早朝。潮風に吹かれていると、背後からおーいと呼ぶ声がする。ダヴァンもよくここに来るが、こんなことはしない。というか明らかに声が違う。振り返ると、堤防の上に人影があった。黒い髪に藍色の瞳のセーラー服の少女。背丈は私と変わらない。誰何するまでもなく分かる。奴だ。ミーティングでここ最近目に残像が映るのではないかという程見た、小鳥谷藍だ。
「辻垣内さん、何でこんなところに?」
「愚問だな。何故も何も、ここは私のホームだぞ」
「それもそっか」
階段を軽快に下りた彼女は、私の隣までやって来る。
「お前こそ何故ここにいる?」
「散策だよ。折角東京に来たしね」
「余裕だな」
「まあね」
こちらをじっと見つめて、ふんふんと何事か頷く。
「ガイトさん、やっぱそっちのが可愛いよ」
「かわっ」
下した髪を触ってきたかと思えば、突然妙な事を言いだした。本当に読めない奴だ。あとガイト呼びはやめろ。
「試合の時もそれでいけばいいのに」
「余計なお世話だ」
落下防止用の鉄柵に凭れた彼女は、遠い目をして水平線の彼方を見遣る。一頻り眺めた後、思い詰めた顔をして話を切り出した。
「去年の世界ジュニア、宮永さんと行ったでしょ。どう、いい勝負できた?」
個人戦1位を獲った彼女も、当然世界ジュニアへ出場するだろうと考えられていた。しかし去年の彼女は出場を辞退した。それを耳にした私は、当然納得がいかなかったので本人に問い詰めた。彼女が言うには、祖母の危篤が理由だという。春季大会も病欠だったというのだから、つくづく間の悪い奴だ。二つの意味で悪いことを訊いたと思って謝罪したのだが、当人は世界ジュニアに出られなかったことは全く気にしておらず、祖母の方が心配なようだった。
「……結果としては優勝どころか決勝リーグにすら行けなかった。やはり世界は手強かったと言わざるを得ない。が、手も足も出なかったというわけではない。私達も内容では決して負けてはいなかった」
「そっか。それはよかった」
憂いを帯びた表情。その『よかった』という言葉は、額面通り私達の健闘を喜んでいるのだろうか。私には、まるで
「今年は出ないのか」
彼女がそうしたように、今度は私が問う。去年は事情があって出られなかったが、今年は同じようなことが起きなければ行けるだろう。彼女の存在は、間違いなく世界制覇の鍵となる。去年は彼女の存在により決勝リーグ進出も夢ではないと噂されていただけに、出場辞退が報じられた時は各方面が落胆したものだ。今年こそは、と望む声は大きい。私だって日本の一雀士として、期待せざるを得ない。
「……気が向いたらね」
けれども。そう答えることは何となく分かっていた。やはり彼女は他人の限界を知る事を恐れている。自分よりも強いかもしれない相手が、戦ってみたら実は弱かったと知る事を。こうなったのは間違いなく私達が原因だ。
「じゃ、私は行くよ。また準決勝で」
去年の個人戦決勝以来、彼女には哀愁が付いて回るようになった。普段はあまり見せないがふとした瞬間に、目を離せばどこかへ消えてしまいそうなほど儚い空気を覗かせる。
卓上では独裁者を思わせるほどの存在感を放っていたのに、今は覇気を感じ取れない。遠くへと去るその背中も、より小さく見える。豆粒より小さくなる前に、ポツリと呟いた。
「戦わずして勝った気になるのはお前の悪い癖だぞ、小鳥谷」
「もう戻ってきはったんですね、お帰りなさい」
東京の散策から帰ってくると、宿泊室にはフナQがいた。ソファに座って携帯を見ると、8月11日9時5分と表示している。
「準決勝もうやってる?」
「はい。今は先鋒戦やってます。今さっき前半戦が終わったところです」
今日はAブロックの準決勝。対戦カードは新道寺、阿知賀、永水、白糸台。ここから勝ち上がった上位2校が私達と決勝で戦うことになる。
「他の皆は?」
「園城寺先輩と清水谷先輩はまだ寝室です。江口先輩はさっきどっか行きました」
どれどれ。先鋒は新道寺が花田煌、阿知賀が松実玄、永水が神代小蒔、白糸台が宮永照……か。今の所宮永さんが大量リードしている。
白糸台 145400
阿知賀 84100
新道寺 70000
永水 100500
「永水が意外と頑張ってるね」
「点数的には全然ですけど」
「前半戦が終わったのにラスの高校がまだ70000点以上持ってるほうがおかしいんだよ」
宮永さんは私より容赦がない。隙あらば先鋒戦で準決勝を終わらせに来る。神代さんはマックスモードではないみたいだけど、それでも宮永さん相手に高打点を2回和了っている。新道寺と阿知賀はほぼ焼き鳥状態の中で、頑張っている方だろう。
「時折出る神格がいい抑止力になってるのか」
私には永水のそれぞれの神格の持つ権能までは分からないが、宮永さんならそれも分かっているだろう。しかし『照魔鏡』を以ってしても、永水の神格が降りてくるタイミングまでは分からない。決勝に強いのを残しているだろうとはいえ、何が降りてくるかもランダム。このタイミングと種類のランダム性が、逆にいい塩梅になっている。打点上昇の縛りがある連続和了の途中で、支配系や加速系の能力が不意に現れると対処が難しい。実際、永水の2回の和了は宮永さんの連続和了を阻止するものだった。
それと、宮永さんが立ち回り難いもう一つの要因がある。
「阿知賀の子、ドラを集めるんだっけ」
「ええ。分かりやす過ぎます」
フナQからタブレットを受け取る。配牌や和了時の平均ドラ数といったデータが表示されていた。ドラ占有率100%は驚異的だ。これによって宮永さんはドラで打点を上げることができない。
「ドラ娘は宮永照に余り牌を狙い打たれてますね」
「凄いよね。いくらドラを手に抱えるっていっても何がいつ零れるかまでは分からないし、零れる牌に待ちを寄せていかなきゃならないんだよ?」
同じ白糸台の次鋒の、シャープシューターとか呼ばれてた子なら能力的にできそうだけど。
「江口先輩が言うとった『鏡』のおかげでしょうかね」
「『照魔鏡』はそこまで見抜く力はないよ」
「ああ、先輩も去年個人戦で戦っとったんでしたか」
だからこそ恐ろしい。あんなの普通に考えてセンスや技量でどうこうなる芸当じゃない。私には無理だ。あれが能力ではなく純粋な雀力で成り立っているのだとしたら、能力無しでは敵う気がしない。
「喰らった本人には何を見抜かれてるとか分かるもんなんですか?」
「いや、まったく。鏡が背後に現れて大事なものを見られるような感覚がするだけ」
「え、じゃあなんで先輩はそんなこと知っとるんです?」
「見られて困るようならそれはそれで良かったんだけど、本気でやりたかったから無抵抗は流石にって思って。あの時は逆にこっちから――」
「あれ、もうこんな時間やん」
先鋒戦の事で話を咲かせていると、怜と一緒に二度寝していた竜華が起きてきた。
「今何しとるん?」
「向こうの準決勝見てます」
「えー、私も見たい。怜起こして着替えてくるわ」
Aブロック準決勝は次鋒戦が長引いたため昼休憩はなし。私達はセーラが買ってきた素麺を食べながら中堅戦を観戦していた。
「フナQのデータ見たけど、ようここまで分かったなあ」
相変わらずの早食いで一番に完食したセーラは、観戦の片手間にタブレットを弄っていた。私も見たが、特に阿知賀に関する分析が凄い。萬子が集まる次鋒の松実宥、筒子が集まる副将鷺森灼……と思いきや前者は赤い牌なら何でもよく、後者はボウリングの1投目で残ったピンの並びの定石で当たり牌を待つというのが真の能力。
「ボウリングとかそんなん分かるわけないやろ」
「うちのプロファイリングを舐めてもろたら困ります」
位置を直した眼鏡が誇らしげに光る。
「次鋒の方は小鳥谷先輩が似たようなのやってたので分かりやすかったですよ」
「断紅和とか紅孔雀のこと?」
『
赤色を含まない牌、つまり{②④⑧23468東南西北白發}のみで和了るローカル役。門前3飜、食い下がり2飜。字牌なしだと清断紅といって門前6飜、食い下がり5飜と清一色と同じ飜数になる。阿知賀の子はこれと完全に真逆のことをしている。事実上の絶一門であり、{234}でしか順子を作れないため対々和との複合を狙いたいところだ。
『紅孔雀』。
{1579中}のみで和了るローカル役満。使える牌が5種類しかないため七対子にはならず、鳴きはありだが隣接した数牌がないため順子ができず、必然的に対々和となる。阿知賀の子は索子以外や赤くない牌も織り交ぜられるが、こちらは役満だけあってとんでもなく手が狭い。通常の麻雀では満貫確定とはいえ和了りにくさに見合っていないため、私も滅多としてこの役で和了ることはない。
「他にきょーいになりそうなんは誰なん?」
素麺をちゅるちゅると啜りながら怜が問う。
「やはりシードだけあって永水と白糸台はあからさまにヤバいのが揃ってますね」
永水女子は北家に東と北を鳴くと南と西が集まって四喜和になる副将の薄墨初美、一色を独占する大将の石戸霞。白糸台は第一打に捨てた牌がオーラスの配牌になる中堅の渋谷尭深、他家の配牌が五向聴以下になる大将の大星淡が要注意か。
「新道寺は中堅まではパッとせえへんし、ここが決勝に上がってくることはないんちゃうか?」
「いんや、そうとも限らないんですわ」
新道寺は見たところ中堅に至るまで能力者がほぼおらず、選手層が薄いように思える。が、曲がりなりにも準決勝まで勝ち進んできたのには理由がある。それは副将の白水哩と大将の鶴田姫子が圧倒的なエースであるということ。強さの秘密は白水が和了ったのと同じ局の同じ本場で、鶴田が倍の飜数で和了るという異質な能力にある。この手の条件が重かったり制約の掛かった能力は支配力が強力と相場が決まっている。確実に和了れるということは、他校の和了を阻止するということでもある。先鋒と並んでエース区間の大将戦でこれができるのは、想像よりも大きい。
「だからこそ、副将まで飛ばずに持ちこたえたなら決勝進出のチャンスはあるってことです」
ここが決勝に上がってきたら、副将の清水谷さんがどこまで抑えられるかにかかってくる。親番を潰されると『八連荘』が使えなくなるため、私でも危ういかもしれない。まあ、絶対に和了ると分かっているならそれはそれで付け入る隙があるのだが。
「阿知賀は打ち方が特異なのが揃ってるけど、実際に脅威になりそうなのは先鋒ぐらいかな」
むしろ、ここで落ちそうな高校の最有力候補は阿知賀だ。今の所先鋒のへこみを順調に取り戻しているが、打点を先鋒に頼っているためこれ以上点を失えない。となると他校のエース格が揃う大将戦がキツイ。
そして迎えた大将戦。予想通り白糸台と新道寺が暴れることになった。
「白糸台の大将、あんなん隠してたんか。毎回ダブリーってやばすぎやろ」
「藍のマシンガン『人和』も相当やけどな」
清水谷さんから耳が痛い指摘が入る。何故そこで矛先をこちらに向けるのか。
「あれはちゃんとデメリットがあるから許されない?」
「ギルティ」
怜からの判決が下る。いやいや、少なくとも怜には確実に躱されてるから目の敵にされる余地ないでしょ。清水谷さんも『無極点』状態だと偶に躱されるし。
それはそれとして、大星淡の能力だ。配牌五向聴で周りを低速にしつつ自分はダブリーという鬼畜仕様。新道寺のコンボ以外じゃ止まらない。それに。
「カンしたら裏ドラモロ乗りか」
ダブリーするときは決まって役無しダブリーの2飜だけど、カンをすると4枚乗るから跳満。打点まである。
「でも出和了り以外じゃスピードはそこまでないのが救いだね」
「いやいや、ダブリーでスピードが無いってんなわけないやろ」
「聴牌の速度ならね。和了りの速度のことを言ってるんだよ」
「そうか、角や!」
突然叫び出したフナQが、興奮した様子でタブレットを弄る。
「角?」
「壁牌の最後の角を超える直前でカンをして、その角を越えた直後に和了ってるんです」
へー、流石フナQ。そんな特殊な能力は持ってないから見当も付かなかった。でも、前半戦でカンをしたのに和了れていない局があったような。ということは、他の能力の妨害を受けている? 確か、その局に和了ったのは――
「阿知賀の大将、名前なんだっけ」
「高鴨穏乃です」
私の当初の阿知賀に対する評価は間違っていたが、この時の予感は当たっていた。数局後、再び同じ状況がやってきたからだ。
「やはり山の深いところで大星淡の支配が弱まってるみたいです」
「最後の角が賽の目で決まるから、勝負の行方も賽の目次第なんだね」
決まりだ。高鴨穏乃は能力者。山の深い所、というなんとも曖昧な場所に支配力を発揮する能力。具体的にどういう支配なのかは分からないが、少なくとも自分に有利に働くものなのは確かだ。
Aブロック準決勝の結果は阿知賀が1位抜け、白糸台が2位抜け。シード校の永水が脱落という番狂わせが起きた。私が相手をすることになるのは大星淡と高鴨穏乃。支配系盛り沢山で動きにくい試合になりそう。本音を言うなら副将戦で新道寺にほぼ全局和了られるとかの方が楽しそうだったけど。
「さ。向こうの事はこのくらいにして明日の準決勝に備えよか」
明日は私達の準決勝。対戦校は臨海と清澄、そして有珠山高校。臨海はメガン・ダヴァンと辻垣内さん以外は国内での公式試合が今年初となるため、情報が不足気味。有珠山高校も初出場だし、フナQが過労死しそうだ。それでも向こうの準決勝を分析するぐらいには余裕があるのは、初日から前もって分析を行ってきたおかげだろう。こういう抜け目の無さというか、計画性の高さは監督やコーチに向いていると思う。案外将来は愛宕監督と同じ道を辿ったりして。
「あー、それなんだけど。夜はちょっと用事があるから監督とのミーティング一番乗りにさせてもらってもいい?」
「別にええですけど、何するんです?」
「ちょっとある人達に対局を申し込まれてね」
全国の個人戦や団体戦に出場する選手同士の対戦は禁じられている。つまり、その規則には反しない相手なら問題はないということだ。