イーリスの立体映像が仮想スクリーンから消えるのと同時に、執務室のドアをノックする音が聞こえた。
姿を見せたライスター卿の顔は青白く、アベルの付き添いでかろうじて歩けるようだが、表情に隠しきれない怒りがほの見える。そのあとを音もなくエルヴィンが続いた。
「ライスター卿」
「アラン様」
短い挨拶とともに一礼した父子は席に座った。エルヴィンは座るのを固辞して、卿の後ろで控えている。ライスター卿は元上司だし、身分について一線を引いておきたいのだろう。
セリーナがドアの鍵をそっと閉めた。クレリアにはあまり聞かせたくない内容だからな。今は朝礼拝に行っているはずだが、気が変わって戻ってこないとも限らない。
「遺恨は晴らされたようだな」
「アラン様のおかげで積年の恨みは消えました。しかし腐った根を引き抜いたかと思えば、その根は全土に広がる地下茎の一部に過ぎなかったのです」
ライスター卿は懐から一枚の紙を取り出した。
「これがベルタ王宮にはびこるアラム聖国の手の者と思われます」
受け取った紙に目を通すと、俺の裁判に欠席していた数人の貴族とほぼ一致する。すでに連中は逃亡したか証拠隠滅に走っているはずだ。
「王家の血筋を引く永世貴族ではないが、それなりの地位にある者が多いな」
「アラン、リアの家族はアラム聖国への売国で全員処刑されています。この人たちが死をも恐れずに敵に通じた理由がわかりません」
「バールケはベルタ王国なきあと、この地方を治める総督の地位を約束されておりました。他の者たちも相応な地位を提示されていたようです」
総督……。このベルタ王国すら一地方として、完全に大陸統一後の政体を想定しているとしか思えない。敵はそこまで見据えているのか。
「地位や金銭程度で裏切るとは思えないな」
「スターヴェーク王国滅亡で奴らの腹は決まったようです」
「よくわからないが」
アベルがライスター卿にかわって言った。
「数年前、アラム聖国の使者がひそかに訪れ、バールケに忠誠を迫ったそうです。バールケは当初笑い飛ばしましたが、使者はスターヴェークの滅亡を予言して去りました。その後、スターヴェークが滅びた直後に再び使者が現れた時点で、奴は考えを変えたようです」
「大国だったスターヴェーク王国の滅亡を目の当たりにして、寝返ったということか」
「はい。あの男は後悔どころか、自分を解放すればアラム聖国に取りなしてやろうとまで提案する始末。これがベルタ王国の大貴族の姿とは……情けない限りです」
よほど悔しかったのか、ライスター卿の顔から普段の冷静さが消えている。バールケは単なる政敵ですらなく、貴族の矜持も誇りも捨てて敵に寝返った男。国賊だ。そんな男に一族が皆殺しにされたのだ。冷静でいられるはずもない。
俺はこれまでの調査結果を思い出しながら言った。
「アラム聖国は古代統一王朝の末裔と自称している。自分たちだけが選ばれた者である、とか。国名に”聖”を関するのもそのためだな」
「その通りです。アラム聖国はルミナス信仰を否定しており、アトラス教会の不倶戴天の敵です」
狂信者が相手か。これは教会よりも根絶が難しそうだな。
「過去には何度も大陸を制覇せんと大陸中央に侵攻していましたが周辺諸国に退けられております」
「普段は対立している諸国も、アラム聖国に対しては共闘したということか」
「はい。特にスターヴェーク王国はアラム聖国と隣接していることから、反アラム勢力の中核をなしておりました」
この反アラム勢力は、アトラス教会の意向だろうな。アトラス教会の影響力は見過ごせない。……王都でゲルトナー大司教にもっと聞いておけばよかった。
「幸い、かの国では魔法が禁忌とされており、優れた魔術師を抱える諸国の敵ではありません」
「アラム聖国の政治体制など、詳しく教えてほしい」
「父上、かの国の政治についてはエルヴィンに話させた方がよいのでは」
「アラン様、エルヴィンはもはや我が配下ではありませぬが、この件はこの男が一番詳しいものと存じます」
俺はライスター卿からエルヴィンに目を向けた。
「我らはバールケの一族が台頭する以前から、ライスター様のご命令によりその偵察にあたっておりました。というのも国軍の放った密偵がことごとく連絡を絶っていたためです」
「最近では退魔香の入手のために、商業ギルドも密偵を放っていたようだ。当然、アラム聖国は国境監視を強化している」
「ど、どうしてそれを」
明らかに愕然とした表情でエルヴィンは俺を見つめた。
「……話を続けてくれ」
俺がゴタニアのヨーナスさんから聞いた情報をエルヴィンがすでに把握している、ということはこの男は王都商業ギルドと何らかのつながりがあるな。
「ところが、およそ一年前にアラム聖国で政変が起こりました。これまでは万世一系のアラム王室が曲がりなりにも政治の主体であったのが、突如現れた改革者によってアラムはより強力な軍事国家となりました」
「謎の純白の肥料や異様に統制の取れた軍隊……か?」
「…………」
エルヴィンは目を見開いたまま言葉を止めた。ライスター卿父子も身じろぎもしない。
「改革者の正体は」
「その者は数々の改革を行ったのちに今の地位に至りました。その血筋も定かではございません」
「血筋不明の者が高位に就けるのものだろうか。ベルタ王国では多くの上流貴族が国王の血縁だ」
「我々も同じ疑問を抱いておりました。ですが、これがわからないのです。そのうちに我が配下も次々と捕縛され、撤収を余儀なくされました。かの者の情報収集能力は我々のそれをはるかに上回っております」
これは油断できないな。いくら情報ビットで把握できるにしてもアラム聖国のすべての家屋にビットを仕掛けるわけにもいかない。
「バールケの話が事実とするとアラム聖国はこの拠点にもその手を伸ばしているだろう。エルヴィン、今後は我が領地の防諜任務に当たれ」
「はっ。この拠点及びガンツに潜むアラム手の者を排除します」
「ガンツのアジトはまだ残っていたな」
「アラン様のご支援により、以前よりはましな場所に移動しております」
そうだったな。あのときはいきなりカトルを連れて侵入して驚かせてしまった。
「捕らえた者はガンツのホームに引き渡すように。そこからはサテライトの一斑が拠点まで護送する」
「はっ」
俺はライスター父子に向き直った。
「ライスター卿に助言をお願いしたいことがある」
「何なりとお申し付けください。われらは今後ともアラン様とクレリア様にお仕えいたします」
俺は机に大陸の地図を広げた。
「アロイス王国に近いゴタニアの町にもすでに敵の手の者がいる。王都商業ギルドも商圏防衛のために動いてはいるが、これも劣勢だ」
「その情報は商業ギルドからでしょうか。ならば確かな情報ですな」
まさか自分で直接行って見聞きしたとはいえないな。
「今後のアラム聖国の出方を知りたい」
「すでにガンツ攻防戦でセシリオ王国は敗退しており、今後ベルタ王国内の協力者を失えば、アラム聖国は次の手駒としてアロイス王国、つまりスターヴェークを支配しているロートリゲンを動かすでしょう」
これはイーリスの予想と一致する。なにしろ現在のアロイス王国は完全にアラム聖国の食料に頼り切っている。従うほかはないだろうな。
「ライスター卿、本日はご足労に感謝する」
「バールケを誅したとはいえ、戦いはまだ始まったばかり。今後ともこの命、アラン様のものでございます」
ライスター卿と子息は深々と頭を下げたのち、部屋を去っていった。あとに続くエルヴィンに一つ聞き忘れたことがあった。
「エルヴィン、その改革者の名前は」
「名前は不明ですが、アトラス教会がつけた蔑称は”堕天の魔女”。いまやアラム聖国最高位の女祭司とされています」