小さな女の子、のように見えた。ロドスのオペレーターが身に纏うそれと同じ制服を着込むが、ジャケットのサイズが合っておらず、手の先は袖によって隠れてしまっている。
「はじめまして、どくたー。クレオのなまえ。おぼえて、くださいましね?」
画面の中にいると言うのに、まるでここにいる私を近くしているような眼差しで、じっと私を見つめるその女の子は、自身の名をクレオと名乗った。
「こんなかたちで、どくたーにごあいさつ、するのは、とってもこころぐるしい、ですわ?」
明らかな怪奇現象。このテラに生きていれば、少なからずこういった現象に直面する事も少ないわけではない。特に『海』に関われば、原因を無くして生まれ出る結果、結果を無くして行き止まった原因を目にすることもしばしばあった。
今こうして、クレオが自己紹介を続けるビデオを見ている私も、そんな光景を何度も見たが故に――それに動揺し、慌てふためくような事態にはならなかった。
「みなさま、おもしろそうなことをして、いらっしゃるのに……クレオをさそってくれない、だなんて。はくじょうでは、ございませんこと?」
クレオはそう言って、よよよと袖で目元を隠すような仕草を見せる。『皆様』という言い草、そして今こうしてビデオに映っているクレオ。恐らくは、クレオも特殊親衛隊RO.S.ESのメンバーなのではないだろうか。
そんな事を、私が推察した時だった。
「――ごめいとう、ですわ!」
ビデオの中のクレオが――私の思考に返事をした。
「とくしゅしんえいたい、ローゼス。クレオもまた、それにぞくするオペレーターですわ。ええ、オペレーターなのですから、もちろんロドスのはいぞくきろくにも、クレオのなまえはのこっている、はずですわ? もしやもすると……そのきろくは、ケルシーせんせいの、こじんてきなほかんばしょに、かくされているかも、しれませんが。」
現実か虚構か、真実か虚偽か。クレオという幼女は果たして実在しているのか。こうして私にリアルタイムで語り掛けてきているこの幼女は、本当にこの世界に生きている存在なのか? 幾つもの疑問が頭に浮かんでは、水泡のように消えていく。
「……せっかく、こうしておはなし、するきかいをえたというのに。どくたー、あんまりなたいど、ですわね? クレオは、ここにいますわ? ここに。ちゃあんと。」
「すまない。だが私は、君が私にとって危険性の無い人物だという確証が得られないんだ。」
私の告白に、クレオはくすくすと笑う。
「すなおな、おかた! どくたーの、そういうところ……クレオは、むかしから、だいすき、でしてよ?」
またも、クレオは私を困惑させるような言動をする。だが、こういった事例において、やはりひとつひとつの事物に固執して思考を遅滞させるのは悪手である事は、経験則で察知していた。だからこそ、私は彼女に目的を問うのだ。
「――どうして、私とお話をしようと思ったんだ?」
「あら、クレオと、どくたーのなか、ですわ? ふうふといっても、かごんじゃ、ございませんわ! そんな、ふたりが、むつごとをかわすことに、もくてきや、りゆうが、ひつよう、でして?」
「……悪いけれど、私は君を覚えていない。」
「もんだい、ございませんわ! どくたー。クレオの、いとしき、だんなさま……あるいは、おくさま! あいするふたりに、きおくなど、あまりにも、ちんぷな……かせ! ……ふあん、ですの? おもいだせない、ことが。かけてしまった、こころの、ピースが。おそろしい、ですの?」
突如として、クレオが映るビデオの向こう側、クレオの背後に、大きな水泡がぼこぼこと沸き立ち始める。クレオが立つ砂原に、無数の花が――哺乳類の臓器や筋肉によって構成された花弁が、一面に咲き誇る。
「ああ! じんるいは、あゆみ、きざみ、のこす、れいちょう! やんぬるかな、ですわ? うしなったものは、けいけいに、とりもどせない。まちびとこず、しつぶつみつからず。」
「クレオ、君は――。」
「名を!」
唐突に、クレオの声音が若干だが、成長したように思えた。
「名を、呼んでくれたのですね!」
外見は先程までと変わらず、一桁代の幼児だというのに。
「感謝致しますわ、ドクター!」
それはまるで、老婆の様でいて、幼女のような。
「嗚呼、これで真に、ドクターとクレオは繋がりを、絆を、契りを得ました!」
そのまま直視していると、まるで画面の中に引きずり込まれてしまいそうな眼差しで。
「――今、そちらへ行きますわ!」
否。実際に私の両頬に、ひんやりと死人のような体温がふたつ、密着していた。
「愛しておりますわ、クレオだけのドクター――!」
いつの間にか、クレオの鼻先が私の鼻先にぴたりとくっついており。私の眼窩の向こう側をじっと見つめる彼女の瞳の奥には、無数の星と音楽と、真理と酩酊が渦巻いていて――。
「――……ター。」
微睡みから目覚めると、そこはロドスの廊下だった。
「ドクター。お目覚めですか。」
立ったまま、どうやら私は眠ってしまっていたらしい。フラムベルクが私の顔を覗き込んで、心配そうに目尻を落としていた。
「……激務の連続で疲労困憊のところ、チゼルの我儘に付き合っていただき恐縮です。」
「いいんだ。良い息抜きになって、こちらとしてもありがたかったよ。」
「ドクターはお優しい限りで……。」
ふと、誰かに呼ばれた気がした。背後を振り向いても、今しがた出て来たビデオルームの扉がその向こうの暗闇を私に見せるようにして佇んでいるだけだった。
「ドクター?」
「……いいや、なんでもないよ。」
そう、なんでもない。誰かに呼ばれることなど、あり得ない。ここには私とフラムベルクしかいなくて、暗室の中には今、電源が落とされた各種機材が転がっているだけ。だから、どこかから声がするなんて、あり得ない。
「――この世に、あり得ざる事なんて、実はとっても少ないんですのよ?」
曇天の下、崖の上に孤独に聳える灯台の足元で、幼い少女は嗤う。
「ドクター、きっといつか、クレオとあなた様は出逢いますわ。そう――きっと、早いか遅いか、その違いだけ。邂逅する運命の袂で、時期の問題なんてちっぽけなもの。そうでしょう? ふふ――待ち遠しいですわ、その時が。」
果てしなく広がる、まっくろな水平線を見つめながら、幼い少女が躍る。
「もしかもすれば、その時というのは星々の渦潮が熟れて堕ちて、そしてまた実った先の話かも。もしかもすれば、それは暗がりに浮かぶ瞬きの海が、その自重に耐え切れず爆ぜて――また新たな海が熾る、その先の話かも。それでも、クレオはあなた様を待ちますわ。永遠の伴侶、クレオだけの――ドクター。」
ふと、幼き少女がこちらを向く。その眼窩の内側には本来あるべき器官は存在せず、ただ、眩しくて目を細めてしまうような、どす黒い闇が満たされているのみだった。
「ドクター、やはり少し休憩なされた方が……。」
はたりと、私の自意識が元の状態へ戻る。私としたことが、部下の前でとんだ醜態を晒していたらしい。
「うぅん……理性回復剤を投与しすぎたか……。」
「あの危険物ですか? ……ドクターの責務は推し量るに難解な重責とは重々承知しておりますが、ああいった代物を容易に体内に過剰摂取するものではないと存じますよ。」
「はは、耳が痛いね。」
なんとなく、ここにいるとまた眠気に負けてしまいそうな気がして、私はフラムベルクを誘ってカフェテリアに向かう事にした。今なら、アーミヤに指揮を一任していた簡易任務から帰って来た、私の信頼するオペレーターたちが祝杯をあげに訪れているはずだ。
「ええ、拙官の休憩時間にもまだ余裕はあります。喜んで、その御誘いに乗りましょう。新しい茶葉も手に入れたばかりですし、不肖の手前ではありますが、ドクターにも一杯淹れて差し上げますよ。」
「楽しみだね。」
――なんとなく、また背後を振り向く。暗室は、その口を開けたまま、私をじっと見つめるばかりだった。
「クレオを、おぼえておいて、くださいまし、ね?」