『イーリス』
[はい]
『ここにある物質を分類したい。こちらのナノムからデータを送る』
[了解]
棚に並べてあるガラス容器のラベルを眺めて現地名称を転送、そのうえで指先で触れていく。植物由来の素材は人差し指と親指でグニグニとつぶすようにして成分を分析していく。鉱物にふれると指先がわずかに光るのは指の表皮にナノムが集まってマイクロレーザー光を放射しているからだ。反射光で成分分析をする。
[放射性や揮発性の高いものを除けば、地表面で取れる鉱物はほぼ網羅しています。遺伝子資源としても有用な植物種が多数あります。可能であれば入手してください]
これだけの薬種を収集するとは相当長期にわたってフィールドワークを重ねたようだ。材料としては申し分ない。大抵のものは作れるだろう。
『イーリス、化粧品を作りたいんだが』
[艦長、このところ私が軍用AIであることをお忘れではないでしょうか。……できる限りのことは致しますが]
『いつも済まなく思っている。……ところで内惑星任務中に飲む薬剤があったな』
[放射線防護薬剤でしょうか]
バグスは基本的に低温惑星を避ける傾向にある。なので多くの場合、湿潤で暖かい内惑星に前進基地を設営することが多い。内惑星は太陽に近いため、紫外線その他の有害な宇宙線の線量が高い。パワードスーツにも耐放射線機構はあるが、内惑星に戦闘降下する部隊員は全員、防護薬の服用が義務付けられている。
『それの応用だと思えばいい。皮膚劣化はほとんどが紫外線と血液中の糖分により血管壁のタンパク質が劣化することで進行するんだ』
[昨夜、ナノム経由で本艦のデータベースにアクセスしていたのはそのためですね]
いまさらながら、イーリスには隠し事はできないな。
[防護薬には含硫アミノ酸を主体として抗酸化物質、数種の亜鉛化合物などが使用されています。ナノムと併用することで効果を高めています]
『そのなかから人体に影響の少ないものを使う。内服用と塗布しやすいような塗り薬タイプにすればいい。アミノ酸ならバイオリアクターでも製造できるはずだ』
[お待ち下さい]
イーリスには本来の任務以外のことをずいぶんやってもらって申し訳ないが、今は第一級非常事態宣言下にある。宣言したのは俺だが。
兵士と通常人の決定的な違いは治癒能力の差だ。兵士は最大戦力で戦闘に当たらねばならない。故にナノムは常に兵士の体をモニターしている。その比較対象となるのが、ナノム投与した時点の身体データである。訓練終了後の兵士はナノムを投与された時点では最高の健康状態にある。
ナノムは投与時の身体と比較して異常が見つかれば補修にかかる。ナノムで分析できない場合は外部のより強力な医療AIの力を借りる。こうして兵士は常に投与時点の健康状態からほとんど劣化しないでいられるのだ。
逆に、一般人は――とりわけこの惑星の住人は――徐々に劣化していく身体を認識できないし、直せない。老化が異常だという認識がない。
そこに予防的な化粧品の巨大な需要があるはずだ……。昨夜あまり寝ないで考えた結論だ。すくなくとも温風機よりは需要はあるだろう。
[……可能です。ただし現在のバイオリアクターは食糧増産に特化しているので、新規にもう一基増設したほうが良いでしょう]
『また俺が菌株を作らないとだめか』
[すでに稼働しているリアクターの菌株を遺伝子改良後に移植します]
それは良かった。あれは精神的負担が大きいからな。
[先程、送信していただいたデータからは、いくつかの植物を加水分解することで原料の一つとなることがわかりました。ギルドから採取地を聞き取ってください]
『分かった』
俺はギルド長の執務室に戻った。
「アラン様、良い考えが浮かびましたか」
「なんとかなりそうです。シーラさん、受付の人をお借りできませんか。ちょっと実験してみましょう。いや、大丈夫です。命にかかわるようなことは決してしません」
俺は椅子を部屋の中央においた。
シーラさんの指示で、さっきお茶を入れてくれた女性が椅子に座った。
「名前を教えてくれませんか」
「マルタといいます。こちらにお勤めさせていただいて二十五年になります」
「ありがとう、マルタ」
俺は立ち上がってマルタさんの前に立った。俺はマルタさんの目をまっすぐ見下ろしながら、権威者の目線で説明する。あまりこういうことはしたくないがまあ演出だ。
「それではマルタ、私が治癒魔法を使えることを知っているな?」
「もちろん存じ上げています。重傷を負ったサイラス家の使用人を一瞬で治療されたとか」
事実だが、どこからそんな話が伝わったんだろう。
「いまから治癒魔法をマルタにかけようと思う」
「私はどこも悪くありません」
「とても気づかないような傷があるとしたらどうかな?」
「小さな傷ですか」
マルタは自分の手を見つめた。俺から見ても肌は健康とは言い難い。手や顔にもシミがあちこちにある上、長いあいだに保湿成分が失われて皮膚が硬化している。本人は意識していないようだ。
保湿か。ヒールとウォーターの混合魔法でどうだろう。ナノムの解析能力はこの場合は必要ないだろうが、魔法の作業工程は記録をしてもらう。
「毎日少しずつ、気づかないうちにできた小さな傷は実はたくさんある。そして傷は治癒魔法で治るものなんだよ。わかるかな」
「はい。私は不器用なので、調理中によく指先を切ってしまうのですが、小さな傷は治ったようでもあとに残ることがありますね」
「その通り。でも傷は完全に治るものなんだよ。その上、私は噂どおり治癒魔法がとても得意でね」
俺は彼女の後ろに立って、肩に手を置く。血管壁の無数の小さな傷が塞がるように、乾いた皮膚に保湿成分がじわじわと行き渡るようにイメージする。
『ナノム、記録しろ』
[了解]
「ヒール」
彼女の体全体が光のシャワーを浴びたかのように輝いた瞬間、シーラさんとマルタさんが同時に叫んだ。
「「ああっ」」
「手のシミが……」
「マルタ! あなた、顔が、顔が……!」
シミはすっかり消えた。鼻筋にそって広がっていた腫れやガサガサした皮膚が解消されている。ただし、経年変化による手指の筋肉の減少は変化がない。傷と認識できなかったからだろう。
「皮膚に悪い生活をしていると元に戻るので、それを抑える処方を、」
「アラン様、ぜひその処方を! 魔法の工程もっ!!」
シーラさんの声はほとんど絶叫に近い。そんなに興奮することだろうか。
「マルタ、ここからは職業上の秘密事項です。窓口に戻りなさい! 当面のあいだ、誰にも話してはなりません! わかったわねっ?」
立ち上がったマルタさんはほとんど上の空でドアをでていく。まもなく窓口で驚きの声がするのがここまで聞こえた。さっきまでいた同僚がいきなりまっさらのシミなしの顔でもどってくればやっぱり驚くよな。
「アラン様……」
振り返るとシーラさんが俺に手を合わせている。なんの真似だろう。
「……私は長らく野外で薬種を収集してきました。だからこの肌は仕事の勲章と考え、恥じたことは一度もありません。でもそれが治るとわかってみると、その……。アラン様。その魔法を私にもかけてください。お願いです!!」