査察団は明日、ガンツに到着する。
今ごろはフォルカー・ヘリング子爵がエクスラー公爵に事前報告をしているはずだ。できるだけ好意的な評価を期待したいところだ。念のため査察が始まるまでに街の様子を見ておきたい。念のためクレリアに声をかけ――かなり不機嫌な同意を得た――て、俺は商業エリアに向かった。一緒に行きたい気持ちはわかるが。
タースを駆って商業ギルドへと向かうと、南門の前にある広場には色とりどりの天幕の設置作業がたけなわだ。商業ギルドの建物にはさまざまな衣装を着た各地の商人たちがせわしく出入りしている。明日から始まる大市の準備も大詰めといったところだ。
商業ギルドの前でカトルが待っている。事前にシャロンを通じて連絡していた。
……人目が多すぎるな。
「カトル、カリナを目立たないように呼んできてくれないか。俺がお忍びできていることも伝えてくれ」
「分かりました」
タースをギルド横の厩舎にいれていると、カトルがカリナを連れてきた。手に厚手のコートを持っている。俺の意向は伝わったようだ。カリナは深々と頭を下げた。
「アラン様」
「悪いな、カリナ。忙しい時間に来てしまった」
「いいえ、アラン様なら大歓迎です」
「大市の準備を見学させてもらえないか」
「喜んで。でも、よろしいのですか。お一人で」
「護衛をつけると目立つからね」
俺は外套のフードを目深にかぶってみせた。
「この格好だとあまりにもありふれていて、誰も気づかないだろ」
「私には遠くからでもわかりそうです」
……そうなのか。
「仕事の方はいいのかな。客が引くまで待っていようか」
「いえ、ナタリーにまかせました。大市が終わっても、ここに残って欲しいくらいです」
「ふたりはサイラス商会の両輪だからな。俺だけに便宜をはかってもらうわけにはいかないな」
「アラン様、カリナ様、そろそろ会場に向かいましょう」
カトルも張り切っている。先日、サイラス商会から酒蒸留器の入金があったばかりだ。手配はすべてカトルに任せた。その勢いが残っているに違いない。
カトルにはガンツでの仕入れも続けてもらっているが、ニルス班長の話では、市価の七割くらいで手に入れることも珍しくないという。それだけの実力でも今回の取引はよほど嬉しかったらしい。
「カトルさん、私に”様”は不要です」
「カリナ様は商業ギルドの支店長ですからね。僕はまだ一介の商人にすぎません。父からも自分の立場をわきまえるように言われています」
「カトル、タルスさんからは便りはあるのか」
「こちらの様子をとても知りたがっていましたね。ゴタニアで売れそうな大樹海の産物はないか、とか。僕のことは全然心配していないみたいです。どっちかって言うとウィリーが最近ホームシックみたいで。まだ子供ですからね」
ウィリーはカトルとはそんなに年は違わないはずだが。カトルもちょっとばかり背伸びしたいのかもしれないな。
南の大門からは次々と荷馬車が入場している。周辺の村々から物売りにきた商人たちだろう。門衛の兵士たちは今晩も忙しそうだ。おっと、見知ったサテライトの班長もいるな。気づかれないように外套のフードを深くかぶりなおした。
「月に一度の市よりずっと人出が多いな」
「商業ギルドの力を借りました」
「カリナの提案からたった二週間だ。連絡にはアーティファクトを使ったのかな」
「はい。この話が決まってすぐにガンツ支部から近隣の支部に連絡しています」
ギルドの通信アーティファクトはまだ俺も見ていない。商業にとって通信の秘匿性は重要だが、理由はそれだけではないような気がする。その由来や構造についてもカリナは口をつぐんでいる……。
「今回は持ち込みが多いな」
「いつもは樹海の産品を安く販売しているだけですが、春先に開拓が本格化するのでこの拠点の需要は拡大する……というのが商人たちの読みのようですね」
「そうやってギルドから伝えたんだろ」
「さて、どうでしょうか」
カリナは軽い笑みを返しただけだった。しつこく問いただすのも野暮というものだ。まあ、結果がよければそれでいい。
「ガンツからの連絡馬車を増便したので、観光客も期待できますよ」
「運送業者に金をやって増便したのも商業ギルド、おそらくガンツの住民に広く伝えたのも……」
「そんなところです」
「カリナ、何もかも本当にありがとう。これだけ盛況なら、査察団は俺たちに失敗の烙印を押すことはないだろう」
「そのお言葉だけで十分です」
頭を下げたカリナは控えめに微笑んでいる。それは今が仕事中だから抑えたものになっているだけで、本当はおもてに見せる表情以上に喜んでいるのが俺にもわかる。メラニーのように全身で大喜びするのとは違って、相手に深い印象を与える美しい大人の微笑みだ。
「アラン様、店をご案内します」
あらかじめ店を見ておいたらしいカトルが先頭を切った。
店頭には商品が陳列され始めている。日用雑貨と食料品のほかに書籍を扱う店まであった。これは一度じっくり目を通したいな。
「カトル、この書籍は言い値のニ割増しで全部買い取って居城に運んでくれ」
「わかりました」
市価よりずっと高く買ってやれば、今後、書籍の販売業者も拠点に集まってくるだろう。なにしろ俺たちはこの大陸の歴史と住民について知らないことが多すぎる。
「あの店はセシリオ王国から来たようですね。何度か取引していたので、服装からわかります」
カトルの指差す先には、厚手のコートに毛織物の帽子をかぶった集団が天幕づくりをしている。セシリオ王国はガンツ北東の寒冷地だったな。天幕を組み立て中の監督者らしい男が、なぜかさっと俺を一瞥して目をそらした。
大樹海にほど近いセシリオ王国は、ベルタ王国の王都よりガンツに近い。二つの国のあいだには表向き対立はないが、ライスター卿の話ではセシリオ王国の王太子はかなり好戦的な気質だという。査察が終わったら本格的に探りを入れたほうがいいだろう。
「カリナ、商業ギルドはベルタ王国のほかにも支店があるのかな」
「はい。よほどの僻地でもないかぎり、どの街にもギルドはあります」
「例えばの話だが、もし戦争になったらギルド同士も敵対するんだろうか」
「ギルド同士が不仲になることはありません。貴族もギルドに手をだせば領地の商業が廃れるので昔ほど横暴ではなくなったと聞いています」
国をもたなくても強力な権力を持つということか。
教会はもちろんだが商業ギルドとは良好な関係を保っておこう。ゲルトナー大司教が教会における開拓支援の窓口ならば、商業ギルドも同じくらい重要だ。一つの商会だけに肩入れするのはすこし問題だが。
……唐突にアリスタさんの姿が脳裏に浮かんだ。
「カリナ、一つ教えてほしいことがあるんだが」
「なんでしょうか」
「ギルドの内情に触れることで、答えにくいことならそう言ってくれ」
カリナは足を止め、俺を見上げた。笑顔が薄まり、さっと仕事の顔になるのは普段から自分を律しているからだろう。
「今朝、ガンツの拠点にアリスタさんが来た。査察団長にサイラスギルド長を紹介してほしいそうだ」
「そのことなら大丈夫です。サイラス様が次期王都ギルド長の候補なのは公然の秘密ですから。王都の貴族様との繋がりを持ちたいと思うのは自然なことです」
「ギルド長は選挙で選ぶんだろうか」
「王都ギルド幹部会の推挙で決まります。幹部会は候補者のギルドへの貢献度や商家の規模などから判断します」
「もしサイラスさんが選ばれたら、ガンツのギルドはやっぱり……」
「アリスタ様がギルド長に就任するでしょう。アリスタ様は十分な才覚をもってらっしゃいます」
やはりそうか。穿った見方かも知れないが、父親の望みを叶えるかたちで遠くへ送り出し、自分がガンツのギルドを掌握するつもりだな。ガンツはベルタ王国内でも有数の都市だ。それを二十歳そこそこのアリスタさんが仕切るのになんら違和感がないとは……。
「アラン様、こちらの店はきっと興味を持たれるのではないかと」
先に入ったカトルが天幕から顔を出した。
「こちらは海洋王国からの出店です」
中に入ると潮気のある匂いがする……海産物か。箱詰めされているのは塩蔵品か干物だろう。干物だけだけでも思いつく料理はたくさんある。
お、魚醤もあるじゃないか! これはうれしい。ゴタニアの街で買った物はもう使い切ってしまったからな。
「カトル、この魚醤樽を全部と、魚の塩蔵物を……これと、あれを合わせて四箱だ」
塩蔵物は試験的に届けてもらうことにしよう。そういえば、サイラスさんからは拠点で作っている保冷箱の製法を教えてほしいと言われていたな。あの件も大儲けできそうだ。
俺はカトルに数枚の金貨を渡した。
「アラン様! 多すぎです!」
「気にするな。拠点の仕入れじゃなくて俺の趣味だからな」
「いいえ、いけません。金を投げ与えては商人に舐められます」
さっそくカトルは店主と価格交渉を始めた。カトルに任せたほうが正解だな。
「カリナ、デグリート海洋王国はここから片道一週間以上の距離があるはずだが」
「ガンツに来ていた商人たちにも声をかけています」
「この拠点のことをよく知らない商人がすぐに来るわけがない。カリナ、もしかして彼らのここまでの旅費は商業ギルドが負担しているとか?」
「はい」
まさに商業ギルド全面協力だな。ありがたいが、その対価は高くつく。俺はカリナともういちどドラゴンの背に乗って空を飛ぶ約束をしてしまった。もしバレたら、エルナから何を言われるやら。クレリアだって気にするだろう。
けれど、控えめに喜んでいるカリナをみていると、なかったことにはできない。
これさえなければ、査察自体に問題はないはずだ。初日は植民地の財政の書面検査だが、念のためガンツのデニス家令にも書面には目を通してもらっている。
カトルの値引き交渉も無事終わったようだ。笑みを隠しきれないところを見るとうまくいったらしい。
……いよいよ明日だ。