査察団は昼前に出立の準備を終えた。城館の門まで送った俺たちに公爵は、
「査察はなおも継続中と心得よ」
と釘を差し、セリーナへもしつこく王都に来るように誘うのも忘れなかった。護衛を兼ねた二人の女官は相変わらずきつい目つきでセリーナをにらんでいる。これだけ周囲の感情がこじれているのに全く動じない公爵はたいしたものだ。昨日からクレリアに振り回されっぱなしの俺としては、少しは見習いたい。
公爵が出立する前に、早馬を出してガンツのデニス家令に連絡を入れておいた。おそらく王都に戻るための食料の調達はガンツで行うはずだ。査察団の一行はあわただしく拠点の南門へむかって去っていった。
ヘリング士爵は調査員たちから調査資料を引き継いでいた。調査員十人分の資料はかなりの厚みだが、一体どこまで調べたのだろう。
「よければ査察の取りまとめを手伝いましょう」
「ありがとうございます。リーナもおりますのでさほど時間はかかりません。そのあいだの滞在をお許しください」
「もちろんです。時間があれば私も少々手伝っていただきたいことがありまして」
「まさか、あれがもう完成したのですか」
「ご助言を参考にいくつか醸造を終えたのでテイスティングを……」
「喜んでお手伝いいたします」
さっきまで頭を抱えていたヘリング士爵が満面の笑みで答えた。書類整理が苦手なようだな。ま、試飲のほうが楽しいに決まっている。ヘリング夫妻は以前来訪したときに使っていた専用の執務室へもどった。
予想外のセシリオの動きで査察は中断となったが、このあたりで皆と情報共有しないとな。だがその前に……やらねばならないことが山積している。
◆
俺は執務室に戻った。
セリーナは辺境伯軍のメンバーに査察中断の報をつげ、近衛もふくめた体制を査察前の状態に復旧させるように頼んだ。シャロンはエルナの回復処置とあの魔術師の介護をまかせている。あの二人に頼りっきりだ。
『イーリス、査察対応であと回しにしていたタスクを表示』
[了解]
仮想スクリーンに文字列が流れていく。ざっと四十項目はある。いずれも拠点に必須のことばかりだ。
『タスク最上位にセシリオの侵攻対策に関連のあるものを表示』
侵攻軍の撃退は可能だが、問題は捕虜だ。敵を皆殺しにするつもりはないから、どうしても捕虜が出る。監視する人員はもとより、収容する施設がない。敵の人的損失を最低限にし、捕虜を取らずに全員逃げ帰ってもらう。そして二度と侵攻を企てないようにする……などということは可能だろうか。
しばらく考えていたがさっぱり思いつかない。そうだ、ライスター卿の助言を求めよう。ベルタ王国の元宰相として、仮想敵国のセシリオ王国を研究していたはずだ。近衛の者が退避している北ブロックまでは馬でさほど時間はかからない。スターヴェーク奪還についても意見を聞きたい。
『イーリス、王都で入手した書籍からセシリオ王国に関する情報を読み上げてくれ』
[了解]
聞き流しながら行くとしよう。
◇
「突然の訪問で失礼する」
「お気遣いはご無用に願います」
突然来訪した俺の姿にわずかに驚いた様子だったが、すぐに一礼を返し、落ち着いた笑みを見せた。ライスター卿の服装は整っており、たったいままで執務をこなしていたかのような身だしなみの良さだ。上品な白髪にも乱れはない。
「査察の間だけとはいえ、このような狭い宿舎で迷惑をかけた』
「お構いなく。……今日はセシリオ王国の話ですかな」
ライスター卿は椅子を勧めつつ、さらっと当たり前のように言った。
「どうしてそれを」
「息子のアベルが、食料を運んできた兵士から話を聞きまして。武器の売れ行きが良いとか」
査察や大市の情報収集をしていたらしい。本当に抜け目がないな。
「ならば話が早い。セシリオ王国の国王が亡くなった。その件について相談したい」
「軍が動いているのですな」
「王都に集結中だが、葬儀も終わらないうちに戦争などできるのだろうか」
ライスター卿は俺に椅子を勧め、茶器を取り出した。部屋にある机を見ると何か書き物をしていたようだ。
「王族が亡くなると、儀典長を中心に葬儀の準備を行います。セシリオ王は高齢だったため、はやくから準備していたと考えて良いでしょう。死後数週間は喪に服し、王族のみが場所を知る王墓に葬られるまでは王位継承は行われません」
「であれば王太子が国軍を動かせるはずもないが」
「王が病に臥せっていた時点で、軍を掌握したのでしょう」
ライスター卿は机に一冊の書を置いた。
「これは対セシリオの軍略をまとめたものです。囚われていた間、少しずつ書き溜めていたものを先日少しばかり改定しております。アラン様のお役に立つことがあるかもしれません」
「これはありがたい」
ざっと目を通すと、想定進行ルート、地形や敵戦術の予想など詳細に記載されている。これほどのものを用意していたとは。
「外敵に備えるのも宰相のつとめ。当たり前のことです」
「敵対する理由はなんだろうか。国力にしてベルタ王国の比ではないはずだが」
ついさっきイーリスに教えてもらった知識を小出しにする。
「国境の町、サンザノの処遇が原因です。この街はかつて両国との中間点にあり、自由商業の街だったのですが、二十年ほど前に我が国に下りました。それを不当とするセシリオ王国はサンザノの領有権を主張し、小競り合いを続けていたのです」
「卿は王都侵攻とガンツ方面攻略の二つを想定されているが、今回はどちらと考える?」
「アラン様の開拓が成功しつつある現状を考えると、ガンツ方面となるでしょう。投入する戦力に比して戦果は巨大ですから」
やはりな。イーリスも同じ結論に達していた。あとはこの軍略書を読み込んでおくか。現地の智者に聞かねば分からぬことは多いものだ。
「貴重な助言に感謝する」
「私の望みはバールケの首でございます。そのためにはこの老骨に鞭打ってでも尽力いたします」
「そのバールケだが、エクスラー公爵との政争では敗色が濃いらしい」
「でしょうな。奸智に長けてはいるものの政務は非力。私の助言がない以上、ほかの貴族からも見放される頃合いかと」
どこまでも先読みが深いな。為政者とはこうでなければならないのだろう。まだこの人物から学ぶことは多そうだ。