「達也くん、お願い。ちょっと時間を貰いたいんだけど」
新学期が始まって一週間。司波達也は、学内で流れている噂に頭を悩ませていた。その内容とは、『達也が生徒会長に立候補する』というもの。色々と情報を辿ったところ、馬鹿馬鹿しいほどの伝言ゲームにより話が捻れ曲がって伝わった状態であることのみが解った。ついでにその噂が教員にも信じられていることが判明、頭痛が悪化したのだがそれは別の話である。
そんなこんなで、実体のない噂話に対して打てる効果的な手など学内においては普通の二科生の立場しかない達也には存在せず。上の言葉と共にやってきた彼女──────七草真由美、そしてその付き添いである市原鈴音の来訪は、達也にとって喜ばしいものではあった。諸手を挙げるのは難しいが。
「……」
達也が視線をディスプレイ……その隅に表示されたデジタル時計に向ける。休み時間は残り五分、余裕はない。
「生徒会の公務ってことにしておけば、減点されることはないから」
それは職権濫用という奴では。そんな疑問が脳裏に過ぎるが、この局面においては達也にとっても悪い話ではない。授業内容も考慮すれば……まあ、総じて離席しても問題ないだろう。そう判断し、達也は席を立った。
そんなこんなで達也が真由美と鈴音により連行された先、そこは生徒会だった。昼食時は毎度集まる場所、そこに態々授業中連れてこられた理由……達也はすぐに理解した。
「授業中にすみません。なにぶんもう日が無いものですから」
鈴音に謝罪されて、達也は「いえ、構いません」と首を振った。
「ありがとう。そう言ってくれると助かるわ」
ふう、と大袈裟に息をついて、真由美が本題を切り出した。
「実は、今度の生徒会選挙のことなんだけど……」
予想通りの用件。……達也の回答は、既に決まっている。
「深雪には、まだ早いと思います」
「深雪さんに……って、何故分かったの?」
目を丸くして「まさか、読心術?」とあたふたしている真由美に、達也は苦笑しながらタネを明かした。
「昼休みではなく、わざわざ授業中に連れ出したのは、深雪のいないところで相談をしたかったからでしょう? ならば時期的に考えて、生徒会長選挙に深雪の立候補を、というお話だと考えました」
達也は別に、推理力を誇示する為にセリフを先取りしたのではない。真由美一人ならばともかく、鈴音とのタッグが相手では、出鼻を挫いておかないとこちらが説き伏せられてしまう、と恐れたのだ。……その先制攻撃の狙いは、今のところ的中している。相手が──特に鈴音が態勢を立て直す前に、達也としては必勝態勢を確立しておかなければならない。
「一年生の生徒会長という例が世間的に皆無ということは無いでしょう。ですが、深雪にはまだ早過ぎます。アイツにはまだ、組織のトップは務まりません」
「……中学校時代は、生徒会長のような役職には就かなかったのですか?」
「俺が止めました」
鈴音の質問に、即答で「否」を返す達也。
「しっかりしている様に見えるけど……」
「深雪はまだ子供です。俺が世話を焼き過ぎるという面もあるのかもしれませんが。アイツはまだ、自分を上手くコントロールできていない。せめて、魔法を暴走させるようなことが無くならなければ」
真由美の問い掛けには、畳み掛けるように反論の言葉を重ねた。真由美も鈴音も色々と言いたい事がありそうな顔をしていたが──主に、「世話を焼き過ぎ」なのは「かもしれない」じゃなくて「事実」、と言いたかったのだが──魔法を暴走させるという欠点は、生徒会長として目をつぶっていられるものではない、という指摘に反論はできなかった。達也もそろそろ本格的に八幡に頼んで想子のコントロールを深雪に指導してもらおうと考えているほどなのだから。
「……でも、困ったわね。明日には選挙が公示されるのに、立候補者がいないなんて」
「立候補の締め切り迄は、一週間あると思っていましたが?」
それまでに立候補者が現れればいいのではないか。そんな達也の「そもそも論」に、真由美は暗い顔で首を振った。
「……次期会長候補の絞り込みも生徒会の役目なのよ。そうじゃないと、候補者が乱立して収拾がつかなくなるから」
「……候補者が大勢立つのは選挙のあり方として健全だと思いますが」
「例えそれが、魔法の撃ち合いに発展しても? 相手は生徒会長になろうという猛者ぞろいよ?」
確かにそんなことになったら、新入生勧誘週間以上の大騒動だろう。
「……いくら何でもそれは……それこそ、生徒会長になろうという人たちですよ?」
生徒会長になろうというのだから、ああいう騒ぎを起こさせないようにする側のはずだ。
「甘いわね、達也くん」
だが達也の常識論は、真由美によってバッサリ切り捨てられた。
「当校の生徒会長には大きな権限がありますし、卒業後も高く評価されますから。現に四年前、『民主的で自由な選挙』を標榜した当時の生徒会は……重傷者が二桁に達した時点で『自由な選挙』の看板を下ろし、生徒会長が副会長を次期会長に強く推薦することでようやく事態を収拾した、という記録が残っています」
達也の疑問を解消したのは、鈴音の驚くべき暴露話だった。
「……何処の発展途上国にあるんですか、この学校は」
呻き声を漏らした達也に、頭の痛そうな顔で真由美が呟く。
「魔法という大きな力を持って完全な自制心を発揮できる程、高校生は大人じゃない、ってことよ」
真由美は再び、目の前で手を合わせて拝み倒しの態勢に入った。
「だから、ね? 達也くんから見ればまだまだ子供なのかもしれないけど、深雪さんだってきっと大丈夫よ。地位が人を育てる、って言葉もあるんだし」
そう来たか、と達也は思った。伊達に一年、生徒会長は務めていないな、と思わせる中々の粘り腰だ。
「このまま立候補者がいないと、八幡君に頼んで暴れた立候補者を二・三人くらい見せしめで半殺しにしてもらう必要が出てきちゃう」
達也の脳裏に『最早それもありでは?』という思考が過ぎったが、それを馬鹿正直に言うほど達也は倫理観と常識を捨てていなかった。
「……深雪に拘らなくても、中条先輩が立候補すれば済む話だと思いますが? 順番から言っても実績から言っても、次の生徒会長は中条先輩の方が相応しいのでは?」
達也がこう指摘すると、真由美は苦い顔で黙り込んでしまった。
「……確かにその通りなのですが……」
鈴音も言葉が続かない様子。そう、そもそも言われなくても分かり切った事なのだ。……あずさがどうしても首を縦に振らないから、達也のところにこんな話が持込まれたのだということは、改めて説明されるまでも無く明白だった。だが達也の次のセリフは、真由美にも鈴音にも完全に予想外だった。
「……何なら、俺が中条先輩を説得しましょうか?」
「えっ? ……達也くんがあーちゃんを説得してくれるの?」
「ええ」
真由美は意外過ぎてどんな顔をしていいか分からない、という様子だったが、ジワジワと達也の言葉が意識へ浸透して行ったのか、不意に、ガッシリと彼の手を摑んだ。
「本当にやってくれるの? だったら是非! 是非お願い! やっぱり達也くんは頼りになるわ!」
彼の手を摑んだままブンブンと上下に振り回し始めた真由美に、達也と鈴音は顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
「とりあえず八幡の手を借ります」
「それは脅迫とか洗脳って言わない?」
「法に反する真似はしないでくださいね」
「先輩方はあいつのことを何だと思ってるんです?」
鈴音はそっと目を逸らし、真由美は曖昧な笑みで誤魔化した。
その日のランチタイム。小動物的な危険予知が働いたのかは不明だが、あずさは生徒会室に来なかった。この分では放課後も何かと理由をつけて休むかもしれない、と考えた達也。なので五時限目終了直後、あずさの教室に乗り込むことにした。
『というわけで八幡は窓を張っててくれ』
『俺に最後の授業サボれって言ってる? いや授業態度捨ててるから良いけど』
教室の出入り口から中の様子を窺う。あずさはそそくさと帰り支度をしているところだった。彼女としては捕まる前に逃げ出す算段だったのだろうが、授業時間の最後まで端末の前から離れない生真面目さが災いしたようだ。
達也と一緒ならばルールの棚上げを厭わない──────重大犯罪に手を染めることすら躊躇わないだろう──────妹を引き連れて、彼は二年A組の教室に踏み込んだ。
何だコイツ、という視線が、主に男子生徒から達也へ向けられたが、下級生が教室に入って来ただけで突っ掛かっていく様な幼稚なメンタリティの持ち主はさすがにいなかった。……女子生徒から達也へ向けられた、ブランド物を品定めするような興味津々たる視線の圧力を前にして、直接的な行動に出ることは困難だった、という事情もあったようだが。
それに対して、達也は可愛げ無く両方の視線を黙殺。真っ直ぐあずさの席へ向かった。達也が歩み寄ってくるのに気付いたあずさ。咄嗟に窓の方に退路を見出そうとして──────
「──────ひっ」
窓の外にて、見る者によっては恐怖を覚えるような満面の笑みでガン待ちする
「中条先輩」
達也の容姿は飛び抜けて整っているわけではなく、声も聞き惚れるほどの美声ではない。だが戦闘訓練で鍛えられた喉と肺活量のお陰か、徹りが良く深みのある声をしている。歳若い女性陣からすれば、「渋い」とか「大人っぽい」とかいう感じ方をするかもしれない声だ。出せない音がない
「少しご相談したいことがあるんですが」
そして同時に、気の弱い少女であれば抗い難い圧力を感じるかもしれない声だ。
「あの、わたし、今日はちょっと……」
「それほどお手間は取らせませんから」
それでも何とか逃げ道を探すあずさの退路を断ち切るように、少しばかり語調を強めて達也は言葉を重ねた。
思い掛けない強引さにあずさが目を白黒させる一方で、二人を見ていたあずさのクラスメイトたちは目と目の会話からヒソヒソ話に移行していた。
「このままだと
「大人しく着いて行きます……」
それは紛うことなき脅迫の類では? と、珍しく敬愛する兄を困惑する目で見つめる深雪。八幡のことを三人揃って生物兵器だか人の形をした水爆だかのような扱いをしていることを指摘する人間は、残念ながらこの場にはいなかった。実際水爆よりタチが悪いので仕方ない。
「手短に言います」
カフェの片隅の席にて、腰を下ろして早々に達也はそう切り出した。
「中条先輩。生徒会長選挙に立候補して下さい」
「やっぱりその話……会長からわたしを説得するよう、依頼されたんですか?」
「ええ」
最初は「あずさの説得」ではなく、隣に座っている「深雪の説得」を依頼されたのだが、達也はその事をおくびにも出さなかった。
「……わたしには無理です。生徒会長なんて大役、務まりません」
膝の上に置いた両手をギュッと握り締め、俯いたまま首を横に振る。 あずさの態度は予想以上に頑なだった。今にも泣き出しそうな気配すらある。追い詰め過ぎると、本当に泣き出してしまうかもしれない。……いや、「かもしれない」どころかその可能性が高い。
だがその程度で諦めるなら、達也も最初から説得を請け負ったりはしなかった。
「服部先輩は次期部活連会頭に推されているので、生徒会長選挙には立候補しないそうです。中条先輩が立候補しなければ、生徒会によるコントロール無しの選挙になってしまいます」
「それでも良いじゃないですか。わたしより生徒会長に相応しい人はいっぱいいます」
あずさの居直り気味な答えを受けて、達也は深々とため息をついた。
「…………」
「…………」
沈黙が十秒も続かない内に、あずさはソワソワと落ち着かない素振りを見せ始めた。チラリ、と達也に目を遣って、何の反応も得られないと分かるや、今度はチラリと深雪の方を窺い見る。
深雪は感情の読めないアルカイックスマイルを浮かべてあずさを見詰めている。その笑みに引き込まれていきそうな錯覚に捕らわれて、あずさは慌てて顔を逸らした。この場で自身と相対している中の三人目、八幡の方へ。
「……!?」
即座に達也の方へ視線を向ける。そして、バッチリ目が合った。「あうう」とでも言い出しそうな顔で硬直するあずさ。『!?』と驚愕する八幡。『えっ、何で今俺だけ秒で目逸らされたの? 何で? 俺そんなに怖い?』と呟くが、それに構ってやれる余裕がある人間はこの場にいない。後お前は割と怖いよ。
達也はもう一度、ため息をついた。
「本当に、良いんですか? ──────四年前の悲劇を再現することになっても」
悲劇だなんて大袈裟な、と傍で聞いていた深雪は思ったし、達也自身も大袈裟だと感じていた。だがあずさは……と見ると、まともにショックを受けて顔を蒼褪めさせていた。
「当時は、重傷者が十名を超えたそうですね。詳しい記録は中条先輩の方が良くご存知だと思いますが」
可哀想に、あずさは動揺の余り唇が細かく震えていた。しかし達也は、更に追い打ちをかけることを選んだ。
「当時の映像記録も残っているんでしたっけ? 魔法による重傷……できれば見たくない代物ですね」
生徒会書記の主な仕事は、生徒会の記録の管理。それだけの大事件の記録だ、整理するためにも触りだけでも視聴しているはずだ。案の定、あずさは唇だけでなく、身体ごとブルブル震え出した。
「歴史は繰り返すということでしょうか……」
「わっ、わたしに、どうしろと……」
切羽詰まった表情を浮かべるあずさに、カフェに着いてからずっと沈黙を守っていた深雪が、優しい声で答えた。
「中条先輩が生徒会長選挙に立候補されれば、そのような事態を招かずに済みますよ? 大丈夫です。先輩ならきっと上手くやれます」
あずさの眼差しが、大きく揺らいだ。兄が脅し、妹が手を差し伸べる。実に見事なコンビネーションだった。
「優しい刑事さんと怖い刑事さんの寒暖差で証言引き出すやつじゃごべらっ」
そう呟いた八幡の脇腹に、達也の手刀が捩じ込まれる。
「ああ、そう言えば」
それまでの深刻な──────フリをした──────表情を緩めて、如何にも「ふと思い出した」という顔で、達也が次の「飴」を持ち出した。
「再来週発売になるFLTの飛行デバイスが、モニター用に二つ、手に入りまして……」
その言葉を聞くや否や、あずさの目が爛々と輝きだした。蒼褪めていた顔に紅く血の気が差し、俯き加減だった身体をテーブルに乗り出して来た。
「……それって、もしかして、シルバー・モデルの飛行魔法特化型CADですか? 七月に発表されたばかりの飛行魔法を、最も効率的に実行できるという、あの、シルバー・モデルの最新作!?」
頷く達也の顔を、あずさは食い入る様に見詰めている。彼女の眼差しは「欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい……」と訴えかけていた。
「まあ、モニター品ですから、シリアルナンバーが刻まれていない非売品ですが」
ゴクリ、とあずさの喉が動いた。彼女の瞳は、熱病に浮かされているかの様に霞が掛かっている。
「しかし、性能的には製品版と変わりませんので、生徒会長就任のお祝いにでも、と思っていたのですが」
「本当ですか!?」
あずさが歓声を上げて立ち上がった。椅子が倒れて大きな音を立てたが、あずさは何事かと集まって来る視線をまるで気にしていなかった。と言うより、気に掛ける精神的な余裕が無かった。
「もので釣るの、やり口がガキの誘拐なんだよな……」
そう呟く八幡のつま先が、深雪によって踏み抜かれた。
「ええ、中条先輩には深雪がお世話になっていますし、新生徒会長ご就任ともなれば、それ位のお祝いはしなければ、と考えていたのですが……」
「やりますっ! 誰が相手でも負けません! わたし、絶対生徒会長に当選して見せます!」
まだ見ぬ対立候補の幻影を睨みつけて、あずさは力強く断言した。そもそも立候補者がいない所為で自分がこうして脅し賺しの説得を受けていたということも、このまま行けば信任投票にしかならないということも、それ以前に自分が立候補を固辞していたということも、あずさの意識からすっかり飛び去っていた。
狂躁状態に陥ったあずさと、兄妹からのダメージに悶絶する八幡の前で。達也と深雪はこっそり頷き合った。
……余談だが、仮にこれでもあずさが首を縦に振らなかった場合に使われる奥の手は『このままだと相当数の立候補者が八幡によってボコボコにされるか、八幡が生徒会長になることになります』であった。
比企谷八幡
授業サボって先輩の教室の窓に張り付いてたのにどつかれて終わったんだけど? 俺いる?
中条あずさ
八幡を使った脅しにより捕まり、脅しと物欲への訴えかけで屈した小動物系先輩。可哀想に、君の後輩の一人はグリッチの鬼だし一人は平然と違反をするぞ。
司波達也
八幡の圧で手っ取り早く終わったな、と感謝している。
司波深雪
八幡による恐怖で楽に終わったな、と感謝している。
七草真由美
後で説得の流れを聞いて頭を抱えることになる。帰り道に痛み止めを買う。