「今回の件の重大さ、分かってるんですかね」
「大変申し訳ありませんでした」
ニシノフラワーは取引先の担当者に対して、謝罪を繰り返すことしか出来なかった。
「結婚や披露宴なんていうイベントは一生に1回かあるかないかですよ、人生にとって今後を左右する一大イベントなんです」
頭を下げながら、フラワーは相手の言葉を受け止める。
「それをあなたね、こちらが発注した花を用意できないなんて……正直言って、失望しました」
上から降り注がれる冷たい言葉を背に受けながらフラワーは必死に耐えた。思い描いていた場所と、実際に起こるリアルでの出来事との差異を必死に噛み締めて、この気持ちを抑えた。
フラワーはトレセン学園を卒業後花に携わる仕事がしたいと思っていた。練習の合間を使いながら進路や必要な勉強をしながら民間の資格も取り、念願の職場につくことが出来た。
一緒に暮らすスカイはフラワーが花屋で働いいると思っているが少しだけ違う。
店頭販売の類いは一切排除し、花の発注から装飾のデザイン、配置などを一手に引き受けるコーディネーションに特化した職場であり、フラワーが担当になったのはウエディング会場での業務だった。
『この披露宴は、私がメインで担当ですか?……ありがとうございます! 精一杯頑張ります!』
今回の案件はフラワーが主体となって業務全般を仕切る、初の大仕事だった。
元々花を扱う会社など小規模のものが多い。フラワーの部署だって自分含めて二人しかいなかった。先輩からマンツーマンで指導を受けながら、この職場で三年ほど働いてきた。
複数の案件を抱えて忙殺された先輩から打診された案件だったが、フラワーには自分にも任されるほど評価されたと思い、とても嬉しかった。
「ねぇ、ニシノフラワーさん。今回の問題について、あなたの方からどういう顛末を起こったかを説明してほしいんですが? 聞いてます?」
「……はい」
眉間にシワを寄せた不機嫌そうな態度と、不愉快そうな声音にフラワーの喜びの記憶はかき消される。
「このたびは、お客様のご要望されたプランの変更があり、それに対応できず」
「待って待って待って」
担当者は、そういいながらフラワーの説明を中断させる。
「そうじゃないでしょ? 変更があって対応出来なかった、じゃなくてプラン変更に対応する柔軟性がなかった。それだけですよね」
「……」
唇が切れてしまうんじゃないかと思うくらいに、噛み締める。
それが今回の真相ではないが、客観的な事実ではあるからだ。
「……プラン変更に対して私が対応できず、ご迷惑をおかけしてしまいました」
初の大仕事にフラワーは興奮していたが、それ以上に大きな不安があった。一番最初に式場側の担当者と顔合わせしたときは、心配されるほど緊張していた。
ブライダル会場という場所の都合上、一生残るほどの大切な思い出の一ページにしたいし、なってほしい。
そのためには失敗は出来ないという心づもりがフラワーの中にあったからこその緊張だった。それでも何度も話し合いを重ねて空でプランを言えるほど計画して全部が順調にいっていたのだ。
目の前の人物に担当者が変わる前は。
『あの、すいません。発注していた花なんですが全部キャンセルで。添付した画像を送ったので、その感じでお願いします』
『えっと、それは』
『あ、私、新しく担当になりましたものです。今回のプランを見させてもらったのですが、あまりにも見映えが気になる点があったので変更です。明後日なので十分準備ができるかと思います。お願いします』
その1本の電話が、うまくいっていたはずの全部を崩壊させた。
花の種類や数、装飾を事細かにプラン立ててくれればまだやりようはあった。しかし、送られてきたのは複数の写真とA4半ページほどの計画書だった。笑ってしまうほどずさんな計画。
不可能極まりないそれを、受け入れるなど到底無理だった。出来ないと断るべきだった。
しかし、フラワーは受けてしまった。
失敗してはいけないという責任感と、自分にも大仕事を任されているという自負に突き動かされていた。
その結果が今回の結果を引き起こした。
「出来ないなら、出来ないって先に言ってくれないと」
断りの電話をいれようした。忙しいのでかけ直せと言ってきたのだ。時間外になると電源を落としていた。だから、説明が出来たのが今日だった。
「これはウチとのやり取りですけど、社会は信用が第一ですよ? こんな仕事振りは今回じゃなくて普段の態度が招いた結果では」
「……」
「せっかくの披露宴にいらしたお客様の顔をみてもなにも感じなかったんですか?」
なにも言い返さなかった。言い返せなかった。
この世界はレースの世界とは違う。すぐに白黒がついて、その時点で終わる場所ではない。
フラワーの言葉や態度は、今後の取引先との関係に直結する可能性だってある。
「……まことに申し訳ありませんでした」
だから、フラワーは謝罪だけに専念した。
自分の気持ちを飲み込んだ。
憤りや不満を押し留めた。悲嘆やショックを抱え込んだ。曇った表情の新郎新婦の顔を思い出さないように心がけた。
頭を下げて、奔流しそうになる感情を必死にせきとめた。
「さっきから謝罪しかしてないけど、もしかして謝れば済むと思ってます? 私は、あなたの口からなにがあったかを聞きたいんだけですけど。顔をあげて説明してくださいよ」
フラワーの抵抗すら許してはくれなかった。
促されるまま、顔を上げる。
「今……回っ……はっ」
「え、急に泣くのやめてよ。こっちが悪いみたいじゃないですか」
せきとめていたものが零れ落ちるのが止められない。そうやって頬から伝い落ちる感情とは反対に、頭の中は冷静そのものだった。
——納得してもらうまで謝罪が必要しないいけない
——今後の対策を説明しよう
それを口に出そうとしているのに、感情がそうさせてくれない。
「すいっ……まっ……せっ……」
「もしかして、今までも泣いて謝ってきたんですか? 泣いたら許してくれるとか思ってるんじゃないの?」
「ちがっ」
「そういう子どもみたいなやり方、ここじゃ通用しないから。学生気分で仕事やってるんだったらさ」
シワが寄った表情が少しだけ緩んだ。
笑顔というには厭らしさに満ちていた。
『辞めた方がいいよ、その仕事。気分悪いから』
ニシノフラワーはドアに手を掛けながら、最後に言われた言葉を反芻していた。
「ただいま……帰りました」
「おかえり~」
説明は結局出来ないまま帰路に着いたけれど、すっかり夜は更けていた。普段よりも三時間は遅れて帰った。
それでもマンションのエントランスだけは朝と変わらないくらい明るかった。家に帰っても出迎えの言葉があるのが落ち着く。
少しだけホッとした気がした。
蹴脱ぎたくなるのを抑えて、靴箱にパンプスをしまう。
廊下から寝室に向かって歩く。沈んだ気分のせいか、時間のせいか、足が重くてしょうがなかった。
行きがけにリビングを覗く。
ソファのひじ掛けから飛び出た耳がピコピコと揺れるのを見ると、少しだけ気分が晴れる。
その音に気づいたのか、ソファ越しから声が聞こえた。
「今日のごはんはフラワーの当番だからお願いね」
「ご飯……作らないと……」
ジャケットをハンガーに掛けたあと、思わずベッドのクッションに飛び込んでちょっとだけ寝ていたみたいだった。スカートだってくしゃくしゃになるし、化粧がクッションについたら洗うのが大変だから、と体を起こそうとしても、動かない。いや、動きたくない。
『辞めた方がいいよ、その仕事。気分悪いから』
『社会は信用が第一ですよ?』
『出来ないなら、出来ないって先に言ってくれないと』
暗い感情に心が立ち向かえない。
どうしたって、落ち込んでしまいそうになる。
「フラワー大丈夫?」
ノックのあとに扉越しからスカイの声がした。
それと同時に自分のやることを思い出して立ち上がり、言葉を発する。
「すいません、私ちょっと寝ちゃってたみたいで。……今からご飯の準備しますね」
「もう、いいよ」
「え?」
その声は怖いくらいに無機質だった。
扉越しだから顔も見えない。
黙って、スカイの言葉の続きを待った。
『出来ないなら出来ないって先に言ってよ』
「待っ……ごめっ、……置いていかないで!」
必死にドアの方に手を伸ばした。少しでも近づかないと、もう2度とであえないような気がして怖かった。
それでも、手は届かなくって。
視界が暗くなりながら、離れていくドアノブに未練がましく手を伸ばしていた。
「スカイ……さんっ!」
「お仕事、相当大変だったみたいだねぇ」
フラワーの伸ばした手はぎゅっと握りしめられていた。
「えっ」
目の前にドアノブはなかった。代わりに青い瞳と視線があった。碧みかがった芦毛は重力に向かって垂れ下がり、耳はゆるゆると畳まれていた。
「スカイ……さん」
「はーい、あなたのセイウンスカイだよ~?」
頭がうまく働かないまま、フラワーが思ったことを呟いくと、スカイはそれにニコニコしながら答える。
なんとなく、夢を見ていたのだと分かる。
あれが夢でよかったと心の底から安堵している気分と、恥ずかしい姿を見られてしまったという羞恥がない交ぜでなんとも言えない。
そして気づいた。
——あれ、手握られてるけど、なんで私はスカイさんを見上げているんだろう。
柔らかい感触に気づく。これは、もしかして。
「スカイさん、1つ聞いてもいいですか?」
「いいよ~」
「この態勢って」
「膝枕だよ。フラワー好きかなって思ったからさ」
どうして、とか。いつからしてたのか、とか。だらしない格好でごめんなさい、とか。いろんなことが頭に浮かんだ。
「いやだったら、やめようか?」
「……です」
「?」
「や、じゃ……ないです。もう少しこのままで」
「にゃはは~♪」
もう少しこの心地よさに身を委ねたかった。そう思ったときには、ワガママを口にしていた。浅ましいなとか、子どもっぽくて恥ずかしいと思った。
それ以上にひんやりしたスカイの手で髪をすかれるのは心地よくて、身を委ねてしまっていた。
「私、ソファで寝ちゃってたんですか?」
「いや、ジャケットをハンガーに掛けようとしたであろう場所で力つきてた」
「~~~~~~~っ!!」
「15分しても来ないから見に行ったんだけどさ、私のお気に入りのお魚クッションに顔埋めてるの見たときは死んだかと思って焦ったよ~」
なんて呑気に語るスカイの言葉に思わず、フラワーは両手で顔を覆った。
——今は恥ずかしくて死んじゃいそうです。
「本当に、ごめんなさい」
「謝るんだったら、膝枕やめちゃおっかな~」
「……いじわる」
「そういうところも含めて好きでいてくれるんでしょ?」
なんて、臆面もせずに言えるスカイが眩しいと思った。
「今は何時ごろですか」
「1時だね~、深夜の」
二時間も寝ていたみたいだった。
「じゃあ、私が寝てからずっと……?」
「そうだね~。抱き抱えても、メイク落としで強めに拭いても全然起きなかったよ。めちゃくちゃうなされてたけど」
その事実にうめきたくてしょうがなかった。
「恥ずかしいところ、全部見られちゃいました」
「バレバレだったよ~」
そう言いながら、スカイはフラワーの髪や耳を弄る。
それに身を任せていると、沈黙が埋まれた。
カチリ、カチリ。
秒針だけが確かに進んでいた。戻ることはないと突きつけるようにリズムを刻む。
「今日、おこられちゃいました」
静寂を切り裂いた。止めた物事を動かし始める。
「出来ないことは出来ないって言わないとって言われました」
「うん」
「学生気分で仕事してるんじゃないのかって言われました」
「うん」
「そんな気分で仕事をやってるんだった……やめた……方が……いいって……」
少しは受け止められたはずだったのに、言葉に出せば簡単に心に突き刺さっていく。大好きな人の膝の上なのに気分が沈んでいく。
それも、申し訳なくって。
「私が……悪かった……の、かな……?」
スカイの考えてることはフラワーには分からない。フラワーの考えてることもスカイには分からないだろう。
そんなのは当然だ。
分かっていたはずなのに、今日は本当に弱っていた。
普段なら口に出さないはずのワガママを吐き出してしまった。スカイなら共感してくれると心の隅で願ってしまった。悪くないと慰めの言葉をかけてくれるんじゃないかと期待してしまった。
「そうだね、フラワーが悪いよ。言わないといけないことはあったんだと思う」
「……そう、です、よね」
慰めてほしかった訳じゃない。共感してもらえるはずがない。
——スカイさんは……セイウンスカイは、ニシノフラワーじゃないんだから。
想定通りの答えなのに、どうしてこんなに心が痛むのか分からない。先ほど担当者からかけられた言葉なんかよりもずっと深くまで突き刺さってくる。
痛くて、痛くて、苦しくて。
助けて欲しくなるくらい、心に影がさして、しなびてしまいそうだった。
「うん……そう、そうです」
この気持ちから目を逸らすように、何かを言いたいけれど、言葉が出てこない。溢れそうになるのは感情だけ。
ぐちゃぐちゃのまま、言葉にならない言葉を紡ごうとして、言葉にならずに消えていき。
もどかしいまま、何も言えずにいた。
カチリ、カチリ。
フラワーの苦悩なんか気にも留めないように秒針だけは、残酷に歩みを進めていく。
——こんな気持ちになるのも、私が悪いんだろうな。
「でもさ」
何とかつけようとした心の折り合いを崩すようにスカイが言葉を続ける。
「フラワーだけが悪かった訳じゃないでしょ。それにその怒って来た相手の人だけが悪いわけでもないよ」
「それは」
スカイの言葉は、そこから窺える考えは、フラワーが思っていたそれよりもずっと俯瞰していた。
「セイちゃんは弱いウマ娘なので~、良かったことよりも、悪かったところを見つけるようにしてるんですよ」
仄暗い笑みだった。
「注意してくれなかった周りが悪い。困っていて見て見ぬふりをした人が悪い。怒ってくる相手が悪い。苦しそうにしているのに気づかない同僚や家族が悪い」
そこでひと息いれた。
「他人のせいにしている自分自身が悪い」
「スカイ、さん」
楽しそうな、泣いているような、喜んでいるような、苦しそうな、複雑な笑みだった。
「みんな悪いんだよ。悪くない人間なんて一人もいない。あるのは大小だけ、割合の話。その割合だって、基準なんてなくて、自分の裁量次第。それならさ、必要以上に自分を責める必要はないんじゃない?」
誰に向けての言葉なのか、フラワーには分からない。でも、それでも、思うところはある。
「誰が悪い、誰が正しいなんて考えてたら、その思考が、無自覚のうちに責任や罪悪感を膨らませちゃうんだと思う。そして、その重さに怖くなって、背負う前から他人に押し付けて、何かをするのが怖くなる」
「……」
「そんな気が滅入っちゃうようなこと、私はしたくないな~」
先ほどの暗さが見えない、カラッとした笑みだった。
「私も悪い、相手も悪い、みんな悪かったよね。今回はごめんなさい、次から気を付けま~す。このくらいさらっと流すのがセイちゃん流の受け流し術だよ~♪」
その言葉で心が軽くなった気がした。忙しなく耳が動いているのが目に入った。
ずっと見てきたフラワーにはその行動のするところがなんとなくわかった。
——スカイさん、照れてる。
「え、フラワー。急にニヤけてるけど、どうしたの」
「え……ふふふ、なんでもないですよ」
たぶん、本人も気づいていない、自分だけが知っているパートナーの癖。そんな風に隙が出来てしまうくらい、気を遣わせてしまったことが悪いけれど、それ以上に幸せだった。
名残り惜しいけれど、スカイの膝から頭を上げる。
「……ちょっと、元気が出ました」
「今ので?……ちょっと、フラワーの感性が不安かも」
「スカイさんが悪いウマ娘だって、分かったので」
「?……にゃはは~、バレちゃったか」
——今、私が何を考えているか分かりますか。
また、ワガママをこぼしてしまいそうになったが、今度は堪えることが出来た。
彼女はセイウンスカイで、ニシノフラワーじゃない。だから、答えなんてわかるはずがない。
——厳しいようで、温かいあなたの優しさに触れて、もっと離れたくなくなりました。今日で一層、あなたに焦がれてしまうようになりました。
これ以上夢中にさせるなんて、本当に。
「……スカイさんは悪いウマ娘です」
「なんか言った?」
「いえ、なんでもないです」
「そっか。じゃあ、今日はちゃちゃっとお風呂入って寝ようか。明日は朝から海に行かないと」
「はい、そうですね。海に行くなら、お弁当の」
???
「スカイさん、いま、なんて?」
「だから、海に行くんだよ」
「いや、あの。そういうことではなくて」
「毎日生きてるだけで、こんなに窮屈っておかしいよね」
「まあ、それは」
「もっとのんびりしないと、楽しいこと全部気づかないまま、一生終わっちゃうかも」
「それは、さすがに言いすぎじゃ」
「だから、逃げよ?」
ふわふわしていた言葉が急に鋭くフラワーの心の中に飛び込んできた。
その言葉は眩しくて、魅力的だった。
不意に差し出れた手を取るのに、迷う時間はなかった。
「お願い、します」
大胆なことをしている自覚はある。でも、それ以上に、誘惑には抗うことが出来なかった。
「にゃはは~」
——本当に、スカイさんは悪いウマ娘です。
一緒に悪い子になったみたいだと思った。