走る。走る。私の遙か前を征く目標を追いかけて。体の中で何かが燃えているようだ。速度が乗る。まだ領域は使っていないのに飛んでいるようだ。
だが、目標との差は縮まらない。一向に縮まらない。むしろ離されていないか?
(何故だ?)
さらに速度を乗せる。もう限界速度に近い。
(何が足りない?)
焦りからか、息を入れるタイミングを間違える。
途端に苦しくなり、速度が大幅に落ちる。目標をとらえることはもうできない。体の中で燃えているようだった何かも感じられなくなった。
「ゴーーーール!」
トレーナーの声で我に返り、速度を緩める。思ったよりも早く止まる。速度が乗っていなかった…?それよりも…
(息が…苦しい?この程度の距離で?)
一般的な中距離コーナーを一周だ。私のスペックからして走りきってもこんなに息が乱れることはないはずだ。
「どうしたんだよアル。らしくない」
傍で見ていたリットが驚いたような声をかけてくる。フギンとムニンも心配そうな顔……か?多分そうだろう…をしている。捉えられなかった目標ことチームリギルのマルゼンスキーも驚いた顔をしている。唯一険しい表情なのは私のトレーナーだ。あぁ、東条トレーナーもか。
いったい何だというのだ。菊花賞は負けはしたもののここまでひどい走りじゃなかった。まだ菊花賞から幾分も経っていない。トレーニングを疎かにしたつもりもない。一体どうして…。
「アル、ちょっといい?リットにフギンにムニン。ちょっと東条トレーナーに従ってトレーニングしててくれる?」
「了解だ」
「「OK」」
トレーナーに手招きされるままにコース端に移動する。トレーナーの顔はいつにもまして深刻だ。
「アル、脚、痛いでしょ」
「いや、別に…」
脚だと?別に痛くないが…。出場停止が嫌で噓をついているわけではない。普通に違和感など感じないのだ。試しに足をトントンと両足分やってみるが特に違和感はない。
「じゃあ聞き方を変えよう。今日のレース、速度思ってたよりも乗らなかったでしょ」
「それは…そうだ。何故かは知らないがな」
「すぐに病院についてきてもらう。このままでは大事になるかもしれない」
「え、あ、あぁ…。分かった」
真剣な表情で詰め寄られて思わずどもった。脚は別に異常はないぞ?
「トレーニングなら東条トレーナーが見ててくれる。今は自分のことを考えてくれ」
そうして、私は何が何だかわからないままにトレセン学園がいつもお世話になっているという病院へと連れてこられた。
ーーー
「今日はどのような用件で?」
「アr…んん、担当の足の様子が少しおかしくて。詳しく見てもらいたいのです」
「わかりました」
そういって医者はさわりますよ、と断ってから私の脚に触れた。特に強く押したわけではない。だがその途端、私の脚に激痛が走った。
「ッ…!」
「あぁ、ここでこの反応は軽い炎症ですね。早めに気づけて良かった」
「ま、待ってくれ。でも私は走っているときに違和感などは…」
炎症ならば多少なりとも走っているときに痛みが来るはずだ。
「それに関しては私よりトレーナーさんの方が知っていると思いますよ。ねえ?」
そういって医者はトレーナーに説明を促す。
「えぇ。…アル、今回のことはアルが優秀すぎたから起きたんだ。異常が起きている箇所を無意識に庇ってたんだよ」
「…なるほどな。理解した」
「つまり…あれっ?理解した?」
ある程度の実力しかないのならば走っていても以上に気づくことができる。だが私はなまじっか力があったからそれを気づかないまま走れていたということか。だが、それはマルゼンスキーという全力を出しても勝てるかどうか怪しい猛者と対戦したことで露呈したのだろう。
「はっはは。今年の担当さんは相当頭がいいようですね?」
「前のは厳密には担当じゃないですよ。その頃はサブトレーナーでしたし」
前…?なるほど、サブトレーナー時代にこれと同じようなことがあったのだろう。だから気づけた、と。そしてトレーナーがサブトレーナーをしていたのはリギル、リギルで故障といえばフジキセキかグラスワンダーか。まぁ、トレーナーが私の前にだれを見ていようが関係ない。関係ないのだ。
「この程度の炎症であれば湿布を貼り、3日ほど安静にしていればすぐ治ります。お大事にしてくださいね」
「助かった。感謝する」
湿布はトレーナー室に常備しているものでいいらしい。3日のトレーニング厳禁を言い渡されたがその程度ならば支障はない。脳内で領域をさらに完璧なものに仕上げる期間に充てるとするか。他者が容易く順応できない領域に。
「小林トレーナー、大丈夫だったの?」
学園に戻ると東条トレーナーが心配そうに聞いてきた。大丈夫だった旨をトレーナーが伝えると目に見えてほっとしたようだった。
「有マ記念出走発表直後に回避発表にならなくてよかったわ。期待してるわよ?」
どうやら反応見る限りリギルからは有マ記念に出走するメンバーは居ないようだ。では他のチームからは誰が出るのだろうか?後で確認してみるとしよう。
その後私はリットたちの基礎トレーニングを見守ることに徹した。一方的な蹂躙で終わった並走トレーニングとは異なり、リギルがソルに手取り足取り教えるといったほのぼのとした光景であった。リットは苦手だったスパートのかけ方、フギンとムニンは会長から相手を威圧する方法を教わっていた。今後が楽しみだ。
ーーー
その晩、久しぶりの一人風呂を終えて部屋に戻った。ベッドに腰かけて湿布を患部に貼っていく。湿布の冷たさが染み込んでいくようで心地いい。そのままベッドに横になる。ふと隣の空っぽのベッドが目についた。ゴルシは…どこへ行ったのだろうか。門限に間に合う気はなさそうだ。
寝る前に有マ記念に今のところ出走予定のメンバーを確認しておくとしよう。知り合いは居るだろうか?
「おぉ」
思わず声が出た。投票の現在一位にメジロマックイーンの名前があったのだ。先日秋の天皇賞を勝ち、勢いに乗っている、それでもってしっかりとした実力を持つウマ娘だ。テイオーと仲が良く、かなりの頻度で一緒にいるのを目撃している。一度対戦したいと思っていたのだ。これは楽しみだ。
次に目についたのはナイスネイチャだ。投票順位こそあまり高くないものの毎レース堅実な走りをしている彼女の人気は高い。これまた楽しくなりそうだ。
あとはマックイーンと同じ家のメジロライアンだ。名前のみ知っており見たこと、関わったことはない。マックイーンからは「真っすぐな子」だと聞き及んでいる。
次点で聞いたことがあるのはダイタクヘリオス、ツインターボの二人だ。ダイタクヘリオスは食堂でゴルシに絡まれていたのを見たことがある。ゴルシについて行けるパッションの持ち主だった。ツインターボはナイスネイチャと一緒にいるのをよく見かける子だが…。長距離を走れた印象はない。
他は、知らない名前ばかりだ。ちなみに私の投票状況は順調だった。このまま何事もなければ無事出走が叶うだろう。
スマホの画面を消し、枕元に置く。そろそろ脳内で領域のトレーニングをしようではないか。
現在の、私が憧れた蒼く透き通った空ももちろん良い。飛びやすいことに加え、きれいで心も落ち着くからだ。だが、それは私の領域に慣れてきた相手とて同じ事だ。その証拠にテイオーは固有カラーリングの機体まで手に入れ、悠々と飛んでいた。私は他者のために領域を使っているのではない。自分のために使っているのだ。ならば、自分だけが飛べるような、そんな空をイメージするのも悪くないのではないだろうか。
想像が膨らむ。私の瞼の裏には前世で経験した様々な景色が映し出されていた。その景色はまるで今、その出来事を追体験しているようで、不思議な感覚だった。
雷がとどろく中、敵部隊を追いかけまわし、初めて三本線と出会った渓谷。オーシアの実力者に挟まれつつも
あぁ、どれもこれも懐かしい。私にとっても決して楽な環境ではなかったが、とても楽しい、心躍る経験たちだった。この感覚を、こちらの世界で味わってみたい。私にも危険を及ぼす
あぁ、楽しみだ。
………今日はもう眠いな。寝るとしよう。続きは明日だ。急いては事をし損じるからな。
!Tips!おじいちゃんは現状使えるものはすべて使って走っているから少しでも体に異変が起きるとうまく走れない。態度に反して実力に余裕がないのだ。