岸辺に泳ぎ着いたアランは笑っていた。新しい魔法を作り出したことが単純に嬉しいのだろう。ときおりアランが見せる子供っぽさが今日は全開だ。クレリア様によるとアランは今年で二十六歳というが、年齢よりずっと若く見える。
これで男爵位というのだから呆れてしまう。
「いやー、ひどい目にあったよ。魔法はうまくいったんだけどな」
アランは盛大にくしゃみをした。この時期、湖の水温はかなり低いはずだ。
「魔法を悪用するからですよ」
「改良と言ってくれ」
「枯れ木を集めますから衣服を乾かしましょう」
まだ伐採が進んでいないので燃えそうな落ち枝はすぐに集まった。アランが無造作にファイヤーを使った。無詠唱で使う姿にはいまだに違和感を覚える。
焚き火の前に座り込んだアランがつぶやいた。
「時間がかかりそうだな。少し体温を上げるか」
よくわからない。体温は自在に上げ下げできるのものなのか。
「古魔法の欠点を逆に利用して飛翔するとは、実際に目にしても信じられません」
「両手がふさがるのが欠点だな」
「私が言いたいのはそこではありません。あまりにも非常識というか」
「これくらいでちょうどいいのさ」
こんな規格外のことをあっさりやってのけて何がちょうどいいんだろう。ため息しか出ない。
「エルナ、古魔法ってなんだ? 魔法も進化するのか」
「進化というのはどういうことですか」
「ええと、世代を繰り返すごとに以前とは違った形や性質を持つようになることだよ」
「もちろん、魔法は進化します。女神ルミナスさまが人間に魔力を与えたのは魔物に対抗するためだというのが定説です。けれど与えてくださった魔法は現在と比べてごく基本的なものだったそうですよ」
「魔法研究者が改良したってことだな」
「最初の研究者は聖者アトラスだと伝えられています」
「たしかこの惑……大陸で一番大きな宗派のアトラス教会と関係があるのか」
「ええ。女神ルミナス様が使徒イザーク様を遣わせ、魔法の詳解を聖者アトラスに啓示したのです。それから魔法研究が盛んになった、というのがアトラス派の主張です」
「なるほど……」
アランは急に黙り込んで何かを考えているようだった。ただの伝説になぜこんなに興味を示すのかよくわからない。
「もう少しきいていいか? 宗教は個人的なことだから失礼なことかもしれないが」
「私はクレリア様ほど熱心ではありませんから。近衛に配属されるまでは魔法と剣術の練習ばかりで典礼や教義問答はさぼってましたし。分かる範囲でお答えしますよ」
「そうか。じゃきくけど、「誓い」ってなんだ? クレリアとエルナがすごく大事なことのように話していたのを一度きいてからずっと気になっていたんだ」
いきなりその質問?
「誓い」は信仰宣言とならぶ信徒の行いでもっとも重要なこと。これまでアランは信仰についてほとんど関心がなかったのに。なぜいまになってこんな質問をするのだろう。
「アラン、質問に答える前に確認したいのですが、アランやセリーナたちが住んでいた大陸には教会がないのですか?」
「教会は……ある。けれどこの大陸とはちがって、ルミナス様とは関係がない」
「そんなこと信じられません。ルミナス様なしでどうやって教えを広めるのですか」
「うまく説明できないんだけど、人間としての理想のあり方を規定してそれを守るように指導する、とでもいうか。かなり発言力がある団体だよ。帝国国教会って言うんだけどね」
それは単に政治団体なのでは、と思ったが黙っていることにした。ところ違えば考え方も違うのだろう。そんな教会ではルミナス様の恩寵はえられないし理解できないような気がする。
「誓い、とは女神ルミナス様を信じるものにとってはとても大事なものです。他の宗派では誓願ともいいますが、内容は同じです。」
「誓いを立てるとどうなるんだ? なにかこう、印が現れるとか」
「はい。信仰者は軽々しく誓いを立ててはいけませんが、その者が心の底から願った約束がルミナス様の御心に叶うものであれば、徴があらわれます。信者もそれを感じることができます」
あの日、私はルミナス様に誓った。
クレリア様を一生涯、守り抜くと。
誓いが認められた証拠に私の体が薄っすらと輝いたのがわかった。誓いは一生の間何回もできるものではない。しかし女神ルミナスのみ心にかなう誓いには、かならず加護の恩寵を与えてくださるという。
思えば流浪の旅を続けた私が、この広い大陸で再びクレリア様とめぐりあったことはまさにルミナス様のお導きに違いない。
「エルナ」
「失礼しました。すこし思い出したことがあったので」
「立ち入ったことを聞いてすまなかった」
「かまいませんよ」
気づけば、アランの衣服はすっかり乾いて、濡れそぼった髪の毛まで元に戻っている。ひょっとして……。
「アラン、風魔法を応用しましたね」
「わかるのか」
「わずかですが魔力の放出を感じました」
「さっきエルナがいろいろ見せてくれただろう? 自分の周囲にだけ風の流れを作ってみた」
「はぁ……。ほんとうに規格外ですねアランは。服も乾いたのであればそろそろ戻りませんか」
「そうだな」
アランは無造作に水魔法で焚き火に水をかけた。やっぱり私は無詠唱には馴染めないようだ。
帰る道すがら何度も私の頭を同じ考えが巡っていた。
……この人と出会ったのもお導きなのだろうか。
クレリア様を探しあてたとしても、そこから先のことは考えていなかった。まして建国などとは。十万を超える敵兵。逆賊に投降した貴族たちの軍勢を加えればその三倍はいるだろう。ダルシム隊長を始め近衛のみんなはもちろん、クレリア様を発見できることを確信していたし、事実そうなった。それが建国とは……。
アラン。
これまでの困難を圧倒的な力でねじ伏せ、クレリア様の未来を開いていった。といって奢るわけでもなくまるで仲間のように接してくれる。不思議にその行動に嘘がなく、これまで出会った人間の誰よりも善良で、しかも心豊かな感じがする。セリーナとシャロンも常に心に余裕があるように見える。
アランとセリーナたちが住んでいた大陸はよほど豊かな土地だったのだろう。
あの日、私はルミナス様に誓った。
だがもし……私が近衛でなかったら。
誓いを立てる前にアランと出会っていたら、どうなっていただろう。
そこから先にはなぜか考えが進まない。
無意味な考えはもうやめだ。今日のアランの魔法を見たおかげで、自分もなにかできそうな気がする。それこそ有意義な考えというものだ。