。私としても煙はチダルマと親交が深い。これ以上庇ってやることは難しくなる』
ねぇ、まず庇うこと前提なのが優しすぎるんよ、ハルちゃん。
「そのときはホールで壊くんと逃げて暮らすよ。彼は扉が作れないからね、一度向こうに渡ってしまえば簡単には戻れない。ボクがしっかり首輪をつけて、管理する」
『さらっと監禁しようとしてないか?』
「言葉の綾だよ、それは。でもそれぐらいしないと彼は止まらない。考えても見てよ、元は一人で魔法使いを皆殺ブッコロしようとしてたんだよ? そんな彼を止めるには実力行使しかない」
最悪、記憶の一部を消すことさえ考えてるからね。必要なら枷と猿轡も用意する。
そんなボクの様子を見て、独占欲が悪魔並だぁ…と、ハルちゃんは呟いた。
「じゃ、ボク行くね」
ハルちゃんが作ってくれた扉の前に立つ。もしこのまま壊くんをホールに連れて行ったら、当面は彼女と会えなくなる。少なくともボクから会いに行く機会は減る。
そう考えたら、扉を開けるのが躊躇われた。
その手にハルちゃんが触れて、開けさせる。白い、人の手だ。
「小夏」
いつの間にか出てきていたコアハルちゃんが、ボクの手に触れて、こちらを見つめている。
どこか寂しそうに。まるで我が子の旅路を送り出す、母親みたいに。
こんな優しい母親の記憶を、ボクは覚えていない。人を殺しても罪悪感を感じない魔法使いであるけれど、彼女の寂しい表情をみると、吐きたくなるほど罪悪感が込み上げる。
ボクはどうして覚えていないのか。
その理由は、ほんのひと場面だけ思い出した、血まみれ姿の彼女が関係しているに違いない。
今の「ボク」は、昔の「ボク」を切り離して生きている。
トカゲの切れた尾のように、ちぎれちまった部分は元の体に戻れない。
「お前がどこに行こうと私はお前を愛しているし、お前が私を嫌いになっても愛し続けるし、ずっと私はお前の味方だ。たとえ世界がお前を、敵に回しても」
『キサマは私のものだ、それを忘れるなよ』
悪魔ハルちゃんにマフラーを巻かれ、コアハルちゃんに抱きしめられる。本来なら、ボクが今顔を埋めている巨大なおっぱいが自分の胸についていたはずなんですが、そこんところの意見を求めてもよろしいですか?
『感動的なシーンで何を考えているんだ、キサマは』
「しょうがないじゃん! デカいんだもん!!」
ぐわしィ、と彼女の胸をつかむ。怒りに任せて揉んだが、我に返って考えると、この人物は自分の母親である。冷静になると、無性な敗北感が襲った。
「仕方ないな」
ため息を吐いたハルちゃんは、悪魔ビーム……ではなく、コア本体がケムリを出す。
悪魔になってもコアであればケムリが出せるのか? 場違いな感想を抱きつつ、そのケムリに覆われたボクの体は大きくなった。そのあと悪魔パワーを食らって、ピチピチしていた服が標準サイズに。
「私の魔法は、体を若返らせたり老いさせることができる。これで小夏は私が死なない限りは、ピッチピチだぞ」
「なるほど、だからハルちゃんは若く見──」
──殺意を感じたので、黙ります。ボクの誠心誠意の土下座をお受け取りください。
「ではさっさと行って、相手を悩殺してこい」
「うん、わかった。メロメロにしてくるよ」
ボクはあなたとカスカベ博士の子どもに生まれて、世界一幸福な魔法使いだよ。
⚪︎⚪︎⚪︎
扉から出た場所は、壊くんの居場所の近く。
すぐ側に出ると、戦いに巻き込まれてボクが秒速でポクポクチーンになるかもしれないから、とハルちゃんが設定した。
壊くんを狙っているのは掃除屋コンビだけじゃないから、その他の煙ファミリーのメンバーも集まっているはずで。そう考えると血だまりや血臭のするところ、また騒音がするところに行けば出会える確率が上がる。
「ケムリを出して、っと」
ボクの力は便利なもので、純粋に筋肉だけでなく聴覚や視力も強化できる。それでダイヤルをキリキリ言わせれば、遠くの音もよく拾える。あまり使わないけどね。だって情報量が多すぎて、吐き気に見舞われるんだもの。
「…建物の、中っぽいな」
とある場所から血の匂いがする。えげつないレベルで。
そこに向かえば案の定、どこもかしこも血祭りである。床も天井も壁も、余すことなく真っ赤。芸術ポイントが高い。
死体を踏み越え、目的の場所に向かった。
が、急に体が倒れる。
「う、ぎっ……!?」
気持ち悪い。頭が痛い。
地面が天井になって、天井が壁になって──という感じで、平衡感覚が失われる。視界のすべてがグニャグニャと歪んだ。何だこれ、まるで………まるで?
「ホールの、雨……?」
その症状がいつもの倍に増して我が身を襲う。ボクは人間の血もあるから、他の魔法使いよりは軽症で済むんだけどな。おかしい。
そのまま血を這うようにして、廊下を進む。服が地面を浸す魔法使いの血に濡れて、盛大に汚れる。ハルちゃんのマフラーは汚すまいと、根気で頭に巻いた。
「おえっ……マジ何なん…おえっ」
美女がキラキラさせてる場合じゃない。普段症状が小さい分、急にガツンと来ると、マジで死ぬわコレ。
壁にしがみついて、気持ち悪さをより強い衝撃で打ち消そうと頭のダイヤルを回しに回し、前に進んだ。
それで、それでようやっと壊くんを見つけた。地面には能井ちゃんがモツを腹からはみ出させて倒れている。十字目は管の造りを熟知しているから、いくら修復を持つ彼女でも、ケムリ管の場所を狙われたら再起不能にされる。
現状は壊くんVSシンくんか。でもシンもこのホールの雨の症状に耐え切れないようで、体にいくつもの負傷を負っている。この中で平然と動けている壊くん本当に魔法使いかよ。魔法使いだけど。
「壊、くん!」
こちらに背を向けていた彼が振り返った。同時に腹を切られ、ついに崩れ落ちたシンくん。目が丸くなっていた。
やぁ、裏切り者の小夏ちゃんだよ。そもそもボクは煙ファミリーの魔法使いじゃないけどね。
「あん…た、なんで、ここ……にっ」
「おえっ」
可哀想に、ボクの胃は何も吐けるものがないのです。察してください。
「小夏!」
壊くんが走って来る。その血塗れボディでもいいから瀕死のボクを抱きしめてくれ──と、思ったら、突然ホールの雨の現象が治った。しかし重傷を負わされたシンくんは起き上がれず、能井ちゃんは気絶したまま。
「……どういうことだ、リンリン。お前は、十字目側だったのか…?」
「どうもこうもないさ、シンくん。煙ファミリーだからとか、十字目だからとか、全部どうでもいいんだよ。ボクは彼だから、壊くんだからここに来たんだ。君が心底能井ちゃんのことを、愛しているみたいにさ」
壊くんの体をベタベタ触って、ケガがないか確認する。眉間にものすごく皺が寄っている。どこ見てんのかと思ったら、皮ジャンの下のキャミソールに視線が向いている。ボクの胸を揉んだ過去でも思い出したのだろうか。
「そんなことより行くぞ壊くん、ここから逃──」
瞬間、窓を突き破って、赤いホウキが突っ込んできた。ボクらとシンくんを分断するように。
その上にカッチョよく乗っていた人物は、飛び降りてこちらを静かに見た。青筋が浮かんでいる。目も獰猛で、かつて「キリキリ」としてその男と対峙したことを思い出した。
「煙、さ……」
血の流しすぎで意識を失ったシンくんを一瞥し、煙はマスクに手をかけた。開口できるのだ、あの歯が剥き出しのマスクは。
「居場所は部下に持たせていた俺のキノコでわかった。してくれたな、十字目のボス。それと────発明家リンリン。煙ファミリーを裏切った報い、今ここで受けてもらおう」
さも当然のように、ボクが煙ファミリーであるような言い方をするのは辞めてもらっていいですか?
そりゃあ提携してるし、それなりに親しくさせてもらっているし、第二工房まで作っちゃったし。繋がりが深くなっていたのは事実だけど、それでも正式に煙の部下にはなっていない。
「かっ、壊く……」
煙を捉えた彼の目が、冷たい、凶悪なソレに変わる。魔法使いを殺す過程で見せる、彼の殺意。底の見えないその瞳を見ていると、不安に駆られる。
まるでその時の壊くんは、壊くんではないような。そんな、漠然とした不安。
相手が初手を切り出す前に飛び出した彼と同時に、また猛烈な頭の痛さが起こる。煙も目を見開き、頭を押さえた。
「なん、だコレは…ッ!!」
聞こえる、壊くんの声。聞こえるよ、狂気の声。混沌に満ちた声。楽しそうにさえ聞こえる。
「魔法使いは……全員ブッ殺す」
ナイフが煙の手首を切り落とす。視認できないその速度。
バラバラと、何かが崩れていく感覚がする。ホールの雨もあるせいかな? 思い出さないようにしていた、かつてのホールの出来事を思い出す。側溝に顔を突っ込んだときに見えた、無数の顔。悲痛と憎悪に満ちた、顔。
またその声が、聞こえる気がした。
【──────コォ】
【──────ロロ】
【──────スゥ】
殺意に満ちていて、悪意に満ちていて、心の底からの絶叫。
声の主はわからない。ボクの頭に直接響く。頭が痛すぎてまた吐いた。酸の、なんとも言えない味がする。
「ぁ、っ……や、ぁ…」
声にならない悲鳴を上げて、床をガリガリ引っ掻いた。壊くんに、アイくんに助けて欲しくて、それがダメなら誰でもいいからこの気持ち悪さから解放してほしい。脳みそをグチャグチャにされるような感覚から、救って欲しい。
その時、手に熱を感じた。壊くんが頭を押さえている。何だよ、君も痛かったのに我慢してたのか? 目から黒い血? みたいなのが流れている。
「こ、なつ」
まだ煙にトドメを刺していないだろ。ほら、立ち上がったぞ。奴がケムリを吐いたら大変なことになるぜ? というかあのブチギレた煙の様子だと、周りに部下二人が倒れてんのも見えてないな。確実にこのままだとケムリに巻き込まれるぞ、彼ら。
「う、う゛、う」
ドバドバと、血の涙が止まらない。彼の手はその懐に伸びて、瓶を取り出す。それを割ると扉ができた。なるほどね、逃走用にちゃんと持ち歩いてんだ。だったらホールから魔法界に渡る用も確実に持っている。探して没収しないと。
ボクの意識が持ったのはそこまでで、とうとう意識が落ちた。
***
黒い雨が降る世界、ホール。
怒りによって正気を失った煙から逃れた壊と、彼に抱えられた小夏。
その壊の首は────ない。
地面に蹲った男は、雨に打たれながら固まる。そして次の瞬間、その首の断面から九つの首が現れた。どれも首と頭を繋ぐ脊椎が存在する。
七つは雨を浴び、狂い笑いながら踊るように揺れる。うち一つは垂れ下がり顔が見えず、うち一つは
それは歌う。
歌うように狂喜して、狂気する。
魔法使いを、殺す──────と。
その首が一つになるとナイフを取り、小夏の前に立つ。そしてその一撃が、彼女の腹に刺さった。
「ぐ、がっ……!?」
衝撃に目を覚ます小夏。
彼女は見た、男を。目にあざを持つ男の姿を。
刺される度に彼女の体が痙攣し、血を噴き出す。口から漏れ出る血液で、顔は真っ赤に染まった。
「かい゛、ぐ、がい、か、ぃ」
伸ばした手はナイフの抜き差しに巻き込まれて、ひき肉のようにグチャグチャになっていく。
血なのか、それとも黒い雨なのか、血で真っ赤だった男の顔が洗い流された時、その眼前には一人の女の死体ができあがった。
白目だった男の焦点が戻り、その姿を認識する。
自分が殺した女の姿を、壊は視認する。
「小夏…? こな……」
雨では落としきれない肉が、ナイフにこびりついている。
「あ……こ、なつ、こなつ」
そしてこの日、さらに壊れた。
慟哭の声が聞こえる。
雨に混じって、一人の男の声が、ほら。