分かっとったはずやった。これが小鳥谷藍の十八番であるっちゅうことを。どれだけ他で上手くいっても、結局こいつを何とかしないと優勝はできないということも。
だから、この一年間必死で研究してきた。まず、最も特徴的な『人和』と連続和了という二つの和了パターンを徹底的に分析した。すると、連続和了が上手くいっても大体8連続和了で止まることを突き止めた。ここから『八連荘』を連想し、ローカル役という共通点を疑った。過去の牌譜を洗ったところ、半数以上の和了りになんらかのローカル役が絡んでいることを突き止めた。実際は、ローカル役についての知識が無いために何の役か分からず見逃したケースが山ほどあるに違いない。
だが、分かったところでどうすることもできない。
『人和』はそう頻繁に起こることではないが、小鳥谷が子で彼女より自摸番が先の時には常にこの危険が伴い、第一打は怯えながら打つことになる。予兆が分からなければ回避することもできず、来ると分かったところで何の牌を切ればいいかは分からない。何より、公式戦において子の配牌聴牌時の人和成功率はかなり高く、失敗してもそのまま和了り切ることが多い。警戒して初打中張牌とかランダムに切る工夫を入れたところで、魅入られたかのように和了り牌を切ってしまう。それこそ超人的な勘や未来でも見えん限りは、確実に躱す手立てはない。小鳥谷の下家になって人和を喰らう機会が減るとか、運よく合わせ打ちできるのを祈ることしかできん。
『八連荘』は、最初の和了から段々と和了する巡目が早くなっていく。全部親で和了した場合の8回目の和了は必ず天和になっとる。せやから、小鳥谷の親番には特に警戒しなくてはいけない。急所は、最初の和了。そこが一番遅いはず。しかしそんなことは当然本人も理解していて、最初の和了は鳴きを駆使して早和了りしてくる傾向にある。3回目を決められるともう誰も止められへん。
更に恐ろしいのは、これら二つが親と子の時を互いに補っていること。子の時はいつどこにあるか分からない地雷に怯え、親の時はとにかく流すことに必死にさせられる。その気になられたら、こっちの気が休まる時なんてあらへん。
そして、これらはまだ氷山の一角に過ぎない。この二つ以外の力の特性はまともに研究できていない。相手がほぼほぼローカル役で和了ってくるなら、手牌の形も制限されて読めるはず? 確かにローカル役を全て網羅しさえすれば、通常の役にも縛られるという二つの観点から手牌は読みやすくなる。
しかしそれは机上の空論。ローカル役とか関係なく、そもそも捨て牌や鳴きから手牌を読むっていうのは麻雀の基本。それでも100%は読めんし、読めたところで和了られることもあるのが常や。手牌読みは振り込む危険性を減らすのが目的。零れる牌を狙い撃ちとか、そんな芸達者なことはロマンに過ぎひん。あっちだって何も考えず打っとるわけちゃうしな。つまりこの作戦はあくまで守りの思考。それだけでは勝てん。
口では威勢のいいことを言ったが、本当は分かっていたはず。勝てるわけがないと。それでも、2位抜けでもいいから準決勝進出は果たしてみせる。そう意気込んでいた。
「はは……」
それがこのザマや。3位転落からの怒涛の連続和了を許してしまった。凡人じゃなくても、こいつには勝てない。何故なら、小鳥谷藍は怪物すら喰らう理外の存在だから。
やはりこの1年は無駄だったのか?
否、まだや。3位に落ちたとはいえ、2位とは700点差。親番が2回残っている。何より悔しいやろ、このまま終わったら。私が点を減らし過ぎたってのもあるけど、清澄が2位になってるのは宮永の自力やない。全部全部、小鳥谷がやったこと。このまま何もかもこいつの手のひらの上で終わるなんて、真っ平御免や。勝てなくとも、一矢報いる!
東3局 8本場
3巡目
藍 打{1}
「カン」
咲 カン{111横1}
――しかしその決意は、余りにも呆気なく踏み躙られる。
「もいっこ、カン」
咲 カン{裏66裏}
「もいっこカン」
咲 カン{裏⑦⑦裏}
この大明槓からの連続カン、地区大会で龍門渕の大将にしたやつに状況が似とる。あの時と違ってオーラスではないけど、同じように大量の得点差がついとって。
まさか。
「さらにカン」
咲 カン{裏四四裏}
宮永の手が嶺上牌に伸びる。その牌は、溢れんばかりの輝きを放っているような気がして。
「ツモ」
花が咲く幻覚を見た。
咲 ツモ
{⑤} {⑤} {裏四四裏} {裏⑦⑦裏} {裏66裏} {111横1}
「四槓子。34400です」
大明槓による責任払い。しかも四槓子で役満。小鳥谷がこれほど大きな点数を削られるのは初めて見た。あいつも流石に予想だにしなかったのか、目を瞠る。
「面白い。続けて」
虹彩から光が消え、焦点が外れる。藍色の瞳が燐光のように淡く光ったかと思うと、その雰囲気を一変させた。
小鳥谷とは何度か卓を囲んだことがある。しかしこんな様子は見たことが無い……いや、どこかで見たことがあるような。直接ではなく、画面越しに。そうや、去年の個人戦決勝の様子に似ている。
ともかくこれで、千里山の親番は終わった。役満で2位との差が大きくついたのは痛いけど、ここからは私の親番。私のやるべきことは明白。この親で連荘して清澄との点差を縮める。懸念事項は、小鳥谷藍。彼女の今までにない様子からして、何か仕掛けてくるに違いない。私が今まで見たこともないような何かを。それはもしかしたら、決勝の再演となるような何かかもしれない。
「ツモ。嶺上開花対々和三暗刻三槓子、12000」
「ツモ。嶺上開花対々和三槓子、8000」
「ツモ。嶺上開花中、6800」
「ツモ。嶺上開花赤1、4200」
「ツモ。嶺上開花のみ、2100」
しかしその予想は外れ、清澄の怒涛の攻勢が続いた。最初の四槓子から数えて6連続和了。その全てが、大明槓による千里山の責任払い。
「成程。嶺上開花だけじゃないのか」
でも喰らった当の本人は涼しい顔をしとる。
清澄がやけに大明槓からの責任払いに拘るのは、ロンによる直撃は気取られる、または間に合わないと思ってのことやろか。いや、待て。まさかここまで清澄が千里山からのみ点棒を奪っていったのって、うちら二校を飛ばさんためなんか!?
なんやそれ、完全に蚊帳の外やんか。そもそも飛ばさないためってのがまずおかしい。どちらかを飛ばせば二位抜けで準決勝進出が叶う。むしろそんなことが狙ってできるなら飛ばしにいったほうがいい場面。一位抜けに拘ろうとしても、千里山との点数差は絶望的。
点数状況が見えてへんのか? 自動卓の電光表示を見ればすぐに分かるやろ。
千里山 246300
姫松 31800
清澄 100000
宮守 21900
あ、れ。
――それは、見てはいけなかった。無意識に考えないようにしていた、目を逸らし続けてきた事実。2位の清澄との差は68200点。現在南2局3本場。親番はオーラスの1回を残すのみ。逆転には清澄から親の三倍満以上の直撃が必要で、ツモなら役満でも足りない。あまりにも厳しい条件。守りに入られたら直撃なんて不可能に近い。敗退の2文字が眼前に浮かぶ。絶望的なのは自分達の方だった。
何で、宮永咲の和了りを野放しにしたんや。
私は今、何をしてるんやっけ。
何をしなければ、あかんのやったっけ。
「でも私と勝負がしたいなら、それを前半戦の東1局から使うべきだったね」
自分が今、何の牌を切ったのかさえ、頭に入ってこうへん。
――時は満ち、星辰が揃う。
末原 打{北}
「ロン」
――崩落した6つの十三重石塔が、南斗六星の地上絵を描く。
藍 ロン
{東東南南西西北発発白白中中} {北}
「32900。時間切れだ」
――廃墟の夜天には、北斗七星が煌めいていた。
大将戦終了
千里山 279200(+141900)
清澄 100000(+ 18400)
宮守 21900(ー 54000)
姫松 ー1100(ー106300)
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「ありがとうございましたぁぁぁぁぁ」
礼をしながら、姉帯さんが耐え切れず泣きだす。いっそのこと、彼女のように泣き叫んでくれたほうがマシだ。
「あ……」
言葉を失った末原さんの姿は、痛々しくて見ていられない。だから嫌なんだ。ちょっとやる気になったら、すぐ壊れる。本気を出せ、なんて清水谷さんも無茶を言う。
本気で麻雀なんてできるはずがない。
もう、こんな顔は見たくない。そう思って麻雀から離れた。友達を失くしたことが、根本的な理由じゃない。そりゃショックだったし悲しかったけど、私のせいだと割り切れた。反省して麻雀とは関わりのない友人を作ろうとした。中々うまくいかなかったけど。
そして、希望を見た。仲間を得た。私の力と相対しても尚、絶望に染まらない彼女達を。でも、それは仲間だからだ。死ぬ気で勝つ必要がない仲間だからだ。あの頃の友達に比べれば、精神も熟している。仲間だから、どれだけ酷く負けようと構わない。勝てなくてもいいとどこかで割り切っている。競い合うのではなく、頼ればいいから。
ずるい。私が、ではない。私以外の全員が、だ。
勝利に歓喜し、敗北に涙を流す。自身の成長に希望を抱き、限界に絶望する。弱者を淘汰し、強者に挑む。そんな姿が羨ましい。彼女達にとって麻雀は遊びであり、戦いなのだ。
私はといえば、決まりきった勝利に飽いて、誰もついてこれないくせに可能性だけは潤沢で、弱者を嬲るだけ。敵も味方も、どいつもこいつも妬ましい。私にとって麻雀とは遊びであり、作業だ。
私より強い者が必要だった。そうでなくとも、対等に渡り合える者が。だから個人戦に出場した。チャンピオンになって得たものは、虚無感。ああ、やはり私は駄目なんだと。あの時初めて全力を出して、分かってしまった。蓋をしてきた自分の可能性を見て、察してしまった。一生、誰も私に及ぶことはないのだと。
だったらもう、私の麻雀は単なる遊びでいい。作業になるのが苦痛なら、本気なんて出さない。自分の成長に蓋をし、力も限られた範囲でやりくりして、どうにか勝つ遊びをする。そしたら仲間達とも一緒に遊べるし、肩を並べて同じ敵に挑める。
宮永咲……。今の彼女は安堵の表情を浮かべている。不意の責任払いを喰らった時はちょっと期待したが、彼女も結局は私が今まで絶望させてきた子達と同類。挑む側の彼女が最初からあの大明槓を駆使してこなかった時点で、何らかの制限がある。
下位2校を飛ばせばすぐに2位抜けできたものを、こちらを削ることに執着していた。1位への拘りがあった、というには動き出すのが遅すぎる。恐らく、ああするしかなかったのだろう。飛ばしたくても飛ばせなかった。後になるにつれ打点が段々下がってきていたし、逆境に立たされると強くなるとかそんなところか。他校を飛ばす行為は、逆境を覆す行為ではないため補正が掛からなかった。
辻褄が合う仮説を立てて満足した私は、彼女に興味を失くす。一人そそくさと対局室を後にした。