過去話〜。
雨が、降っていた。
ピンポーン
今から十年ほど前のその日、幼い日の彼女の実家の歴史だけはある味噌蔵に、一人の来客があった。
カラララ……
「はい、どちら様でしょう?」
多忙な家主、そして病弱で入院中のその妻に代わって職人衆筆頭である中西源三郎が玄関に赴いて客を迎えに出ると、そこには見覚えの無い若い男が立っていた。
男は仕立てのいい服を着ており、その雰囲気からはどこか気品めいたモノまで醸し出していた。
しかしそれ以上に、彼の視線は冷たく…その後ろには高級車…リムジンが止まっていた。
それを見て、思わず源三郎は身構えてしまった。
「そう警戒されなくて結構ですよ。べつに取って食おうなんて思ってはいません」
「む…これはお客様に失礼をば…」
頭を下げる源三郎に、男は仮面のような表情で微笑みかける。
「はじめまして。私は薙切薊と申します」
薙切…その名を聞いてピンと来た。
食の魔王。といえば料理人やその周囲で知らぬものは無い。
ここの家主はかつて遠月学園に通っていたことからも、その因果も分かろうというもの。
とは言え、当時のことは源三郎自身聞いた事くらいしかなかったが。
「それで、本日は当味噌蔵に如何用で?」
目の前の若者が誰であれ、味噌を買い付けに来た客でないことだけは確かだ。
源三郎の直感が、そう伝えていた。
「フフ…」
警戒心を隠しつつ、そう尋ねる源三郎が滑稽なのか、男は薄く笑う。
「ご主人にお伝えを。貴方の後輩が迎えに来た…とね」
訳もわからず、家主を呼ぶ源三郎。
家主は客人が誰かを知ると、とても驚いた表情を浮かべていた。
「おや、中村くん?」
「旦那様?お知り合いで?」
「うん。ぼくの後輩。久しぶりだねぇ」
穏やかにそう挨拶する家主に、薙切と名乗った青年は硬い表情で言う。
「先輩。少々お話が」
「うん?別にいいけど…」
庭先で何かしら話し込む二人。
瞬間。この味噌蔵のあるじは少しばかり、普段の穏やかな顔色を変えた。
そして…その日、一家の父は姿を消した。
「ちょっと出かけてくるからね」
そう、いつものように穏やかな笑顔を浮かべながら。
妻に何かしらの手書きのことづけを渡すよう源三郎に頼み、若い男の乗ったリムジンに自ら乗ったのだ。
「旦那さま!!奥様やお嬢にはなんと…」
呼び止める源三郎に、主人は振り返ると
「うん。大丈夫。訳は話せないけれど…ぼくの可愛い娘と妻を頼んだよ?」
それ以上、何をいうでも無く車に乗り込むと、嘘のように居なくなってしまったのだった。