ナノムに起こされるまでもなく、日の出より一時間も前に目が覚めてしまった。俺の潜在意識は眠っている間に脳内の未解決の問題を嗅ぎまわっていたらしい。一言で言うと危険感知だ。俺が全く気の付かなかった視点で、俺に警告したような気がする。
久しぶりの城館での朝風呂を早々に引き上げ、小食堂に向かった。いつも皆で朝食をとる小食堂から、隣の厨房に足を踏み入れる。ようやく昇ってきた陽の光が窓から射していた。誰もいない広い厨房は静まり返っている。久しぶりに手を動かしながら考えてみるか。難題に向かい合うにはこれに限る。
魔石冷蔵庫をあさり、ビッグボアの肩ロースと卵を取り出した。厚めにスライスした肉の筋切をして塩コショウの流れで下ごしらえする。
コンラート号にシャトル便で資材、つまり水とレアメタルなどの金属資源が運び込まれた時点でイーリスの次世代育成計画は始まる。胎児の高速育成を三か月くらいだとすると、ある日シャトル便で二人の赤ちゃんがやってくることになる。
俺が赤ちゃんを両手で抱え、クレリアにこう言ったとする。
「この二人を俺たちの子供として育てないか?」
……なにかダメな気がする。これまでの経験、特にこの大陸の風習から言って未婚者の育児などということが認められるのだろうかという疑問はさておき、クレリアがどう考えるかというのが大問題だな。
深鍋に植物油を張って魔石調理器を点火する。調理台の深皿に卵を溶いておく。あとはひたすら小麦粉を振ったロース肉を浸して、パン粉をまぶすという単純作業だ。
「おはようございます」
「おはよう。セリーナ」
セリーナが厨房に入るのは珍しいな。
「シャロンが先ほど、エルナとともに出立しました」
「グローリアを酷使するようで気が引けるな」
「いえ、今回はグレゴリーです。グローリアだと必ず全員出動になるので。グレゴリーも配下のドラゴンとグローリアが一緒にいる場合は安心のようです」
「グローリアへの報酬も考えないとな」
「いつかアランと模擬戦をやりたいって言っていました」
そうだったな。ドラゴンの掟では族長たるもの、配下の指導――つまり戦闘の訓練――をしなければならないらしい。少しばかり気が重い。本気のグレゴリーと戦った時は危うく死にかけた上に、後ろ髪が焦げてしまったっけ。
「もしよければお手伝いします」
「なにか付け合わせを頼む」
「わかりました」
セリーナは魔石冷蔵庫からザッパの葉と、大市で購入したオレンジに似た柑橘類、茹でたポトをとりだした。さらに机に塩と植物油、それに酢の容器を並べている。作るのはサラダかな。
俺がパン粉を一つまみ油に落とすと、一瞬沈みかけた欠片はすぐに浮き上がって表面で踊っている。いいころあいだ。
俺がトンカツを揚げている背後で、セリーナが言った。
「アラン、昨夜のことですが」
「俺は二人の気持ち傷つけるようなことを言ったかもしれない。すまなかった」
「いえ、いいんです。上官として正しい指示だったと思います。私もクローンであることに少しわだかまりがありましたけど、今は解決したと思います」
意外だな。かつては盗賊の首領を顔色一つ変えずに切り捨てたセリーナにもそんな悩みがあったのか。
「さしつかえなければ、どうやって解決したか教えてもらえないか」
「シャイニングスターが私の家族。リアとエルナ、そしてシャロンと私。そう考えることにしたんです」
「俺の居場所はないのか」
「……家長ポジション、でしょうか」
俺の冗談交じりの問いにセリーナはためらいがちに答えた。俺は沸き立つ油とトンカツを見ていたからセリーナがどんな表情をしていたのかわからない。ただ、彼女の中で俺の位置がまだあいまいなのはわかった。
トンカツをすべて揚げ終えると、セリーナもサラダを仕上げていた。ざく切りの柑橘類とダイスに切った茹でたポト、ザッパの葉に白いソースがかかっている。あの材料だと地球のフレンチドレッシングだな。
「初めてにしては上手だな」
「昨日の夜、送ってくださった育成計画書を読んでから、お話ししたいと思って料理書を読んでました」
計画書をもう読み終えたのか。それだけセリーナにも関心があるということか。やはりまだ心の片隅に残るものがあるんだろうな。
「私は育成計画に賛成です。生まれた子供たちを私たちの家族に迎え入れることも」
「ありがとう。俺にそれを伝えるために料理を手伝ってくれたわけか」
「執務室では話しづらかったので。シャロンには内緒に願います」
セリーナがシャロンに隠す理由はたぶん、次席指揮官としての自分のイメージを崩したくないからだろうな。
「おはようアラン、セリーナも」
「おはよう。クレリア」
「今日は朝からトンカツ?」
「ちょっと重いかもしれないな。別なものを作ろうか」
「かまわない。アランが作ってくれるのも久しぶりね」
「食卓に運ぶから待っててくれ」
食卓に並んだ朝食を前に、クレリアが食前の祈りを唱えてから朝食が始まった。
「エルナはどうしたの」
「昨日の話なんだけど、ルドヴィークの件はシャロンとエルナに任せることにした。二人は今朝、グレゴリーと向かったよ」
「私に相談もなしに?」
「ダルシム隊長にも話してある。ギニーアルケミンは今後の俺たちにとって重要なアーティファクトだ。わかってほしい」
「エルナの体調が心配だわ」
「シャロンがいるから大丈夫だ」
二人が出発した以上、もう何を言っても無駄だとでも思ったのだろうか。それっきりクレリアはひたすら食事に専念していた。
久しぶりのトンカツもうまいな。サクサクした衣に甘辛いトンカツソースがよく合う。宮廷の凝った料理や、王都の高級料理店よりうまく感じるのは自分で作ったからだろう。セリーナの作ったサラダも上々だ。……そろそろ食事で和んだところで話を持ち掛けよう。
小細工はなしだ。ストレートに言った方が伝わるはず。
「クレリア、赤ちゃんのことなんだけど」
ぶほっ、と変な音がした。見やるとセリーナがひどくむせこんでいる。何をやっているんだ。
「な、何の話?」
クレリアはカトラリーを持ったまま動きを止めた。
「実は、」
セリーナがナプキンで慌てて口をぬぐってから言った。
「教会の前に捨て置かれた乳児を引き取って育てたらどうか、という話です。シャロンの話だと拠点の孤児院も人数が増えすぎて乳幼児まで手が回らないそうです」
クレリアは深いため息をついた。
「アラン、もう少し別の言い方があるでしょう?」
「……ごめん」
「子供を捨てるなんて、そんなひどいことをする親がいるの?」
ここはセリーナに合わせよう。
「王都ではけっこうあるらしいな。ゲルトナー大司教からもそんな話を聞いている」
「でもこの城館で育てるなんて」
ミルクなどは地下のバイオ工場で合成できるし問題はない。
「ガンツのデニスさんにお願いして、マルティナを養育係として正式に雇ってはどうかな。彼女はきちんとした教育も受けているし、孤児院でも立派に教師を務めていた」
「それはかまわないけど……。いったい何の話かと思ったわ。アランは貴族なのだから話し方に気を付けたほうがいいわ。貴族はあまり直接的な言い方をしないものよ」
「じゃ、どう言えばいいんだ」
「例えば今の話だったら、高貴な者の責務として領民に手を差し伸べたい、という話から教会の現状に移って、最後に赤ちゃんをひきとろう、ぐらいの話し方をしなければだめなの。問題を直接、突きつけるような言い方はとても失礼で、無教養と思われてもしかたないわ」
この大陸の風習に疎いということであれば無教養と言われてもしかたがないが、航宙軍で簡潔、的確に伝達することを叩き込まれた俺には難しすぎる。
食堂のドアにノックがあって、女性衛士が顔を出した。
「クレリア様、エルナにかわり朝礼拝に随行いたします」
「すぐに行く。…………エルナが戻り次第、もう一度作法の練習をするわ」
そういうとクレリアは急ぎ足で小食堂を出て行った。いつもの時間より遅れているらしい。
「アラン、以前から思っていたのですが、もう少しリアの気持ちを汲み取ってあげないと」
「これでも相当気遣っているつもりなんだが」
「今回のは特に女性にとっては微妙な問題です」
「わかってるさ」
俺が残りのトンカツとサラダをかたづけていると、イーリスから通信が入った。
[アラン艦長、ライスター卿ほか二名が城館に向かっています]
「そろそろ来る頃だと思っていた。セリーナも同席してくれ」
「了解」
ライスター卿の抱える問題は解決したようだな。