「ここがアランの新しい故郷になればいい」
「俺はずっとここにいるよ」
「アラン……。ありがとう」
屋上からの階段を降りると階下で私服のエルナが待っていた。
私の気持ちを察してくれたのか、エルナはだまってハンカチを差し出した。居室に向かいながら、濡れた頬をぬぐった。こんなときのエルナの気遣いはありがたい。
「エルナにも心配をかけてしまったな」
「いえ、アランがこれほどはっきりと断言するのは初めてですね」
「もっと早く聞くべきだった」
問題は放置すればするほど大きく育つ。セリーナが初めて私の前に現れてから芽吹いた疑問は気づかぬうちに大きくなっていたのだろう。
スターヴェークで謀反が起こった数ヶ月前、南西部の貴族諸侯に不穏な動きがあったのはたしかだ。それを看過した結果、私は父母と兄そして国を失ってしまった。
予兆を感じたら、内にこもることなくすぐさま可能な限り情報を集め、必要であれば直接足を運ぶべきなのだ。
ただ、もっとも事情を知っていそうなアランが教えてくれることはあまり多くないのが問題だ。アランの秘匿主義は今に限ったことではないけれど、フォルカー士爵夫妻が拠点に査察団の先触れとして現れてから、さらに強くなったように感じる。
城館を留守にすることも多くなった。表向き在城していることになっていても実はこっそり夜間にどこかへ出かけているような気すらしていた。
けれど、これまでの不安は、今日のアランの言葉で何処かへ消えてしまった。アランは一生この大陸にい続けることを約束してくれた。それは私との共同統治を生きている限り続けるということだ。
それはつまり……。自分でも顔が赤くなってくるのがわかる。
今夜は眠りが浅くなりそうだ。
◆◆◆◆
すっかり寝坊をしてしまった。
厨房の隣りにある小食堂に顔を出したときには、もうアランは朝食の準備をしていた。
「アラン」
「おはよう、クレリア、エルナ」
「昨日はありがとう」
「俺も気持ちが吹っ切れたよ。こういうことははっきりさせておくべきだったんだ。礼を言うのは俺のほうだよ。ありがとう、クレリア」
アランの言葉で残っていた眠気の残渣がいっぺんに消えていく。もうあれこれとアランの行く末について悩むことはない。
アランが引いてくれた椅子に私とエルナが着席すると、セリーナとシャロンもやってきた。二人して私の顔を見つめていたかと思うと、何も言わず席についた。
アランが用意してくれたのはポトとザッパの葉の肉野菜炒めだ。肉は一昨日、大樹海で獲ってきたビッグボアだろう。あとはスープと堅パンだった。久しぶりにアランが早くにおきて作ってくれたようだ。
冒険者時代はこの組み合わせが多かったのを思い出して懐かしくなった。思えばアランとの思い出には不思議と料理と食材が現れるのはなぜだろう。
「朝食を取りながら、みんなに聞いてほしいことがある。特にクレリアとエルナには黙っていたことが多かったからね。実は……」
アランの口から語られた話は驚愕の内容だった。
ガンツ伯のユルゲンが、不祥事を起こし失脚するという。貴族でありながら古美術品窃盗団と関係を持ち、さらに巨額の脱税を働いていたらしい。アランは早くからユルゲン家の家令からその情報をつかんでいて、ヘリング士爵夫妻に手伝ってもらい、ユルゲンが王都で捕縛されるように商売の話を持ちかけて誘導した……。
アランの言葉だから嘘はないと思うけれど、どうやって王都の情報を手に入れたのだろう。アランが手駒にすると言っていた元ライスター卿の配下は酒運搬の警備隊として王都に向かっているが、到着まであと一週間はかかるだろう。
「……というわけで、王都ではすでに王都守備隊と徴税局がユルゲンの到着を待ち構えているはずだ。お咎めなしではすまないだろうね」
「ユルゲン失脚のあと、ガンツは誰が治めるのですか。領主不在となれば、徴税や商業に悪影響があるのでは」
「エルナの心配ももっともだ。当面は王都の直轄領になる可能性が高いそうだ。だからこれまで通り二つの街の行き来や商売は継続できるだろう。情報によればユルゲンは俺に、というか樹海の開拓に否定的だったようだから、結果的に良かったよ」
あまりに予想外の話だった。そのせいか食事が進まない。朝食を取りながらする話でもないだろう。脚光を浴びる者、失脚や造反する者はどこの国にもいる。今回それがスターヴェークのように大事に至らなかったことは幸いだが……。
「無関係のヘリング士爵を巻き込んだのは迷惑だったのではないか」
「どちらかというと、査察中にガンツで騒ぎが起こるよりは、という気持ちのほうが強かったようなんだ。特にリーナさんがね。彼女はとても機転の効く素晴らしい女性だよ。ヘリング士爵の言葉を借りれば、貴族の良いところをすべて集約したような人だ」
そうかもしれない。何度か食事をともにしたが、スターヴェークの王族や上級貴族の子女にも夫人ほどの人物は思い当たらない。ここは素直にアランの言葉通りと認めておけばいい……のだけれどなぜかわだかまりが残る。私が困るようなことは何もないはずなのに。
「クレリア、食事が進んでいないようだね。朝からビッグボアの脂は重たかったかな」
「しばらく前から以前ほど食欲がない」
「それはよかった」
「どうして」
「クレリアの体が完全に治癒したからだよ。その……精霊様の働きで。もとに戻ったように見えても体には負担がかかっていたんだ。だからたくさん栄養が取れるように精霊様の働きで食欲が増していたのさ。いまはもうすっかり元通りだよ」
エルナが食事の手を止めた。アランがまたしても我々を煙にまこうとしていると思ったようだ。
「エルナ、まだ話していなかったと思うが、私の手足が回復したのは。女神ルミナス様の眷属たる精霊にアランが働きかけてくれたからなのだ」
言っても信じてもらえなさそうだったので私はテーブルナイフをとって、指に当てて素早く切った。
「クレリア様!」
「大丈夫だ。よく見ているといい」
痛みは一瞬で血の量も少ない。すぐに傷は塞がりナプキンで血を拭うと指には傷一つ残っていない。
かつての私も今のエルナと同じように愕然とした表情をしていたに違いない。
「アランは精霊様に命じることができるのですか」
「……そうだ」
「セリーナとシャロンもですか」
「そうだな。ふたりとも精霊様の助けを得ることができる」
アランは困ったような表情だ。私がエルナに精霊の働きを見せるは思っていなかったのだろう。
「アラン、私の手足をもとに戻してくれたことは感謝という言葉では足りないくらいだ。さらにお願いするのは心苦しいが……」
「エルナにも精霊様を宿してほしいんだね」
「エルナは私にとってかけがえのない忠臣だ。だから頼みを聞いてくれまいか」
「クレリア様……」
ずっと黙っていたセリーナとシャロンが一瞬目を見合わせた。
「アラン、エルナにはその資格があると思います。シャイニングスターの一員としてエルナだけが……精霊様の力がないのは不公平です」
「私もセリーナと同じ意見です。エルナには精霊様の力が必要」
「しばらく時間をくれ。考えておく」
話してはいけないことなら、アランが私一人だけに話せばよかったのにと思わないでもなかったが、それからは食事が終わるまでみんな黙々と朝食をとることに専念した。
「ガンツの件も片付いたし、拠点の運営も軌道に乗ってきた。あとは査察に合格することだけだ。いろいろと節目の時期かもしれないな」
立ち上がったアランにシャロンが声をかけた。
「アラン、一つ大事なことをお忘れですが」
「ああ、そうだった。クレリア、明日からこの居城に住む人間が一人増えるんだ。よろしく頼む」