ナノムとコンラート号の強力なAIの力を持ってしても、惑星アレス全域の文明化という遠大な計画途上のどこかで俺の命の灯は消える。
この惑星の住人よりは長生きはできるだろう。
人間としての基本的な防御機構に加えて、ナノムが有害な老廃物を身体から取り除いてくれる。兵士としてのメンタル的な訓練や規則的な生活が俺の寿命に貢献することも間違いない。
体細胞のほとんどはナノムによる若化処理が可能だが、脳細胞だけはリセットできない。リセットしてしまえば人格は失われる。すなわち「俺」という人間は消滅してしまう。
航宙軍でも優秀な兵士の経験を外部記憶に取り出して保存できないかと苦心していたようだったが俺の知るかぎり成功した事例はない。
バグスとの千年に渡る戦いの中で、航宙軍がナノムの導入に踏み切ったのはバグスと対等に戦える兵士を育成するためだが、歴史的に見れば比較的最近といえる。
投与された兵士たちの多くは戦闘で命を失い、除隊まで生きながらえたとしてもナノムは除去される。ナノムを常駐させたままで何歳まで生きられるのかはまだよくわかっていない。
人生の大部分をナノムとともに生きるということは、もはやある種の共生体といえるかもしれない。
もう人間ではない「何か」。
眠れないので屋上にあがって空を眺めていた。
城館の眼下に広がる街並は静まり返っている、わずかに南門の不寝番の灯火が見えるだけだ。
壮大な冬空の銀河がくっきりと目に映える。光害のないこの世界では星の輝きをさえぎるものはない。けれど星景はかつて訪れたことのあるどの惑星からの眺望とも異なっている。俺は人類銀河帝国の版図を遥かに超えた星域に流れ着いてしまった。
今にして思えば、この惑星に漂着する前の俺は――戦闘時を除けば――気楽だったといえる。指導者の責務とか、民を導くことになるとはつゆ知らず、艦内での任務をそつなく真面目にこなし、空いた時間は研究活動や、料理を作っては同僚に振る舞ったりしていた。それがたった一年と少しまえのことだとはいまだに信じられない。
突然目が覚めて、自分がコールドスリープチャンバーの中で覚醒処理を受けている最中だったなどということはありそうもない。今、目にしているものは変えようのない現実なのだ。
俺はあと何年生きられるだろうか。あまりにも遠大な計画に対して俺の寿命は短すぎる。
かつて人類種の寿命は遺伝的に百二十歳が限界とされていた。
トレーダー星系にかぎらず、航宙技術を獲得するくらい科学が進歩した惑星世界では生物・医療技術もまた進歩している。人類銀河帝国では――帝国国教会の圧力はあるにせよ――兵士の遺伝子から不安定な要素を取り除き、異星での生活に耐え得るようにする改造が行われている。
その結果わかったことは、遺伝子改良技術など生物科学のサポートがあれば人間の細胞はほぼ半永久的に生きることは可能だが、人間の精神はおそらく耐えられないとされている。
「俺」という自我を構成しているいわば天然のソフトウェアは永遠の情報処理ができるように設計されていないのだ。
……だが、ナノムを宿していれば話は別だ。
情報処理の多くを任せることができる。二百年は生きられるかもしれない……ナノムを投与される前の「俺」のことなどすっかり忘れてしまうくらいには。
それでも計画の中央値の三分の一でしかない。そもそも二百歳の俺はまともな判断能力があるだろうか。
だからこそ世代を通じた進歩が必要なのだ。特定個人の力にたよることなく、すべての住人が一定以上の科学技術を学ぶことが。
シャロンの奮闘のお陰で学校はすっかり街にとけこんでいる。読み書きができるのは貴族と宗教関係者、一部の富裕な商人だけのこの世界では、学校というものは馴染みがなかったようだ。
子どもたちは午前中に学校、午後からは拠点内の職人の下で就業してもらうことでようやく一般住民から奇異の目で見られることはなくなった。……目標とするレベルにはほど遠いけれど。
俺が生きているうちにどこまで教育レベルを上げられるだろうか。俺はその行く末を確かめたい。
時間圧縮という方法もある。
コンラート号はリアクターを失っているためワープ航法は使えないが、残された補助機関を使えば時間をかけて光速に限りなく近づくことができる。
人類の歴史の最も古い時代から知られていることだが、光の速度に近づくと時間はゆっくりになる。例えば光速の99%の速度で五光年先に行ったとすれば……往復十光年。
減速・反転する時間を無視すれば、第三者から見て十年が必要だが、コンラート号に搭乗している俺の主観では経過時間は二年以下だ。99.9%だと比率は客観時間十年に対して主観では六ヶ月、なんならもっとスピードを上げてもいい。
定期的に光速に近い速度で移動を繰り返しては、惑星アレスにもどって定点観測する。そこでまずいことがあれば積極的介入をすればいい。俺の蒔いた教育という種が花開くまで……。
問題は俺が旅立っている間にバグスが来る可能性だ。
準光速の時間圧縮の旅が終わってこの星系に帰還したものの、惑星アレスがバグスの巣窟になっていた、では話にならない。
時間が経過するたびに”バグス侵攻”は刻々と近づいてくるのだ。
やはり俺はこの惑星から離れるべきではない。シャロンかセリーナに頼んでも断られるだろう。第一、イーリスの存在無くしてこの作戦は成功しない。
コンラート号のコールドスリープ装置は乗員もろとも失われてしまった。なんとか地上に再構築したらどうだろうか。
コールドスリープ中にナノムに細胞若化処置をさせれば、脳以外は真新しい体で覚醒できる。俺たち三人が交代で眠りにつけば……。
ナノムのサポート下での脳の機能限界が百五十年として、活動期一年睡眠三年といったスパンで繰り返しても、寿命は暦上では計画中央値には到達しない。しかもコールドスリープの使用回数には制限がある。これほどの連用は不可能だ。
……もうやめよう。どんなに思考実験を繰り返したところで結論は同じだ。この惑星で一生を終えるにしても精一杯生きるしかない。やがてこの惑星に生まれる数十億の命をバグスの魔の手から救うことになるのであれば。
[体温低下のため代謝を一時的に上昇させます]
ナノムの警告で我に返った。仮想スクリーンの数字はもう一時間以上ここにいることを示している。
階下に降りようと階段に向かうと、クレリアが立っていた。以前シャロンが渡した航宙軍の制式防寒服をきているようだ。いつからそこに立っていたんだろう。
城館で探知魔法を使う必要はないし、クレリアはナノムを宿しているから俺のナノムは、警告を発しなかったのだろう。極力、音を立てないように居室を出たつもりだったが。
「アラン」
「少し考え事をしていたんだ」
「何を考えていたの」
「……故郷のことだよ」
「そう」
屋上階段のドアの前で俺とクレリアは向かい合った。光源は天の星だけで、表情はよくわからない。けれど俺は暗視モードにせず耳を傾けていた。クレリアがなにか言いかけていながら、躊躇しているようだ。こんなときは黙っているのが一番いい。
「アラン……。もし大陸統一が終わったらどうするつもりなの?」
「民のために教育に尽くすつもりだよ。皆が豊かに、幸せになるように」
「頑丈な船を作って故郷に帰ったりしない?」
「この大陸のどんな国でも俺の乗っていた船と同じものはできないよ。いや、いつかはできるだろうし、そうなって欲しいけど俺の生きているうちは無理だ」
「アランのいた大陸からお迎えがきたりしない? アランは向こうではそれなりの地位があるんでしょう」
ある日、この惑星に人類銀河帝国の輝かしい紋章を記した巨大な航宙艦が飛来したらどんなに素晴らしいことだろう。惑星アレスは人類銀河帝国の強力な指導の元、諸国は統一され、暫定政府が作られる。そのすべてが終わるまで十年もかからないだろう。人類銀河帝国は一つでも多くの居住可能惑星を欲しているのだ。
人類銀河帝国では発見した惑星に人類に連なるものが存在した場合、極力その文化を尊重することが定められているが、例外もある。
地球の次に発見された居住可能惑星がそのいい例だ。
その星系には豊富な金属資源を有する惑星が三つも存在しており、それぞれに人類に連なるものが存在したものの、あまりにも文明レベルが低くかった。
悪いことにこの星系は、バグスの想定侵攻ルート上では地球との中間点にあることから軍事上の重要度ははかり知れなく、人類銀河帝国は強制接収を決定し、原住民は一つの惑星に設けられた居住キャンプに移住させられてしまった。
いまでは巨大な軍事防衛星系となっているが、原住民は教育処置を受けることなくほそぼそと文化の命脈をついでいるにすぎない。
この件は人類銀河帝国内でも激しい論争を引き起こし、いまでもその是非が問われていた。
……俺はこの惑星でそんな事が起きてほしくない。
己の文化・伝統を失うことなく、誇り高いアレス人として自立してほしいのだ。
ベルタ王国でもセシリオ王国でも、スターヴェーク人でもなく、アレス人だ。
アレスに生まれた者としてこの惑星を守るためにバグスと戦う。俺はその手助けをするために生きる。
クレリアは俺が考え込んでいるあいだもずっと辛抱強く待っていた。俺が迎えの船で帰るか悩んでいると思っているみたいだ。
「残念だけど、俺を迎えに来る船は決して来ない。俺がこの惑……大陸にたどりついただけでも奇跡に近いんだ。ほかの乗組員はほとんど死んでしまった。遭難したことなんて故郷には伝わってすらいないはずだ。俺はここから故郷にはもどれない」
「アラン、私は船が来るか来ないかではなくて、来航した時の話をしている」
「船は来ないよ。絶対に」
「その船はたぶんデグリート海洋王国の一番大きな港に到着するわ。そして迎えの人たちはアランを探すでしょう。セリーナがアランを探し当てたときのように……。いつかこの拠点にやってきて、”アラン様、我が国にお帰りください” って言ったとしたら?」
……そうか。ようやく俺にもクレリアの気持ちがわかってきた。俺はここではっきり伝えなければならないのだろう。
「クレリア。俺は残る。たとえ船が来ても。ここでの仕事が終わっていないからね。一生を捧げるにふさわしい仕事だ」
気がつけば、クレリアの頭は俺の胸に押し当てられていて、俺は倒れないようにするのが精一杯だった。どれくらいそうしていたかよくわからない。こんなときはなんと言っていいのだろう。俺は黙って輝く銀河を眺めていた。
やがてクレリアは、かるく鼻をすすったかと思うと身を離し、
「ここがアランの新しい故郷になればいい」
「俺はずっとここにいるよ」
「アラン……。ありがとう」
クレリアは小さく息を吐いて、踵を返し、階段をおりていった。
……気のせいか階下で誰かのため息が聞こえたような気がした。