極星寮の寮母、大御堂ふみ緒は晩酌をしつつ、かつての出来事を思い出していた。
早速やる気を見せた彼の娘を見たからだろうか。
思わず懐かしさに頬が緩む気持ちだ。
しかし、ふっ…と我に帰ったかのように真顔に戻る。
思えば、ちょうどこんな冷え込む夜だった。
堂島銀が卒業を控え、才波城一郎が学園を去った後、次期十傑第一席候補の話題で生徒達が盛り上がっていたのだ。
そして、その話題には彼もまた挙がっていた。
「遠月十傑第一席かぁ…」
「えぇ!!先輩なら必ず…」
「堂島先輩達みたいに、きっと…」
彼を慕う後輩達が、キラキラした目でそう言う。
「でもなぁ…」
「でも?なんですか?」
「遠月に…いや、これまで十傑を輩出してきた極星寮に身を置くものとして、情けないと思われるかもしれないのだけれど…」
「はい?」
困惑した表情で後輩達が首を傾げる。
「ぼくはね。そういうのにあんまり興味はないんだ」
苦笑しながらそう言う彼に、周囲は困惑していた。
「…ぇ?」
「競い合い、高めあい、その研鑽でより優れた技術が手に入る。とても…とても素晴らしいことだと思うよ。十傑に加わることでそれを得られる機会がさらに増えるって言うのは、確かにメリットだ。この学園の競争主義の象徴とも言える十傑評議会ならなおのこと…ね」
「なら…」
「でもね…才波先輩や堂島先輩をみて思ったのだけれど…」
そう一拍置くと…
「十傑になるってことは、良くも悪くもこれまでの自分ではいられなくなるってことでもあるんだと思う。ぼくはそれが嫌なのさ。確かに料理人に変化や進化は必要だけれど…。同時に変わらない良さっていうのも、確かにあるものだろう?」
いわゆる伝統料理は、まさに変わらない良さの典型例だ。
無論時代が進むにつれて進歩、進化はして来たが、それだって作り手側の工夫の域を出ないもの。
ジャンクフードの店で高級料亭の味を出されたり、その逆が困惑されるだけなのと同じことで、独自のアレンジも効きすぎれば最早別物になってしまうものだ。
ほどほどにそこそこに、アイデアも小出しにした方が長いスパンで見ればきっと賢い生き方だ。その意味で才波という料理人は少しばかり生真面目にすぎた。
いや、料理を心から楽しんでいたのも、その実力を期待されて嬉しかったのも、世界各地の料理大会で優勝してはしゃいでいたのも本心だろうし、次から次へと期待に応えてきたのも真実彼の優秀さ故だろう。
しかし、それは『味噌の奇術師』にすれば奇異に思えてならなかった。
「伝統を守りつつ、驚きと喜びをお客様に提供する。甘っちょろいのかも知れないけれど…でも、それでいいんじゃあ無いのかな。確かに現場に出ればそんな理想通りともいかないだろうけれどもね。あ、別にキミたちの応援が迷惑だとか、ここのやり方に文句があるとか、そう言うわけじゃあないから。そこは勘違いしないでもらえると嬉しいかな。あくまでぼくが勝手にそう思ってるってだけだから…」
困ったような笑顔でそう言われると、後輩達は何も言い返せない。
「中村くんには、嫌われちゃったみたいだけれど…」
人間とはどこまでも身勝手で、盲目的で、そして欲張りな生き物だ。
一歩引いて、冷静になって見てみればわかることだが、人間とは得てして憧れの相手、すごいと思った人物の光の当たる部分しか見ようとしない。
その当人の影の部分…人知れぬ苦悩や葛藤になどまるで興味もない。
自分達だって、多かれ少なかれ経験してきたことのはずなのに…だ。
天才ならばそんなものは無いと勝手に決めつけ縛り付ける。
勝手に期待して、勝手に失望して…。
その先が、もっと上があることを疑いもしない。
『料理人とはひとり荒野をゆく旅人』
いつだったか、彼らの先輩が言った言葉だ。
しかし…だからこそひと休みするのも大切だ。と言うのが『味噌の奇術師』の意見だ。
そして、それから僅か数日のちの出来事だった。
彼が学園を去るきっかけが…その出来事が起こってしまったのは。
「バカな子だよ。十傑の第一席と第二席がいなくなって不安な所に余計な軋轢を極力出したくは無かったかったんだろうが…今思い返しても、ありゃあ下策さ。みんながみんな、アンタみたいに器用なわけじゃあ無いんだ」
その呟き…いや、ぼやきは誰に聞かれるで無く、ただ虚しく響くだけだった。