惑星アレスの魔女   作:虹峰 礼

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根回し

エクスラー公爵が王都に到着するまであと二日。

 大樹海の拠点から王都に戻った俺は再び尖塔の牢に閉じこもっていた。セリーナはバールケ邸の焼却ののち、御料林でグローリアたちと合流している。

 

夜になるまで動けないのがつらいな。国王の裁判までにあと二、三か所ほど寄っていきたいところがある。ガンツの魔術ギルド長には化粧品開発の際、王都魔術ギルドへの紹介状を書いてもらっている。

 

アトラス教会からは禁忌とされる書物の多くが王都魔術ギルドで保管されているという。特に古代史にかかわる資料はぜひとも見ておきたい。

 

「アラン様」

 ドアの向こうからささやき声が聞こえた。同時にドアの下の小さな扉から、トレイにのった朝食が滑り込んできた。

「ヘリング夫人」

「今日はお知らせしたいことがございます」

「なんでしょう」

「バールケ侯爵の邸宅が焼け、叔父は行方不明となっています。国王陛下もたいへん動揺されているとか」

「一国の宰相が行方不明ではそうなるでしょうね」

「その上、ヘルマン軍団長が昨夜、国王陛下に貴族の調査を願い出たと耳にしました」

「バールケ侯爵の調査ですね」

「はい。貴族の間では侯爵が調査を回避するために、自宅に火を放って逃亡したのではないかと……」

 

 予定通りに事は運んでいるらしい。ヘルマン軍団長の動きも早いな。これで原告であるバールケの不在が確定すれば裁判も開かれない、となればいいんだが。そう甘くはないか。

 

「アラン様。……叔父の逃亡とアラン様は関係があるのでしょうか」

 

 ……なんか答えづらいな。

「関与した、とだけは」

「…………」

 しばらく反応はなかった。おそらくヘリング夫人も覚悟はしているはずだ。この時点ですでにバールケが王都にいないことも察してはいるだろう。この事実上の失脚で王都内の政争が激化することも。

 

「アラン様はここから簡単に脱出できるのですね」

「問題ありません」

「では、今夜ぜひとも会っていただきたい方がいます。バールケ派の重鎮だったかたです。派閥の長を失った今、今後の国政について深く憂慮されているのです」

「いいでしょう」

「日没の刻、王都正門広場に馬車を用意しています。そこでお待ちしておりますわ」

 そういうとかすかな衣擦れの音ともに夫人は去った。

 

『イーリス』

[真偽判定モジュールによれば、信頼度は八十パーセント。ただし、これまでの彼女の音声データと比べて不安要素が強くなっています]

『身内の死を悟ったんだろうな。貴族の世界では逃亡という時点で社会的には死んでいる。ところで、夫人の言っていた人物は判別できるか。以前バールケの居城から入手した資料もあたってくれ』

[お待ちください……。王都で収集した資料からは、この人物がバールケ派の重鎮のようです]

 

 俺の仮想スクリーンに一人の男の画像が浮かんだ。顔に深いしわが刻まれたかなり高齢の男だが、貴族というよりはやり手の商人のような雰囲気だ。すっかり白くなった眉毛の下からのぞく鋭い目つきが老獪さを感じさせる。

 

[シュマールバハ侯爵はベルタ王家の血筋を引くだけでなく、産業振興や商工業の発展に力を注いでいるようです。バールケ亡き後、この人物が派閥を引き継ぐ可能性が高いでしょう。なお自領の実務は子息に任せきりで、王都にて政務に注力しているようです」

 

『利用価値がありそうだな』

[反エクスラー公爵の急先鋒だったバールケ亡き今、派閥を穏健化するのが今後のためには良策です]

『大樹海の資源をちらつかせてこっちの手ごまにするわけか』

 

 エクスラー公爵は俺にギニーアルケミンの管理を任せることで手綱を握りたいらしいが、俺がもう一台のギニーアルケミンを入手すれば貨幣コントロールは問題ない。

 

 さらにバールケの派閥を利用できれば、もうベルタ王国内に俺の敵はいなくなる。ほかの貴族たちに対しては、バールケの持っていた貴族の裏資料が強力な武器になる。もとはライスター卿の配下、エルヴィンの手の者が収集した資料だ。

 

つまり、ベルタ王国内での俺の新しい立ち位置はバールケのそれに近い。完全掌握のあとは、この王国を橋頭保として大陸制覇を本格的に始めることができる。

 

『連中を手なずけるための作戦を練ろう。まずは大樹海の最新版の資源量を確認したい』

[了解]

 

 

王都正門前……。

 夜間というのに正門広場は結構な数の馬車が行き来している。近くで社交会でもあるのだろうか。いずれもきらびやかな装飾を施した馬車ばかりだ。

 

 正門警備隊の詰所にある篝火が煌々と大門を照らしている。いつもよりはるかに警備兵の数が多いのは、バールケの邸宅が焼けたためだろう。放火犯か、あるいはバールケ本人の逃亡を食い止めるためかはわからない。

 

詰所から離れた位置に馬車が見えた。目立たぬよう人のいない近くの小路に着地して、いつものフード付きのローブを深くかぶってから馬車を目指す。暗視モードで馬車の御者席を確認すると、ヘリング士爵の従者、ベイカーが座っている。間違いないな。

 

 馬車の扉をノックするとすぐに中から開かれた。

「アラン様」

 

 俺は薄暗い馬車の中でヘリング夫人と向かい合って座った。

「ヘリング夫人おひとりですか」

「はい。夫は報告書の提出のため、王宮に呼ばれております」

「エクスラー公が帰着するまでは報告を受けないはずでは」

 

 ヘリング夫人は声をひそめて言った。

「国王陛下が裁判に先立ち、直接聴聞されることになったのです。昨夜の事件の影響もあるかもしれません」

 ヘリング士爵のことだから好意的な記録だろうが、国王がどう思うかは別の話だ。事前に情報収集とは国王もこの件に本腰を入れたらしい。

 

 ヘリング夫人はそれ以上語らず、ノックで御者席のベイカーに合図した。静かに馬車は動き出す。偵察ドローンが頭上を周回しているから行程に不安はない。

 

「これからどこへ」

「ご紹介する方は派閥の重鎮、シュマールバハ侯爵です」

 イーリスの予測どおりだな。バールケの派閥の有力者で間違いなさそうだ。夫人とはどのようなつながりがあるのだろうか。

 

「シュマールバハ侯爵の領地はベルタ王国内でも産業の盛んな地。侯爵は農業研究の大家でもあり、稀代の収集家ですの」

「収集家?」

「百合ですわ。それも自宅に専用の温室を作るほどの」

 ……ようやくヘリング夫人の狙いがわかってきた。この貴族を何とか味方につければ今後の商売にもつながる。どこまでも理解の深い人だ。

 

 

 シュマールバハ侯爵邸宅……。

 有力貴族は王都内、特に王城近くに邸宅を構えることを好む。侯爵は王城からほど遠からぬ大通りに面した場所に大邸宅を構えていた。

 こんな時刻にもかかわらず、ヘリング夫人が取次を願い出るとすぐに広間に通され、この家の主人を待つことになった。

 

『イーリス、俺の叙爵の時に、シュマールバハ侯は来ていたか』

 仮想スクリーンに叙爵当日の映像が映った。侯爵の地位はバールケと同じだから、気安く話しかけられる相手ではない。画像でもバールケに席が近く、俺は会話を交わしていなかった。

 

 俺はフードを眼深くかぶったまま、ヘリング夫人と片膝をついて来場を待った。やがて扉が開いて侯爵が現れた。

 

「久しいな。リーナ。連絡を受けた時は驚いたぞ。あれと婚約して以来、顔を見せぬとは不義理であろう」

「申し訳ありません」

「まずは連れてきた人物を紹介してもらおうか」

 

 俺はフードを取り顔が見えるようにした。

「アラン・コリント男爵か。わしの調べではそなたはバールケにとらえられ幽閉の身のはずだが」

 宮廷内の情報は速いな。同じ派閥といえど、つねに動向を探っていると見える。俺の顔を覚えていたのもさすがだ。

 

「いささか心得がありまして、一時的に抜け出すのは容易でした」

「これは面白い。わしが捕らえて突き出せば言い逃れはできぬぞ」

「覚悟のうえです」

「まあ、いい。座れ。話を聞こう」

 

 大貴族と相対して座るのは破格の扱いだな。膝の痛みに耐えつつ、跪いたまま会話をしなくてよかった。

 

「わしに会いに来た理由を聞こう」

「裁きの場でご助力願いたい」

「命乞いか」

「バールケ侯爵不在の今、次に派閥を統率するお方に願い出るのは当然かと」

「して、わしがそれで何を得るというのだ? 国王陛下がそなたを処刑するとご判断されればわしにはなにもできぬ」

「大樹海の資源を優先的に供給する用意があります」

「お前を処刑して、大樹海の植民地を我がものとする方が合理的ではないか」

「わが配下とドラゴンは大樹海への立ち入りを許さぬでしょう」

「なるほどな。ドラゴンはわしもこの目で見た。一国の軍を蹴散らしたというのもうなずける。だが、お前の申し出だけでは不足だ。お前自身、自分の命がそれほど安いとは思っておるまい」

 

 より譲歩を求めているということか。もっとうまみの多い条件を提示しろ、と。貴族はあくまでも強欲だな。

 

「実はリーナから百合を一株もらった。大樹海でそなたが発見したものだという。正直、驚嘆したぞ。これまでにない新種だ。しかもわずかに魔力を含んでいる。このような植物はほかにもあるのか」

「大樹海の樹木には等しく魔力が含まれ、樹齢の高いものほど含有量が多いようです。加工も容易で、大樹海の樹木を使った家具はガンツでは高値で取引されております」

「貴族の間では珍しい品種は大変な額で取引されているのは知っておろう。わしの要求はこうだ。今後、大樹海で発見された植物の試料と調査結果を定期的に届けるのだ。有用品種はわが領地のみで専売とする」

 

 意外だな。金銭面以外の要求をされるとは。決して趣味で言っているわけではなさそうだ。かなり先見の明がある男だ。

 

「今後、植物資源で有用なものがあればご提供します」

「いいだろう。だがアラン、お前は被告の身であることを忘れるな。あくまでも国王陛下の意向が定まらなかった場合にのみ、陛下の背中を押す程度のことしかできぬ。陛下がそなたの処刑を決定すればそれまでだ」

 

「承知しております。無罪放免の暁には、この話、正式に中身を詰めさせていただいても?」

「明日にも首が落とされるかもしれぬのに、商談とはな。気に入ったぞ。無事だったら祝宴でも開くとしよう」

「いえ、エクスラー公爵の目がある場所ではそれも」

 

「大樹海の報告も公爵の意向次第だからな。ところでリーナ、今夜はこれで帰るつもりではなかろうな」

「お誘いありがとうございます。ですが、夫が国王陛下にご報告している最中に妻が酔いつぶれていては面目立ちませんわ。また別の機会に」

「アラン、彼女が味方に付くとは羨ましい限りだな」

 

 たしかに彼女は優秀だが、何のことかはよくわからない。二人の間に何かあったんだろうか。

 俺とヘリング夫人は深く頭を下げ、シュマールバハ邸を後にした。いよいよ、明日が判決の日か。もし処刑宣告が出るようなことがあれば、もう手ぬるい方法は使わない。

 

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