「いやまったく、驚きました」
ヘリング士爵は赤ワインのグラスを傾けた。暖炉の炎が、彼の赤みを帯びた頬を照らしている。
食卓を囲んでいるのは俺とセリーナ、ヘリング夫妻だ。厨房と給仕はすべて従者のベイカーとメイド一人で切り盛りしているらしい。バールケの家系につらなる夫人にしてはあまりにもつつましい生活だ。しかも、冒険者上がりのヘリング士爵の爵位は一代限りでしかない。リーナさんが士爵を選んだ理由はいまだに謎だ。
「エクスラー公爵の女官と戦われるとは」
「戦うのはセリーナです。護衛兼用の女官とは、エクスラー公も変わった趣味をお持ちのようだ」
「セリーナ殿に模擬戦を挑むとは剣の腕も一流でしょうな」
「模擬戦ではなく真剣を使いますが、セリーナなら問題はない」
俺の目線にセリーナがうなずく。
ヘリング子爵は飲みかけのグラスを置いて、俺を見つめた。本当に心配してくれているようでありがたい。これは信頼の裏返しでもある。あまり不安を与えるわけにはいかないな。
あの二人の女官は剣技も魔法も相当な技量なのは把握している。何しろ一度俺を殺しにかかってきたからな。グローリアのおかげで事なきを得たが……。
「ベルタ王国では護衛に女官が従事することもさして珍しくはありませんが、不穏な噂もちらほら聞きますわ」
護衛と言えば男性とばかり思っていたがそうでもないのか。
「女官はお勤めが終わると、貴族の紹介でそれなりの身分の者に嫁ぐことができます。下級貴族や富裕な商家の子女はこぞって採用を望むのですが、エクスラー公爵様だけはそれを剣技でお決めになるとか」
「戦わせるのですか」
「公爵は強き者を好まれるお方。勝ち残ったものを採用し、お勤め中に敗れるようなことがあれば任を解かれ放逐されます。まず王都に戻れないでしょう」
道理であの二人がセリーナを極端に敵視していたわけだ。エクスラー公がセリーナに食指を伸ばしたのを感じ取った瞬間、セリーナは敵性判定されたんだな。
エクスラー公も無論それを知ったうえで二人をたきつけて面白がっているんだろう。悪趣味としか言いようがない。
「昨年、ある貴族のご息女が挑戦したものの重傷を負ってからは、バールケ派の貴族から激しい反発があったとか。エクスラー公爵様はご領地では名君でも、王宮内の評判はあまり芳しくありませんの」
たとえ下級貴族でも自分の娘が重傷を負えば頭に来るだろうし、貴族の敵意を買い続けるにも限界がある。だから完全な部外者であるセリーナに手をのばしたんだろうか。
「ご心配なく。セリーナが負けることはありません」
俺はグラスを持ちあげ、酒を少し口に含んだ。……これはまだ熟成が足りていないな。
『アラン、あの二人がすこし哀れですね』
『まあ、将来と名誉がかかっているからな。圧勝すれば貴族の反発を買いそうだ』
『勝ち筋を考えてみます』
「アラン様?」
「失礼。……ところで、大樹海の拠点から搬送した荷物はすべてご覧になっただろうか」
「いえ、まだですが」
俺は二人に食事中に席を立つ詫びを入れ、広間の隅に山積みになっている箱から厳重に梱包されているひとつを選んで、箱を開いて中の瓶を一本取った。
ヘリング士爵がすぐに笑みを浮かべたところを見ると何だか分かったようだ。
「これは士爵のご助言をもとに、私の城館で作ったものです」
「おお、もう完成したのですか。私が報告書の片手間に作った冊子をお渡ししてまだ三週間にもなりませんが」
「いろいろと秘密の方法がありまして」
城館地下工場の発酵迅速化技術とシミュレーション・モジュールを最大限活用すれば造作もない。……イーリスはこのようなことに計算資源を使うことについて婉曲に文句を言い、俺にくぎを刺すことを忘れなかったが。
用意されたグラスに注ぎ終えたところで、俺は言った。
「実はご夫妻にお願いがあるのですが」
「何でしょう」
「アラン様のお望みならば喜んで」
「これまで査察やガンツ攻防戦の観戦、国王陛下への好意的な報告まで、夫妻には計り知れない恩義があります」
「とんでもない! アラン様が我らにしてくださったことに比べれば些細なことです」
先ほどまでの酔いはどこへやら、ヘリング士爵は俺の目をひたと見つめて言い切った。リーナさんも穏やかな笑みを浮かべて夫の意見に同意しているようだ。
この二人こそがあの物件にふさわしい。
「実は今日、国王陛下は私に辺境伯として城塞都市ガンツを所領としてよいとおっしゃったのです。後に正式な任命があるでしょう」
「なんと! それを最初におっしゃってくだされば、もっとましな席をご用意しましたのに」
「さらに、国王陛下は王都にあるユルゲンの邸宅をも私に下さると。私も今後は王都に来る回数が増えることでしょう。そこで信頼できるご夫妻にこの邸宅を任せたい。もちろん中の施設は自由に使ってくださってかまいません」
ヘリング士爵はグラスを持ったまま動きを止めている。
「い、いや、しかしそれはあまりに過分な! ユルゲン邸は王都有数の大豪邸ですぞ! あまりに恐れ多いことです!」
「喜んでお受けしますわ。アラン様のご期待に添うようにしっかり管理いたします」
「リーナ……」
「私の想像ですけれど、そのお屋敷は将来、アラン様の大使館のような扱いになるのでは」
唖然としたヘリング士爵に比べ、リーナさんはこの意味をしっかり理解しているようだ。
「必要な維持費などもお渡します。ぜひ受け取っていただきたい」
突然、ヘリング士爵は立ち上がったかと思うと、跪こうと身をかがめた。
「跪く必要はありません。正当な対価です」
俺は手を取って士爵を立ち上がらせた。
「この大樹海の酒で、査察合格と辺境伯任命を祝っていただけると嬉しいのだが」
「もちろんですわ」
まだ動揺の抜けきれない士爵と、穏やかな笑みをたたえたリーナさんはグラスを手に取った。
「それではアラン様のご成功を祝って!」
「「乾杯!」」
これからも、俺は正当な働きをした者にはふさわしい対価を与えていこう。