メイクデビューの翌日、私はトレーナー室に呼び出されていた。
何でも、目標レースを決めるらしい。クラッシック路線に進むのは確定したが、その最初である皐月賞に出るための条件をまだ満たしていないようで、それを達成するための踏み台を決めなければならないらしい。
「トレーナー、入るぞ」
「待ってたよ」
ノックをしてトレーナー室に入る。トレーナーは仕事机に座ったまま片手をあげて私を出迎えた。長机の方のパイプ椅子を雑に引っ張って仕事机の対面に置いて腰を下ろす。
トレーナーは資料をこちらに渡し、パソコンを閉じた。
「それじゃ早速説明に入るよ。まずクラッシック路線は主に三つのレースから成り立っているのはこの前教えたよね?」
「皐月賞、日本ダービー、菊花賞だったか?」
「上出来だ。それで、クラシック路線の最初である皐月賞に出るには獲得賞金額が一定以上であることが出走条件なんだ。つまり何らかのレースに出て一定額稼いでおかないと出られないという訳だ」
トレーナーはそこで一息つき、赤ペンを出して中距離レース一覧と書かれた表タイトルにアンダーラインを引いた。
「そこでアルカンジュに出てもらおうと思っているのは中距離レース。二個くらい一着を取れば出れるはずだよ」
「サラッと言ってくれるじゃないか」
「G1であるホープフルステークスで一着取ってくれるならその一レースだけで十分だけど?」
「分の悪い賭けはしたくないのでな。堅実に行かせてもらおう」
それで、と付け足してトレーナーは二つのレースに赤丸をつける。
「恐らくだけど、この二つ…芙蓉ステークス、若駒ステークスは高確率でトウカイテイオーが出走してくる」
「…回避か」
私がそう言うと、トレーナーは黙って頷いた。
「皐月賞以前のレース…俗にいうステップレースではトウカイテイオーと当たるのを避けたい。本気のぶつかり合いは皐月賞からでいいと思っているんだけど、どうかな?」
「私はレースに詳しくないいからな。そう言ったことはよほどの事でない限りトレーナーに従う。それで?その二つを回避する私はどのレースに出ればいいのかな?」
私の問いに、トレーナーは待ってましたとばかりに青ペンに持ち替えて二つのレースを丸で囲った。
「芙蓉Sの半月後の紫菊賞、それと若駒Sの一か月半後の弥生賞かな。正直異端もいい所のチョイスなのだけれど。この二レースの間にあと一個か二個出ておけば確実に皐月賞に出れるだろうね」
「異端だろうが構わない」
私は軋むパイプ椅子の背もたれに背を預け、トレーナーの肩越しに窓の外の空を見た。天気は晴れ。今日はいいトレーニング日和だな。
「そう言ってもらえると助かるよ。とりあえず当面は紫菊賞を目標にトレーニングしていこうか」
「OK。今日は何をするのだ?」
「ん-?あ、レース終わりの2、3日はトレーニング休みだよ。ゆっくり休んで疲れを取ってほしい」
「絶好のトレーニング日和なのにしないのか!?」
思わず椅子から立ち上がる。トレーナーは若干驚いたようだったがすぐ元の表情に戻って話し始める。
「トレーニングのし過ぎはかえって逆効果なんだよ。時にはゆっくり休むことも必要なの」
まるで子供に諭すような優しい言い方だった。柔和な表情を浮かべた彼はそのままこう続けた。
「あと休んでくれないと俺の休みもなくなる」
「雰囲気が台無しだぞトレーナー!?」
思わず突っ込んでしまったが、改めてトレーナーの顔を見てみると、うまく隠しているようではあるがクマが見て取れる。ここはトレーナーのためにも休むとするか。自主トレーニングなら文句も言われまい。
「ちなみにだけど自主トレーニングは禁止だからね」
「貴様さては思考を読めるだろう」
二人の間で笑いが起こった。
「暇な友達と買い物にでも行ってきなさい。トレーニングの予定が決まったら連絡するから」
「あぁ、そうさせてもらおう。トレーナーもゆっくりと休むようにな」
パイプ椅子を元の場所に戻し、備え付けの観葉植物に水をやり、トレーナー室を後にする。そして私はここで一つの大きな問題に気付いた。何を隠そう、友達のアテがないのである。
ライバルであるトウカイテイオーやマヤノトップガンはいるものの、私生活で絡むほど仲良くはない。あと知っているのはナイスネイチャくらいだが…仲がいいとは言えない。
とりあえず自室に帰るか。引きこもって過ごすのもたまには悪くないだろう。
ーーー
特に何事もなく自室の前まで辿り着き、ドアを開ける。そのままベッドに身を投げ出し、スマートフォンを取り出した。
…のだが、特にやることがない。ゲームの類は入れていないし、SNSも入れていない。あるのは元から入っていたメッセンジャーアプリと設定アプリくらいのものである。
ちょうどその時ピーンという音と共にメッセンジャーアプリに通知が届く。差出人は…
「マヤノトップガンか…」
昨日連絡先を一方的に押し付けられたマヤノトップガンからであった。無視する理由もないのでトーク画面へと移動することにした。
ーーーーー
アルちゃん、今暇?
やっぱり!
一緒に遊びに行かない?
商店街!
今から迎え行く!寮長にはもう2人分外出申請出しておいたよ!
+ Aa
ーーーーー
メッセンジャーアプリを閉じる。服装は…制服でいいだろう。トートバックに財布とスマートフォン、水筒も入れておこうか。水を部屋の水道で汲んで…よし。護身用の銃でも欲しいところだが、生憎とないようなので諦める。
あらかた用意が終わった頃だっただろうか、部屋をノックする音が聞こえた。
「開いてるぞ」
「アルちゃん、準備できた?」
そこには私と同じ制服姿でバックパックを背負っているマヤノトップガンがいた。
「随分と大きいバックパックだな」
「いっぱい買いこもうと思って。逆にアルちゃんそんな小さいバッグで大丈夫?」
「大丈夫だ。そこまで買う予定はないからな」
私が靴を履いた瞬間、マヤノトップガンに勢い良く手を引っ張られて連れ出される。
「行こう!早く早く!」
「少しは落ち着いたらどうだ?私は逃げないぞ」
苦笑しながら彼女についてゆく。寮の玄関を駆け抜け、校門の守衛さんに軽く話した後、外出を改めて許可される。新緑が眩しい歩道を通り抜け、十分ほど喋りながら歩いたところ、商店街の入り口と思しき場所に到着した。
アーチを潜り抜けると、途端に喧騒に包まれる。八百屋、肉屋、魚屋などが人々でにぎわっている。エルジアでは見たことのない景色だ。実に新鮮で面白い。人と人の間を縫うように通り抜け、マヤノトップガンは目当ての店を見つけたのか、その店の前に立って手招きをしている。
「アルちゃん、ここ、ここ!」
彼女が指さすその店は洒落た雑貨屋だった。軽い鐘の音が鳴るドアを開けて入店する。
「何を買いに来たんだ?」
「えっとねー、アロマと、シャンプーとリンスと…生活用品全般かな」
「随分と大人な買い物内容じゃないか。もっと子供じみた物を買うと思っていたが」
私のその言葉…特に大人という言葉に反応したマヤノトップガンはどや顔をした。ふむ、子供だな。
「でしょー?アルちゃんは何買うの?」
こういう質問、そしてマヤノトップガンのような質問者相手にはとても効果的な返し方がある。自分自身に負担はなく、且つ相手の機嫌もとれる優れた返答方法だ。
「あー、私はいつも風呂場で共用のシャンプー類を使っているんだが、もし良ければだが、マヤノトップガン、君のおすすめなどはあるだろうか?あるのならぜひとも教えてほしいのだが」
そう、相手に任せるのである。そして先ほど大人みたい、と言われて機嫌は良いはず。つまり次にくる言葉は…
「任せて!アルちゃんの髪質には…そうだね…」
予想通り。彼女はぱぁっと顔を明るくさせ、一生懸命になって選ぼうとしてくれている。実に可愛い。アルマ*1を見ているかのようだ。
自然と緩んでくる表情筋を整え、彼女から一歩引いた立ち位置で見守る。
「これと、これがいいかも!あとこのリンス。これがあるとないとじゃ全然違うんだよ?」
彼女は自然由来のシャンプーとボディーソープ、そしてウマ娘御用達!と書かれたラベルが貼ってあるリンスを持ってきた。
「ありがとう。これらを買うとするかな。大人なチョイスだな」
今のはちょっと無理があっただろうか。そう思って彼女を見たが…
「ふふーん、でしょ?でしょ?」
杞憂であったようだ。耳としっぽがせわしなく動いており、全身で喜びを示している。やはり子供だ。手渡された商品と、途中で目に付いた寝巻き一式を手に取りレジへと進む。会計時に表示されたシャンプーの値段はかなりお手頃だった。もし使ってみて良かったのなら継続購入するのもいいかもしれないな。
店を出ると、同じく購入を終えた彼女がまた私を先導して商店街を進み始めた。
「あとは、ここ!」
そう言って彼女が立ち止まったのはホビーショップの前。様々な模型がショウウィンドウに飾られている。ここで何を買うつもりなのだろうか?
「おじちゃーん!この前頼んでおいた物入ってるー?」
店の人と知り合いなのだろうか、大きな声を上げて彼女は店の中へと入っていく。私もそれに続いて入店すると、壁に所狭しと積まれたプラスチックモデルの箱の数に気圧された。かなりの量だな!?
「おー、マヤノちゃん、入ってるよ。ほれ」
そう言って店主*2は彼女の前にF-14のプラモデルと数個のラッカースプレーを置いた。…ほう?
「しめて5230円だ」
「はいっ!おつり頂戴?」
「はいよ、270円のお釣りだ」
彼女はレジ袋に入ったそれらを大事に抱きしめて、こちらへと歩いてきた。
「アルちゃんは何か買わないの?」
「…そうだな。ちょっと見て回ってもいいだろうか?」
「うん!」
「嬢ちゃん、マヤノちゃんの友達かい?」
店主がレジカウンターの向こうから声をかけてきた。彼女と親しい間柄のようだから、仲良くしておいて損はないだろう。
「あぁ、そうだ。それにしても凄い量のプラスチックモデルだな」
「ウチの自慢は圧倒的な品揃えだからな。嬢ちゃん、欲しいのはあるか?」
前世の私の愛機はあるだろうか。X-02Sではない方の、だ。
「Su-30SMはあるだろうか」
「スホーイはこの辺に…あったあった、これだな」
そう言って店主は棚の一角から一つの箱を引っ張り出してカウンターに置いた。それを見届けた私は塗料コーナーへと足を進めた。そこでNATOブラックとオレンジ、フラットホワイト、クロームシルバー、フラットブラック…このくらいだろうか。マスキングフィルムとデザインナイフも買わなければ。
「嬢ちゃん迷いないな。やったことあるのかい?」
「前に少し」
実機で、な。塗装に立ち会ったから分かるのだ。あの時の知識がプラスチックモデルで役に立つとはな。
「アルちゃんはこういうの興味無いかと思ってた」
「意外か?」
「けっこー意外かも」
これでも精神の根底は男子なのだ。男子は銃火器やメカが好きなものなのだよ。店主はニコニコと笑っている。
「店主、会計を頼む」
「まいどあり!その塗料たちも合わせて7860円だ!」
財布がかなり軽くなった。まぁ悪くない買い物だっただろう。ホビーショップを後にし、マヤノトップガンと商店街をぶらぶらと歩く。その後は彼女とカフェでお茶をして「コーヒーの飲み方マックイーンさんみたい!」と言われたり、*3ついでに夕飯を食べていこう!という話になり、その際、ワインを頼みそうになって店員に笑われたり、とても楽しい一日であった。そのおかげで…
「君たち、ホントにギリギリだね?」
「すまなかった」
「ごっめぇーん!」
門限ギリギリで寮に到着し、フジキセキ寮長に呆れられるのであった。
マヤノトップガンを部屋に送り届けた後、自室に戻ってきた私は待ち構えていたゴールドシップによって風呂場に連行される運びとなった。
「なんだよ〜、そんな面白そうなことやってたなら誘ってくれよぉ」
「そんなに面白いことか?ただの買い物だぞ?」
「ゴルシちゃんは娯楽に飢えてるのだ!」
マヤノトップガンのオススメで購入したシャンプー類を使用しながらゴールドシップと話す。彼女は今日私たちの買い物について来れなかったことをなぜか羨んでいるようだった。
シャンプー類の使い心地としては最高の一言に尽きた。これまで使っていた共用のやつも前世で使っていたものと比べればグレードは上だったが、今回のはさらに上だ。彼女には感謝せねばなるまい。髪と尻尾の艶にさらに磨きがかかるというものだ。
思えば、女性として生活することへの抵抗感は最初の頃と比べるとかなり薄れてきたように感じる。女湯へのそれがほぼ無くなったのがその証拠となり得るだろう。
一通り身体を洗い終え、湯船に浸かる。
「っあ゛ぁ゛〜…」
「…アル、お前やっぱ爺さんみたいだな」
一日中歩きっぱなしだったのだ。こんな声が出るのも当たり前だ。それにしても毎日温泉に浸かれるというのはなんと贅沢なことか。もう前世には戻れそうにないな。
「なんだゴールドシップ、もうあがるのか?」
「あん?そりゃもう十分入ったからな。アルは?」
「私はもう少し入っている。先に戻るといい」
「おう!」
ゴールドシップが出ていくのを見届けてまた肩まで湯船に浸かる。そんな私の元へ入れ替わるようにしてやってきたのは…
「やっほー!」
「アルちゃんさっきぶりー!」
「マヤノトップガン、今日はありがとう。おかげで髪が洗いやすかった」
「やっぱり?それはよかった!それはそれとしてフルネームだとなんだかむず痒いから、私のことはマヤって呼んでくれない?」
「あ、それ思ってた!ボクのこともフルネームで呼ぶんだもん。テイオーでいいよ!」
「…ふむ、マヤにテイオー、か。分かった」
私がそう言うと2人は目に見えて喜んでいた。…もしかしてゴールドシップとかも愛称で呼んだ方がいいのだろうか…?
「なぁ2人とも。ゴールドシップはみんなになんと呼ばれている?」
「「ゴルシ」」
ゴールドシップだからゴルシ……なるほど、帰ったらそう呼んでみるとするか。反応が楽しみだな。
「それでは私はこれで失礼する」
「おやすみー」
「また明日ね」
風呂からあがり、先程買った寝巻きに着替える。昨日まではジャージだったため、ふわふわした着心地に若干違和感を覚えた。脱衣所備え付けのヘアドライヤーで丹精込めて髪を乾かし、尻尾も乾かす。ケアを怠ってはいけないのだ。*4
部屋に戻り、ドアを開けるとゴールドシップ…ゴルシはベッドの上に座っていた。
「よっ、アル、まぁ座れ。実はな…」
「…何を企んでいるゴー…ゴルシ」
瞬間、目を輝かせたゴルシが飛びついてきた。
「おっ?今ゴルシって呼んだか?呼んでくれたよなぁ?いやー嬉しいぜ、同室なのに未だにフルネーム呼びだったしなんだか素っ気ないしひょっとしたら嫌われてるのかとヒヤヒヤしてたんだよ、いやーよかったよかった…ハッ」
「落ち着け」
私の肩を掴んでガクガクと揺さぶってたゴルシの目は微かに潤んでいた。…えっ、学園の問題児中の問題児として知られているゴルシはこんなことで悩んでいたというのか?嘘だろう?
ベッドに座りなおしたゴルシは我に返ったのか、少々頬を赤らめながら困惑する私をよそに話を切り出した。
「いや…さ。アタシってあんまりいいイメージを持たれてないじゃん?だから全然皆近寄ってこないワケよ。…過去に何度か同室もできたんだけど、皆最初から距離置いてて、しまいには「貴女との同室は嫌だ」ってなってまた一人よ。アルもフルネーム呼び変えないし、なんだかアタシと距離を置いてる感じがあったから、不安になってたのさ。だから嬉しいぜ!」
どうやら学園の問題児ゴールドシップは友人関係に悩むただの年頃の女の子だったようだ。頭のネジが5,6本抜けているように見えたから多少警戒していたが、これからはあんまり警戒する必要はなさそうだ。
「かーっ!嬉しいぜホントによぉ!あ、じゃあこれアタシからのプレゼントな!大事にしろよ!」
そう言ってゴルシが放ってきたのは拳銃だった。
「ナカヤマフェスタとの賭けで頂いてきた戦利品だ!普通に本物だから気をつけろよな!」
前言撤回、こいつは要警戒対象だ。この国では銃火器をもてないはずでは…?普通にこの後代替マガジンと予備弾薬を渡してきたからさらに驚いた。法律は…この国の法律は息をしているか!?やめるんだゴルシ、「コノ先日本国憲法通用セズ」じゃない。どっから持ってきたその看板。
同室の意外な一面を見れてホッとし、明らかに持ってはいけないものを渡されたことでギョッとし、私の感情はもう尽きそうだ。…これだから同室に愛想尽かされるのでは…?
「まぁお前さんの悩みは分かった。私は部屋を変えるつもりはないから安心してほしい。それとこの拳銃はもらっておこう」
「お?アルは驚かないんだな。大体の奴らこれで驚くってぇのに」
「まぁ見慣れてるからな」
「は?」
しまった。完全に失言した。どう言い訳したものか。
「気にするな。お互いに色々あるってことでどうだ?」
「アタシは話したじゃないか!」
その日の夜はゴルシとの会話で過ぎていった。私の前世の話などは何もしていないが、彼女の生い立ち、これまでの苦労など、たくさん知ることができた。*5
時間が経ち、彼女が静かな寝息を立て始めたところで私はため息をついた。
ーーー私が前世の事を話したところで、ゴルシやその他の皆は信じてくれるだろうか。ゴルシ以上に突飛な話だ。精神科送りにされてもおかしくはないだろう。今世は楽しい。過去を忘れられるほどに。だが心のどこかに引っかかって取れないモヤモヤが存在する。これが解消されない限り私は本当の意味で心の底から今世を楽しむことはできないだろう。いつか…いつか話せることを願おう。
今日の外出の疲れが来たようだ。私の意識は深い眠りへと落ちていった。
☆今回の成果☆
シャンプー類と寝巻一式
Su-30SM(プラモ)とその他
テイオー、マヤ、ゴルシ呼び
拳銃
自分で書いてて思いました。色々とおかしい、と。
次からはちゃんとふざけます。