海のフルーフ   作:矢田悠進

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第1章 サメのフルーフ
1.あなたの名前は?


私がフルーフと目を合わせてしまって……そして言葉を交わしたあの日は、10月の初めの方だったと思う。

 

私、市村青(いちむらあお)は海辺の街に住んでいる。市の職員として働く28歳。独身。仕事が終わってそのまま家に帰ってもやることが無いので、時々波の音を聞きに行く。

もうとっくに海水浴の季節は終わっていて、海の中はもちろん、砂浜にも誰一人いないのが当たり前だ。

しかしその日は違っていた。ほとんど沈んだ太陽の放つ赤い光を浴びて、岩場に座り込む一人の少女が見られた。

私は少女に近づいていった。儚げな背中に惹かれたのか、ただ人がいたことに嬉しくなってしまっただけなのか、とにかく私は足場の悪い砂浜や岩場をゆっくりと歩いて少女のもとへ行った。

 

小高い岩の塊に腰かける彼女を見上げて、私は息を飲んだ。

尾ひれ。お尻の上から伸びるにょろっとしたソレは上半分は濃い灰色、下側は白く、先端は三日月の形をしている。これは、サメの尾ひれだ!

しかも一輪の白い花がくっついている。あれはなんの花だ?

恐る恐る視線を上へと移動させていく。サンダル、ミニスカート、スポーツウェア……ミニスカートは短パンに変えた方が海で遊びやすいのではないか……しかしそれは今重要ではない……私はとうとう顔を見た。

綺麗な横顔であった。高い鼻。引き締まったあご。物憂げに海を見つめる細い目は、西日より鮮やかな赤の瞳を宿していた。

だがその美しさが霞んでしまうほど強烈な存在が、彼女の首から上を支配していた。頭部にぐるぐる巻き付けられた包帯は、その巻き方から察するに少女自身で巻いたのだろう。そしてそれは怪我のために巻かれたのではない。額から生える「唐辛子」の根本を押さえつけるように巻かれている。唐辛子だ。彼女の額には大きな唐辛子が生えていて、右目を隠すように真っ赤な実がだらりと垂れている。——後からわかったことだが、尾ひれの白い花の正体は唐辛子の花だった。

 

私が彼女を見つめていたのはわずか数秒であったが、数年かかっても処理しきれないのではないかと思うほど、彼女には未知が詰め込まれていた。私は彼女に釘付けになってしまったので、この後こちらを振り向いた彼女とぴったり目が合うのは当然のことであった。その時初めて、彼女は左目が赤く、右目が青いオッドアイだと気づいた。

 

「あら? この季節、この時間に海に来るなんて、珍しいニンゲンね」

 

静かな、それでいて耳までまっすぐに届く声だった。うるさくないのに、心が洗われるような気分にさせてくれる穏やかな波の音と同じ優しさがあった。

 

「えっと、季節関係なく海好きでして仕事終わりなのでこんな時間なんですう……」

 

私の声は無駄に大きく響き渡る。私と彼女しかいないこの海辺より、和太鼓が鳴り響き大勢の人が集まる夏祭りなんかがお似合いだろう。

 

「私はフルーフ。あなたの名前は?」

「……イチムラ、アオです!!」

 

風が吹く。彼女の青みがかった灰色の長髪がなびく。私のショートカットも微かに揺れる。これが私とフルーフの出会いだった。




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