「アラン様、ようこそお越しくださいました」
カリナは優雅にお辞儀をして俺を見上げた。
「カリナ、先日はすまない。まず最初に謝りたい。エルナも本気で言ったわけじゃないんだ」
「いえ、私も節度を超えていたように思います。お許しください」
「この話はこれでおしまいにしよう。カリナは俺とこれからのことを考えてほしいんだ」
「ええっ!」
「新しい拠点の支店長の話だよ」
「あ、あの。ごめんなさい。そうでしたね、そんな話もありましたね……。まずは中にお入りください。サイラス様がお待ちかねです」
カトルと俺はカリナに導かれて門をくぐった。
「アラン、よく来たな」
「アラン様」
招かれた応接室ではサイラス親子がまっていた。正装しているところをみると晩餐は期待できそうだ。俺はカトルを紹介した。
「おお、あのタルスの息子さんか。タルス商会はゴタニア一の規模と聞いている。アランは優秀な部下を持ったようだな」
このあいだはタルス商会は中堅とか言って見下していたような。カトルは単純に喜んでいるようだが、まだまだ甘いな。
「食事の前に契約を済ませよう。アリスタが立会人だ」
「わかりました。こちらはカトルを立会人にします。ですがその前に」
持ってきた荷物をアリスタさんに渡した。
「ご好評でしたので食前酒代わりに」
「まあ、ありがとうございます。戻ってからもあのお酒のことが忘れられなくて」
「アランの酒を飲んで以来、自分のところの酒がマズく思えてならん。アランのおかげで遥かにましになったはずなんだが」
「調味料もどうぞ」
「これは先日の魔法の調味料ですね」
「風味を変えたものが三種類です。サイラス家の厨房でお使いください」
アリスタさんは酒よりこちらのほうが嬉しいようだ。
調味料はイーリスに命じて地下工場でフル生産している。カトルの発案で、無料試供品をガンツの飲食店に供給し、需要の掘り起こしをやる。いずれこの味になれた庶民は調味料なしではいられなくなるはずだ。
「せっかく頂いたんだ、開封して飲もう」
カリナが包装を解いて、グラスを用意しはじめた。
サイラスさんは机上にすでに用意してあった書面を俺に手渡した。
「これが契約書だ。今回は冒険者ギルドを介さないので詳細に作ってある」
ギルドは冒険者が仕事に専念できるように対外交渉や契約なども仕切っている。今回は俺、つまり貴族と商家の直接契約だ。内容は詳細かつ多岐にわたるはずだ。
羊皮紙に小さいけれど達筆な文字で三十ページはある。俺は一枚一枚丁寧にめくっていき、俺の目から得られた情報をナノム経由でイーリスに送信する。
『イーリス、内容を査読してダイジェストを送ってくれ』
『了解』
一通り眺めたあと、俺はカトルに手渡した。
「先に目を通してくれ。俺よりカトルのほうが契約の実務経験があるからな」
「わかりました。しばらく時間いただけますか」
ん? サイラスさんが微妙に口の端を歪めなかったか。俺はイーリスの契約分析を聞きながら机上のグラスに手を伸ばす。
「アラン。これは新しい拠点から持ってきた酒だな」
「そうですが」
「なんでこんなに冷たいんだ? 冷凍の魔法を使ったわけではあるまい」
「私は何も魔力を感じませんでしたが」
アリスタさんは魔法を使えるのか? これは知らなかった。
「娘は魔法は使えないが、感受性はかなり高い。商取引でも魔法を使ったごまかしは多いからな。大事な取引の際には必ず同席させている。これまでも何度も危ないところを助けてもらった。ほんとうに親孝行な娘だよ」
「お父様。褒めすぎですよ……。アラン様、ではなぜこのお酒は冷たいのでしょうか」
「これを運んだ容器はまだありますか」
「これでしょうか」
カリナが白い梱包容器を俺に渡した。
惑星の科学の水準があるレベルに到達すると、一度は化学合成でつくった樹脂容器を利用するものだが、分解できないことからたいへんな公害を引き起こしてしまうことが多い。かわりに発明されたのがこの高速生分解性樹脂から作られた保温容器だ。
「この部材はほとんどが空気と分解性の樹脂でできていまして、まったくと言っていいほど熱を伝えません。夏でも氷をいれて密閉すれば十日くらいは溶けませんよ。使い終わったらこうして……」
俺は容器の表面を覆っているコーティングフィルムを剥がした。
「「あっ!」」
みるみるうちに容器は空気中の酸素と反応し縮小していく。やがて燃やしても無害な小さな塊が残った。フィルムも内側から反応して消えている。
いきなりサイラスさんがグラスを持ったまま怖い顔になった。ゴタニアのタルスさんも取引のときはこんな顔をしていたっけ。その息子の方はと見るとこちらの騒ぎがまったく聞こえないかのように、書面に没入している。やはり商人の子は商人だな。
「アランのところで作れるのか」
「作れますね」
「これは……物流に大革命がおこるぞ。ガンツは直近の海岸からでも一週間はかかる。だから海産物は干物か塩漬けばかりだ。逆に海洋大国のデグリート王国では新鮮な野獣の肉が手に入らない。冷凍する魔法も大量の食料には不向きだ。この容器が手に入れば、二つの欠乏を解消する巨大な物流が発生するだろう。アラン、この容器の作り方だが……」
「護衛契約が済んでからにしませんか」
「うーむ」
サイラスさんはグラスを握ったまま唸ったかと思うと、そのまま中空を睨んで微動だにしない。おそらく壮大な商圏ビジョンでも見ているのかもしれない。
「アラン様。申し訳ございません。父は集中すると時折こうなるんです」
「いえ、だからこそ今の地位を築かれたのでしょうね」
「お褒めの言葉、感謝します。私からも一つお聞きしてもよろしいですか」
「なんでしょう」
アリスタさんは俺の横にすわったまま、ちょっと間をおいた。ちょっと近すぎな気がする。カリナがこちらから目をそらしたのが見えた。
「魔術ギルドが専売している髪を乾かす魔道具ですが、あれもアラン様がご発明になったとか」
「ええ、そうですね。それほど難しい構造ではないですよ」
「あの魔道具は王都でも大評判で魔術ギルドに益をもたらしているそうですね。仲介をしている商会も途方もない富を得ているとか」
ゴタニアのギルド長のカーラさんが俺の設計どおりに作り、タルス商会が販売する流れだったな。売り上げの何割かはギルドの収益となっているはずだ。
またアリスタさんは俺と距離を詰めてきた。
「サイラス商会にもなにか一つ作っていただけないでしょうか。もちろん利益は折半、いえ、六四でも構いませんわ。どうか……」
「アラン様、契約書を読み終わりました!」
ちょっと大きめの声でカトルが言った。ナイスタイミングだ。さすがのカトルもアリスタさんが持ちかけた話を見過ごすことはできなかったらしい。儲け話がサイラス商会に取られるとでも思ったようだ。サイラスさんもグラスを置いてカトルを見ている。
「契約には一つだけ問題があります」
「どんな問題だ」
サイラスさんはカトルを睨んだ。大店の商家の契約にケチをつけるのは大した度胸だ、とでも言いたげだ。
「この契約では一回の護衛で六十万ギニーとありますが、後払いでしかも任務中の宿泊などの費用はこちら持ちです」
「冒険者ギルドとの契約でも同じだろう」
「ここからゴタニアくらいまでなら採算がとれますが、例えば片道三十日のアロイス王国まで往復すると、十人の護衛では一人あたりの報酬が一万ギニー。日数で割ると百六六ギニー。移動中の支出は自費なので赤字です。距離に応じた増額を契約に加えていただきたい」
「なるほど。タルス商会はしっかり後継を育てているな。距離に応じた増額を記載しよう。ということで、契約は……」
サイラスさんは締めに入った。カトルはギルド長に褒められたのがよほど嬉しかったらしい。得意げな笑みが隠しきれていない。しかたがないな。カトルにも見つけられなかったか。
「契約書の第二十六条第四項にこんな記述がありますね。”輸送時に貨物が失われた場合の措置は護衛者側による弁済とする” これでは災害やワイバーンに襲われて隊商が全滅した場合でも我が方の責任になってしまいます。無制限責任は負いかねます」
「ええっ! そんな記述が……あった! アラン様はちらっと見ただけなのに!」
文書の最後の方だったんだが、カトルのやつ見落としたな。
このほか契約上の罠を二箇所ばかり指摘する。もちろん俺は仮想スクリーンにイーリスがマーキングした箇所を読んでいるだけだ。
「さすがだなアラン。移民団の打ち合わせで商人たちの提案を一人で取りまとめたとは聞いていたが、本当だったんだな」
「ここは対等な契約を結びたいですね。今後のためにも」
サイラスさんは謝罪するそぶりは見せない。最初からこちらを試すつもりだったようだ。見破れなかったら、これからも足元を見られていただろう。
……ほんとうに商人というのは油断も隙もないな。
自分の財産や権力に慢心し、契約書をおろそかにして大金を巻き上げられた貴族も結構いることだろう。
それから小一時間ほどで修正版の契約書ができた。幸いカリナは食事の準備のため席を外していたので、俺はサインする前にサイラスさんに一つお願いをして、その条件でサインすることにした。
「三週間後に次の出荷が始まる。行き先は王都だ。試供品を少し向こうに送ったら大評判でな。今回は最初の大きな出荷だ」
「それまでには人員を用意しましょう」
「それと商業ギルド名義でジェネラル・オークの首をシャイニングスターに指名依頼しておいた。そっちの倉庫に入れてある首を一つもってくればいい。冒険者ギルドとしてはほかのギルドに貸しを作れるし、ケヴィンも文句はいえんだろう。アランのランクも下がらずにすむというものだ」
まったくこの人は抜かりがないな。そこまで手配してもらえるとは思っても見なかった。ギルドへは持参が原則だから新拠点にいったん戻らねばならないな。秋の大祭が始まる頃にクレリアたちと来てもいいかもしれない。