朝。俺はバイク型CAD『
「すみません、朝っぱらから」
そう言って頭を下げる。夜勤でいた人たちが対応してくれ、『気にしなくていい』と言ってくれてはいるがそれはそれ。人としての最低限の倫理観ってものがあるからな、後日ちゃんと礼はする。まあ来る際にコーヒーなど幾つか差し入れもした、それに報いるためにも……頑張らなきゃな。
「……それで、被害は無かったのかい?」
「それは大丈夫です」
心配そうに身を乗り出した五十里先輩の身体を押し止める様に両手を前にかざして、達也は苦笑気味に首を振る。所変わって一高の風紀委員会本部、放課後。急を要するとまではいかないがそれなりの事態、対応対策が必要な現状ではある。それ故に風紀委員会本部を相談・集合場所として提供していた。
「それより、五十里先輩の御宅は大丈夫ですか?」
達也のその質問に五十里先輩はきょとんとした顔をした後、眉と声をひそめた。
「それってもしかして、クラッカーの狙いは……」
「クラッカーのコマンドを見ると、どうやら魔法理論に関する文書ファイルを狙っていたようです。時期的に見て、コンペ絡みの可能性を否定できません」
達也の言葉に先輩はますます眉を顰め、その類いの兆候が無かったかどうか考え込む素振りを見せる。
「今のところ心当たりは無いけど……その話、市原先輩にもしておいた方が良くないかな」
「そうですね」
「啓、お待たせ〜」
達也が先輩の言葉に頷いたところで、語尾に音符が踊っていそうな上機嫌な声が割って入った。返事を待たずにドスンと音を立てて五十里の隣に座り、彼の腕を抱え込んでじゃれ付き始めたのは……言うまでも無く千代田先輩である。
「達也君、八幡君、久し振りだね」
そして仕方が無いな、という苦笑交じりで達也に声を掛けてきたのは、一緒に入ってきた渡辺先輩だ。……約十日ぶりの再会が「久し振り」に該当するかどうかは微妙なところだと思うが、先月まで学校がある日は毎日の様に顔を合わせていたことを考えれば、久し振りと感じるのも当然かもしれない。
「ええ、お久し振りです」
「おひさっす。っつーか名前呼びに変えるんすね」
「折角だからね。寧ろこれまで名前呼びしてなかったのがおかしいくらいなんだよ、それくらいの交流ではあっただろう?」
それもそうか。じゃあ俺もこれからは『渡辺先輩』じゃなくて『摩利先輩』と呼ばせてもらうとしよう。
「それで、八幡君。花音の仕事ぶりはどうだい?」
「それなりっすね。書類仕事のサボり癖は目立ちますが、その分見回りやってくれてるんでトータルでトントンって感じです。っつーか必要書類まで思い切って捨てやがるから書類仕事して欲しくない。外回りだけやってて欲しい」
「摩利さん!? 比企谷君!?」
親と先生との三者面談じみた空気に突如晒され、居心地が悪そうな──────ついでにバツの悪そうな顔をする千代田先輩。
「先輩の顔を立ててくれたっていいと思うんだけどなぁ……」
「立てる顔を持ってから出直せよ」
ド辛辣な言葉を叩きつけ、先輩をノックアウトする。残念ながら俺はそういう忖度をする人間ではない。そしてさすがに見かねたのか、五十里先輩は千代田先輩に向かって言葉だけは厳しく、ただし口調はまるで甘く注意した。
「……花音はもうちょっとくらい、自分で事務処理もしなきゃダメだよ? 僕を頼るだけならまだしも、そうでない時はほとんど比企谷君に押し付けてるじゃないか」
なお、それに対する千代田先輩の回答はこれだ。
「……だって苦手なんだもん。そういうのって適材適所だと思うんだ」
「最低限くらい出来るようになれっつってんだわ。赤点取るなってだけで満点求めてないんよ」
拗ねた口調と甘えた仕草がいつもの──────五十里と一緒にいない時の──────凛々しい姿と大きな落差を作り出している。そして俺の口撃により大ダメージを受けたのか崩れ落ちた。
「……さて、その話は別に機会を設けるとして」
もうこの辺でいいか、という気分になったのだろう。達也は「本題に入りましょう」と摩利先輩に促した。
「そうだな。実は、論文コンペの警備についてなんだが」
ああ、と。達也が大まかに把握したように頷いた。
「八幡からある程度聞いています。メンバーの身辺警護を風紀委員会がするとか」
「後はプレゼン資料と機器の見張り番だな。論文コンペには『魔法大学関係者を除き非公開』の貴重な資料が使われるし、そのことは外部の者にも結構知られている。その所為で時々、コンペの参加メンバーが産学スパイの標的になることがあるのだよ」
「……例えば、ホームサーバーをクラックするとかですか?」
「いや、所詮は高校生のレベルだからな……スパイと言っても、チンピラが小遣い稼ぎを企むくらいでネットワークに侵入なんて大それた真似をしでかした例は聞かないが……」
……なるほどな。となると、達也のところに来たクラッキングはまた話が変わってくるか。
「むしろ警戒すべきは、置き引きや引ったくりだ。四年前には、会場へ向かう途中のプレゼンターが襲われて怪我をした例もある。そこで各校では、コンペ開催の前後数週間、参加メンバーに護衛を付けるようになったんだ。当校でも無論、毎年護衛を付けている。護衛のメンバーは風紀委員会と部活連執行部から選ばれているが、具体的に誰が誰をガードするかについては当人の意思が尊重される」
そこまで言って、摩利先輩の視線が俺に向けられる。なるほどね、人事采配の確認か。
「五十里先輩には千代田先輩をつけるつもりですよ。元々恋人関係なんだ、護衛を兼任しても違和感はない。下手人を警戒させるなら千代田先輩を外して別の人をつけるのもありですが……ま、こういうのは釣り上げて根こそぎ引きずり出し叩き潰す方が予後が良いですし」
「啓はあたしが守ってあげるから」
「……まあ、五十里も異論は無さそうだし、そっちは決まりだな。当然、補佐は付けるが……花音、自分が馬になって蹴飛ばしたりするなよ?」
「ひどっ! しませんよ、そんなこと。あたしはそこまで子供じゃありません」
ぷくーっ、と頰を膨らませた顔を見ると「子供じゃない」という発言はいまひとつ説得力に欠けていたが、「子供じゃない」俺たちは温かい目でスルーした。
「その様子だと八幡君から聞いているだろうが、市原には服部と桐原がガードに付く」
「ええ。……にしても、部活連会頭が直々ですか」
「市原に頭が上がらないんだろ、服部は」
達也の棒読み質問に、摩利先輩が人の悪い笑顔で答えた。
「さて……問題は、君をどうするか、なんだが」
「必要ありませんよ」
人の悪い笑顔のままで訊ねた摩利先輩に、達也は一瞬も迷わず即答する。
「まあ、そうだろうな。八幡君もどうせつける気ないんだろう?」
そして摩利も、再考を促す素振りも無く頷いた。
「基本的に学外……休日はともかく、登下校では俺らがいますからね。逆に聞きますけど摩利先輩、臨戦態勢の俺と深雪を抜いて達也に接触出来ます?」
「真由美と十文字を連れてのスリーマンセルでギリギリ、だろうな」
妥当。俺のCAD封じは『感応石の反応を抑制する』ものだから、裏を返せば一定以上の実力者相手にはその分効果が薄くなる。1/10に弱らせようが、十倍の出力を出せばいい……そういう脳筋じみた手を取れるだけの相手にはどうしても弱い。と言っても単体を相手するならその抑制で出力を数千、数万分の一に引き下げられるので事実上突破不可能となるだけで、複数人が相手になると分散してしまう。俺もまともに魔法が使えなくなるの覚悟で一人無力化するか、俺が問題なく魔法を使える代わりに敵陣も皆万全になるかの二択しかない。
「まあそういう訳です。沢木先輩や岡田先輩は見張り番、俺は万が一配備した人員では手に負えないってなった時に駆けつけるポジっすね。服部先輩と桐原先輩なら余程じゃなきゃ大丈夫だとは思いますが、何かあった時は呼ぶようお願いしてます」
「……その様子なら、大丈夫そうだな。頼りになる後輩を持って助かるよ」
「そんなに言うなら一つ下の後輩にちゃんと書類仕事仕込んで欲しかったですけどね?」
摩利先輩と千代田先輩が同時に呻いた。
九校戦代表チーム五十二名に対し、論文コンペは三名。比較するのが最初から無意味に思えるほど規模が違う。──────にも関わらず、論文コンペは九校戦に匹敵する重要行事と見做されている。
その理由の一つには、この催し物が実質的に魔法科高校九校間で優劣を競う場であるからだ。特に九校戦で成績が振るわなかった学校は、その雪辱戦という意識で盛り上がる。
そしてもう一つの理由として、論文コンペは代表に選ばれた三名だけでなく多くの生徒が直接関わることができるという性質が挙げられるだろう。非魔法科高校を対象とした弁論大会や研究発表会と「全国高校生魔法学論文コンペティション」の最大の違いは、発表内容の実演がプレゼンテーションに含まれるという点にある。
つまり論文の発表には、魔法装置を作って壇上で魔法を実演することが含まれる。発表用の模型といっても、張りぼてでは評価されない。実際に作動するか、実際の動作をシミュレートするものでなければならないそれが、魔法科高校の論文コンペだ。
そしてその為の魔法装置の設計から術式補助システムの製作、それを制御する為のソフト、搭載する為のボディ、ターゲットが必要な場合はその作成、テスト要員とその補助要員、安全を確保する為のシールド生成要員……コンペ直前の時期ともなれば、技術系クラブ、美術系クラブはもちろんのこと、純理論系のクラブや実技の成績上位者も本番の成功へ向けて総動員される。何ならプレゼンテーション準備に関与する人数は、九校戦よりむしろ多いくらいであった。本番が次の次の日曜日に迫り、校内では放課後だけでなく本来授業に割り当てられている時間も「自主制作」「自主演習」の名目で侃侃諤諤、ならぬカンカン*1ガタガタ*2の大騒ぎに満たされていた。校庭には試作機と計測器と工作機械が所狭しと並べられ、作業に携わる生徒用に女子有志による飲み物・お菓子の差し入れ隊が組織されている総力戦ぶりだ。
「あっ、いたいた」
その喧騒の中心に、エリカの探す人影はあった。
「おーい、達也くーん」
大声で手を振るエリカの隣では、レオが身体ごと明後日を向いていた。幹比古はエリカの後方二メートルという微妙な距離を取って、やはりそっぽを向いている。二人とも全力で他人のふり、というところだろうか。
「エリカちゃん、邪魔しちゃダメだよ……」
レオほど図太くなれない美月は、効果が無いと知りつつ友人の袖を引っ張らずにはいられなかった。……予想どおり、効果は無かったが。悠然と歩み寄るエリカを手を止めて待っていた達也は、「仕方ないな」とばかりに苦笑いを浮かべていただけだが。実験を中断されて苦虫を嚙み潰している者も当然いた。
「千葉……お前、チョッとは空気を読めよ」
護衛役として立ち会っている桐原も、苦虫を嚙み潰している一人だった。
「あれっ、さーやも見学?」
しかしエリカが答えた、というか、話し掛けた相手は桐原の隣に立っている紗耶香だ。
「お前な」
「エリちゃん……」
脱力する桐原と苦笑する紗耶香。まあ逆上しないだけ、桐原も人間が練れてきたということだろうか。
「エリカは見学というわけじゃ無さそうだな。何か用か?」
ただ桐原ではなく他の上級生も堪忍袋の緒を切らしそうになっているのを見て、達也が機先を制すように話し掛けた。
「美月がお手伝いに呼ばれたから、その付き添い」
エリカは勝手気侭に見えても鈍くはない。声の調子で釘を刺されたことを察して、無駄口を叩かず簡潔に答えた。それを聞いて「なるほど」と思った達也が目を転じると、美月が美術部の先輩の前でペコペコ頭を下げていた。
「エリカ、こちらへいらっしゃい」
その隙に……というのも変だが、深雪が横から手を伸ばしてエリカを見物人の輪の中へ連れて行く。紗耶香も桐原から離れてエリカの隣へ行き、一時的な中断を強いられた魔法装置の作動実験は五十里の合図で再開された。
「あれ、何の実験してるの? でっかい電球みたいだけど」
台座と四本の腕で支えられた直径百二十センチ程度の透明な球体は、確かに一見すると巨大な電球に見える。もっともこの時代、「電球」という代物は一般家庭からほぼ姿を消していてエリカの漏らした感想を聞いた美月は何のことか分からず小首を傾げている。
「プレゼン用の常温プラズマ発生装置よ」
深雪は「電球」を知っていたが、戯言の部分はスッパリ無視してエリカの質問に答えた。
「常温? 熱核融合ですよね?」
レオと同じく赤の他人を貫いていた幹比古が、意外な言葉に他人のフリを忘れて深雪にそう訊ねた。エリカも理科の知識をひっくり返してみたらしく、一拍遅れで頭上に疑問符を浮かべている。
「熱核融合というのは反応のタイプであって、超高温であることは必ずしも必要ではないみたい」
「……」
「……ごめんなさい、吉田君。わたしも詳しいことは理解していないから、後でお兄様に訊いてみる方が良いと思うわ」
幹比古が不得要領な顔をしているのを見て深雪がそう付け加えると、幹比古は「滅相も無い」と言わんばかりにブンブンと首を振った。 そんな幹比古へチラチラと意味ありげな目を向けながらエリカは紗耶香とヒソヒソ話をしていたが、深雪がニッコリ笑い掛けると──────なお、目は一切笑っていない──────慌てて口をつぐんだ。 レオは最初から、好奇心に目を輝かせて無言で実験装置を見詰めている。意図せず静粛が保たれた中で、五十里が鈴音へ合図を送った。達也がモニターしている据え置き型の大型CADへ、鈴音がサイオンを注ぎ込む。すると、身に着けて携行する小型のCADより遥かに高速な術式補助機能が作動し、工程が幾重にも積み重なった複雑な魔法式が発動した。
高圧の水素ガスがプラズマ化、分離した電子が発光ガラスに衝突して光を放つ。高い電圧を掛ければ簡単に引き起こせる現象だがエネルギー供給無しに電子を分離し、しかもそこから電気的引力に逆らって電子だけを外側に移動させる操作は持続的な事象改変力が必要となる難度の高い術式だ。
「やっぱり電球?」
エリカが漏らした失礼な呟きは、幸いなことに「やった!」「第一段階クリアだ!」というあちこちから上がった実験成功の歓声にかき消された。他の面々を見ても、成功して当然とばかり静かに微笑んでいる深雪は別にして、レオは胸の前で拳を握り締め、幹比古は腕組みしてウンウンと頷き、紗耶香は跳び上がって手を叩いている。
ガラス容器の発光は十秒間にわたり持続。その光が消えると同時に、興奮の潮も引く。これは単に、大道具が一つでき上がったというに過ぎないのであって、組み上げなければならない物はまだまだ残っているのだ。実験に集まっていた助っ人がバラバラと持ち場へ戻って行く。その一角を紗耶香がジッと見ているのにエリカは気づいた。
「さーや、どうしたの?」
「あの子……」
返って来たのは返事ではなく独り言だった。
「って、どうしたの!?」
「おい、壬生!?」
いきなり駆け出した紗耶香を追って、エリカと桐原がスタートを切った。一歩遅れてレオが続く。目を丸くしてそのさまを見送っていた深雪は、紗耶香がお下げ髪の女子生徒を追いかけているのに気がついた。
「待ちなさいっ!」
すぐ後ろで呼び止める声を聞いて、足の速さでは敵わないと観念したのだろう。女子生徒は芝生の敷き詰められた中庭で立ち止まった。
「何ですか?」
振り向いて、硬い声で反問する。それは聞きようによっては、ふてぶてしい口調だった。
「貴女、一年生ね?」
一高の制服に、学年による差異は無い。紗耶香の問い掛けは、顔立ちや身体つきから推測したものだった。
「……そうです。先輩は二年の壬生先輩ですよね?」
「ええ。二年E組の壬生紗耶香。貴女と同じ二科生よ」
制服の違いは、エンブレムの有無。一科生と二科生の違いを示す物のみだ。
「……一年G組、平河千秋です」
上級生から言外に自己紹介を要求されて、女子生徒は渋々名乗った。 とそこで、背後で立ち止まる足音が聞こえた。エリカたちが追いついてきたのだ。当然今の自己紹介も聞こえているだろう。現に、背後で「平河?」という桐原の呟きが聞こえた。その苗字に紗耶香は心当たりが無かったが、桐原は聞き覚えのある姓なのだろう。もっとも、紗耶香がこの一年生を放っておけなかったのは苗字の所為でも名前の所為でもないから、聞いたことが無くても一向に構わなかった。そんなことを気にしている余裕は、紗耶香には無かった。
「平河さん、貴女が持っているそのデバイス……無線式のパスワードブレーカーでしょう」
紗耶香の指摘に平河千秋は顔を青ざめさせて、手に持つ携帯端末を慌てて背中に隠した。
「隠しても分かるわ。あたしも同じ機種を使ったことがあるから」
紗耶香の言葉に、千秋が目を大きく見開く。パスワードブレーカーはパスワードを盗み出すマルウェアをハード化したもので、名称に反してパスワード認証に限らず様々な認証システムを自動的に無効化し情報ファイルを盗み出す機械だ。その用途は犯罪目的以外にあり得ない。つまり、この機械を使ったことがあるということは……
「……そうよ。あたしもスパイの手先になったことがある」
紗耶香は辛そうに顔を歪め、それでも千秋から視線を逸らさずに言葉を続けた。
「だから忠告するわ。今すぐ手を切りなさい。付き合っている時間が長ければ長い程、後で苦しむことになる」
「……あたしがどれだけ苦しんだって、先輩には関係の無いことです」
千秋は紗耶香から顔を背け、ぶっきらぼうな口調で言い放った。取り付く島もない拒絶、だがそんなもので紗耶香を怯ませることなどできなかった。
「放っておけるわけ無いでしょう!」
強い口調で、それ以上に強い眼差しで、紗耶香は居直る千秋を一喝した。
「半年が過ぎた今でも、あたしは時々身体の震えが止まらなくなるわ。自分でも気がつかない内に、唇を嚙み切っていたことも、爪を掌に食い込ませていたこともある」
そう言いながら実際に、紗耶香の身体は震えている。
「貴女がどんな連中と付き合っているのか知らないけど、これだけは断言できる。相手は貴女のことなんて、これっぽっちも考えていないわ。ただ利用して、使い捨てるだけよ」
紗耶香のセリフには実感がこもっていた。机上の道徳ではない、リアリティがあった。しかし千秋の心に巣食う憎悪は、紗耶香が思っている以上に根の深いものだった。
「そんなことは分かっています!」
捨て鉢な声と憎々しげに睨み返す瞳に、紗耶香は息を吞んだ。
「マフィアやテロリストが利用する相手のことを考えていないなんて当然じゃないですか。先輩はそんなことも分からずに手を組んでいたんですか? 失礼とは思いますけど、先輩は随分子供だったんですね」
揶揄する乾いた口調に、この一年生は自分とは違うと、紗耶香は理解した。紗耶香には達成したい目的があって、でもその為に何をしたら良いのか分からなくて──────そこに付け込まれた。確かに自分は、どうしようもない子供だった。紗耶香はそれを否定できない。
だが、この一年生が自分より大人だと……紗耶香には思えなかった。犯罪者と手を組んでまで叶えたい願いがあって、それを叶えた後、どうするのか。そのまま何食わぬ顔で高校生の日常に戻るのか、それとも犯罪組織の一員として活動を続けるのか。この一年生は、そういう自分自身の未来から目を逸らしていると紗耶香は感じた。今の彼女はただ頑なに他人の声を拒んでいるだけのようにしか、紗耶香には見えなかったのだ。
「自棄になったって、何も手に入らないし、何も残らないのよ!?」
それでも紗耶香は、言わずにいられない。時には無理矢理にでも誰かが止めてあげなくてはならないこともあると、彼女は自身の経験から確信していた。
「先輩には分かりませんよ。あたしは別に、何かが欲しくてアイツらと手を組んだんじゃないんですから」
しかし返ってくるのは、当然のことながら、再度の強い拒絶。彼女が説得に応じるはずが無いということも、紗耶香には薄々分かっていた。何せ自分も、そうだったのだから。説得は後回しで良い。ここで逃がしたら、この子はもう「こちら側」へ戻って来れない。それを思えば、多少手荒になっても仕方が無い。──紗耶香はそう心を決めた。
「桐原君」
「ああ」
紗耶香の意図を、桐原はすぐに理解した。あいにく二人とも得物を持って来ていないが、不安は感じない。この一年生には武術・格闘術の心得が無い。その程度のことを見て取る眼力は、二人とも備えている。
二人掛りなら、取り押さえることは容易……客観的に見ても、この紗耶香と桐原の判断に誤りは無い。──相手が武器を持っていなかったのなら。
だが残念ながら、千秋を利用しているのはマフィアやテロリストよりずっと質の悪い相手だった。紗耶香と桐原が同時に足を踏み出した瞬間、それに同調するようにして千秋が小さなカプセルを投げた。
「伏せて!」
いち早くそれに気づいたエリカが叫ぶ。二人は反射的に目の前に腕をかざした。激しい閃光が腕の隙間から瞼を通して眼底を焼く。その光の中で視力を保っていられる者がいたならば、千秋の瞼が黒く塗られていることに気づいただろう。マスカラとアイシャドウに偽装した遮光塗料で閃光弾によるダメージを防いでいるのだ。そして千秋が右手を紗耶香へ向けた。袖口からバネ仕掛けのダーツが飛び出す。うずくまって目を覆うことで閃光の遮断に成功していたエリカが、細長い紡錘形のダーツを何処からか折り取って来た木の枝で立ち上がりざま打ち落した。
割れて飛び散った胴体から薄っすらと紫がかった煙が広がる。エリカは咄嗟に得物を手放して紗耶香を突き飛ばし、ブレザーの袖で自分の口を押さえると、閃光弾のダメージから回復し切っていない桐原が、拡散してほとんど透明になった煙をまともに吸い込んだ。ふらり、と身体を揺らしたかと思うと、ガックリと膝をつく。
「(っ、神経ガス!?)」
口を開けぬまま、エリカは心の中で舌打ちを漏らした。相手は予想以上に周到だ。CADの携行が許されない校内では、自己加速魔法も満足に使えない。例え人数で勝っていても、武器有りと武器無しのハンデはそれ以上に大きい。相手がどんな武器を隠し持っているか分からない状況では、なおさら迂闊な真似はできない──────しかし、そんな理屈に縛られない男が、ここにはいた。芝生に伏せていた*3レオが、千秋に向かって猛然と突進したのである。その迫力に千秋が「ヒッ!」と悲鳴を漏らし、右手を慌ててレオへ向ける。仕掛け矢が連装式になっていたのか、それとも別の飛び道具も仕込まれていたのか。この場でそれを確認することはできなかった。だが、結果は一切変わらない。何せ千秋の視界から突如、レオの姿が消えたからだ。立ちすくんだ千秋は次の瞬間、腰に強烈な衝撃を受け、為す術も無く押し倒され、後頭部を打って気を失った。
「……やり過ぎか?」
千秋に正面からの両手タックルを決めたレオは、身体を起こしながら振り返り訊ねた。
「そうね。……それより、さっさと立ち上がりなさい。それじゃあまるで、強姦しようとしているみたいに見えるわよ」
「バッ……! そんなんじゃねえよ!」
「ハイハイ、分かってるって」
呆れ顔で見下ろしながらも、エリカの瞳は真剣そのものだった。そのエリカの目は、倒れたままの千秋……ではなく立ち上がるレオを見ていた。それは、プロのギャンブラーがダービーに臨んでサラブレッドの仕上がりを推し量るような、そんな目つきだった。
「……ん?」
「……あ?」
そこに、あまりにも珍妙な音楽が聞こえてきた。意味不明ながらも其方を向いてみれば、
「……どうした? とりあえず説明頼む」
「いや説明欲しいのはこっちなんだけど」
何故か屋台からは無駄にいい匂いがする。エリカとレオは酷い頭痛を覚えた。
「いや……皆コンペに向けて頑張ってるからさ。差し入れしようと思って、
チャーシュー丼だってある。食うか? と胸を張る八幡。次の瞬間、『何してんだお前』という意思が込められたダブルラリアットが炸裂した。