ガンツにかりそめの平和が訪れてからというもの、拠点は少しずつ変わっていった。
とりわけ目を引いたのが、ユルゲンの目を恐れて商売を手控えていた商人たちの買付が以前より一層盛んになったことだ。目ざとい業者がガンツと新拠点の間に定期便の馬車を走らせるようになったおかげで、商売以外の目的でやってくる人たちもずいぶん増えた。
多くは入植志願者の下見だったり、珍しい樹海の植物を求めてくる魔術ギルドの人たちや、さらに見物でやってくる一般市民もいる。農閑期というせいもあって商売っ気のある近隣の農民たちが収穫物を売りに来る姿も見かけるようになった。この流れがずっと続いてほしいものだ。
◆◆◆◆
デニスさんの案件がすんだあと、査察団がガンツに到着するまでヘリング夫妻は新拠点にしばらく滞在することになった。
兵舎での打ち合わせに参加できなかったクレリアとのわだかまりを残したまま、俺は予定をこなしていった。夕食の席で顔を合わせてもクレリアは口数が少なかった。
「もう食事はお済みなのですか」
「もう十分だ……失礼する」
以前の半分も食べていない。クレリアは夕食の席で唐突に席を立ち、エルナが後を追った。
「リア殿は体調がすぐれないご様子ですが」
「一時的なものですよ」
「以前、ガンツから王都へ向かう際、リア殿はたいへんな食欲をお持ちだと感嘆しておりましたが、やはり旅行中は食欲が増すのでしょうな」
「そうかもしれません」
クレリアが故郷を追われたのは、十七歳になるかならないかの年頃だったようだ。
王族として最初の実務が、すでに離反の兆候が現れ始めた領地の視察だったというから、王族としての教育を受けたとしてもまだ日は浅く、王都で生まれ育ったリーナさんのほうが宮廷作法では一日の長がある。
大人の立ち振る舞い、言葉遣い、食事のマナーに至るまで、リーナさんは貴族としての姿勢を崩さない。年齢は一つしか違わないが、リーナさんのほうが俺の見た感じでは圧倒的に大人だ。
リーナさんの影響力の根源は、つまるところ貴族は生涯にわたって貴族らしさを保たねばならないという強い意志、だろうか。
食事、歩き方、話し方、女性としての意見の通し方、普段の生活の中の所作すべてに細やかな神経が行き届いていて、それをまるで息を吸うように自然におこなっている。
これまで数々の宮廷行事の経験があるエルナですら絶賛するくらいだ。クレリアもこれまでは謁見などでもほぼ素顔だったのだが、薄化粧をするようになった。
「ところで本日の食後酒ですが、士爵のご提案に沿うようにつくってみました」
「提案したのは先週ですが……。もうできたのですか」
「ちょっとした技法がありましてね」
地下工場には発酵迅速化技術による醸造ユニットがある。大量生産はできないが、遺伝子改良された酒造酵母の種類や熟成工程はかなり自由度がある。完成してからはシミュレーション・モジュールも使っていない。
盃に注がれた酒を一口含んだフォルカー士爵は、いつものように目をつぶった。
「これはぶどう酒のようですが、酔わせる成分がやや高めですね。ただ、以前頂いた蒸留酒とは違う。かわりに柔らかな酸味があって、未熟な発酵に伴う雑味がない。香りも深い熟成を感じます。この酒は……もしかして酔わせる成分を高めながらも発酵が継続する特殊な酵母を使っていませんか」
すばらしい。士爵の分析は的確だった。狩りにでかけたエルナが樹海の奥で見つけた葡萄と、房の表面に付着していた酵母を遺伝子改良して醸造したものだ。
「ご指摘のとおりです」
「聞いたこともない新酒よりは、ぶどう酒のほうが親しみやすく思われるでしょう。この酒ならより大きな販路を獲得できるでしょうな」
「ヘリング士爵のご助言は数百万ギニーに値します。リーナさんからも百合の原生種を教えていただきましたし、一体何をお礼に差し上げればよいのやら」
「とんでもない、主人の命を何度も救ってくれたことにくらべれば、些細な事ですわ」
何度も救ったつもりもないんだけどな。叙爵に同意して王都に行ったこと、査察受け入れの受諾をしただけだ。
やはり現地の人間、それも食通のフォルカー士爵のアドバイスはたしかだ。これからもお願いすることにしよう。
◆◆◆◆
夕食が終わり、俺は執務室に戻った。
『イーリス、来てくれ』
ARモードでイーリスの姿が俺の仮想スクリーンに投影される。
『査察団の今日の動きを報告してくれ』
[現時点で査察団はガンツより約十日の地点を通過しました]
王都のビット情報や上空からの観察では、査察団長となる貴族、調査官が十名、貴族の身の回りの世話をする女官や侍従二十名で、あわせて三十名前後らしい。調査する人間より侍従のほうが多いのは貴族故だろう。
『査察官の個人情報はまだわからないのか』
フォルカー・ヘリング士爵は査察団の先触れとして、派遣決定時にすぐさま送り出されたという。目的は俺への伝達とこの拠点の事前調査だ。ガンツで査察官に報告するように指示されていたから、ヴィリス・バールケの野郎が直接来るものとばかり思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
昨日、王宮に仕掛けたビットの映像にバールケ侯爵の姿が写っていたのだ。
王都で収集した書籍によれば、過去には伯爵家の開拓状況を査察したくらいだから相当上の地位にある王都の貴族が派遣されるのは間違いない。
[ビットによる収集情報を統括しますと、おそらくこの人物ではないかと。実際ここ三週間ほど自領や王都で姿を見たものはいないようです]
仮想スクリーンに、人物像と概要が流れていく。
この惑星の住民の年齢を推察するのもだいぶ慣れたが、画面の人物の年齢は五十代だろうか。年齢の割にはかなり鍛えているようだ。口ひげを蓄えた容姿に隙がない。画像の多くは簡素な服装だった。
名はマテウス・エクスラー公爵。
公爵位か。階位は俺より三つ上、侯爵の一つ上だ。公・侯・伯爵位はほとんど王家と血縁にあるという。言われてみれば目元はアマド・ベルティー国王陛下によく似ている。スクロールする文字列の途中に、家系図があった。現国王の父の弟か。つまり叔父だな。相当な大物じゃないか。
だが、王宮内の評判では変わり者らしい。
王宮の行事にもほとんど参加せず、不作が続くと農民の支援、寡婦の受け入れ作業場、領地の開畑などに私財を投じ、自領に閉じこもることが多いという。イーリスが保管していた俺の行動ログを見ても、叙爵の当日にはいなかった。
情報を見る限り美食や金銭で動くような相手ではないだろうな。バールケとの関係も不明だ。事前情報がないのは痛い。
明日にでもリーナさんに聞いてみよう。王都で生まれ育ったリーナさんならなにか知っているかもしれない。
[……次の報告です。建設中の発着場の進捗が七十%に達しました。現在は燃料精製プラント及び格納庫の建設中です]
『燃料精製プラントには地熱発電からの電力供給が必要なはずだが』
[地熱発電はまもなく完成しますが、発着場への電力供給は樹海内を陸路で送電するのが困難なため、無線送電となります]
『飛行禁止区域及び送電時間の設定が必要だな。グローリアにも連絡しておいたほうがよくないか』
[すでに連絡済みです。……グローリアも船長と会いたがっていました。ご多忙のところ恐縮ですが、たまには顔を合わせてもよいかと]
このところ査察団関係であいだがあいてしまったな。
『ありがとう、イーリス』
イーリスの画像が消え、俺は明日やってくるメラニーのことを思い出した。到着するまでに、いくつか決めておかなければならない。
俺は再び仮想スクリーンを展開した。個人的なスペースを除けば城館内はビットが設置されているが、最近ナノムに命じて、ビット情報と個人データをリンクさせて、城館内の位置情報を一望できるように改良している。
エルナは地下稽古場か。午前中も練習していたのに大した気の入れようだ。稽古の間は同じ近衛のサーシャにクレリアの警護を替わってもらったようだ。クレリアは居室にこもったままだ。さすがにのぞき見するわけにはいかない。
◆◆◆◆
地下稽古場の照明はなぜか落とされていた。
暗視モードに切り替えようとした刹那、ヒュッと剣が風をなぐ音がした。
とっさに加速魔法で回避する。入ってきた扉が何かに殴られたかのような大きな音を立てた。
「さすがですね。アラン」
すぐ近くでエルナの声が聞こえた。
と、照明がついた。
入り口のそばで防具をつけたエルナが照明のボタンを押している。
「いきなりウインドカッターとははひどすぎないか。しかも剣に載せる新型だ」
「アランなら問題ないかと。無事、回避できたでしょう?」
「そういう問題でもないと思うが。俺じゃなかったらどうする」
「階段をおりてくる足音でアランとわかりました。少なくともクレリア様ではなかったので」
耳で誰が来た判別できるのか。
「夜遅くまで練習とは見上げたものだ」
「いつでもお相手しますよ」
木剣をもったままニッと見せた笑みが怖い。
「貴重な練習時間を削ってもらうんだし、あとで付き合おう。……聞きたいことがある」