ナノムに起こされる間もなく目が覚めてしまった。室内は薄暗く、居室のカーテンを開けると、わずかな曙光が空を赤く染めはじめたばかりだ。
『イーリス、エルナの容体は』
[脈拍、体温ともに安定しています。骨折箇所の治療は完了。アランの魔素供給の後、大事をとって鎮静薬を投与しています。まもなく覚醒します。覚醒後には数日間の回復訓練が必要です]
クレリアより先に、エルナと話すほうがいいな。本当はしばらくぶりに拠点の大浴場で朝風呂につかりたかったがあと回しだ。
エルナの部屋のドアをノックして中に入った。
クレリアがエルナのベッドわきに座っていた。探知魔法で調べてから来ればよかったな。クレリアの眼の下にうっすらとくまができている。まさか俺とシャロンが部屋を出てから、ここで一夜を明かしたんだろうか。
「おはよう。クレリア。エルナはシャロンの話では容体は安定しているそうだ」
「アラン、昨日のことを改めて話したいの」
「わかった」
これは正面から向き合って話すべきことだな。俺は部屋にある椅子を一脚もってきて、クレリアの正面に座った。
「裁判の話、どうなったの?」
「査察報告も無事受理されたし、植民地としては合格みたいだね。これはヘリング士爵のおかげだ。そのあと対セシリオの和平工作を一任された。まずは予定通りだ」
「そう……」
クレリアは無関心そうに言った。俺の努力なんか何の価値もないかのように。いや、俺の努力の方向がクレリアに向いていなかったのかもしれないな。
「来週にはブレーズとルドヴィークの廃城で合流する予定だ。また城館をあけることになる。すまない」
「いいの。それは必要なことだから。でも……」
「でも?」
「私は昨日からずっと考えていたの。配下の者たちの努力と献身について」
「クレリアはスターヴェークの継承者として必要な存在なんだ。皆は国を取り返すため、クレリアを再び国の統率者として迎えるために努力している」
「アラン、エルナは自分で加速魔法を習得したというのは嘘でしょう? たぶん、エルナが進んでアランにお願いしたのではないかしら? 自分をもっと強くするために。それが自分の体を損なうことになろうと。私のために……。私にそれだけの価値はあるの?」
「クレリアがそう信じている限り価値はある」
「信じなくなったら?」
クレリアの悩みで思い出した。
俺が航宙艦イーリス・コンラート号に乗艦する少し前、人類銀河帝国内で厭戦思想がはびこったことがある。
バグスとの凄惨な戦いの歴史の中で、数十億の人命が失われている。戦争が続く限り、これからも尊い命は失われるだろう。だから拡張政策はやめてバグスが存在する宙域から撤退しよう、という主張だ。
これは人類銀河帝国内で激しい議論を巻き起こした。帝国内の人類に連なる者たちの世論を二分し、対立と抗争が始まってしまった。航宙軍は厭戦主義者によるすさまじい批判に日夜さらされ、兵士たちは忍従の日々を送っていたのである。
だが事態は一夜にして変わった。なんと人類銀河帝国皇帝の勅諭が全惑星に下されたのだ。皇帝陛下は帝国臣民の争いにいたく宸襟を悩まされておられた。じつに勅諭は百二十年ぶりとされ、いかに異例であったかがわかる。その長大な文章を要約すれば以下のようになる。
「この戦いは全銀河に散らばる”人類に連なる者”の救済と解放のためである。人類銀河帝国だけの問題ではない」
この戦いの本質。それはバグスと人類は絶対に相いれない存在であり、バグスがこれまでの人類側からの幾多のコンタクトを踏みにじり、数多くの人類居住惑星を灰燼に帰している以上、自衛以上の踏み込んだ戦いが必要であるということだ。
皇帝陛下は人類種の存続という大義を帝国臣民にあらためて説かれたのである。
「もしクレリアが自分自身やスターヴェーク奪還という大義を信じられなくなってしまったら、クレリアを慕っている人々を裏切ることになる。クレリアは期待にこたえて、人々を率いていかねばならない。王族とはそういうものだ。違うか?」
「私には重すぎる。数十万の人々の期待に応えるのは」
「自分ひとりだけ背負っていくつもりなのか? クレリアを支える存在がいるじゃないか。クレリアは決してひとりぼっちなんかじゃない! なぜそれがわからない?」
「えっ!」
クレリアには国が滅びても忠節を尽くしてきたダルシムたち近衛や、辺境にありながら最後まで戦い抜いた辺境伯軍、それにアロイスで圧政に苦しむ北部貴族たちがいる。それらの人々はこれからもクレリアに忠誠を誓い続けるだろう。彼女が自身の正当性を信じ続ける限り。
軽い衝撃を胸に感じて俺はわれに返った。
クレリアの明るいブルネットの髪が揺れ、俺の腕にかかっている。クレリアは俺の胸の中で泣いていた。
部屋に朝日が差し込んできて、すっかり明るくなったけれど、俺はしばらくこうしてあげたほうがいいような気がした。