セシリオ王国――。
ルージ皇太子居城。地下閣議室。
四面の漆喰の壁に押し殺した声が響いている。
「……我が国の総兵力はベルタ王国に劣るゆえ、短期決戦でベルタ王国の王都を落とし、王族を根絶するのが最適解かと。現にロートリンゲン侯は南部諸侯と連携を取り、旧スターヴェーク王都を陥落させたのち、辺境伯軍を撃滅しています」
旧スターヴェークの国王はかつての敵である南部貴族に融和的だった。これも弱さの現れと言える。敵と自身に甘い態度が滅びへとつながったのだ。スターヴァイン王家の王女が生き延びたという噂もあるが、一人では何もできまい。
わがセシリオ王家は長寿の家系とは言え、父王は平和という名の怠惰に溺れ、その治世は長すぎた。王太子である自分はもう齢五十に手が届こうとしている。なんの進歩もない年月だった。商業では隣国のベルタ王国に圧倒され、山がちの領地の冬は厳しく、収穫量は伸びないまま人口だけが増えていく。
我が国にはより多くの領土と経済力が必要なのだ。
閣議室の大テーブルには国境付近の地図が広げてあった。記されているのはセシリオ王国からベルタ王国に至る進軍ルートだ。国境を越えてまもなく道は二つに分岐していた。
ひとつはベルタ王国の王都へ続く遠路であり、もう一本は国境にほど近い城塞都市ガンツへと続く道だ。
ベルタ王国討伐は閣僚の総意で一致しているが、侵攻ルートの結論は出ていない。さきほどから持論を展開しているのは「王都侵攻派」の老将である。
「我が国からベルタ王都まで二週間を要することは事実。しかしながらガンツを経由すると更に一週間を要します。通過する村々には伏兵が置かれ、侵攻軍の勝機は失われることでしょう。敵の王族が逃亡する可能性も高い。したがって王都への侵攻ルートを改めて提案いたします」
どれも言い尽くされたことだ。提言になんの新味もない。閣僚の多くは王都侵攻ルートを支持していた。ガンツ経由では兵の損耗が避けられまい。
ルージ王太子は次の閣僚に目を向けた。
「ガンツ攻略派」の論者である。閣僚の中で最も若手でありながら辣腕と評判だ。故に目上の者から煙たがられている……今日はいつもより自信があるようだ。なにか秘策でもあるのか。
「ガンツ攻略の最大の利点は、我が国の国境からの距離が近いことです。富裕なガンツは戦利品として十分な富をセシリオ王国にもたらします。兵の損耗を恐れる意見もありますが、城塞は過去の拡張工事が中断したまま打ち捨てられ、警護しているのはガンツ守備隊のみです」
多大な犠牲を払って王都へ侵攻するか、最短で莫大な実利を得、王都は後回しにするか。父王が病のため政務を休むようになったころから、ルージ王太子のもとに集まった者たちの意見は平行線をたどってきた。
「さて、ここでガンツ攻略を行うべき決定的な情報が入りました」
このところ旗色の悪いガンツ侵攻派にしては珍しく言葉が強い。
「ベルタ王国はギニー・アルケミンを喪失し、通貨発行能力を失ったとの情報です」
閣議室に動揺が走る。
「それはまことか。この国取りはギニー・アルケミンを確保するのが目的と言ってもいい。ならば王都に攻め入ることは無意味ではないか」
ギニー貨幣はこの大陸の統一通貨でありながら、発行能力を有する国はわずかに三か国。いずれもこの大陸有数の国々である。ただし旧スターヴェークはアロイス王国にとってかわられ、通貨発行の情報が流れてこない。一説によると旧スターヴェークのギニー・アルケミンは失われたらしい。
通貨を発行できないわが国は、経済において常に他国の商業政策に蹂躙されていた。ギニー・アルケミンこそ大国の証なのだ。
「ベルタ王城内の協力者によれば、盗まれたギニー・アルケミンはガンツ方面で消息を絶ったとのこと。おそらくその近辺に秘匿されているのでしょう。さらに、近くガンツ伯ユルゲンが脱税の咎で捕縛されるとのことです」
怠惰な悦楽主義者のガンツ伯ユルゲンはほとんど王都で暮らし、巨大な税収を背景に王都で享楽におぼれているという。城塞の補修に要すべき資金も懐に入れているのだろう。
「ギニー・アルケミンを盗んだのはガンツ伯とも思えぬが……」
「おそらく脱税を理由にガンツ伯を廃し、ベルタ国王の直轄領とするためでしょう。彼の地では半年前に着手した大樹海の開拓が大成功しているのです」
閣議室に一瞬の沈黙が降りる。
大樹海は資源の宝庫である。鉄、銅などの有用な金属に加え、貴金属や石材、膨大な材木資源が存在する。国内の樹木をほとんど伐採してしまったセシリオ王国にとって喉から手が出るほど欲しい資源だ。
しかし、ベルタ王国の貴族家が次々と開拓に挑んだものの、いずれも失敗したことで知られる。魔物による襲撃や、開拓の守り手だった魔術師が樹海熱により失われ、幾度も挫折を繰り返してきた。その開拓が成功しているとは……。
居並ぶ閣僚の頭の中で、ベルタ王都の優先順位が滑り落ちていく。
商業都市ガンツの莫大な税収。大樹海の途方もない資源と新しい成功した植民地。そしてギニー・アルケミン……富と力の源泉が国境すぐ近くのところにある。しかも、その城主は廃され、係争の続く地域にぽっかりと権力の空白地帯が生まれようとしている。
……絶好の機会ではないか。
「開拓の成功は確かなのか」
「新興貴族のアラン・コリント男爵なるものが開拓しているのですが、すでに数千人規模が常駐できる街が造成されているとのこと。商人に紛れて我が”影の手”の者が侵入に成功しております。報告に間違はないかと」
「その者なら聞いたことがある。ドラゴン討伐に成功しただけでなく、さらにもう一頭のドラゴンを従えたとか。しかもA級ランクの魔法を自在に操るらしい。にわかには信じられぬが」
一人の閣僚が半ば笑いながら話の腰を折った。まったく信じていないのが明白だ。暗に開拓成功の情報についても疑問を呈しているのだ。
「もし虚偽ならばベルタ国王は爵位を与えなかったでしょう。現に、叙爵の際にドラゴンが王城に出現し、男爵は撃退に成功しています。これについては別途、報告書を提出しましたが」
王都侵攻派の閣僚たちは沈黙で答えた。まともに目を通した者はいなかったらしい。ドラゴンを従える魔術師など、まるでルミナス神話に出てくる使徒のようではないか。
「さらに、朗報がございます。わが軍は五千名の兵を増強できました」
「どこからその兵が湧いたのだ?」
「民兵は春先の作付のため動かせぬぞ?」
「まさか近衛まで動員するのではなかろうな」
つぎつぎと王都侵攻ルート派の重鎮たちから嘲笑混じりの意見が飛ぶ。
「アロイス王国より、兵の提供について同意を得ました」
驚愕した閣僚から次々に声が上がった。
「独断専行が過ぎる!」
「出過ぎた真似を!」
「その追求はあとだ……。続けよ」
ルージ王太子の一言であたりは再び静かになった。
「アロイス王国は現在、凶作に悩まされており、穀物を諸国から輸入しております。財政が逼迫する王国府は代金の代わりに兵を各国に貸し出しているのです」
「我が国とて財政に余裕はないが」
「成果報酬として、ガンツ攻略後にその税収の一部で支払うという方法もございます」
「金で雇った兵など信頼できぬのでは」
「アロイス王ロートリンゲンの命令により、旧スターヴェーク王国の旧臣および北部諸侯が兵を供出しています。彼らは妻子を人質に取られているも同然。傭兵としては使い勝手がいいと申せましょう」
旧スターヴェーク軍の残党を再利用するつもりか。かつての王族に忠誠を誓った者どもなどは皆殺しにするのが当然のところ、身内を人質にとって傭兵化し、他国に貸し出すとは……。厄介者の処分というわけか。アロイス王も狡猾よの。
「五千名の軍勢は当然ながらベルタ王国を通過できないため、アロイス王国から北陵山脈を超えて我が国に入国させているところです。まもなく当地への集結を完了します」
「この時期の山越えでは人員の損耗も避けられまい」
「わが軍に実害があるわけではありませんので。損耗をみこした兵を要求しました」
説明者が薄い笑みとともに返すと質問者は黙った。しょせん、使い捨てなのだという事実に思い至ったのだろう。
「……以上により、セシリオ王国軍七万、傭兵軍の五千を合わせてガンツ攻略、開拓地を接収の後、引き続きベルタ王都への侵攻は可能と判断いたします。旧スターヴェークの傭兵どもは先鋒に配置し、わが軍の盾とするのがよろしいかと」
王太子は閣僚の面々を見渡した。異論を唱える者はいない。方向さえ決まれば、相争うのが無益と皆理解しているのだ。
「結論は出たようだな。我軍は傭兵軍の到着をもって直ちにガンツを攻略し、ベルタ王国への橋頭堡とする」
父王亡き今、ベルタ王国侵攻を妨げるものはいない。長きにわたる忍従の日々は終わった。ベルタ王国を討滅し、凱旋と同時に新王国を統べる王となるのだ。