「クレリア様!」
開始五分でクレリアが倒れた。
椅子から崩れ折れたクレリアにエルナが取りすがった。
「ただの映像だ。害はない」
「さわるな!」
クレリアを抱き起こそうとする俺をエルナが蹴った。俺は避けずに胸で受ける。本気の蹴りだ。痛みが胸から心臓に抜けるように伝わっていく。
「エルナ、今見たのは過去の記録なんだ。この大陸には奴らはいない」
「黙れ!」
エルナはクレリアを抱えあげようとするが、震えがとまらない。実戦経験のあるエルナでもこの状態か。
俺はエルナを押しのけ、クレリアをベッドにそっと横たわらせた。クレリアには無理だった。
『イーリス、クレリアの記憶は定着させないように』
[了解]
明日の朝には何の記憶も残ってはいない。クレリアにはその強さがまだ足りない。
エルナは膝を抱えたまま震えている。
俺はひざまずいてエルナの手を握ってやった。
「本当にすまない。もしエルナがそうしたいなら、精霊様にお願いして記憶を消すこともできる」
「……アラン、あれは本当の出来事なのですね」
「そうだ」
「男も女も小さな子供までが殺されていった……。魔物でもあんな殺し方はしない。まるで楽しんでいるかのよう」
「そうだ。奴らは楽しんでいるのさ」
バグスの高等種は航宙艦を建造できるほどの知性があるのに、下位種はその知性を弱者の虐待に使う。人類とはけっして相容れない存在なのだ。
「あれがこの大陸にもくるのですか」
「俺たちはあれをバグスと呼んでいる。間違いなくここに来るだろう」
人類銀河帝国の探査船が惑星アレスを発見するより、はるかに早くやつらは来襲する。人類銀河帝国の版図から離れすぎたこの惑星は、悲劇が確約されていると言っていい。
エルナは膝を抱えたまま、魔石ランプのおぼろな光を見つめていた。俺はエルナの手を握ったままじっと待っていた。
「アラン……。この記憶は残してください。近衛は主を守護する者。ならば私は敵のことを知らねばなりません。たとえ敵がどんなに強大であろうとも」
エルナは俺の手を力強く握り返した。
「私はもっと強くならねば」
「わかっている。強くなる手伝いをしよう」
「クレリア様は、まだなのですね?」
「この状態では当分先のことになるだろうね。それにクレリアには祖国奪還という大義がある。一人で強くなることより、政務に集中して将来に備えたほうがいいんだ。大勢の人を動かす立場になるんだから」
「わかりました」
「クレリアは明日の朝まで眠って、映像の記憶は残らない。エルナには眠っている間に精霊様の力で教育を施してもらう」
「眠っている間に、ですか」
エルナやクレリアの宗教観では、精霊とは女神ルミナスの眷属である。精霊が教える知識は信仰にかかわるものだけのはず、という思い込みは当然だ。
「ここは俺の言葉を信じてほしい」
今一つの納得がいかないようなエルナだったが、疑問は後回しにすることにしたようだ。
「アラン、見苦しいところを見せてしまいました」
「いや、俺に比べれば立派だよ」
俺が初めて訓練キャンプでバグス侵攻の映像を見たときに比べればずっとましだ。剣で切り合う戦場経験があるエルナだからショックは一時的なものですんだのだろう。
しばらく黙って俺とエルナは互いを見つめていた。やがてたった今気がついたかのようにエルナは俺の手をそっと離した。
「おやすみ、エルナ」
「おやすみなさい、アラン」
エルナはドアを開けて音もなく廊下の闇に消えていった。
『イーリス、エルナの神経系をナノムにより最適化しろ』
[了解]
◇
俺は執務室に戻った。まだ眠るには早い。
『セリーナ、シャロン。そっちはどうなっている』
『いま城館に戻りました』
『詳しい報告はあとで聞く、概要を教えてくれ』
『了解』
執務室にセリーナとシャロンのAR画像が現れた。ふたりともすでに航宙軍の制服を着ている。
『調査員十名は主に商業エリア、および大市周辺を細かく調べています。辺境伯軍の報告によると、武器が飛ぶように売れています。樹海で発掘された鉄鉱石も完売しました。旅商人の話では大陸全土で武器の価格が上がっているとのこと。おそらく戦争を予想して商人たちが買い漁っているのではないかと』
『誰が買い取ったのか記録しているな? セシリオ王国の商人か』
『はい。ご推察の通り、セシリオ王国の者がほとんどです』
元宰相のライスター卿からはセシリオ王国の脅威についてなんども忠告を受けてきた。いまさら遅きに失した感はあるが、対策を練らねば。
「イーリス、ドローンの余力は」
[コンラート号へのシャトル便として六機を解体再構築中です。そのほか減耗劣化による地上駐機分を除くと余力はありません]
『惑星アレスの全測地サーベイは終わっているな?』
[はい]
『サーベイの更新頻度を下げ、人の居住していない極地方の巡航をやめ、かわりにセシリオ王国の走査に充当しろ。主要施設へのビット打ち込み、情報収集開始』
[了解]
『続けてくれ、セリーナ』
『調査員は大樹海産の資源についてかなり調べています。大市での聞き込みは詳細を極め、衛兵やサテライトメンバーへの接触も試みられています』
『もちろん、阻止したんだろうな?』
『ヴァルターたちが荷崩れや暴れ馬とかでアクシデントをいろいろ工夫はしたようです』
それは後できいてみよう。できれば俺も平民に化けて加わりたかったが、もうそんな事はできない立場になってしまった。
『なお、数人の調査官が拠点の商業ギルドに集まる商人たちから樹海産資源について聞き取りを行っています』
『将来的な徴税額を算出するためだな』
これまでも五大貴族家が開拓に挑んだのは大樹海の資源目当てだが、いずれも失敗に終わった。それ故、俺たちを――実のところ経済的にはまだ脆弱なのだが――将来的な納税者として期待しているのだろう。すこしでも納税額を減らしたい地方貴族と、搾り取れるものは取りたい王国府とのせめぎあいだ。
『アラン、明日は私も町娘に変装して酒場で情報収集の予定でしたが、変更してもよろしいでしょうか』
『なぜだ』
『今日、調査員の気を引くために酒場の女性たちがいろいろと細工をしたようなんですが……。その、男女の親密さが特に要求されるようなものでした』
『予定を変更し、演武に参加してくれ。公爵もそのほうが喜ばれるだろう』
これはあとでヴァルターに問いただす必要があるな。いったいどこまで聞き取りをやったのやら。査察合格に協力してくれるのはありがたいが。
「ご苦労だった。俺からも連絡がある。エルナのナノムをアンロックしたうえで、適応処置を行っている」
『導入が早すぎます! 一般人には強い副作用があるはず』
『私とセリーナに副作用がなかったのは遺伝子適性に恵まれていたからです。エルナには危険だと思います』
確かに殉職したイーリス・コンラート准将の遺伝子を持つ二人がナノム不適合を起こすはずもない。一般人への投与が危険なのは百も承知だ。だが、これはいつか通らねばならない道だ。俺はエルナにバグス映像を見せた上で、本人の同意の元、ナノムを本格運用する事になった経緯を話した。
『本人の決意は固い。シャロン、しばらくエルナに付き添い、ケアを頼む』
『了解』
『アラン、公爵への返答はどうなさるのですか』
『クレリアには公爵の命令を受諾してもらう』
『『ええっ!』』
ふたりとも驚愕の表情だ。まさか俺が賛成するとは思ってもいなかったらしい。賛成するつもりはもちろんない。
「説明しよう。査察団が王都に戻るまで一ヶ月、エクスラー公爵とバールケの政争が落ち着くのに二ヶ月と見れば、我々が王都に召喚されるのはさらに先だ」
『エクスラー公爵が政争に敗れる可能性もあります』
『いや、バールケの資金源だったガンツ伯ユルゲンの捕縛も近い。政策が失敗し、支持する永代貴族もいないなら、公爵側が政争に勝つ可能性が高い。その上で王とクレリアを傀儡にして実質的にベルタ王国を支配するつもりだろう。だが公爵の野望はそこまでだ』
『まさか』
『もしかして……』
『その三ヶ月の間にスターヴェーク奪還という既成事実を作れば、クレリアは政争の道具にはならない。セリーナ、シャロン。作戦立案を始めよう。イーリス、来てくれ』
待ち構えていたかのようにイーリスの立体映像が浮かび上がった。