王都まであと一日の距離に迫った。
これほどの長い行軍なのに兵たちの意気は衰えることを知らない。ゴタニアでの十分な休息、そしてタルス商会の計らいで糧食を追加できたのも大きい。
すでに国境を越えたというのに敵兵の一人も見つからないのが不思議だ。国境警備の城塞はもぬけの殻で、先遣隊の報告によれば、あわただしく立ち去った様子が見られたという。城塞を通り過ぎた際、物見やぐらがまるで鋭利な刃物で切り取られたかのように見えた。
私は隣で騎乗しているセリーナに聞いてみる。
「私たちの動きを察知して逃げたのかしら」
「いいえ、これはアランの支援者が我々の行軍速度を落とさないように、動いてくれています」
「アランの支援者って、あの拠点を作った者たちのこと? エルヴィンたちとは違うのでしょう?」
「彼らは自分たちの立場を知られると困るので、姿を隠しています」
「いつか会ってみたいものだわ。あれほどの拠点を作れるのはスターヴェークの大貴族でも難しい。でも陰ながら支援してくれるのはうれしい」
「大陸統一に向けて、リアの立場もますます重要になります。まずは王都奪還に注力しましょう」
微妙に話をはぐらかされたような……。
国境の峠を下っていくと広い平野に出た。この辺りは私も巡行したことがある。
かつては青々とした小麦畑が広がっているはずの大地は荒れ果て、農民の姿も見えない。国境に一番近い村はすでに打ち捨てられ、廃村となっていた。このあたりは有力な貴族の領地だったはず。よほど弾圧がひどかったのだろう。
私を護衛しているダルシムと近衛たちも荒廃が露わになるにつれ、表情を硬くしている。
「リア、アランとグローリアたちが合流します」
上空に目をやるとグローリアを先頭に、グレゴリーと若いドラゴンたちがきれいな隊列を組んで飛んでいるのが見えた。
「クレリア様、今後の作戦についてアラン様に改めてお尋ねしたきことがございます。ちょうど昼餉の時刻。この場所で陣を張ることをお許しください」
「わかった。前衛の兵にも伝達し陣形をとるように」
◇
グローリアの着地と同時に、おもわず馬を走らせてしまった。ドラゴンたちはアランとシャロンを下ろすと、一斉に飛び立っていく。
「アラン!」
「クレリア、無事でよかった」
「ここまでは順調よ。一兵も失ってはいない。アランの支援者にも感謝しないと。……ドラゴンたちはどこへ行ったの?」
「峠の森林地帯に獲物を捕りに行った。南部地方からここまでだとさすがに距離があるからね」
「南部の貴族たちはどうなったの?」
「……詳しい話はあとにしよう」
「クレリア様、昼餉の用意ができました」
まるで狙ったかのようなタイミングでエルナが言った。
セリーナが笑顔でアランを見つめている。一言も会話を交わさないけれど、二人の信頼関係が私にもはっきりわかる。なにかこう……通じ合っている、と言うような。私はアランとこれ以上の関係を持つことができるだろうか。
食事のあいだも私の周囲は近衛がしっかりと円陣をくんでいる。ここは敵地、いや奪還すべき我が故郷なのだということを改めて感じる。
食事中も皆はアランの戦果を聞きたがっているのがわかったが、私が言いださないので控えているようだ。
食事が終わって一息ついたころ、アランがようやく私に視線をくれた。
「アラン、南部の貴族はどうなったか教えて」
「南部地方の有力な三つの貴族家の居城と、アラム聖国に続く橋はドラゴンで破壊した。念のため、南部から王都に向かう街道も寸断しておいたよ」
「そ、それはまことでございますか。それでは南部諸侯はおろかアラム聖国の援軍も……」
「ロートリゲンの手駒は王都の兵力だけだな」
ダルシムをはじめ近衛の面々は驚きを隠せないでいる。まさかこんなにうまくいくとは思ってもいなかったらしい。私はガンツ攻防戦でドラゴンの威力を目の当たりしている。アランの言ったことは真実に違いない。
「ここに来る途中、ゴタニアへ向かうアロイス軍と遭遇しなかったのはそれが理由なのね」
「援軍が来ないのをロートリゲンが知ったんだろうな。戦略を王都の住民を人質に取った籠城戦に変えたようだ。城門はすべて固く閉じられていたよ」
とたんにダルシムの顔つきが厳しくなった。近衛たちもアランを注視している。
籠城戦の厳しさは私にも理解できる。王都の市民たちすべてがロートリゲンに忠誠を誓っているわけではないだろう。彼らに向かって矢を放つことはできない。
「俺はブレーズ・サンソン卿に陽動を指示している。すでにスターヴェークに最後まで忠誠を守っていた北部貴族がアロイスに反旗を翻した。王都にいたアロイス正規軍の一部は反乱の報をうけ、二日前に城外に出ている。だから現在の王都の兵力は二万よりずっと少ないはずだ」
「そこまでしてくださるとは……」
隊長格の中にはわずかに表情を緩める者もいる。だが数に勝る敵に立ち向かうことに変わりはない。
アランはここでいったん一呼吸置いた。皆も姿勢を正したまま、微動だにしない。これから王都への攻略について話すと理解しているのだろう。
「ここから俺は何もしない」
驚愕の波が皆に広がっている。目を見開いたまま、今聞いた言葉が理解できないようだ。
「アラン、もっと詳しく説明して。それだけでは何もわからないわ」
「これはクレリアの、そしてクレリアに忠誠を誓った者たち全員の戦いだ。俺が少しはお膳立てをしたかもしれないが、ここから先はすべてクレリアとその仲間が勝ち取るべきだ。よそ者の俺が立ち入るべきではないと判断した」
「私はアランに頼り切るつもりはない。けれど、たった六千人で戦えというの?」
「クレリア様、恐れながら申し上げます。アラン様のご判断はまさに正道。スターヴェーク奪還の真の意義を問うておられるものと思料いたします。古来より謀反を鎮圧するのは地方の貴族ではなく、直轄の近衛と王族の使命でした」
……そうか。ダルシムの言葉で私にもようやく理解できた。アランは私に王族としての裁きをしろと言っているのだ。何という厚情だろうか。
王族としての真の行いを理解して、その上ですべての責任と義務を負う大役をこの私にまかせると言っているのだ。それはアランが私の庇護者ではなく、私を対等な立場として認めているということなのだ!
なんだろう。この心の奥底から生まれる熱い気持ちは……。四肢をめぐり、満ちていく力……。思わず私は手を合わせる。
今、私は全身全霊をもってアランに必ず返さなければならない恩義があることを女神ルミナス様に誓う!
「おおっ!」
私を中心として清冽な光が皆の驚愕の表情を照らしていく。
私の誓いは女神ルミナス様に受け入れられた。いつの間にか私の周囲の者のたちが全員、地面にひざまずいている。これは全員が心を一つにする祈りだ。私にはそれがわかった。
しばらくのあいだ皆を穏やかに見守っていたアランが口を開く。
「最後に一つだけ伝えておく。俺の調べでは王城への秘密通路は王城の図書室から直線距離で北東に伸びて、御料林へと続いていた。クレリアもよく知っているはずだ」
唐突に思いだした。そこは王族だけの狩場になっていた御料林だ。森の中には王族が狩りの合間に休む小さな四阿があって、近くに崖があったのを覚えている。その場所に……?
「崖に入口が隠されていた。俺は開錠して中にトラップがないか一通り確認しておいたんだ。通路の幅はかつて王族の棺を運んだだけあってかなり広い。大勢で乗り込んでも問題はないよ」
まさに勝ち筋。王城の心臓部への活路にほかならない。
「おおっ!」
「なんと……そこまでご配慮くださるとは!」
ヴァルターが声を上げた。周囲の者も同じ気持ちだろう。
「王城の衛兵は二百人ぐらいだ。ここにいる皆は王城内の兵舎や守備兵の配置はよくわかっているはず。侵入計画や突撃部隊の編成などは皆で相談してくれ。ああ、それから悪いが俺は戦いの間、全ドラゴンと王都上空を低空飛行で見物させてもらう」
「それは敵兵への威圧と違わないのでは……」
「そんなことはないさ。皆の活躍を期待している」