『グローリア、このあたりで一度、降ろしてくれないか』
『了解』
グローリアも人を乗せることに慣れたのか、飛行はまさに”風に乗るがごとし”で、この一体感は強襲降下艇などでは絶対に味わえない感覚だ。
木々を縫ってグローリアはわずかに周囲がひらけた場所に着地した。大樹海の中心まではかなり距離があるはずなのに、周囲の落葉高木の樹高は三十メートル近くある。いまだ一度として人の手が入っていないのだろう。
『グローリアはよくこのあたりに来るのかな』
『住んでいた場所からは遠いのであまり来たことがありません。でも獲物が少なくなる時期には足を伸ばしたことがありますよ』
『獲物が少なくなる時期があるのか』
『母が生きていた頃は食べる量も多かったですからね』
『ごめん、悪いことを聞いちゃったな』
『いいんですよ。今はたくさん仲間がいますし』
じっと俺を見つめるグローリアの目は穏やかだ。なんか急にセリーナたちが俺を非難した理由がわかったような気がした。本当にグローリアは性格が真っ直ぐだな。俺がひどい差別主義者に思えてくる。
地面に積み重なった枯れ枝を取り除き、鞍から探査機を一本取り出して地面が平坦な箇所にそっと置く。上端の起動スイッチを押すと円柱はサラサラとした粉塵を上げながら地面にゆっくり潜っていく。先端部はディスラプターと同様な機構が内蔵されており、原子間の結合力に干渉して掘削するため、騒音はほとんどない。
探査機にはミューオン発生機と受信機が内蔵されており、他の探査機と協調しながら探査ネットワークを構築する。精度を上げるには観測点を増やせばいいが、今回は西エリアの主要部分をカバーするだけだ。
『アラン、グレイハウンドの集団がそちらに向かっています。排除しますか』
『シャロン、応援は不要だ。いちいち現れた魔物を狩っていては時間がもったいない。設置を終えたらすぐに移動する』
『了解』
『族長。この仮想スクリーンは便利ですね』
『グローリア、普段はどうやって獲物を取っていたんだ。こんなに樹高があれば見つけにくいだろう』
『夜は魔物の動きも鈍いですから』
うーん、やっぱりか。赤外領域まで見えるんだな。これをもっと早く知っていれば、ドラゴンとの一騎打ちの被害も少なくてすんだはずだ。
探査機の音が止んだ。円柱の数センチ上部を地上に残してあとは潜り込んでいる。
「よし、次にいこう」
グローリアのお陰で作業は順調に進み、最後の探査機の設置が終了した。
『グローリア、ちょっと寄り道をしたいんだが』
俺は仮想スクリーンのある場所にマーキングした。探査ルートからほど近い森林地帯だ。上空からの探査結果と一致していればいいが。
『このあたりはよく来ていましたね。ビッグ・ボアがけっこういます。この時期のビッグボアは木の実をいっぱい食べているので脂が乗っておいしいですよ』
『冬を越すために体に脂を貯めるんだな』
『はい。一匹捕まえるので族長も食べませんか』
『それは助かる』
非常食は持ってきているんだけどな。ここはグローリアに合わせよう。グローリアは勢いよく飛び立っていった。ドラゴンが張り切っている状態、というのは知らないが、多分いまのがそれだろう。
寒暖の差が大きくなるには季節は若干ずれているが、まあいい。俺は直径が一メートル近い大木の根元に向かった。枝ははるか上空に広がっているが、この際、樹皮でもいい。電磁ブレードナイフで少し削って指先と人差し指で強く押す。
[目的の植物と遺伝情報が酷似しています]
間違いない。
まさか俺の故郷と同じ植物が惑星アレスにもあるとは。冷涼な惑星ランセルでは寒暖の差が激しい時期に樹液をとって加工するのが古来からの習わしだった。
ブレードナイフで地上から三十センチくらいのところにくさび形の穴を開ける。すぐに勢いよく樹液が出てきた。指でそっと触れてみる。
[食用可能です]
ナノムのお墨付きがあれば問題ないな。持ってきた鉄鍋がいっぱいになったところで、切り口を木片で閉栓しておく。
純粋な糖分は貴重だ。甘味料は需要が多いが、この惑星ではほとんど南方から入ってきていて、ガンツはもとよりゴタニアでさえ甘味料は贅沢品だ。大手の商人か貴族でなければ、普通に使えない。庶民は未だに乾燥果実や麦芽糖が主流だ。
煮詰めるには時間がかかる。火を起こして水分を沸騰させ、糖分だけを残すのはいかにも非効率な気がしてきた。ゴタニアの宿、”豊穣”でピザを焼いたときは炉に低火力の火魔法を使えばうまくいったが、今回は煮詰めるのが目的だからちょっと違う。
エネルギーを直接、水分子に叩き込めばいいんじゃないかな。
通常の火魔法は魔素からなるエネルギーを火炎に変えて、その炎が輻射と言うかたちで熱を伝える。つまり湯を沸かすには一工程余計だ。この工程を省略したらどうだろう。
『ナノム、火魔法の改良だ。エネルギーの流れというより、周波数を上げるという感じで放出量をあげてみろ』
[了解]
俺は水分子に直接、エネルギーが注がれるさまをイメージした。手のひらから放たれた魔素のエネルギー。炎と違って振動数が高いから色は紫外光を超えて人間の視覚では見えないが、イメージの世界では話が別だ。手のひらから伸びるエネルギーの触手が水を包み込んでいる、水分子クラスターがふつふつと泡立って気化していくイメージだ。エネルギーはファイヤーボール一個分のエネルギーでどうだろう。
「ファイヤー……うわっ、熱ちっち」
いきなり蒸気が立ち上がった。鍋の中には茶色の塊しか残っていない。ちょっとやりすぎたか。茶色の塊をナイフで少し削って口に含む。……間違いない。焦げて渋みはあるものの間違いなく樹液糖だ。懐かしい故郷の味だった。
『アラン、いったい何をされているのかさっぱりわからないのですが』
『まあ見ていてくれ。シャロン、ほかの連中には内緒だぞ』
『……はい』
根元の木栓を抜いて、樹液を鉄鍋に注ぐ。
樹液の水分を半分ほど蒸発させる。
もってきたワイン樽にいれる。
この工程を繰り返すうちに、すぐに樽は一杯になった。ちょうど使い切った地質探査機の重量と相殺するくらいだからグローリアには負担はかからない。
よし、拠点の孤児院でなにか甘菓子でも作って振る舞ってやろう。こういう楽しみもないとやっていられないよな。
「わっ」
いきなり頭上を黒い影がよぎった瞬間、ビッグボアの巨体が地面に落ちて地響きを立てた。……でかいな。タラス村で暴れていた黒斑くらいある。大樹海では動物も巨大化するんだろうか。グローリアが羽ばたきながら着地した。焚付用に用意していた枝が吹き飛んだが仕方がない。
『おそくなってごめんなさい』
『グローリア、謝ることはないぞ。大収穫じゃないか』
『あまり大きなものが見つからなくて、時間がかかっちゃいました』
……これより巨体のビッグ・ボアっているのか。小屋くらいのが突進してきたらフレイムアローくらいじゃ太刀打ちできないな。
『族長、一番いいところを獲ってください。族長の権利ですから』
『そうか、悪いな』
俺はブレードナイフで肩ロース部分を少しもらった。皮脂の厚みがすごい。肉質もいいな。
『たったそれだけでいいんですか』
『ありがとう、グローリア。これでも多いくらいだよ』
本当はもう少し熟成させたいが、このままソテーにしよう。散らばった枯れ枝をもう一度集めて、ファイヤーで火をつける。鉄鍋に脂身を少し入れて、鍋全体に馴染むようにする。薄く切った肉を並べて木蓋をかぶせた。
俺の背後では何かが滴るような音や、柔らかいものを地面に叩きつける振動が響くが気にしない。時折、バキッとかボキリという音がするが、たぶん木の枝が折れた音だろう。ちょっと鉄さびのような匂いもするが気のせいだ。
お、火が通ったようだな。少々赤みが残っているところに持ってきた塩と胡椒をふりかける。そして最後に樹液シロップをほんの少し、円を描くように回し入れる。……よし、できた。
ビッグボアの樹液糖シロップ風味。これは旨いぞ。故郷では今時分よく食べたものだ。もちろんビッグボアではないが、この仕上がりは故郷でたべた本物と引けを取らないにちがいない。
一切れ口に入れた途端、樹液糖の澄んだ甘みと濃厚な脂が胡椒のアクセントにのって鼻孔と味蕾を直撃した。
「う、うまい」
思わず言葉に出てしまう。野趣のある肉汁が樹液糖と混じり合って、なんとも言えない極上の旨味を引き出している。ふいに懐かしい記憶が次々に溢れてくる。家族と過ごしたあの冬の夜、大切な人たちのことが。
「…………」
なんだろう。焚火の煙が急に目に染みてきた。周囲の木々のかたちが急に歪んで見えたかと思うと……頬を流れていった。
再び故郷で同じものを味わうことは、もうないだろう。