眩しくも青い空が、達也の正面に広がっていた。穏やかな海面に背中を預け──────ただし殆ど水没状態、辛うじて顔が水面より上に出ている──────達也はぷかぷかと波間を漂っていた。
視界の端では深雪、雫、ほのか、エリカ、美月の五人がかりで水の掛け合いが発展した水の撃ち合い*1が八幡を標的として勃発している。ガトリング砲で応戦しているが、女性陣は意外とガチ。魔法発動後の再定義の時間を潰すために、三人が魔法を使っている間に残り三人が演算。そして演算していた三人が魔法を発動したら先程魔法を使っていた二人が演算を始めるという、どこぞの武田騎馬隊を破った織田軍の鉄砲隊みたいな真似をしていた。
「うおっ、おまっ、数の暴力ゥ!?」
レオと幹比古は遠泳をおっ始め、二人の姿はまるで見えない。……いざという時は八幡に回収してもらうか、と考えながら視線を六人の方に戻す。
「オラッ逆襲だッ! 創生せよ、天に描いた星辰を! 我らは煌めく流れ星!」
「
見れば、八幡が魔法を行使して反撃に出ていた。大量の水を操作し荒波を構築。女性陣の水流を阻む壁にして押し流す面制圧を作り出し向かわせていた。
「……確か、水流操作だったか。アレは」
八幡の悪ノリにより作られた魔法。アイツは操作技術がカンストしているために魔法行使に要求される技術やら演算規模を自前で賄えるため、ああいう悪ふざけじみた魔法を平然と使える。しかもなまじ実用性があるからタチが悪い。
前に達也が聞いたところ、本来の運用方法は
「いえーい! ウォータースライダーいえーい!」
再度目を向ければ、八幡が水流操作の応用でウォータースライダーを構築。ボートに乗った女性陣を勢いよく流していた。よく見ると水流の下には水の膜を作っており、万が一転落しても安心な構造……しかも流されているボートの左右には海水で作った鳥やら竜が並走している。『アレを演算するのにどれだけの魔法演算領域が必要なんだ』と一瞬だけ気になる達也だったが……アホらしくなって辞めた。奴の魔法について、『何が出来るか』はともかく『八幡がその魔法で何をするか』を考えることほど馬鹿馬鹿しいことはない。そもそも本人が魔法のことを『色々出来る便利な物』としか捉えていないのだ。
その後、ほのかがボートから転落する事故こそあったものの八幡の魔法により危なげなく対処されて時間は過ぎていった。
レオと幹比古がアホみてえな長時間長距離競泳を終えて海から上がってくると、八幡たち五人がバルコニーでティータイムと洒落込んでいた。北山家のハウスキーパーである黒沢さんが給仕を務める中、フルーツや冷えた飲み物に舌鼓を打つ女性陣。八幡は雫の隣で氷に斬撃魔法を無数に撃ち込んで、高さ2cmの氷の彫像を作っていた。
「……ありゃ、達也と光井は?」
「向こうで、ボートに、乗ってるよ」
レオのその疑問に答えたのは、息も絶え絶えといった疲労困憊の幹比古。幹比古が指差した先を見ると、何故か達也とほのかの二人がレトロな手漕ぎボートでこちらに向かっていた。
「……なんだありゃ?」
「達也が波に流されてったのを誰が迎えに行くかで光井が立候補」
実際には深雪も立候補して、熾烈なじゃんけんの末にほのかが勝ったのだがそれはそれ。そして八幡が『俺空飛べるし行こうか?』と言って深雪とほのかの圧によりペシャンコになったのもまた別の話。和やかな雰囲気がバルコニーからでも伝わる光景を見て、幹比古が口を滑らせた。
「……結構良い雰囲気じゃない?」
「あっ、コラッ」
幹比古を制止しようとするエリカの台詞は、真夏の別荘に漂う冷気により遮られた。しゃりしゃり、ぴきんという凡そ夏場に聞こえていいはずのない音が、深雪の手元から響いてきた。
「吉田君、良く冷えたオレンジは如何かしら?」
無駄に愛想のいい言葉と共に差し出された、良く冷えた──────冷え過ぎたオレンジを受け取る幹比古。計ったようなタイミングでスプーンを差し出す黒沢。それを他所に深雪がマンゴーを手にすると、瞬く間にマンゴーの生シャーベットが出来上がる。
「西城君も如何?」
「あ……どうも……なあ八幡、解凍頼める?」
「俺真夏に凍死したくないかな」
八幡の言葉に、二人は揃ってがっくりと肩を落とした。
「まあ安心しろって、晩には俺が持ってきた秘密兵器がある」
「八幡が言う秘密兵器って絶対ろくでもねえよ」
「確か晩はバーベキューだったよね? 八幡なら蛇肉とかウツボとか持ってきてもおかしくないよ」
「よーし、俺が人数分自腹で用意した壷漬け神戸牛ステーキが二枚余ったぞ。切り分けて八人で食おーぜ」
「信じてました八幡様」
「神様仏様八幡大明神様」
「君ら手首のボールジョイントスムーズに回るな……いや別に怒ってないから良いけど……」
そして晩のバーベキュー。皆が和気藹々とバーベキューコンロを囲み、テーブルとコンロを往復する中、八幡もまた焦げ目の軽くついた野菜や肉を頬張っていた。そんな八幡の傍に、雫がやってくる。
「楽しそうだね、八幡」
「おう、誘ってくれてありがとな。めちゃくちゃ楽しいよ」
そう言って笑う八幡。その様子を見て、雫もまた少し笑みを浮かべる。
「にしても、良いお肉まで持ってくるなんて」
「友達と海に行くなんて生まれて初めてだったからな。柄にもなく張り切っちまった」
人生の半分以上は騒音と狂気に苛まれていたし、残りもそれが後を引いていたのもありまともな人間関係など築くことが出来なかった。比企谷八幡は過去の経験上、老成している部分が間違いなく存在している。しかし、同時に人との交友……『友達との人付き合い』という点では、少々幼い部分があるのもまた事実。結局のところ、『柄にもなく張り切った』というのが全て。比企谷八幡という人間にとって、雫たちとの初めての海体験というものは……その為だけに大金を支払う価値があったのだ。
「きっと、俺はこの日を生涯忘れないよ」
月の光に照らされながらそう呟く八幡。いつもの大胆不敵なものとは異なるその顔を見て、雫は──────
「……そう言ってくれたら、嬉しいな」
そう言いながら、微笑んだ。その胸の中で脈打つ熱、抱いた違和感。それがどんなものなのか……北山雫という少女がそれを知るのは、もう少し先の話である。
「さて……オラ野郎共! コンロの網空けろ! 待望の神戸牛のサーロインステーキ、100グラム八千円の高級肉だ俺を崇め奉りながら食え!」
「いよっ、待ってました!」
「御大尽様!」
レオと幹比古のヨイショを受けてゲラゲラと笑いながら、持参したデケェ壺の中からこれまた大きな肉を取り出す八幡。参加者九名と、給仕をしてくれた藤沢さんの合計十名分。これだけで二十万円以上の出費だが……友達との小旅行の楽しさを甘受している八幡からすれば必要経費、端金も同然である。
「八幡、米はあるか!?」
「安心しろ
やるなら
「野郎共にはガッツリにんにく醤油ベースのタレで漬け込んだ肉だ、口臭ケア用品は買っといたから使えよ。女子が過半数を占めるここで口臭ケアを怠ることは人権の喪失と同義と思え。んで女性陣はすりおろした玉ねぎをベースに、レモン醤油のさっぱりとして食いやすい方向性で仕上げたタレで漬け込んである。男衆用のと比べりゃマシだろうが、少しはにんにくを入れてるから気になるようなら女性陣用にもケア用品買ってあるから使ってくれ。雫に渡しとくわ」
八幡は気遣いが出来る男だった。
夕食も終え、日付が変わる一時間ほど前。八幡はふと、夜の散歩に出ていた。
「……空気が澄んでるな。ここなら良い音が奏でられそうだ」
そう呟いて、苦笑する。休みの日にも音楽のことばかりか、と。最早ライフワークそのものなので当然なのだが、豊かな自然の中でもそんなことを考えてしまうあたり筋金入りだった。
「……そっちも夜の散歩か? 雫」
そう言って振り向く八幡。視線の先の木陰から、八幡の言葉に応えるかのように雫が出てきた。
「……まあね。こうして夜の砂浜を歩くの、好きなんだ」
青白い光に染まる時間帯、二人は先程の夕飯のさなかにも話したというのに時間を共にしていた。
「……ところでさ、八幡」
「うん?」
「頭のたんこぶ何……?」
「達也たちと四人でお菓子賭けてルドーしてたんだけどダイスの出目操作がバレて殴られた」
「すっごく妥当な理由で痛い目見てる……しかもよりにもよって友情崩壊ゲームしてる……」
ルドーとは、簡単に言うと『他のプレイヤーの駒に追いつくとその駒を振り出しに戻す対戦型すごろく』である。そもそもルールとして足の引っ張り合いが推奨されているため、友情崩壊待ったなしの代物であった。桃鉄とどっこいどっこい。
「その後出目操作が出来ない電子ダイスでやって達也を三人がかりでボコボコにして、それが終わったから寝る前の散歩してたとこだな。レオと幹比古は執拗に狙われてキレた達也に締められたけど俺は逃げ出したから戻るの怖いんだよね。雫の部屋間借りしていい? 全然俺床でも寝れるから」
「大人しく締め上げられたら?」
「どうしてそんな酷いこと言うの? 死んじゃうよ俺」
「どうしてそんな情けないこと言うの? 自分のやらかしなんだからケジメをつけてちゃんと死のう?」
救いはなかった。
「……ま、それはこの後の俺に任せるとして」
「八幡のことだからその時になって『おのれ過去の俺! 今の俺に押し付けやがって!』って怒るでしょ」
「うん」
ジト目の雫から目を逸らす八幡。そんな空気を断ち切るかのように咳払いすると、星月夜を仰ぎながら呟く。
「……来年も、再来年も。こうして、皆と馬鹿やって遊んで……楽しい時間を過ごしてえな」
それは、比企谷八幡の切なる願い。今まで得られなかった『友人との交流』が、反動で当人にとってとても大事なものとなっていた。だから願う、願ってしまう。どうかこんな素晴らしい体験を、また味わいたい。替え難いこの今が、続いて欲しい。
「……きっと、過ごせるよ」
そう言って、八幡に寄り添う雫。そんな二人を、月と星だけが見守っていた。
比企谷八幡
友達との海遊びでめっちゃうっきうきだった人。これまで作った曲の印税で態々新規の仕事を貰わなくても月収がそれなりにあるため、このような散財暴挙に出られた。来年も再来年も、皆とまたこうして遊びたい。情緒が幼女。友達とゲームする時はわざとバレるようなお粗末なイカサマをして、バレて怒られるまでをセットで楽しむタイプ。
北山雫
友達がとっても楽しそうでにっこり。ブランシュ襲撃の一件や九校戦、そして今回の皆での海水浴もあって八幡に少しずつ惹かれつつある。まだ無自覚。
司波達也
八幡から教わった『間の余暇』を楽しんでいた。原作だとボートから転落したほのかを助けようとしたことで紆余曲折あって二人でボートに乗ったが、友達大好き気狂いが未然に防いだためまた別口の形でボートに乗った。この後戻ってきた八幡をパイルドライバーで砂に埋める。
『妖しく貴き魔の妃よ、水淵紀行を綴っておくれ』
ベノムハック・アビシャル・スキュラ。
水流操作魔法。本来は膨大な水を支配することで戦場を制圧・自由に操る魔法であり、本編で言及された通り『味方の移動補助&敵の移動阻害』や『呼吸妨害』、他にも水の防壁による味方の保護といった多彩な支援を売りとする。しかし八幡がまともな使い方をするはずもなく、水のアトラクション作りに専ら使われた。
というわけで、夏休み編はこれにて終わりです。リアル事情だったりでイマイチやる気のギアが入らず、大変長らくお待たせしました。作者は現在就活中の身ですが、これからはちゃんと更新させていただきます。
それでは次回、第四章・横浜騒乱編。『ストラグル・ストレングス』でお会いしましょう。