「……ご苦労様。これで明日の準備は万全ね?」
真由美の終礼的な問い掛けに、あずさと服部が応じる。
「はい。資料は全て整いました」
「会場のチェックも完了しています」
しかし、服部は問い掛けに答えただけで無く、その後申し訳なさそうな断りの言葉が続いた。
「……会長、誠に心苦しいのですが」
「ハイ、はんぞーくん、ご苦労様。こっちはもう上がっても構わないわよ」
彼はこれから部活連の方の引き継ぎがある。真由美もそれは了解していることだった。
「すみません、会長……」
「いいって。あーちゃんも明日に備えて、もう上がりにしなさい」
心苦しそうに……それ以上に心残りな感じで準備棟へ向かう服部に続いて、慌しく荷物を纏めて慌しく「失礼します」と挨拶をしたあずさが、生徒会室を後にした。
「深雪さんも、今日はもういいわよ」
しかし、二年生二人が帰っても何故か席を立とうとしない深雪。そんな彼女に、真由美は同じように声を掛けた。
「よろしければ、もう少しこちらで待たせていただきたいのですが」
ところが深雪からは、珍しい答えが返ってきた。
「達也くん?」
「ええ。電波の届かない所にいるみたいで、連絡がつかないものですから」
「電波の届かない所、って……」
「もしかしたら、地下資料庫ではありませんか?」
首を捻った真由美に鈴音が耳打ちすると、真由美は「ああ」という顔で頷いた。
「あそこね……一旦あそこにこもったら、確かに連絡つかなくなるわよねぇ……いいわよ。私はもう少し片付けてから帰るつもりだし。あっ、リンちゃんはもう帰っちゃって。今日は外せない用事があるのでしょう?」
「……ええ。すみません、会長」
「大丈夫。その分、明日働いてもらうから」
真由美の、そんな思いやりがあるのか無いのか疑ってみたくなるような答えに微かな笑みをこぼして、鈴音は無言で一礼した。そうして、二人きりになった生徒会室で深雪と真由美は黙々とデスクに向かう。
暫しの後──────ちょうど真由美が大きく伸びをしたところで──────関係者の入室を告げる電子音が鳴った。深雪が立ち上がって目を向ける。
「待たせたね」
「うーっす」
彼女の予想に違わず、入ってきたのは達也だった。いや、後ろには八幡もいる。
「いえ、そのようなことは」
嬉しそうに、小走りで駆け寄った深雪を見て、真由美は少し呆れ気味の笑みを浮かべた。
「今更だけど……本当に仲が良いのね、貴方たち」
「俺は見慣れたけど凄いよな、この仲の良さ」
八幡がそう呟く。魔法師に対して嫌悪感を持つ両親故に実妹とも必然的に距離のある八幡からすれば、よく目に留まるものの特に忌避するものでもなかった。むしろ羨ましさすらあるくらいで。
「おや、会長。お一人ですか?」
「スルーされちゃったか……別に良いけど。ええ、今日はもう、深雪さんと二人よ」
真由美も今更、達也のふてぶてしさにペースを乱したりはしない。いつもの調子でサラッと気持ちを切り替えた。
「手伝いましょうか?」
「あら、珍しい」
しかし次の一言には、結構本気で驚いたようだ。
「雪でも降るんじゃないかしら」
「俺には無理ですが……妹には造作も無いことですよ。深雪、会長が雪をご所望だそうだ」
「承りました。それでは、如何ほどに致しましょうか、お兄様?」
「そうだなぁ……十センチも積もれば十分じゃないか?」
「待った! スト~ップ! 雪なんて降らせなくて良いから!」
最初は冗談だと思って放置していた真由美。しかし二人の表情があまりにも大真面目なので、もしやという焦慮に駆られて大慌てで止めに入った。
「まったく……おちおち冗談も言えないわ」
「当然冗談だったんですが?」
にこりともニヤリとも笑わず釈明した達也へ、真由美は精一杯の不審感を込めた眼差しを向ける。が、全く効果が無いのを見て「やれやれ」とばかり肩をすくめた。彼女も随分、達也のスタイルに慣れたようだ。……お互い様、ではあるが。
「冗談はさておき」
真由美がジロリと達也を睨め上げたが、達也は当然のようにスルーした。
「そろそろ暗くなってきますし、作業が残っているならお手伝いしますが」
カレンダーは既に秋分を過ぎている。「そろそろ暗くなる」というのも誇張でもなんでもなく、既に太陽も西側のビルに隠れ始めていた。
取り敢えず達也の言葉が善意によるものであると理解したのか、真由美も表情を和らげる。
「ん……私も、もう帰ることにするからいいわ。気を遣ってくれてありがとね」
「そうですか」
「では会長、駅までご一緒しませんか?」
達也があっさり引き下がった、と思ったら、今度は深雪のアプローチ。珍しいこともあるものね、と思いながら、真由美の顔は自然に綻んでいた。
「みんなと一緒じゃないの?」
「こんな時間ですからね。『地下』の探索に時間が掛かることは最初から分かっていましたし、あいつらには先に帰ってもらいました」
「しかもどれくらいかかるかってのも概算出来ねーくらいの規模だからな、あそこ」
二人のその口ぶりに、首を傾げる真由美。
「……そういえば、達也君は資料庫で何を探していたの?」
「『賢者の石』に関する古式魔法の文献を探していました。データベース化された文献の中には目ぼしい物が無かったものですから」
「……随分マニアック、いえ、専門的な調べ物ね」
「才能の不足を道具で補えないか、と思いまして」
「そ、そう……?」
思い掛けなく深刻な動機に、真由美は怯んでしまった。が、しかし。
「……って、『術式解体』を使える魔法師が何言ってんだか。あの魔法が使えるだけでも、警察とか国防軍とかあちこちから引っ張りダコでしょ」
すぐに憮然とした表情で頰を膨らませる。達也が自分の魔法の才能に対して屈折した思いを抱えているのは確かだ、と真由美は知っている。だがそれは、一般的な「劣等感」とは少し趣を異にするもの。「劣等生」というレッテルによって色々と機会を制限される社会制度にうんざりしているだけだ、ということも知っている。
それをついつい忘れて、彼に当たり前の同情をしてしまった自分が、何だか手玉に取られたような気がして真由美は少しばかり腹立たしかった。
国際基準に基づく魔法師ランクは高位を望めないかもしれないが、社会的な需要を考えれば、特定分野に傑出した技能を持つ彼のような人材の方が引く手数多なのだ。雇用主という立場を想定しても、達也の役職は直ぐに思いつくがその隣にいる
「達也くんさ、あんまり自分のことを『劣等生』だって強調しない方が良いと思うよ。キミは単なる成績優秀者なんて目じゃない実績を残しているんだから……。そんな調子だと、一科生からも二科生からも、両方から嫉妬されちゃうことにもなりかねないわよ」
「強調しているつもりは無いんですが」
実際、目標のために使えないかと調べていただけなので。誤魔化しはしたが。
「……で? 八幡君は何で『地下』に? 達也君の手伝い?」
「いや、俺も調べ物っすね。最近思いついたおもしろ技術を実用化するのに、何かいいのないかなーって探してました」
その言葉を聞いて、嫌そうに顔をしかめる真由美。何せコイツがこう言った時はろくなものがない。
「……一応、その技術について聞いても?」
「平たく言うと
「また変なことしてるわこの子……」
「楽しーっすよ。『
「やめなさい、っていうか気持ち悪っ!? 二つの文章が同じ声で同時に聞こえるの気持ち悪っ!?」
校門から駅へ。普段はレオやエリカたちと連れ立って帰る一本道を、真由美と八幡、そして兄妹の四人で歩く。深雪が少し緊張気味なのは……まあ理解できるとして、真由美まで緊張気味なのは微笑ましいと言うべきだろうか。鞄を身体の前に両手で持ち、目を伏せ気味にして黙りこくったまま歩く姿は「何処のお嬢様?」と訊きたくなる趣があった。……いや、実際に真由美はお嬢様なのだが。
達也も自分から話題を提供する方ではなく、特に「他愛も無いお喋り」は苦手分野だ。八幡も、真由美相手にどんな話題ならいいかと考えを巡らせては『……ダメそうだなこれ』と辞めている。それに加えて今は、反対派の襲撃を警戒中。そういうわけで彼らはほとんど会話の無いまま、駅までの道程の七割を消化しようとしていた。
「……ねえ、達也くん」
「何でしょう」
そういう状態だったから、真由美にいきなり話し掛けられた時には、何事かと達也も少し身構えてしまった。
「本当は私が帰るのを、待っていてくれたんじゃないの?」
しかし、身構えていても、この指摘には驚かされてしまった。とっさに応えを返せない達也に頓着せず、独り言のように、真由美は言葉を続けた。
「摩利に何か言われたんじゃない? 反対派が襲ってくるかもしれないから、家まで送ってやってくれ、とか」
「……よくお分かりですね、会長」
正直に答えたのは、達也ではなく、深雪だった。的のど真ん中を射抜いた推測に誤魔化し切れないと悟り、せめて「達也が白状したのではない」というアリバイ作りで口を挿んだのだった。
「大丈夫よ」
真由美は深雪に向かって、クスリと笑って見せた。
「貴方達から真相を聞き出したなんて、摩利には言わないから」
何から何まですっかり見透かされて、恥ずかしげに俯く深雪。「しかし何故、そんな事を?」
一方達也は、特に気まずげな表情も見せず、かと言って開き直っているという風でも無く、ただ怪訝な顔で訊ねた。
「家までついて来る必要は無い、って分かってもらう為よ。あっ、勘違いしないでね。迷惑、とかじゃないから」
達也は無言で頷いて、続きを促した。
「大方、私が一人で登下校しているのを無用心だ、って摩利は言ったんじゃない? でも本当はその逆。私がみんなと一緒に帰らないのは、もしもの時に巻き込まない為の用心なのよ」
「それは……今回に限らず、ということですか?」
「ええ。自分で言うのもなんだけど、私って『お嬢様』だから営利目的とか政治目的とかで狙われやすいのよね」
お嬢様。その言葉には自慢げな響きは欠片も無く、ただ自嘲的な色合いだけが込められていた。
「……七草家は、十師族結成当時から一度も枠外に落ちたことの無い名門ですから」
言外に「仕方がありません」と達也に言われ、真由美は苦い微笑を浮かべる。
「……まあ、そーゆーこと。だから私は常に用心を怠らないよう教育されているし、いつでも魔法を発動できるように準備しているの」
そう言って左手を挙げ、袖をずらして顕わにした真由美のCADは、休止モードではなく待機モードになっている。
「それに、ボディガードもついているし」
「えっ、そうなんですか?」
深雪がキョロキョロと左右を見回すが、周囲にはボディガードらしき人影を見当たらない。
「……駅で待たせているのよ。通学路でボディガードを引き連れているのは、さすがに恥ずかしいから」
「ああ、だから『家までついて来る必要は無い』なんですね……駅に着いたら、ボディガードが控えているから」
ここまで聞いて、達也はようやく納得、という顔で頷いた。恐らく、他の者が言い出したなら適当な理由で真由美は断っていただろう。だが、この三人なら何かあっても大丈夫。そんな安心感が、帰路の同行を許していた。
「しかし何故、そんな事を教えてくれるんですか?」
詮の無い問いと分かっていたが、達也はその好奇心を抑え切れなかった。今の話が本当なら、摩利も知らない個人的な事情であるはずだ。
「うーん……達也君と、深雪さんと、八幡君と。三人と一緒に帰ってみたかったから、かな?」
しかし、少しはにかんで答える真由美の表情を見て、達也は「失敗したか?」という予感を覚えた。
「わたしもですか?」
兄と予感を共有せず小首を傾げた深雪に、真由美は「姉」のような笑みを向けた。
「ええ。去年の秋に生徒会長になって、最初の半年もそれなりに充実していたけど、この半年は私にとって本当に充実した時間だったから」
そして、達也と八幡へ眼差しを移す。
「そして、それはきっと、貴方達三人のお陰だから」
「……過大評価だと思いますが」
「俺ら大したことした覚えねーしな」
達也が無表情に。八幡が心底不思議そうに反論すると、真由美は余裕タップリの笑顔でクスッと笑った。
「最近分かって来たんだけど……達也くんって、照れ屋さんよね」
能面のような硬い無表情で絶句した達也を見て、真由美は「堪え切れない」とばかりコロコロと笑い出した。
「そーゆーところは歳相応なのかな? 時々十歳くらい年齢を誤魔化してるんじゃないのかって感じることもあったんだけど」
真由美以外の知り合いにも、似たような年齢詐称疑惑を度々投げ掛けられている達也は、憮然とした顔で黙り込むことしかできなかった。
「逆に八幡君は子供っぽいところがあるかな。……大人びてるけど年相応な達也君。素直で優しい深雪さん。そして、ちょっぴりやんちゃな八幡君」
笑い過ぎで涙が滲んだ目を人差し指で拭い、真由美は三人に晴々とした顔を向けた。
「……あーちゃんも、はんぞーくんも。とっても良い子たちだけど、貴方たちはきっと、私の高校時代一番の思い出になる素敵な後輩だから」
飛び切りの笑顔で微笑まれて、深雪も絶句してしまうことになった。耳まで赤くなっているところが、兄とは異なっていたが。
『多重詠唱』
比企谷八幡が現在研究中の分野。極まった発声技術と想子操作の応用で、異なる効果を持つ魔法の詠唱を同時に行う。長文の詠唱二つを母音を揃えながら構築する必要があるため、凡そまともな人間では使用不可能。『右手と左手で別の作業をする』どころか、『"あ"と"か"を同時に発音する』ような埒外の技術が要求される。10割悪ふざけ……なのだが、根本的には『パラレル・キャスト』のガイドじみた代物であるため、十年後には応用編のカリキュラムとして定着。『パラレル・キャスト』を可能とする魔法師の数を大きく増加させることになる。
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