千里山は先鋒で稼いだリードを維持しつつも次鋒、中堅、副将とじわじわと伸ばし大将戦へとバトンを繋いだ。ここまでの試合運びは、監督として私が出した作戦通りの展開になった。いよいようちのエースオブエース、大将の出陣や。
と思ったら藍が控室を出て対局室へ向かうその足を止めて、思い出したかのように振り返った。
「皆は、
ついでにおつかい頼まれようか、と言うようなノリの軽さ。対白糸台……というより対宮永照を見据えて、決勝に一緒に勝ち上がる高校を選別するという意図だろう。確かにそれができれば、優勝の確率は上がる。上がるが、他校の着順を操作してその上で勝つ、なんてことができればの話。
戦う前からもう勝った気でおる。普通なら、そんな舐め腐った態度の奴はきつく注意する(こんなことをぬかす奴はうちの指導歴の中でも藍以外にいないが)。
「私は清澄やわ。先鋒戦での感触からして、片岡さんが味方になるって考えたら東場だけでも楽できそうや」
「怜の負担が減るなら、うちも賛成したいけど……。それで藍が手抜くのは許さへんで」
「どうせ準決でシードと当たるので、どこ選んでも一緒な気しますけど……うちも清澄ですかね」
しかし、この場にそれを傲慢と捉える者はいなかった。
「余裕かますのはええけど、足掬われんよーにな」
唯一戒めたのがセーラ。もっともそのニヤついた顔を見れば、揶揄っているだけで本気で注意しているわけではないのは分かる。
「監督はどうですか?」
「勝つならなんでもええ、好きなようにしい」
結局、監督の私も含めて誰も異を唱えることはなかった。今度こそ扉の向こうへと消える藍を見送った後、ソファに腰掛けた。
「はぁ」
気づけば出ていた溜息は藍の無茶苦茶な発言にか、それを咎めることもしなかった自分にか。
「2回戦第3試合は副将戦を終えて千里山女子が2位と32100点差で他校を大きく突き放してトップ。他3校はベスト8をかけた2位争いの様相を呈しています」
モニターは控室から大将戦へと向かう各選手達を映している。
「大注目の大将戦。宮守女子高校からは姉帯豊音選手、最下位からの逆転を狙います」
宮守は2回戦までに大将に負担をかけない形で勝ち進んできたため、一見何の変哲もない選手に見えるほどにデータが少ない。私も浩子も確証を持てないので、先入観を持たせないために藍には牌譜以上のことは何も言っていない。
「清澄高校からは宮永咲選手。地区大会では和了の多くが嶺上開花によるものです」
「このデータは目を見張るものがありますね」
「姫松高校、末原恭子選手は順位を維持できるか」
「彼女の活躍次第で、大阪2校の準決勝進出もありえます」
藍曰く、清澄はやりあうまで確実なことは言えないがどうとでもなりそうとのこと。姫松は合同練習でも戦っていて情報は十分だし、油断はできないが順当にいって負ける相手ではない。
「そして千里山女子高校からは満を持して、個人戦
そして我らが小鳥谷藍。彼女の麻雀ははっきり言って異常だ。しかし私は、相談されない限りは個人の打ち筋には滅多に口を出さない。例え異常な打ち筋であっても勝てているならそれでいい。下手に矯正して個性を殺す方がまずいからな。
私が監督として指示を出すのは、主にチーム全体としての試合運びや対戦校の対策。とはいえこれに関しては浩子や藍にほとんどお株を奪われている。藍の凄い所はあれだけの強さがありながら浩子とは別ベクトルの分析力を有していることや。浩子はオカルト・非オカルト問わずデータに基づいて相手の打ち筋を導き出す。一方の藍はオカルト専門で、膨大な数の能力を有するが故の知識と経験から相手の能力を推論してその法則を暴き出す。浩子がデータサイエンティストとしたら、藍は理論物理学者とでも喩えようか。
そういうこともあって、藍は特に手のかからない奴や。というか扱いに困っとる。藍について私が指示する最大にして唯一の作戦は、団体戦での先鋒に置くか大将に置くかのオーダー。もちろんチーム全体としての作戦は藍にも伝えているが、最終的には本人に任せているのが実態。監督としては不甲斐ない限りやが。大将に置いているのは、去年の団体決勝の反省を活かしてのこと。先鋒で大きく点を稼いでも、大将戦までの間にヘイトが集中してしまって皆の負担がデカくなる。かといって、決勝進出校のエース達相手に飛ばすほど稼げるかどうか。去年の個人戦を見てたら、藍ならやってみせそうやけどなぁ。今年は怜という対エースの申し子がいるのがこのオーダーにした理由でもあんねんやけど。
「小鳥谷選手は昨年にエースとして2年生ながら初出場し、個人戦では一昨年のチャンピオン宮永照選手を倒して王座を奪いました」
「あの対局は内容も衝撃的でした。まさか宮永照が4位になるとは誰も予想できなかったでしょう」
「そういえば、戒能プロも高校時代に宮永照選手に勝利していますよね」
「ええ。私がディフィートした時は万全の状態ではなかったですが」
「では、小鳥谷藍選手は戒能プロと同じくらい強いということでしょうか」
「どうでしょう、もしかしたら私より強いかもしれません」
「それはなぜ?」
「私には、個人戦決勝のアレが偶然だとは思えません。まだ力を隠しているとすれば――」
彼女との出会いは、1年前の春まで遡る。体験入部を終えて、入部希望者達のリストに載っているそれぞれの戦績と部員による備考欄を見ていると、目につくモノがあった。その生徒の名前は小鳥谷藍。セーラと同卓して戦績は2位。まあ、これはええ。半荘一回の戦績では大して何も分からへんし、この体験入部で見ているのは牌譜から傾向や特質をある程度把握するためにやっとることや。性格診断であってIQテストではないって感じやな。
「2年生?」
目についたのは名前や戦績ではない、学年だ。2年生で入部した者は千里山の歴史上ほとんどいない。転校生か、千里山がまだ全国大会常連校やなかった時代に記録があるくらい。
「セーラ、これどういうことや?」
「忘れ物を届けにきてくれはったみたいやけど、俺が体験入部生と間違えてしもて対局したんです。それで……ああもう、後は俺やなくて竜華に聞いてください」
部室にいる竜華を捕まえて訊いてみる。
「セーラとの対局を見て、なんか凄いもの秘めてるって感じたんです」
「それで?」
「入部
させたって、そんな強引な。理由も曖昧やし。
「とにかく、この1か月で見極めてください」
力量を見極めるために毎年行っている、最初の1か月の練習試合のことか。1年生から3年生まで全員参加するこれは、地区大会のメンバーの選抜を兼ねている。とはいえある程度同じ実力同士の対局になるようにはしとる。そこでどこまで這い上がれるかやな。前年度レギュラーにして現部長の竜華が言うんやから、今のところは信じてみようか。
1か月後。
「何やこれ」
散々目を通した戦績表を片手に、眉間を揉む。例の2年生小鳥谷藍は、どの対局も他を大きく突き放して成績トップ。竜華の提言で前年度の一軍メンバーに混ぜて打たせてみたところ、そこでも圧倒。この1か月でトップ率100%という化け物染みたというか、化け物そのものの成績を残している。
確信した。彼女は白糸台の宮永照のような怪物に違いない。
こんな才能がうちの学校で丸1年眠っていたなんて信じられへん。聞けば小学・中学共に麻雀部やクラブに所属したことはないというんやから更に驚きや。
こうなると、その強さの秘密が知りたくなる。監督としても、元プロとしても。だから訊ねてみた。
「ローカル役?」
ローカル役なんて言葉を耳にしたのはいつ以来やろか。プロになってからは縁のない話やし、ルールの固定化されてきた現代では尚更聞かない。今でも雀荘に行けば独自ルールでやっとる所もあるけど。
「はい、ローカル役を目指すと手が早くなったり打点が高くなります。正確には、
「それは、なんとまあ」
なるほど。何らかのローカル役ができても、実際の麻雀の役ができていなければ和了ることはできない。そう考えると色々難儀しそうやな。
「例えばどんな?」
「そうですね……手っ取り早くて分かりやすいの、何があったかな」
少し考え込む様子を見せると、卓に座ってこう言った。
「『オープンリーチ』を見せましょう」
私とセーラ、それに竜華が卓について説明を受ける。
『オープンリーチ』。
リーチ宣言時に手牌を公開するという、かなり異色にして比較的ポピュラーなローカル役。通常のリーチの1飜に代わって、または1飜追加して2飜の役となる。オープンリーチに放銃した場合は役満払いというルールもあり、これは意図的な振り込みを防ぐためである。ただし先制リーチ者の放銃の場合は2飜の扱いとすることも多い。これは追っかけオープンリーチの存在がリーチのリスクを激増させてしまい、誰もリーチしなくなってゲーム性を著しく破壊するためだ。また、手牌の公開は手牌全ての場合と、待ちに関係のある部分だけの場合の2種類ある。
――以上、藍による説明。
「確かに、オープンリーチぐらいなら私も知ってるけどな。ローカル役になりやすいって話やったが、これやとリーチと変わらへんのやないか?」
あと、練習試合のルールでは当然こんな役無いし、藍の強さの証明にはならん気がするが。
「まあそれはそうなんですけど。見たほうが早いです」
今回はオープンリーチ有りの対局を行い、細かいルールは先に説明した通りの2飜で、分かりやすくオープン時は全ての手牌を公開する。ただし役満払いは無しとした。
「リーチ」
8巡目 藍 打{横四}
「オープン」
藍 東家 手牌 ドラ{一}
{三四五③④⑤⑦⑧⑨4555} {346}待ち
「で、この後どうすればええんや?」
「お好きにどうぞ」
お好きにどうぞ?
これは彼女の言った『ローカル役であがりやすい』ということを証明するために始めたことやが。それはつまり、何をしようとどうせ和了るからお前らは何をしても無駄やぞ、と言ってることになる。出和了りは期待できひんっちゅうのに、随分な自信やな。それに、ここに同卓してるのが誰か分かってんのか。前年度レギュラーのセーラと竜華、この子らには練習試合で散々勝ってるから良いにしても。
「面白いこと言うやないか。元プロの私を舐めとんのか?」
ははは、と乾いた笑いをぎこちない表情で返す藍。気付いてなかったんかい。なんや気が抜けたわ。
愛宕雅枝 南家 手牌
{二七八①②⑧⑨3344中中}
絶対に自摸れる自信があるってことになるが、{3}と{4}はこっちが半分以上抑えとる。
「ポン」
セーラ 西家 ポン{白白横白}
「ポン」
セーラ ポン{発横発発}
「へへーん、お好きにどうぞって言われたからな。こっちも景気よく行かせてもらうで」
セーラが大三元の気配を匂わせる。中は切れへんな。
「カン」
清水谷 北家 カン{裏一一裏} 新ドラ{一}
む、竜華がドラ8の倍満確定。なんやえらい大味な局になってきたな。
清水谷 河
{東南西3⑤赤5}
{7①9③二}
しかもこの河、前々から思うとったけど萬子の染め手が濃厚。門前混一色か、鳴いても赤一つ持ってたら三倍満。いや、字牌の切り出しや場況から見ると清一色の数え役満なんてこともあり得る。
中は切れない。萬子も切れない。
愛宕雅枝 南家 手牌
{七八333444666中中} {七}
ほんでこの手牌や、もう呪われてるとしか思えへん。和了り牌を引く前に死んでまいそうや。私の元プロとしての経験と勘も、地雷原の真っ只中にいる錯覚すら覚えるこの状況に警鐘を鳴らしている。
愛宕雅枝 打{4}
「ロン」
藍 ロン
{三四五③④⑤⑦⑧⑨4555} {4}
藍に振り込むしかない。{6}やと平和、{3}やと三色もつくが、{4}で振り込めばオープンリーチの2飜のみ。{34}は四枚見えてるから裏は載っても2枚まで。最悪でも満貫出費で済む。まだ中や萬子は通るかもしれないとか、そんな温いことをするようならプロにはなってない。リスク管理を考えるとこれが最善の選択。
「オープンリーチのみ、裏は……」
裏ドラ{③⑨}
「2つで12000です」
「ちゃっかり裏2……まさかこれがあんたの特性っちゅうことか?」
「いえ。ツモ和了りなら高めが出るような気もしていますが、これは多分ただの偶然ですね」
「多分?」
「リアルの麻雀はあまりしませんし、オープンリーチなんてそれこそできる機会がないので。サンプル数が不足しているんです」
ネット麻雀はそこそこするらしいが、これほどの強さを持ちながら卓を囲んでやる麻雀はほとんどしないらしい。それゆえ自分の特質に関する知識は小中学生の段階で進歩が止まっており、この一か月の練習試合でそこそこの数の新しい発見があったという。
「それよりも、二人の手牌を見てください」
「ちぇー、まじか。デカいの張ってたのに」
セーラ 手牌
{22789中中} {発横発発} {白白横白}
「うちもええとこまで行っとったんやけどなぁ」
清水谷 手牌
{三四五七七八八八九九} {裏一一裏}
「こ、れは」
戦慄した。手牌全てが当たり牌。どれを切っても放銃は避けられなかった。竜華もセーラも既に張っており、中や萬子を切れば役満に振り込む破目になっていた。藍に差し込むという私の判断は間違っていなかった。
「この状況も全部あんたの仕業なんか?」
「さあ、どうでしょう。少なくとも毎回こうなるわけではないです。さっきも言った通り確実なことを言えるほど知らないんですよね」
ただ、監督ほど強い人なら普通の人より直撃を獲った時のメリットがでかいとか、そういうのも関係あるかもしれませんね――と、付け加えた。
「あんたの強さは片鱗だけでも分かったわ。こういうのが他にもあるってことやろ?」
席を立ち、監督室へ戻ろうとする。このシーズンは地区大会のレギュラーの選定で忙しい。今日もコーチ陣との会議の予定が入っている。この子は今年のレギュラー入り確定として、後日もっと詳しく話を聞かせてもらおう。
「何処へ行くんですか」
「ん?」
ゾクリ、と背筋がざわつく。感情を宿していないかのような伽藍堂の瞳が私を見ていた。
「……いえ、まだ対局は終わっていないですよね。見せるものもありますし、終わるまでやりませんか」
瞬きをすると、元の自信なさげで申し訳なさそうな表情をした彼女がそこにいた。気のせいか?
「まあ、ちょっとぐらいええか」
腕時計を見て、時刻を確認する。まだ会議まで40分ほど時間がある。半荘一回ぐらいは問題ないだろう。
卓に座り直す。藍の親で対局は続行された。
愛宕雅枝 一巡目 手牌
{一二三三四四五五六六七八九} {二}
脳内に警鐘が鳴り止まない。プロ時代でもここまでの危機感を感じたことはなかった。まるで奈落の底に落ち続けているような感覚。光の届かぬ暗闇の中で、己の罪科を問う声が聞こえた気がした。
「監督、どないしたんですか。監督の番ですよ」
セーラの呼びかける声で我を取り戻す。数秒程度、座ったまま呆然としていたことに気付く。
「大丈夫ですか? もしかして、体調悪いんですか」
「いや、大丈夫や」
一巡目にここまで手が止まるのを不審に思ったのか、竜華もセーラも心配そうな顔をしていた。改めて、何やこの手牌。配牌清一色とか異常事態にも程がある。
向けた視線の先に、藍を認める。まさか、またこの子がなんかしたんか?
愛宕雅枝 打{一}
「ロン」
藍 ロン
{一一一二三四五六七八九九九} {一}
「48300。終わりですね」
眩暈がする。また、や。何を切っても当たり牌、しかも役満。見せるものというのはこれのことだろう。
「で、これは何や? また偶然とでも言うんやないやろな」
苦笑いで首を振る藍。
「オープンリーチに振り込んだら役満ってルール、覚えてますか?」
ああ、そんなルールあったな。今回は採用せんかったはずやけど。……まさか。
「役満払いのルールが適用されている場合は起こらないんですけど、オープンリーチに振り込んだ人からは直後に
必ず。さっきは多分とか濁してた割に断定的な表現が出てきた。つまり、今まで百発百中ということ。
「アンタら、こんなんを1か月も相手しとったんか?」
「ほら。私の言った通りやったでしょ、監督」
このレベルのオカルトかまされたら、対策なしでは全く太刀打ちできんやろ。そりゃトップ率100%も獲るわ。
「でもホンマにヤバイのは
「アレ?」
「そちらは今度お見せしますよ。お忙しいところを引き留めてしまい申し訳ありませんでした」
腕時計を確認していたのを見て用事があることを察したのか、謝られてしまった。これも監督の仕事やしな、と下げる頭を止めて部室を去った。
「2回戦第3試合大将戦、開始です」
大将戦開始のアナウンスで、考え事に耽っていた頭が覚める。ああ、そういえばそんなこともあった。後日、セーラ達が言っていたアレとやらを見せられてまた頭を抱える破目になって。それで漸く、怪物とかそういう範疇を超えていることに気が付いたんや。
あの子が負けるビジョンが見えない。全力を出した藍には、誰も勝つことができないだろう。そもそも、一度でも本気で麻雀を打った事があるのだろうか。勝ちたいと思って己の限界の先を死に物狂いで模索するほどに、必死で打ったことが。
あの子は競技としての麻雀を打っている。それはプロの世界では普通で、何も間違っていない。しかしインターハイに出場する高校生として、青臭い情熱が足りていないのではないかとも思うのだ。あまりにも強い力を得たが故に、今まで本気も出せず。いざ本気を出せる場と機会に恵まれても、必死にはなれない。あの子の心の何処かで、自分の力への後ろめたさが枷となっている。竜華が口酸っぱく咎めるのは、そういう所を見透かされとるんやろな。願わくは、彼女が討ち果たすべき強敵が現れて欲しい――
なんて、すっかり教育者に染まってしまったな。
ダブル役満に関してはインターハイで採用されていません。(原作6巻参照)
「今年のルールにも」という記述から咲世界では不採用がメジャーという解釈です。
実際、照が純正九蓮宝燈を和了っていましたがダブル扱いにはなりませんでした。
現実でもMリーグでは大三元字一色のような役満の複合ではダブルが認められていますが、純正九蓮宝燈や国士無双十三面待ち、大四喜、四暗刻単騎のような単独でのダブル役満は採用されていません。
上記の理由から純正九蓮宝燈は必ず採用されるとは限らないため、現実でも咲世界でもある意味ローカル役と言えなくもありません。ですので本話の主人公の和了りは、この役単体でもローカル役しかあがれないという縛りにも矛盾しないと考えています。
尤も、ローカル感の薄い役であることは重々承知ですので、なんらかの特殊な状況でのみ和了れるような設定で考えています。