「ふぁあ」
カーテン越しに差し込む春の陽光に当てられてニシノフラワーは体を起こした。
再び閉じてしまいそうになる瞼をこすりながら、フラワーはいつもの日課をこなすために左隣を向く。
「ふふ、良く寝てる」
視線の先で規則正しく寝音を立てるウマ娘の名前はセイウンスカイ。
光の加減で碧く輝く艶のある彼女の芦毛を眺めるとフラワーは自然と笑みがこぼれた。
陽の光は季節によって、少しだけ色が変わる。
夏は黄色く、秋は赤く、冬は青く、そして春は碧く。色素の薄いスカイの毛並みには移ろいゆく季節に映る色が色濃く浮かぶ。フラワーはその変化を毎日眺めることを日課にしていた。
「そろそろ準備をしないと」
しばらくスカイの眺めていると外から子どもの声が聞こえる。4月の半ばも差し掛かってきたこの時期になれば、新一年生だってランドセルも少しは背に馴染んできた頃だ。
「私も頑張らないと」
無邪気な声にフラワーは自然と心が温かくなる。見るもの全てが輝いていて、なんでも楽しくてしょうがないと思える子どもの声を聞くのも好きだった。その声に勇気づけられ、もう少し眠っていたくなるような心地よい布団を脱ぎ去る。隣で寝ているスカイを起こさないように注意を払いながら。
「近いうちに模様替えと一緒にこの絨毯をお洗濯しないと」
8畳ほどの寝室。その中央にあるコスモス柄の絨毯を踏み越えて、フラワーは洗面所に向かいながらそう呟いた。
2LDKのマンションで同棲をはじめてから2度四季が巡り、3度目の春がやってきた。
様々な趣味嗜好や生活様式の違いをお互いに理解して、安定期と呼ばれるようになってくる3年目。
だからこそ、フラワーは定期的に模様替えなどを行いささやかな変化を意識していた。
相手は何が好きだとか、何が嫌いだとか理解できることは幸せだ。しかし、それに甘えて同じ日々を続けていればいつか飽きが来てしまう。大好きだという気持ちもいつか枯れ落ちてしまうのかもしれない。フラワーはなんとなくそう思っていた。
この気持ちをしおれさせないように、好きなものを好きでいられるように、嫌いなものを嫌ってもその人らしさとして受け止められるように、日々の相手の変化を敏感に受け取る、何気ない毎日に変化を感じてもらう。その手段の一つが模様替えだった。
「なんて変化を感じてもらってるか、分からないけど」
普段つけているピンクのカチューシャで前髪まで後ろに流した後、蛇口をひねり、ぬるま湯で顔を洗う。
はじめのころは冷水で顔を洗って、気持ちを引き締めていた。しかし、たまたまスカイと同じ時間帯に準備をしていた時に彼女に言われたことがあった。
『顔を洗うなら、ぬるま湯にしときなよ~、お肌と同じ温度ぐらいにしないとカサカサになっちゃうらしいよ~』
そう言われた次の日から、ちょっとだけやり方を変えてみると、なんだか変化があったような気がした。そのことを本人に伝えると
『元がいいからお水でも良かったかもね』
なんて、ほっぺたをプニプニとされつつからかわれてしまった。まだ何もかもが手探りだったフラワーにとって、ほっぺたプニプニ、スキンシップに戸惑ってしまっていてが、今思えば彼女なりの照れ隠しだったのだと思う。
スカイのおかげで朝のスキンケアの方法が変わった。でも、その習慣を今もずっと続けている。それは停滞なのだろうか。フラワーにはよく分かっていなかった。
「昔よりは成長しているはずなのに……私は大人になれてるのかな」
ポツリと心配が漏れ出す。
トレセン学園に入学した時。自分と他のウマ娘との体格にフラワーは常に焦りを感じていた。自分らしく振舞おうとすることを心がけても、ついつい下を向きがちになっていた。
『フラワーはフラワーなんだから、そこまで無理する必要もないんじゃない?』
そんな時は、スカイがいつも暖かな言葉をかけてくれた。下向いていたはずの心が自然と上を向いていくのが分かったし。その言葉を、声を、気づけばずっと追い続けていた。
今は昔よりも成長して焦ることは少なくなった。でも、精神的にはスカイに頼りっぱなしだとい自覚がフラワーにはあった。だから彼女の隣に立って見劣りしないような大人になれているかはいつも気になっていた。
「ひゃっ」
カチューシャで堰き止められえていた前髪が、水分を多く含んだことで垂れ下がってきた。
考えごとをしていたせいか、止めるのが甘かったらしい。春に当てられて少しだけセンチメンタルになった感情をそっと胸にしまい、フラワーは食事の準備をすることにした。
「後は卵焼きだけ」
L字型になったキッチン。観賞用に小さな花瓶に花を活けても作業に問題がないほど広々とした空間にはじめはフラワーもひどく興奮したことを覚えている。
今はもう手慣れた手つきで、上の収納棚から砂糖と1枚のお皿を取り出しながらフラワーは手順を呟く。
2つ用意した、底にミニキャラクターがプリントされたお皿にはウインナー、目玉焼き、ブロッコリーにニンジンの甘煮を乗せている。
フラワーは卵焼きを作るときは敢えて別皿に分けていた。単純にサイズが大きいから。
目玉焼きように消費した卵パックに加えてもう一パック冷蔵庫から取り出した。合計、10個の卵を手際よく割っていき、少しの塩とたっぷりの砂糖で混ぜていく。
次にキッチン下の戸棚から長方形にかたどられたフライパンを取り出す。十分に油をしみこませたキッチンペーパーで表面に馴染ませた後、ゆっくりと火をかけていく。
卵のとき汁を少しずつ垂らしながら、何段にも重ねていく。2段、3段、4段、数を増すごとに難度は上がっていき、後半になるとかなりの集中力を必要とした。
「……っっ」
最後の溶き卵を流し込む。
思わず、はっと息を止めてしまうほど繊細な作業だった。砂糖を入れるとすごく焦げやすい。焦げやすい上に大きな卵焼きを作りながら、見栄えもよいものを作ろうとすると相当な見極めが必要になる。正直、フラワーとしても朝からこんなに真剣になる必要があるのかとも思ってしまう。
「キレイに出来ました!」
しかし、高難度だからこそやりがいがあった。成功できた時は、自分で拍手をしてしまうくらいに嬉しくなってしまう。それに、
「うーん、いい匂いだね~。とっても甘~い、美味しそうな卵焼きの匂い~」
「スカイさん!……起きられたんですね」
「当たり前だよ。朝の美味しそうな匂いで目が覚めちゃった」
「そろそろ準備できるので、テーブルを拭いてもらってもいいですか?」
「はーい」
そう言いながら、すっと伸びたスカイの手をフラワーが軽くはたく。
「つまみ食いはお行儀が悪いですよ。手を洗ってから」
「手を洗えばいいんだ」
そういいながら、スカイは手を洗って、テーブルを拭いていく。
食べやすいように卵焼きを切り分けた後に、フラワーはお茶碗にご飯をよそっていく。
「じゃあ、こっちのお皿は持っていくね~」
「あ、ありがとうございます」
お盆にお茶碗を移している間にスカイはおかずの入った三皿をパパっと運んでいく。それも一緒に運ぶという前に持っていってしまうのは、いつも通りのことで、フラワーはそのまま任せることにしていた。
リビングはキッチンと同じ空間にあり、持っていくのに苦労は少ない。
ニンジン柄のクロスが敷かれたテーブル。キッチン側から向かって手前が少し高い椅子で、奥側が低い椅子。どうしてこの配置にしたのか正直覚えていないが、自然と定位置が決まったのだ。
「きれーに咲いたねえ」
「スカイさんもお水の入れ替えを手伝ってくれたので」
テーブルの端に置いた花瓶の中にある、ヒヤシンスの球根は根を伸ばしてキレイな紫色の花を咲かせていた。カーテンを開けた窓からは柔らかな陽射しが一層花の美しさを際立たせている。
去年から少しずつお世話を続けてきたものが咲いたことにフラワーは喜びもひとしおだった。
なによりもこうやって毎日の変化が会話に繋がっていることに心が弾む、毎日に彩りを添えてくれる花が無事に咲いたことに嬉しくなっていた。
「お腹空いたよ、早く食べよ」
「そうですね。お待たせしちゃってごめんなさい」
「いえいえ、お気になさらず~」
のんびりとした空間。お互いに被ったたまの休日。
昨日、2人で寝る前に話していたやりたいこと。それが全部できるだろうか。掛け時計を見る。時刻は8時を差していた。普段よりも遅めの朝食。片付けなんかを考えたら、一層時間は少ない。
それでも、今日はきっといい日になると、ニシノフラワーは確信していた。
「それじゃあいただきまーす」
「いただきます」
――あなたと一緒にいられるだけで十分です。
窓から入る風に頬を撫でられる。
お砂糖たっぷりの甘い卵焼きを口に入れる。自分で作ってもにやけてしまうほど美味しかった。