査察当日、午前……。
「これから外出されるのですか?」
「査察団が到着すれば、私は城館を一歩も出られない。今のうちに様子を見ておきたい」
「すでに部外者も多数この拠点に来ております。護衛を増やします」
「エルナがいれば護衛は十分だ。私とて無抵抗でいるつもりもない」
「……わかりました。馬をご用意いたします。お待ち下さい」
エルナは静かに部屋を出ていった。
教会の関係者はロベルトたち辺境伯軍の者に入れ替わったから、とうぶん朝の礼拝はない。アランが査察団に対応しているあいだ、私は何もすることがなくなった。
スターヴェークへ送り出した偵察隊がもどるのは来月だ。女神ルミナス様に彼らの無事を祈らずにはいられない。
居室の大きな窓からは大樹海を囲む山肌の雪が見えた。少しずつ山すその黒い部分が広がっているようだ。この拠点にも遅い春がやってくる。……なにひとつ拠点に貢献することなく、もう半年が過ぎてしまった。
いつしか心は昨日の夕食の席に漂っていく。
アランはときに私の理解の及ばないことを言うけれど、言葉の使い方が間違っているからではない。あとになってアランが正しかったことは何度もある。けれど先日の言葉がわからない。
アランの言葉より、エルナの真意ははっきりしている。王家に生まれた息女の最も尊い大切な努め……それは血脈を次世代につなげることだ。もう私もそんな年齢なのだろう。
私はかつて叔父上の前で、女神ルミナス様に誓った。
我が直系をもってルドヴィーク家を再興する、と。その願いがルミナス様の御心に叶うものだった証拠に、誓いの御印として体が輝いた。この体に誓いが刻みつけられた忘れ得ぬ瞬間だった。
もし籠城戦で果てた叔父上が生きていたとしたら、今の私を見てどう思われるだろうか。ルドヴィークはおろかスターヴァイン王家の再興すらまだずっと先の話だ。アランのお陰でこの地に拠点を構えるところまできたけれど、そこに私自身の努力はほぼない。エルナも近衛として、私がアランに頼り切りなのを危惧していたのだろう。それで子どもたちを囲む食卓で、王家の血脈の大切さを説いたのに違いない。
兄上を失い、父母亡き今、スターヴァインの血を引くのは私と、査察団長のエクスラー公爵のみ。ベルタ王国に嫁がれたイレナ様も亡くなっているはず。公爵はどんな方なのだろう。ご自身の母親、イレナ様からスターヴェークの血統について聞いているだろうか。ぜひ直接会って話をしたい……。
居室のドアを叩く音がした。
「外出の準備ができました。そとはまだ寒うございます、お召し物を」
エルナがもってきたのはセリーナからもらった防寒衣だった。これまで着たことのあるどんな冬服よりも暖かく、しかも驚くほど軽い。いまではこれなしに外出はできないくらいだ。
居城の正面玄関から外に出ると、黒毛のシラーとエルナが騎乗する栗毛の馬が厩舎から引き出されていた。アラン曰く、荷馬車を引いてもらったのが申し訳ないくらいの良馬だというが、私もおとなしいシラーが好ましい。
私の気持ちを汲んだのだろうか、騎乗するとゆっくり前に進み始めた。わずかに遅れて横にエルナが並ぶ。城館内の園地を抜けて、門を過ぎると真新しい石畳の通路に出た。のんびりと蹄が路床を打つ音が心地よい。
「アランが査察用に見晴らし台をつくったそうです。そこなら城館より広場を見渡すことができますが」
「そこに行ってみよう」
「ご案内します」
南門前の広場に続く道から右に折れて石畳の斜路に入った。しばらく馬を歩かせていると、開けた場所に見晴らし台が作られていた。短い間によく作ったものだ。がっしりとした柱が二階建ての天覧台を支えている。この高さなら商業エリア全体が見渡せるはずだ。馬をつなぎ、階段を登る。
眼下にはたくさんの天幕が広がっていた。天幕の間にすでに人々が行き来しているのが見えた。商売も始まっているようだが明らかに商人以外の者たちもいる。観光目的のガンツの富裕層だろう。
……冒険者だった頃なら、アランと一緒に買物だってできたはずなのに。
アランのおかげで体が回復してからの数ヶ月、冒険者時代のあの頃が生きているうちで一番楽しかったような気さえする。いつでもどこへだって行けたような。
「これほど大掛かりなものとは予想しておりませんでした。ガンツの市に引けを取らない規模です」
「アランが商業ギルドに働きかけたと聞いたが」
「商業ギルドとの関係が気になります。拠点にとって必要なことかもしれませんが」
エルナが警戒しているのは商業ギルドというよりカリナ支店長のことだろう。
「アランにかかわる女性すべてを監視しても詮無きことだ」
「アランは相手を信頼しすぎます。もし悪意ある女が近づいたらと思うと……」
「私の兄上も貴族の子女から大変な人気があった。だからといって近衛が警備を厳重にしたという話を聞かない。エルナ、気持ちはありがたいが私はアランを信頼している」
最初の頃はアランの言動にヤキモキすることもないではなかったが、今は違う。アランの言葉に嘘はない。エルナの忠誠はとてもありがたいけれど、アランと私のことになると頭に血がのぼりやすいのが玉に瑕だ。
「エルナ」
「はい」
「先日のことだが」
「出過ぎた発言でした。申し訳ありません」
「いや、諫言と受け止めておく。思えば冒険者のころに比べれば城館の暮らしは恵まれすぎている。王家の息女として大切な勤めを忘れていた。エルナには感謝している」
「もったいないお言葉です」
「だが、一つわからないことがある」
「アランの言葉ですね」
「そうだ。自分と皆の子どもたち、とはどういう意味なのか」
「男子に恵まれない貴族家では側室をもうけることもありますが」
アランのいた大陸ではそれが当たり前なのだろうか。けれどアランは自分が貴族ではないと言っていた。でも婚儀もまだなのに側室のことを話すなんて……。
「一つ気になったことがあります。セリーナとシャロンの様子が変でした。もしアランの大陸でそれが当たり前なら動揺しないはずですが、二人はすこし顔を赤らめていたようにみえました」
それは私も気がついていた。アランの部下である二人が顔色を変えるのはおかしい。アランのいた大陸では部下を側室にする風習があるのだろうか。
セリーナとシャロンは、近衛の隊長格全員でかかってもかなわない実力がある。もし、私がアランの立場なら貴族でなくても二人の血筋を絶やすのは損失と考えるだろう。ということは、やはりそうなのか。
アランはあの二人を指揮官と部下という関係以上に大切にしている。アランほどの立場ならばありえないほどの親しさは、セリーナが突然現れてからずっと変わることがない。……いや、正しくは親しさ以上のもの。
アランはあの二人に命令するときにわずかに躊躇することがある。アランにとって二人の姿が、ある種の尊敬というか敬意を呼び覚ましているかのようだ。
……ああ、私は一体何を考えているのだろう。
「大市をご覧になりますか」
「もうよい。城館に戻ろう。近づきすぎて人だかりなどすれば、ダルシムにお小言の一つも免れまい」
「はい」
シラーの手綱を駆って方向を変える。
もうだいぶ長い間、乗馬練習をしていない。査察が終わったらアランと二人きりでガンツまで遠出をしてみたい。初めて出会った頃のように道々の草花の名を二人で確認したりして……。
そうやってアランのいた大陸の言葉を教えてもらうのもいいかもしれない。アランの故郷の言葉で私が話せば、今よりは心をひらいてくれるに違いない。
「クレリア様」
エルナの声で、我に返った。城館の玄関の前に荷馬車が停まっていて、人だかりがしている。男女合わせてニ十人はいるだろうか。なかには人夫とは思えない年若い女性もいる。
「査察団の饗応のため、アランが拠点から呼んだ使用人のようです」
「それにしては人数が多いな」
馬車から運び入れているのは大量の食材と食器類のようだ。城館は部屋数こそ多いけれど、もてなすための資材が不十分なのだろう。
人々の中から姿勢の良い一人の女性が足早にやってきた。私の前に来ると、片膝をついて礼に則った優雅なお辞儀をした。
ガンツのホームの家政を一手に任せているサリーさんだった。
「久しいな」
「クレリア様もご健勝で何よりでございます。騒々しくて申し訳ありません」
「ガンツのホームの者たちではないのか」
「はい。ロータル料理長以下、ホームの料理人のほか、給仕や手伝いの者たちをデニス様がご提供くださっています」
「今夜は盛大な宴になりそうだな」
「はい。先ほど城館の厨房を拝見しましたが、ガンツのホームより種々の設備が整っており、ロータルも感激しておりました。今夜はクレリア様にもきっと喜んでいただけるものになるかと」
「よろしく頼む」
私が参加できないことは知らないらしい。遠い王都から来た貴族をもてなすというのに残念だ。
……でも、なんとかしてほんの少しくらい、遠くから公爵の姿を見るだけならアランも許してくれそうな気がする。