久しぶりに遠出だ。
アランが出かけるときは――これが最近多いのだが――次席指揮官としての仕事が山積みだったけれど、これからしばらくはアランが政務に専念するらしい。
……いつまで続くかは疑問だけれど。
わたしは城館の屋上で二人が来るのを待っていた。ここ数日のあいだに気温は下がり、屋上の床面には薄く霜が降りている。
東の山脈から曙光がさし始めたばかりなのに、もう街の数少ないパン屋さんと鍛冶の火起こしが始まっていた。ほそく長い煙が薄霧がかかった冬の空に登っていく。
「おはよう、セリーナ」
「本日のお誘いありがとうございます」
「急に誘って、悪かったかしら」
「今日は楽しみにしている。樹海に出かけるのもほんとうに久しぶりだ」
リアはまだすこし眠そうだ。昨夜の士爵夫妻を歓迎する宴のお酒がまだ残っているのだろう。
エルナに二日酔いの気配はない。彼女は目覚めているあいだは貴族であることを決して忘れない。それでいて戦闘中は恐ろしく勇猛で大胆な動きをする。アランから一目置かれているのがちょっとくやしい。でも、わたしは航宙軍兵士。アランの正式な部下だ。エルナはそうではない。
『ナノム、クレリアのナノムに昨夜の代謝残存物を処理させなさい』
[了解]
「リア、お茶を用意しています。グローリアが来るまで一杯いかが」
「頂くわ」
二人にカップを渡し、魔石式恒温ポットからお茶を注ぐ。
「狩りをするには少し寒いな」
「大丈夫。こちらをどうぞ」
航宙軍の制式防寒服を用意してある。女性士官用だけれど、これを着ていた先輩たちはもういない。ネームははずして大切に保存している。
「雪豹の毛皮より軽いな」
「腕を通しただけなのに体に暖気がこもるようです」
二人にはすこしずつ人類銀河帝国の方式になれてほしいけれど、あまりに急激な異文化との接触は元の文明をこわしてしまう。コンラート号のライブラリーで見つけた記録だ。どうすれば、この人たちが自分たちの文化への誇りを失わずに科学を発展させることができるだろうか。
「お茶のおかげで頭がすっきりしてきた。ありがとう、セリーナ」
わたしは黙って笑顔を返した。ナノムの処理が終わったようだ。
「今日は大樹海の調査と聞きましたが、どのように調査するのですか」
「樹海の有用な植物や鉱物などの資源を調査します。お二人には私が調査の間、狩りをおねがいします。昼食は現地調達なので」
急にリアの顔が明るくなった。なにか難しいことをやるものだと思いこんでいたらしい。
「それなら任せてもらおう。セリーナは調査に専念するといい。私とエルナが獲物を捕まえよう」
「セリーナ、わたしもすこしは薬草の知識があります。みつけたら報告しますね」
「ありがとう、エルナ」
東の空に巨体が現れた。今日はグローリアにしか声をかけていないのに、なぜか黒ドラゴンまで一緒だ。
「グローリア!」
「もう一体、後ろからついてきています」
「すごい! グローリアより大きいなんて」
風を巻き立てながら黒ドラゴンと少し小柄な赤いドラゴンが着地した。
「リア、グレゴリーを紹介します。グレゴリーはこれからグローリアと一緒に暮らすことになったの」
黒いドラゴンはリアとエルナに見向きもせず私の方をじっと見ていた。
『グレゴリーはじめまして。わたしの名はセリーナ。もう一人のシャロンと双子なの。わたしもグローリアの友達なの。これからよろしく』
『グレゴリーはまだ私のように考えを黙って相手に伝えることがうまくないんです。声を出すと人間を驚かすので黙っているそうです』
意外と気配りのできるドラゴンのようだ。
「セリーナもドラゴンの考えがわかるの?」
「いえ、それができるのはアランだけです。わたしは名前を教えてもらっただけ」
ということにしておく。でないと旅行中ずっと、ドラゴンがなにを考えているかリアの質問攻めにあいそうだ。
「グレゴリー。私はクレリア、今日はよろしくね」
人間の言葉はグレゴリーのナノムによってすぐに翻訳されるはずなのに、グレゴリーは軽く頭を振っただけでしゃべらない。
グローリア専用の革製鞍を装着しながら聞いてみた。
『グローリア、どうして彼はついてきたの』
『どうしても一緒にいきたいってうるさくて。荷物は彼に任せていいですよ』
ドラゴンの掟では敗者は勝者に帰順する。男女のあいだでもそうらしい。グレゴリーは完全に頭が上がらないみたいだ。
グローリアに三人がのり、荷物をひとまとめにすると、一人の人間ではとても持てない重さなのに、大きく翼を動かしたグレゴリーは舞いあがると片手でひょいと掴んだ。きてくれて助かった。
わたしたち三人を載せたグローリアは凄い勢いで空に登っていく。
『アラン族長から場所は聞いています』
仮想スクリーンに機器設置ポイントが表示された。グローリアは仮想スクリーンの使いかたがとても上手になった。人間以上の知性の持ち主だとイーリスは断言していたのもわかるような気がする。
『グローリア、拠点から近い順におねがい』
『分かりました』
後ろを振り返ると、リアとエルナが鞍に必死にしがみついている。
『グローリア、少しだけ速度を落として、リアが驚いているわ』
水平飛行になった。登る朝日が朝霧の樹林をすみれ色に染めていく。見渡す限りの大森林の向こうに点々と小さな湖が見える。いつかこの場所がこの惑星の首都として大都市に変わるのだろうか。
一回目の設置点に着地した。巻き上げた木の葉に驚いたのかネズミウサギの群れが飛び出して、森の奥に逃げていく。
グローリアの着地は以前クランのメンバーと遊覧飛行したときよりはずっとなめらかだった。わたしたちを気遣ってくれているのがわかった。
念のため、探知魔法を発動する。遠い検知限界付近にグレイハウンドの群れがいる。三十頭の大きな群れだ。距離があるから大丈夫だろう。狩猟中らしいオークが三匹。探知範囲内に集落はないが……。グローリアもいるから大丈夫。
グレゴリーが少し離れた開けた場所に、巨体にしては驚くほど静かに降り立った。
グローリアの鞍から降りたクレリアは大きくのびをした。
「なんだか懐かしい感じがする。街と空気が違う。力が湧いてくるかのようだ」
「本当に空気に力が満ちてくるような気がします」
エルナも感じているのか。
『ナノム、わたしの魔素貯蓄量を拠点に着いた時点と比較して』
[二十三パーセント増加しています]
アランは魔素の増加を危惧していたけれど、二人は元気そうだし、わたしも身体に異常はない。
『グローリア、体調はどうなの』
『元気ですよ。ふるさとの森よりここのほうがいいです』
グローリアの魔素の量はどれくらい増えたかは、元の量がわからないと調べようがない。とんでもない量であることは容易に想像がつく。極地での戦闘中、グレゴリーがアランに放ったブレスは凄まじかった。あれが更に増大するなんて想像もしたくない。
「リアとエルナは狩りの方をお願いします。でもあまり離れないでください。私はこっちで調査していますから」
「「了解」」
二人が同時に言って、おもわず笑ってしまう。リアも笑みを隠さない。……そうだった。”了解”は森の中で作戦行動するうちにシャイニングスターのみんなが自然と使うようになっていた。
二人が慎重に周囲を見回しているうちに、わたしは草をかき分けながら、黒ドラゴンのいる場所に向かった。まとめた荷物は荷崩れもせず、丁寧にドラゴンの前に置いてあった。
グレゴリーの首筋にそこだけ灰色になっている部分はアランとの戦闘でできたものだ。
それ以外は全身がくろぐろとした鱗に覆われている。微動だにせず佇立する姿は、古代人が一枚岩から切り出した彫像のようだ。あらゆる点で異質、という感じがする。
荷物を解いて、地中探査機を取り出した。できるだけ平坦な場所に置くと、静かに探査機は地面にめり込んでいく。
地中探査機は頭を少しだけ地上に出すまでに潜り込んだ。
よし、次に移動しよう。
それから上昇と設置を繰り返したけれど、クレリアとエルナは獲物がなかったことをしきりに残念がった。一箇所ごとの滞在時間が短いので仕方がない。
ここには魔物以外の動物があまりいない。奥に進むに連れ、魔物の個体数はへるものの、体は巨大化していく。
おそらく彼らがこの大樹海の生態系の頂点なのだろう。小動物も生き延びるために賢く、素早くなっていく。リアたちと旅を始めた頃の森林帯はまだずっとのんびりしていた。強力な捕食者がいなかったからだろうと今になって気がついた。
昼頃になって、予定最後の地中探査機の設置を終えた。
このあたりは樹海の中心よりやや南側に近い。おそらくこの惑星の人類はここまで到達したことはないだろう。
「リア、獲物は穫れた?」
「ネズミウサギにフレイムアローをはなったのだがなかなか当たらない」
「リアは追跡型フレイムアローをつかえるでしょう?」
「あれは目標物の姿が見えていないと使えない」
これはいいことを聞いた。リアが追跡型フレイムアローを放った瞬間、視野の外に移動するか、遮蔽(クローキング)できれば優位に立てるのでは。問題は小型戦闘艦規模でないと遮蔽装置は使えない。対象物が一人の人間だけなら魔法でなんとかできないものだろうか……。
「セリーナ」
「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事を」
「セリーナはよく目をつぶって考えていることが多いけど」
これはアランに注意されてやめた。ARモードは使用せずに音声通信のほうが周囲の疑念を招かずにすむ。
「もしかして、追跡型フレイムアローの対策を考えていたのではないですか」
エルナは相変わらず鋭い。
「模擬戦ではリアとエルナの組に勝ったのはアランだけ。わたしも追いつきたいの」
コンバットレベルでは上なのに魔法ではずっとアランの後塵を拝してばかりだ。このあいだようやく飛行魔法がなんとか、というレベルだ。
「私も魔法の工程を変えてもいい、と気づいたのはアランのおかげですけれど」
「これまでずっと魔法書通りにやってきたのね」
「エルナも私も魔法を覚えるときは絶対に工程を違えてはいけないと厳しく指導されたものだ」
「もうクレリア様の魔法にはどの宮廷魔術師でもかなう者はいないと思います」
「最前線に出れないのは残念だ」
ふたりは最近、地下の稽古場場にこもることが多くなった。クレリアは政務時間以外はすべて鍛錬に当てている。前回の模擬戦からのエルナの進歩も目を見張るものがある。
アランのおかげ、だけなのだろうか。私を含めて大樹海が何かを変えていくようなきがする。
樹液糖が穫れる森林の上空についた。グローリアにゆっくり周回してもらう。
「セリーナ、このあいだアランが来たのはここですよ」
「樹木の種類がさっきまでの場所と違うようだ」
樹高は高く、幹はどれも一律に一抱えくらいある。下草が少なくまるで誰かが整備したかのようだ。
『グローリア、着陸をお願い』
『はい』
『リアの狩りがうまくいっていないみたいですけど。よかったら追い込みしましょうか』
『獲物を追い込んでくれるの?』
『はい。待っててください』
グローリアが着地した場所は地面が赤黒くなっている。近くに火を炊いたあとが残っていた。
「リア、グローリアとグレゴリーが獲物の追い込みをしてくれるわ」
「セリーナ、やっぱりグローリアの言葉がわかるのね」
しまった。うっかりしていた。
「なんとなく、でしょうか。それより追い込みが始まったようですよ」
グローリアと、グレゴリーが二百メートル位先でぐるぐる回りながら飛んでいる。
「多分こちらの方に獲物が追い込まれてきますから、お二人で捕まえてください」
「よし、ここは任せて」
周囲の小鳥や小動物がこちらにやってくるのがわかる。二人は上手に私たちへ誘導しているようだ。
グレゴリーが空中に静止した。何かを狙っているようだ。そしてその口から……
「リア、エルナ、身を伏せて!」
凄まじい爆発音とともに炎が上がった。私たちの視界に数羽の黒鳥が入ってきた。
「リア!」
「分かっている」
即座に無詠唱でフレイムアローが放たれる。追跡型だ。……全弾命中。
「リア様、私が獲ってきます」
「頼む」
エルナが落下地点に走っていく。
「以前見たときより追跡速度が上昇していますね」
「練習のおかげだろうな」
突然、煙の中を小山のようなビッグボアが突進してきた。
クレリアは落ち着きはらって手を前方に伸ばす。
ひとすじの輝く光束が手から放たれ、突進してくるビッグボアを直撃した。何という威力だ。勢い余ったビッグボアがクレリアの直前で止まった。すでに絶命しているようだ。
「一度に三十発分のフレイムアローを使ってみた。分散・追跡型より楽でいいな」
「リア、なんともないの? めまいとか。ここでアランみたいに倒れるのは勘弁してね」
「それどころかまだ全然余裕だ」
「クレリア様!」
大きな黒鳥をひきずりながらエルナが戻ってきた。
「これを、クレリア様が?」
「もちろんだ。……グローリアたちが戻ってきたぞ。二人には礼を言おう」
「セリーナ、これだけあれば十分です。黒鳥を探しているうちに、野生の葡萄も見つけました。そろそろ戻りませんか」
「……わかったわ」
もしこのとき、気がついていたら。
すでに徴候が現れていたことに気づいていたら。
でも、その時のわたしは二人が狩りの獲物の前で笑っている姿を見て、そんなことは忘れてしまったのだった。